本題に入る前に、現代人の(特に女性の)外見についての完璧主義について少し書いておこうと思う。これは、私が以前にこのブログで紹介した本
「未熟なオトナと不遜なコドモ」(ロバート・ブライ著)で
「女性の身体はスリムで若くなければならないという強迫観念」と表現されていますが、私たちは、そして殆どの少女たちが、この強迫観念にしばられて、膨大なエネルギーを外見に、そして、痩せることに集中しているのです。そのバカバカしさ・・・。以前に紹介した箇所と重複するかもしれませんが、同書からもう少し引用してみます。
「教養を身につける苦労を怠る者、代わりにナルシシズムに浸り」「女性たちもまた、肉体的にも感情的にも若く、さらには未熟であれと社会に命じられている。」「イニシエーションを体験していない女性たちのナルシシズムはきょうだい主義社会を直接あおり、男性の思春期の延長とも共謀している。」
さらに、”美意識”についての清水真砂子氏の意見も引用しておきたいと思う。
”美意識”とは
私たちにあいまいさを許し、しばしば人を傲慢にさせる。
美意識とは「自分が美だと考えるものが、人間の本性の底にある真実や善と結びつくはずだという観念」といってよい。
そして、
「強い」もの、「りりしい」もの、「美しい」ものに惹かれる人間の性に留意して、
たえず相対化し、惹かれそうになる自分に待ったをかけると。
そして、権力機構の中枢は、意外に、
美意識をくすぐる、いき、スマートな性質を持っていたりするとも。
(「子どもの本の現在」現在を見すえて―上野瞭論より 清水真砂子著)
私も、美意識にしばられ過ぎている女性達の例にもれず、美形を観賞することにはやぶさかでないのだが、「美しいものが善や真実と結びつく」という思い込みからは自由でいたいと思う。もちろん、「みにくいものが善である」という思い込みもまた真実ではないのだが。
さて、本題に入りたいと思いますが、最近また、思春期の男女間の痛ましい事件のニュースが報道されましたが、こういう事件が報道されると、現在男の子を育てている親としては、男の子がまっとうに育つことの困難さや、男の子に対する否定的な見方や彼らの置かれている状況の難しさを思ったりするのですが、ここでは、少し話しを異性間のトラブルにしぼって話してみたいと思う。ここでも、(これもまた以前にこのブログで紹介しましたが)少年の特徴をわかりやすく解説してくれる著書
「男の子って、どうしてこうなの?」(スティーヴ・ビダルフ著)から引用したいと思う。
ところで、現在参観日とかで学校へ行って気付くことは、(特に小学校高学年で顕著なのですが)一般的にやる気があって成績がよく元気なのは女の子で、男の子は―積極的な子は粗野で攻撃的な方法の自己表現に走るのでアナーキズム化し、消極的な子は自分をうまく表現できないために、とても自信がなくやる気もなさそうで逃避的な様子で精細がない―といった二極化の様相を示しており、どちらにしても、この時期の男の子は女の子に比べてやっかいもの的で否定的なイメージで捉えられているのではないだろうか。そしてそういうイメージに拍車をかけているのが最近の少年事件で、それらによってまた少年に対する否定的なイメージが社会的に形成されている。どちらのタイプにしても、この時期の少年達は劣等感を抱きやすい条件が揃っている。そして、そのことに対する充分な周囲の理解と援助が無い場合、その劣等感は、容易に周囲(女の子)に対する攻撃的言動となって現われる。多くの少年事件は、少年たちのこの心理で説明できるものだと思う。そしてそれに拍車をかけているのが、少女達の未熟な皮肉っぽさで、必要以上に辛らつで残酷な彼女達の言動によって、少年たちは更に傷つき怒りをため込むようになる。
実際には、少年たちの知らない少女たちもまた、しばしば自信のなさや居心地の悪さを感じている。彼女たちも少年たちと話し、愛情を分かちあいたいと思っているのだ。もし少年たちがもう少し社交術に長けているか、大胆であれば、男の子と女の子のあいだに、もっと肯定的な関係が生まれるだろう。ところが、少女たちはおたがいにささやきあい、少年たちをあざけっている。少年たちは少女たちを困らせ、おとなしい子たちは少し離れたところに立ったまま、くよくよ考えてばかりいる。
「陰湿な」心の性質(「もし少女と対等につきあえないのなら、彼女たちを操るしかない」という心持)がしばしば芽生えるのはこの段階においてである。ヌード雑誌やソフト・ポルノのようなミュージック・ビデオによっては救われない。「見て、でもさわっちゃだめ」というメッセージは規模の大きないじめにすぎない。それは強い性的な充電をひきおこし、発散されないままに心のなかで怒りに変わっていく。現実の少女と話すチャンスがあまり持てないと、少年たちは女性を操作したり支配したりすることを夢想しやすくなる。彼らの女性にたいする態度や、人間としての女性とつきあう能力は劣化するいっぽうだ。
(「男の子って、どうしてこうなの?」170頁~171頁より)
わが子の経験で言えば、それは、下の子がまだ小学校の低学年の頃のことなのですが、ある女の子に「おはよう」とあいさつしたら、その女の子は、いっしょにいた女の子とひそひそとささやき合っただけで(何と言ったかは知りませんがたぶん息子の事を半分ばかにしたような言動だったと思います)あいさつはなかったようです。それを聞いて、私は「(彼女の)その態度はおかしいね」と彼に言いましたが、彼にとっては、「自分は女の子には相手にされないのだ」というトラウマのような経験だったかもしれないと思います。こういう経験が積もり積もっていくと、傷つきやすい子のなかには、女の子に対する憎しみの感情をため込んで、ニュースで報道されるような残酷な行動に走ってしまうという不幸な事件が起こってしまうのではないでしょうか。
そういう痛ましい事件を起こさないためにも、社会や女の子の男の子に対する理解や助言が求められているのではないでしょうか。そしてそれは、今の多くのTVメディアなどには見いだされないものだと思います。
どうか、少年たちに理解とよりよい助言を。
最悪なのは思春期の子どもたちを放っておくことである。(同書より)
※
ナルニア国ものがたり」(全7巻)についての感想をココログにアップしましたので、よかったら見てください。