あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

加藤 周一の言葉

2011-04-10 21:14:49 | 
 福島の事故後の東電の会見を見ていて思い出した言葉があった。それは「二○世紀から」という加藤周一と鶴見俊輔の対談集の中の、( 11:科学技術の専門化と普通人の役割 )という章の中の加藤周一の言葉だ。少し引用してみます。

本当に優秀な技術者にとっていちばん大事なことはやっていることがおもしろいということなんです。
 だから「道徳的におかしい」「政治的愚行だ」と非難しても、科学技術とモラルの問題だけを論じ、技術者にとっての知的興味という問題を落とすと議論は空論になる。実際にやっている人は部分だけをやっていて、モラルのことはそんなに考えていない。技術者にそういうことを求めるのは無理なんです。 ( 加藤:同書233頁 )

 なぜ理科系の秀才がオウムに入るのかという問題も、戦争中は頭のいい技術者たちでさえいつかは神風が吹くと信じていたわけで、その問題と似ていると思う。技術者というのは二つの世界に住んでいて、緻密にものを考えるのは専門の実験室いるときで、一歩実験室の外に出ると大衆の一人に変わる。そのあいだにつながりはない。もちろん例外はあるでしょうが、全体の傾向としてはそれが技術者の一面なんです。( 加藤:同書239頁 )

 普通人の定義は難しいけれども、膨大な人数の普通人がいるという現実と、技術がこれほど発達した世界にとっては偉大な普通人が必要である、という二つの問題があると思う。ナチスに追われてアメリカに渡ったカール・フリードリヒは、デモクラシーの土台石の一つは普通人の哲学の尊重で、エリートだけではデモクラシーは成立しないと言っている。( 鶴見:同書234頁 )


「技術者にモラルを求めるのは無理」、「偉大な普通人が必要」 

 追記:

 結局は話題の選択の問題だと思う。テレビに何が映っているかというと、世の中にとって重大なことはほとんどない。・・・・全体として構造的に重大な問題はあまりない。そうすると世界は調和的だという印象が大衆の中に浸透していく。これがいちばん大きな問題です。 ( 加藤:同書301頁 )

 被災地の現実を忘れ去らないために、(自分達の不自由さを語れない芸能人たちの)ヴァラエティを見るのをやめよう。福島の悲劇の大きな原因のひとつに、みんなの無関心があったことは事実。9・11のテロが世界の無関心を告発した時のように。

 まだ世界は決して調和的ではない。あのくだらなさを増したように見えるバラエティが糊塗し、忘れようとしている現実を見よう。そこからしか再生は無い。そうすれば電力会社もスポンサーを降りるだろうよ。。

『ゲドを読む。』を読む

2007-08-30 01:15:54 | 
 DVD発売の広告の一環として無料で配布されている「文庫本のかたちのフリーペーパー」『ゲドを読む。』を読んだ。
 これが、なかなかおもしろく、よくできた原作の紹介、解説書となっています。私がいちばんおもしろく読ませてもらったのは、中沢新一さんによる”『ゲド戦記』の愉しみ方”という第一部です。(大学教授にもかかわらず、)非常にわかりやすい語り口で、ル=グウィンの生い立ちや、この物語が生まれた頃の時代背景(第一巻がアメリカで出版されたのは1968年、)などをていねいに解説してくれていて、とても勉強になりました。当時、世界中で時代を揺り動かしていた大きな波が、個人の創造にも大きな影響を与えていた時代に、書かれるべくして書かれた「作家の個人性を越えた人類の無意識から誕生した物語」(=「古典」)であると。このような時代背景がゲドとテナーの関係のありよう(ニ巻の最後でふたりが結婚しなかったこととか)にも影響しているのだという部分はとても興味深かったです。
 そして、最後の部分ではジブリ映画「ゲド戦記」についての解説が添えられていますので、興味のある方は、手に入れて読まれてみてください。第三部の、河合隼雄×宮崎吾朗対談も読んでの私の感想としては、私はやはり原作『ゲド戦記』の世界、表現が好きなんだなあと思いました。中沢氏は、「映画版はアジア的解釈のひとつのヴァリエーション」として「あり」としていますが、その辺りについての私の感想は、映画についての過去記事を参考にしてくださいませ。

 
 映画「ゲド戦記」 
 思いつくままに(映画「ゲド戦記」追記)
 THE ART OF TALES from EARTHSEA
 ゲドのいる入り江
 「ゲド戦記」追記

つれづれ日記(「散るぞ悲しき」追記、石橋湛山他)

2007-07-09 16:43:26 | 
 いろいろ書きたいことはあるんですが、じっくり書く時間が無いのと、湿度の高い暑さのせいで、夜更かしが辛いというのもあります。(ココログにフランスのアニメ「王と鳥」について少しだけ書きました。よかったら訪問してみてください。)

 それと、前記事で紹介した「散るぞ悲しき」という本を読み返して、ずっといろいろと考えたりしていたりもしていて、少しそのことで追記したいこともあったのです。私が映画「硫黄島からの手紙」「散るぞ悲しき」という本から浮び上がって来る、軍人栗林忠道像の何に感銘を受けたのか、ということをずっと考えていたのです。硫黄島での、軍人としての彼の思考やその戦闘は、現在の平和な日本に暮らす私たちの感覚からは、かけ離れた部分があります。そして、これらの作品はとり方によっては、他の戦記物同様、ヒロイズムに酔いたいひとたちに、都合よく解釈される危険性もあると思います。それでも私は、これらの作品に描かれた栗林という人物に惹きつけられるものが多々ありました。それは、家族にやさしい手紙を書き送った、ほとんど理想的な家庭人、父親としての姿の部分が、そのひとつですが、それと同時に、関係者へのていねいな取材や証言を通して描かれた、軍人としての彼の行動や思考から現れる、徹底した”現実主義者”としての彼の姿にも感銘を受けたのです。アメリカ留学の経験があった栗林は、現実主義者として、最後までアメリカとの開戦に反対していたそうです。でも硫黄島に赴任してからは、軍人として、自らの経験と知力のすべてを投入して戦いました。その戦いぶりから、現在においても、米軍人の間では”General KURIBAYASHI”の評価は非常に高いそうです。そして、その高評価は、彼の徹底した現実主義(緻密に現実を観察して分析し、最も有効な対策を考える)から来ていると思うのです。その彼が、自らの死を覚悟した最後の総攻撃の前に(その先頭に立って闘うことが、若い兵士たちに死ぬしかない過酷な戦いを強いた指揮官としての彼の責任の取り方だった)発した決別電報の本文や辞世において、言わずにはおれなかった言葉、そのぎりぎりの軍中枢部批判―前線の現実をよく知りもせず、机上で楽観的な大局ばかりを語った彼らの方針が、いかに現場の兵士たちを苦しめたかを―に籠められたその思いを知ることは、意味のあることだと思うのです。右とか左とかに関係なく、戦争の現実とその虚しさを知るために。彼が残した最後の言葉は、その戦場の悲惨な現実をわれわれに伝えたいという強い意志と思いが籠められて発せられたものだったのです。その強い思いに60年という歳月を越えて答えたのが、映画「硫黄島からの手紙」であり、「散るぞ悲しき」という著作だったのです。


 (※追記:「美しい国」と言いながらうっとりすることは、現実を見ずに、現実から遊離してしまっていることそのものではないだろうか。)
 

 最後に、先日、NHKで放映された、石橋湛山が特集された「その時歴史は動いた」という番組もなかなかよかったのですが、これについては天木さんのブログで紹介されていますので、そちらを訪問してみてください。

「散るぞ悲しき」

2007-06-30 00:50:59 | 
 生協のピースライブラリーで見つけて、「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」(梯久美子・著/新潮社)を読んだ。読むのは大体夜中、寝る前だったのだが、読んでいる間は、その後眠れなくなって困った、そんな本だった。そして、読むのが止めれなくなるような本だった。
 内容は、映画「硫黄島からの手紙」で描かれている栗林忠道像を、その硫黄島での日々、戦闘そして最期を、そのまま詳しく描写した感じで、あの映画が、かなりリアルに、栗林忠道という人物を描いていたということがわかった。
 
 この本のタイトル「散るぞ悲しき」は、彼が最後の総攻撃前に、大本営に宛てた訣別電報の最後に添えられた辞世の歌3首のうちの1首、

 国の為重きつとめを果たし得で 矢弾(やだま)尽き果て散るぞ悲しき

 から来ています。当時、軍人(指揮官)として、戦闘行為を詠むに当たって、タブーとされていた”悲しき”という言葉―新聞発表では”口惜し”と改変されて発表された―が、どのような経緯で、どのような思い(意志)が籠められて発せられたのかを、軍人、家庭人としての栗林の性格や、島での地下陣地構築の日々、「生地獄」とも表現された、過酷で凄絶な戦闘の様子やその最期をていねいに描写していくことによって、描いている。もちろん、映画でも使われた手紙も数多く紹介されている。
 私が最も印象的だったのは、生前の栗林を知る者を訪ねて、軍の軍属(裁縫係)として、生前の栗林と親しく接し、彼のことを”うちの閣下”と呼ぶ85歳の貞岡氏に会った時のエピソードだ。当時「閣下のもとで死にたい」と願い、硫黄島に渡ろうとしたが、本人から「来てはならん」と怒鳴られ、その願いを果たせず、今でも栗林の最期の電報の電文の一言一句を忘れず、まるでお経を読むように朗誦するという貞岡氏は、栗林の死から33年後の昭和53年に慰霊巡拝団の一員として島に渡ったときに、案内の人が栗林が潜んでいた司令部壕を指すと、「閣下ぁー、貞岡が、ただいま参りましたーっ!」と呼びかけながら、その方向に駆け出したという件を読んだときは、われ知らず泣けた。
 映画でも使われた最後の出撃前の栗林の言葉、

日本国民が諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に対し涙して黙祷を捧げる日が、いつか来るであろう。

 を、思い出した。

 貞岡氏の電文朗誦は、硫黄島の死者の霊に対する、私たちに代わっての、やはりお経なのだ。それは、そのような戦争があったことも、そこで亡くなった兵士たちのことも忘れて暮らしている私たちの戦後を照射している。私たちはそれらの死者を思い出し、涙することがあったのかと。(私は、栗林忠道のことを映画「硫黄島からの手紙」を観るまで知らなかった。)


 アッツでもタラワでも、サイパンでもグアムでもそうだった。その死を玉砕(=玉と砕ける)という美しい名で呼び、見通しの誤りと作戦の無謀を「美学」で覆い隠す欺瞞を、栗林は許せなかったのではないか。(同書220頁より)

 スミス中将が、その不気味なまでのしたたかさをウジ虫に例えた硫黄島の地下陣地。それは、名誉に逃げず、美学を生きず、最後まで現実の中に踏みとどまって戦った栗林の強烈な意志を確かに具現していた。(同書126頁より)

(※スミス中将=米海兵隊硫黄島上陸作戦の指揮官、ホーランド・M・スミス中将)

 しかし、その闘いは、栗林本人をして、「鬼神(きじん)を哭(なか)しむる」と表現させずにはおかないほどの戦いだったのだ。
 この本からは、栗林の”絶唱”としての電文に籠められたその闘いの哀切さとともに、その最期のときまで徹底した現実主義者(現実主義者としてアメリカとの開戦に反対していた)だった軍人栗林の姿が浮び上がって来る。硫黄島の地下陣地やその闘いぶりによって、敵将を感嘆させ、彼に対して畏敬の念を抱かせるほどの。そしてその現実主義者の彼が、留守宅のこまごまとした事までを気遣う手紙を書く、よき父親であり、夫であったことは、映画でも描かれていたとおりだった。


 ※男はどうして戦争映画がすきなのだろう(「硫黄島からの手紙」を観て感じたこと)

 ※「父親たちの星条旗」より

 ※「 硫黄島からの手紙 」



最近読んでいる本、買った本、借りた本

2007-04-27 00:52:57 | 
 なんとなくあわただしい日が続いていて、じっくりブログを書いたりする時間がないので、今回は、本の題名だけの簡単な記事でお茶を濁すことにします。

 まず、いま読んでいるのは、「17歳のための世界と日本の見方」(松岡正剛

著/春秋社)です。

 最近買った本、

 「生き抜くための数学入門」(新井紀子著/理論社)

 (私は未読ですが、長男は1~2日で読了しました。)

 「いじめの根を絶ち子どもを守るガイド」(バーバラ・コロローソ著/東京書   
籍)(以前なかまたさんのブログで紹介されていた本です。バーバラさんは、

私が以前にこのブログで紹介した「子どもに変化を起こす簡単な習慣」の著者

です。)

 次に最近借りた本、

  「世界の詩集 6 ランボー詩集」(金子光晴訳/角川書店)

  「地獄の季節」(ランボオ作/小林秀雄訳/岩波クラシックス)

 ランボーの詩で、ふっと思い出した詩があって、確認したくて近くの書店に行

ったのですが、どうも最近ランボーは人気がないらしく、見当たりませんでし

た。もっと大きな書店に行けばあるのかもしれませんが―実家にもあったよう

な気がしますが、てっとりばやく図書館で借りました。

 

 

ココログの記事紹介2

2007-04-11 13:38:13 | 
 ココログに新記事「最近読んだ本2~他人を見下す若者たち~を書きました。少し固めですが、よかったら訪問してみてください。(中原中也の記事で触れた「悲しみ」という感情について、あるいは「他人を貶めたり罵倒することによって自己の優位性を保とうとするのはチキンな(劣等感のかたまりである)証拠」というような内容の記事です。)

 ※関連記事「よごれつちまつた悲しみに・・・・・・~現代国語的中原中也」

 ※関連記事「中也の詩の紹介」

 ※関連記事「もっと悲しみを~中也の絶対音感~」


追記:都知事選の結果ですけど、既得権益者達は変化を求めないだろうし、そうでもないのに支持した層ってのは、誰かを貶めることによって優位に立つという姿に自分たちの”似姿”を見て拍手しているのでしょうね。

中也の詩集

2007-02-26 17:51:53 | 
 中原中也に関するいくつかの出来事をきっかけに、彼の詩をちゃんと読んでみたくなり、近くの本屋に彼の詩集を探しに行った。今時そんなの置いているかなあと思いながら文庫コーナーに行ったら、ありました、ありました。(芥川、漱石、太宰、朔太郎なんかもあって、ちょっとほっとしました。)
 中也は新潮文庫とハルキ文庫とふたつあって、どちらにしようかと迷って、ハルキ文庫というのは、あの角川春樹さんのハルキらしくて、私はこういうネーミングはちょっとこっぱずかしくてたまらないのですが、本の装丁は新潮のほうが中也の帽子の肖像を使ったオーソドックスなもので好感が持てるし、彼のふたつの詩集「山羊の歌」と「在りし日の歌」からの詩篇はほとんど同じものが採用されているのですが、ハルキ文庫のほうには、短歌作品とランボオやヴェルレーヌの翻訳詩篇が付いているのと、町田康のエッセイが付いているので、値段は少し高いが捨てがたく、結局両方買った。解説はハルキ文庫の樋口覚氏のものがわかりやすかったです。というふうに一長一短がありました。でも、あってよかった。私はやっぱり本で読みたい派なので。
 
 ※ココログの関連記事
 汚れつちまつた悲しみに・・・・・・~現代国語的中原中也
 中也の詩の紹介
 もっと悲しみを~中也の絶対音感~

※彼の詩はインターネットの図書館「青空文庫」 作家別作品リスト:中原中也で読むこともできます。

「憲法九条を世界遺産に」より抜粋 (追記あり)

2006-11-04 02:16:35 | 
 「憲法九条を世界遺産に」から少し抜粋してみます。


太田 ・・・・今、憲法九条が改正されるという流れになりつつある中で、十年先、二十年先の日本人が、「何であの時点で憲法を変えちゃったのか、あの時の日本人は何をしてたのか」となった時に、僕達はまさにその当事者になってしまうわけじゃないですか。それだけは避けたいなという気持ち、そうならないための自分とこの世界に対する使命感のようなものがすごくあるんです。(P16~P17)


中沢・・・・・なにかがこんがらがってしまっています。このこんがらがった糸玉をほぐす努力を今しておかないで、現在の国際情勢などというものに押されるようにして憲法を改正してしまうと、僕たちの時代は将来の日本人にたいしてひどい汚点を残すことになってしまうでしょう。(P17)


中沢 まともな異論を唱えようとする人々を黙らせてしまおうとする、嫌な精神土壌はそのまま生き続けているでしょう。こういうこんがらがった状態をいっこうに抜け出していないわれわれが、憲法を改正してしまうなどという、重大な決断を下してしまう資格がはたしてあるのだろうか。自分たちがいま本当にやらなければならないことを放棄しておいて、感情的な判断に押されて無思考のまま重大な決断をくだしてはいけないんじゃないか、・・・・(P18)


 太田 僕は、日本国憲法の誕生というのは、あの血塗られた時代に人類が行った一つの奇蹟だと思っているんです。この憲法は、アメリカによって押しつけられたもので、日本人自身のものではないというけれど、僕はそう思わない。この憲法は、敗戦後の日本人が自ら選んだ思想であり、生き方なんだと思います。(P56)


中沢 ・・・・そういうものを葬りさりたいという勢力は、つねに存在してきましたが、かろうじていままで命脈を保ってきました。しかしもしこれを簡単に否定してしまうと、そのとき日本人は確実に、何か重大なものを失うことになるはずです。(P59)


中沢 ・・・・それがあることによって、崇高な何かがそれでもまだ存在するかも知れないという希望をあたえる。それは、日本を普通の国に戻すことより、ずっとよいことだし、政治学の常識を超えてみれば、正しいことでさえある。(P127)


太田 日本国憲法の九条というのは、ひょっとしたら間違いを犯すかもしれない、そんな愚かな人間だからこそ守っていかなければならない世界遺産なのです。・・・・(P128)


太田 言ってみれば、あの戦争は、あのときの正義が人を殺したわけです。だからこそ、憲法九条で絶対人は殺しませんという誓いが必要なんです。九条を抱えていることで、今、自分が信じている正義は違うかもしれないと、自分を疑ってみる。そういう姿勢が必要なんじゃないかと思うんです。(P135)



 追記:この本の冒頭で中沢教授が、最近の太田光のいる場所のことを、”最前線にたったひとりで躍り出て、背後にひとりの援護射撃もない状態で、太田君はラッパを吹いているのである。・・・・・いずれにしても、どこか切ない響きがある。”と表現していますが、”彼がいまいる位置”で、あのような発言を続けることの困難さと、そのことによるリスクを考えると、本当に頭が下がるし、それでも言わずにはおれないというその姿に、彼の吹いているラッパの音にもっと多くの人が気付いてほしいと思います。
 
 「憲法九条を世界遺産に」は前にも書いたように、そのタイトルこそが全てだと思うし、太田光や中沢教授の言っていることの全てに共感できなかったり、理解できなくても、(こちらに文学や芸術に関する深い知識を要求する部分がかなりあるので、難解だったり、これはちょっとと思う部分もあると思いますが、)九条の本質についての肝心なところはぶれてないので、細かい相違点に目くじら立てて茶々を入れて、たたかったつもりになることは止めてほしい、と思います。