あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

「 仮面舞踏会 」&クリスマスの飾り付け

2008-11-30 18:12:26 | フィギュアスケート
 浅田真央のNHK杯での「 仮面舞踏会 」よかったですね。トリプルアクセルもよかったけど、なんといってもあの音楽に乗った複雑なステップシークエンスは、さすがタラソワコーチ!やはり、あの芸術性には只々脱帽です。彼女の、これまでのプログラムの中で、一番すきですね。まさに「 芸術におけるワイルドなもの 」が感じられ始めたプログラムでした。
 それにしても、いろんな選手の、高橋大輔ばりのステップシークエンスが強調されたプログラムを見るにつけ、やはり彼のいない大会のさびしさが身に沁みます。

 ところで、このシーズンになると、いろんな場所のクリスマスの飾り付けが見られて、それだけでこころが何となく浮き浮きして来ます。最近、仕事関連ですが、クリスマスのディスプレイ用に、モビールとタペストリーを手作りしましたが、作っている間中、とても楽しかったです。量販店の売り場をのぞいたり、手芸店に行ったりして材料を探す作業も楽しかったです。特に手芸店は、結構いい材料があります。

音楽会

2008-11-16 18:39:20 | 音楽
 昨日(土)は、六年生の次男の小学校の音楽会でした。
 
 最初のほうのプログラムの、斉唱「 にじ 」を聴いて、はやくもうるうるしてしまい、一年生の斉唱「 崖の上のポニョ 」でほっこりさせてもらったりでしたが、今年はなんといっても六年生最後の合唱と演奏に感動しました。合唱曲は「つばめのように」、合奏曲は「仲間とカンタービレ」と題された、例のドラマ「のだめカンタービレ」で演奏された、ベートーヴェン「 交響曲第7番 」、ピアノソナタ「 悲愴 」第2楽章、ガーシュインの「 ラプソディ・イン・ブルー 」のメドレーでした。いつもながら、音楽の先生は、オーケストラの譜面を取り寄せて、それをそれぞれリコーダーやメロディオン、アコーディオン、マリンバ、オルガン、大太鼓、小太鼓などのリズム楽器など、子供たちが演奏する楽器に振り分けて、なかなか聴かせる演奏に仕上げてくれることに、そしてそれに答える子どもたちの演奏に、毎年ほんとうに感動します。そして、ああやっぱり、子どもの声や彼らの放つエネルギーの純粋さに感動して帰ってきます。
 アンコール曲は「 情熱大陸 」、最後の「おわりのことば」は、リコーダー奏の「 太王四神記 」のメロディーに乗せておこなわれました。
 

祈念大輔怪我回復 紹介「道(ラ・ストラーダ)」

2008-11-12 16:34:36 | フィギュアスケート
 高橋大輔君の怪我の回復を祈念して、見れなかった新フリープログラムの楽曲「ラ・ストラーダ」の映画「道(ラ・ストラーダ)」の以前に書いた記事へのリンクを貼っておきます。

 ※参考記事「思い出のなかの映画~フェリーニ&アンゲロプロス~」

 フェリーニの映画「道」は、映画史に残る名作です。ご覧になったことがない方はぜひご覧になってください。

最近のテレビより~ globeの曲のこととか

2008-11-07 23:56:06 | ニュース
 小室ファミリー、小室サウンドが世間を席巻していた90年代後半、私自身はちょうど私生活が忙しい時期でもあったので、そのことに特に関心を持ったことも、彼らの音楽を熱心に聞いたこともなかった。なんとなくチャカチャカして、ふわふわした感じだなあという印象しかなく、特に興味もなかった。その特徴があの時代の雰囲気に合致していたのだと思う。小室哲哉氏本人に対しても、その女性との付き合い方や別れ方、あるいはもっとあとの方での、時の政権への曲の提供など”御用音楽家的振る舞い”などに、どちらかと言うと違和感を感じていた。
 
 私は、”溺れている者をさらに棒で叩く”ような趣味はない。人間の性善説も信じている。だから、ここで彼のことを批判するつもりはない。どこかで歯車が狂ってしまってもがいていたのだろうと思う。逮捕された時の表情などを見ると、どこかほっとしているように見えたのは、彼が現在いたところが、地獄のような泥沼だったからではないだろうか。と同時に、そこからなんとか自力で脱出してみせるという自らの才能への強力な自負心も、まだまだ垣間見えたし、今回、報道されているようなことが事実ならば、その原因のひとつに、彼の貴族的な特権意識もあったような気がする。でもそのような性質は、ある程度自らの才能を自負している芸術家には間々見られる特徴であると思う。基本的には、音楽少年、ロック少年がそのまま大きくなったようなひとで、あのシャイで所在なさげな普段の様子と、それに相反するような強力な自己顕示欲とナルシシズムの共存、そして成熟と安定を拒否しているような少年性。そんな彼の存在に、これまで特別の関心を抱いたことはないというか、私の求めているものとは縁のない位置にいるひとだとずっと思っていた。

 今回、彼の逮捕の報道を聞いて、90年代後半に、まだまだ若かった豊川悦司と夏川結衣が共演していたTBSの「青い鳥」というドラマの主題歌がたしかglobe だったということを思い出した。(「Wnaderin` destiny」by globe )で、YouTubeで探して、globeの他の曲も何曲か聴いてみたのですが、globeの曲には、何か独特の暗い雰囲気と切なさがあって惹かれるものを感じた。彼のピアノと彼女の唄とのアコースティックなコラボなどには、彼の純粋さを感じた。歌詞に関しては、余り印象がないというか、外国のアーティストのような哲学性とか深さを感じさせるものは、ざっと見ただけですが、あまりなくて、その軽さがあの時代に合っていたのかなと思ったりしますが、それが現代の主流となっているものと少しずれてきて、そのことに気付けなかったのだろうと思います。彼が重視していたのは、あくまでも、ある雰囲気のようなものでしかなく、それが時代とずれてしまった、雰囲気は流行でしかないから。不易と流行ということで言えば、偉大な芸術には、その両方の要素があると思うけれど、彼の多くの曲は、あの時代の”流行”でしかなかったと思う。でも、globeの曲だけには、それに留まらない芸術性を感じる。

 だから、もし彼に罪があるのならば償わなければならないと思うけれど、このまま、駄目になってしまうのは残念な気がする。

※ココログにドラマ「青い鳥」についての記事を書きました。
 
 それと、筑紫さんの訃報を聴いて、本当にびっくりしています。ニュース23も彼が降りてからは見てなかったです。元気になって復帰されるものと信じていました。まだ信じられないです。