あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

相変わらずの・・・&映画「ゲド戦記」

2006-07-31 17:59:27 | サッカー
オシム代表監督就任で、一見盛り上がっているように見えるJリーグ&サッカーマスコミですが、私的には、かなりサッカーに関する関心が盛り下がってます。何かこの状態で「さあオシムジャパンだあ」と浮かれるのは、誰かさんの思惑通りみたいで何か抵抗を感じるのです。自分が応援してきた選手達のほとんどが、次回のワールドカップ出場が無理か微妙な年齢なのと、今マスコミが騒いでいる有望若手選手達に余り魅力を感じないということもあります。そこそこ巧いのでしょうが、余り個性が感じられないと言うか、ああまた、”ほめ殺し”が始まったとマスコミのスターシステム発動に白けてしまうというか、有望新人を実力以上に持ち上げた結果がどうなったかの悪い例を見せられたばかりなのにねーと白けつつ・・。

 さて、昨日ジブリ映画「ゲド戦記」を子どもたちと観てきました。感想のほうはココログの方に書きましたので訪問してみてください。原作ファンとしては、「指輪物語」のように実写で、原作に忠実に映画化してほしかったと思ってますが。ジブリの映画は酷評されるほどの出来ではないと思いますが、ジブリ映画「ゲド戦記」=原作「ゲド戦記」と思われて、原作までがあの映画で評価されるのは納得できないです。

再び「ハウルの動く城」について

2006-07-23 00:41:49 | 映画・ドラマ
 昨日の金曜ロードショーで「ハウルの動く城」を再び観た感想を少しだけ書いておきたいと思います。最初に観たときは(※こちらを参照)、原作のイメージが強すぎて、原作からかなり変更されていた映画に違和感があったのですが、今回改めて映画を観て、映画は映画として楽しむことができました。ただ、私の感想は、原作を読んだ者の感想なので、映画だけを観たひとの感想とは若干違うかもしれませんが。
 今回、最初に観たときには余り気がつかなかったハウルの表情や声の細かい変化に気づきました。ハウルのビジュアルは、少女マンガ的で、ぱっとみ女性作家による類型的な男性像と思われるかもしれませんが、彼の内面が良く現れている例えばヘアのカラーリングに失敗してかんしゃくを起こして引きこもってしまうところなどは、彼(現代人)のナルシシズムと幼児性がよく出ていておもしろい場面でしたし、そのあと、ソフィーとの生活を通して変わっていくなかでも、彼がソフィーに愛情を感じながらも彼女の頑固さに辟易するような表情を見せる場面もあって(辟易しながらも気長にそんなソフィーを見守るのが彼の大きさなのですが)、そんなところが、この映画のハウルに少女マンガの王子様にはない陰影を与えていると思いました。(ただ、そのあたりの描写に関してはやはり原作には負けると思うので、興味のある方は、原作を読んでみてください。)
 映画の公開の頃に読んだ評の中には、この作品のテーマについて、あまり理解せずにとんちんかんなことを書いているものが目につきましたが、”ソフィーが老婆になるという呪い”と、”ハウルの動く城”の持つ意味がわかればこの物語はわかるのではないでしょうかねっ。
(※原作の感想も参考にしてください。)



 ところで、映画「ゲド戦記」については、予告を観た限りでは、人物の設定等で原作がかなり変えられているので、かなり不安を感じています。

ベンゲル、クライフのインタビューなど

2006-07-17 14:59:34 | サッカー
ワールドカップ関連のインタビュー、記事などで気になったものを紹介したいと思う。

 まず、フジのスポルト(放送日は忘れました)で放送されたベンゲルのインタビューから。

 彼は、今回のワールドカップについて

 「ディフェンシブな試合が多すぎた。」
  
  との印象を持っているようです。

 優勝候補だったブラジルについても、

 「組織が機能しなかった。日本にとっては不幸なことに、(ブラジルの組織が機能したのは)日本戦だけだった。」と。

 そして、彼自身は、次のワールドカップでは、もっと「攻撃的なサッカー」を観たいと思っているようです。

 「コートジボワール」と「ガーナ」の試合は「スペクタクルだった」と評価していました。

 優勝したイタリアについては、

「勝利を盗む」のが彼らのメンタリティなので、
「イタリアは優勝を盗んだ」のだと表現していました。

( イタリアサッカーに対する皮肉の込められた、イタリアサッカーの本質を言い当てているこの言葉には、思わず「うまい!」と思ってしまいました。)

 このインタビューより前のインタビューでは、中田の引退についての感想を求められて、

 「彼は自分のこれまでの経験から得たものを若い選手に伝えて、彼らをリードするべき存在。理解できない。」と述べていました。


 そして、今大会の日本の選手については、

「強いメンタルが欠けている」と述べ、

「プロ意識があり、論理的に考えることのできる選手が優秀な選手になる」と自身の監督としての経験から述べていました。

 放送されたインタビューは、短いものでしたが、簡潔ながら真実が述べられていて、さすがと思いました。


 次に、雑誌Numberに連載されているクライフのインタビュー「クライフは語る」に日本についての言及があったのでちょっと紹介しておきます。(Number657号「クライフは語る―闘志なき者は去れ。」より)

 日本は非常に大きな可能性を秘めたチームだったのだが、4年前のチームからほとんど成長を果たせなかったのは驚きだったとして、それに対して、ヒディンクが韓国に次いでオーストラリアでも収めた成功の秘訣について(その国のメンタリティを理解し、そのメンタリティにあったチームイメージを作り上げたこと)を述べ、今大会でのオーストラリアチームの戦いぶりを賞賛していました。そして、そんなオーストラリアに比べても、ブラジルの戦いぶりは「気が抜けたよう」だったと厳しく批判していました。

 今回の日本代表チームの戦いぶりは、予想の範疇だったとは言え、あの無惨な負け方はやはりショックでしたので、未だにあれこれ考えている私ですが、ベンゲルの言うように「強いメンタル」や「論理的思考」などはやはり大事だなと思うわけで、そういうものを考えたチーム作りには、日本の場合はヨーロッパ人監督がやはり適任だと思う。今回の代表選考に当たっては、(アテネオリンピックでも同じように失敗した)日本的な情緒的な理由(四年前出られなっかた等)が優先させられたと思う。高原にしても中村にしても小野にしても、4年前は出られなかった、(本調子でなかった)彼らが、今回は活躍してくれるはずという根拠の無い情緒的温情的な思い込みが間違いだったことは明らかだし、今回の結果は、四年前の川淵氏のトルシエ批判→ジーコ擁立から始まった流れの当然の帰結だったと思う。(それにしても、負け方がひどすぎたし、何人かの選手は、もう代表には呼んでほしくないとさえ思っている。)
 前の記事で紹介したNumber7/12臨時増刊号のトルシエインタビュー「私ならこうする―ジーコの攻撃志向はあまりにも危険すぎた」は、現代表の失敗の原因が論理的に指摘されています。今の日本代表(協会、監督)に欠けていたのはこのような論理的な思考なのです。私は、ジーコの全てを否定しようとは思いません。ただ、4年前にトルシエを全否定して反対方向に180度振れたことが失敗だったと反省してほしいのです。だから、「ジーコ采配は検証せず」と言う現会長の自己保身としか思えない流れに大いに不満を感じています。

Number7/12臨時増刊号より「美しい敗者」

2006-07-11 01:45:10 | サッカー
 NumberのWカップ特集号の記事の中から気になったものを紹介したいと思う。(7/12臨時増刊号より)
 
 まず、、「パベル・ネドベド 美しき敗北 /フランティセク・ボウク=文」
この記事の筆者と同じように、イタリア戦後のネドベドの姿に”美しい敗者”を見た人が沢山いただろうと思った。

 試合後、ネドベドは、1人静かに膝をつき、自分を支えてくれた人々と、酷使し続けた肉体に感謝の祈りを捧げた。そして、最初で最後のW杯のピッチから去っていった。(同記事より)

 このネドベドの姿と、ブラジル戦後ピッチに横たわった中田とには、大人と子どもくらいの差があると思う。少なくともあの中田の姿に美しさを感じたひとはあまりいなかっただろうと思う。その差はどこから来るんだろう。それは他者への視線があるかどうかだと思う。中田にそれがないとは言わない。中田よりもっと幼い代表メンバーに比べたら彼のほうが少しは持っていると思う。でも、ネドベドが体現していた他者や自分を支えてくれたものへの感謝の気持ちの、謙虚で抑制された表現に感じた美しさは、そこからは感じられなかった。だから、私はその姿に共感できなかった。ネドベドの姿に心を打たれたようには感動しなかった。

 
 ほかには、トゥルシエの「私ならこうする」という日本戦についてのインタビューが連載されていますが、知的で明晰なその答えを見て、改めて知的な人だったのだと感心しました。日本選手とお友だちのライター達の選手に感情移入し過ぎた情緒的な文章、読みたいことがあまり書かれていない文章に比べて、よほど面白かったです。

神が去って・・・

2006-07-10 16:57:29 | サッカー
 決勝は、ライブで観る気力も無く、ジダンの退場も結果も知ってから、何となく割り切れない思いで録画で観た。それで改めてジダンは凄い選手だと思った。彼が何気なくボールをさばくだけでゴール前で何かが起こりそうな危険な感じがぷんぷん漂って、そして当の本人にはまだ余裕があるという凄さ。まさにチームメイトの”神が戻ってきた”という言葉も過言ではないと思った。それだけに、”神が去った”時にフランスの敗退は決まってしまったのかもしれない。

 イタリアに関しては、いいチームだと思うけれど、(特にピルロは日本の中盤の選手をパワーアップさせたような雰囲気の選手で気に入りました)ジダンを退場に追い込んだマテラッツィは、ジダンが頭突きをする前に、挑発するような言葉を言ったか、行為をした可能性は高いと思う。たとえ、それが計画的な行為ではなかったにしても、オーストラリア戦のPKなどにも見られた、マリーシアと呼んでもいいようなプレーが露骨にに目立つチームは好きではない。それはポルトガルにもちょっと感じたけれど。マリーシアにも許せるものと許せないものがあると言うべきか・・・。PK戦はもう運もあるし仕方ないと思うけれど、後味の悪いシーンが決勝で起こってしまったことがとても残念です。今すぐは無理にしても、真相を知りたいと思う。ジダンを愚かだと決め付けられないものを感じさせられたシーンだったから。

 



 

熱戦が続いてますが、代表のこと中田引退のことについて考えてみた

2006-07-05 12:32:29 | サッカー
 イタリアがドイツを破り(守備の差が出たかな。それとビエリ頼みだった’02のチームより攻撃のタレントが多く攻め手が増えたのが強みか。そのあまりの抜け目無さが私の好みではないのだが。)あとはポルトガルかフランスかといったところで、国内的には、オシムジャパンと中田引退の話題でもちきりで、ドイツでの日本戦はもう話題にすら上らなくなっていますが、中田の引退とからめて、今回の代表について、もう少しだけ考えてみたい。

 中田の現役引退のニュースや本人のメールなどもざっと読んだりして、周囲にあのメールにぐっと来たという知人などもいて、報道などでも、彼のファンである若い人がかなりたくさんいることにも今さらながらに驚いたりしていますが、私もジョホールバルのプレーを観てファンになり、中田がいるから代表チームを応援するとずっと思ってきた時期もあったのですが、最近は、中田の限界を感じることのほうが多くて、ブラジル戦後のあの様子にも、引退宣言のメールにも共感し切れない自分がいました。センターサークルで寝転がってしまった彼には、現在の代表での彼の状況が現れていたようでした。悔しさの表現では、グループリーグで敗れたチェコのネドべド選手が、試合後、一瞬見せた、うつむいてがくっと膝を折った姿に心を打たれたのですが、ネドべド選手には、確か対戦相手のイタリアの選手がよくやったというように声をかけていましたが、中田に声をかける選手は宮本以外はなく、延々と動けなかった中田には、そこまで頑張ったから、というよりも、やはり最後まで孤立していた彼のチームでの状況を感じてしまいました。
 確か、’02の頃、トルシエは「中田がいないチームのほうがチームが機能すると考えていた」、また「中田は技術的にはあまりうまくない。戦術も守らない。でも、フィジカル的には結構いい」と冷静に見ていたようです。(フローラン・ダバディー「黄金時代」より)最終予選での中田の様子や今大会での彼のプレーを観ると、このトルシエの中田評は確かだったと思います。だから、彼は中田を特別扱いせずに、時には中田が代表している勢力と対立することによっても、その対立による緊張感も利用して、チームをまとめていったと今は思います。それに比べて、ジーコは最後まで、中田を特別扱いし、全面的にジーコジャパンの中心選手として据え続けた。ジーコジャパンは中田ジャパンだったし、守備に関しては宮本ジャパンだったと思う。だから、あのチームの限界は、このふたりの限界だったと思う。
 
 中田が一番輝いていたのは、Jリーグのベルマーレでプレーしていた頃だと思う。あのチームは、中田を中心に据えた、中田のためのチームだった。イタリアに行ってからも、ベルマーレでのプレー以上の輝きとパスの切れを彼が見せたとは思えない。イタリアのそれも弱小チームのサッカーはパスサッカーではなかったし、徹底的に中田に合わせてチームを作ってくれるチームなどは無いからだ。そして、それは代表チームでも言えることで、テクニック的には中田よりもテクニックがある選手がいる代表チームでは、中田はもうプレーにおいて特に攻撃では王様でいるわけにはいかないという微妙な位置にいながらも、ジーコからは、絶対的な信頼を得て、チームのリーダーとしての役割を求められていた。現在の実力と代表で与えられている位置づけとの乖離がチーム内に何らかの不満となってマイナスに作用したことは大いに考えられる。プレー的には、彼がボランチとして守備的役割を受け持っている時は、中田はチームにとって必要不可欠な存在だったと思う。でも、彼が(本来彼が最もやりたかった攻撃的なポジション)トップ下に上がるとどうだっただろうか。彼は、攻撃において、以前のような脅威を相手に感じさせるような存在感を示すことができなくなっていた。何よりも攻撃が好きな彼が、今大会で感じた、自分のやりたいプレーと現在の自分のプレーとのギャップが、今回の引退発表の一番の理由ではないだろうか。
 
 私は、サッカー選手以外の彼には、たぶん興味がないだろうと思う。私が好きだったのは、ベルマーレや代表やペルージャでのプレーで、ブランドとしてのナカタや、彼のファッションやライフスタイルにはまったく興味がない。若いころには魅力的だったあの独特の人間性も、これから先は彼自身が未熟な側面として、乗り越えなければならなくなる場面に直面すると思う。そして、彼は日本のサッカー界では一時代を創った偉大な選手だったと思うけれど、世界基準で言えばトップの選手ではなかった。この世界と日本での評価の差が、そのまま日本のサッカー界の問題点でもある。(オシム監督も指摘していますが。)
 オシム監督も中田の引退を残念がっているようですが、(ペルージャ、ボローニャなどの監督として中田のイタリアにおける最大の理解者で、バッジオの在籍したブレシアの監督でもあった)マッツォーネ監督が、中田の引退を聞いて、早過ぎると残念がったようです。マッツォーネ監督のもとでは、彼が生き生きと活躍していたことを思うと、もう少し、チームと監督に恵まれていたならばなあとも思わずにはいられない。それも彼自身が選んだ道だったのかもしれませんが、もっとやれたはずというのはJリーグ時代からのファンは思っているのではないでしょうか。ただ、日本における彼は協会の人さえも批判しない存在になってしまっているので、自分の現状を把握するのに、自分以外に鏡が無い状態(きちんと批判するマスコミが無い状態)で、成長するのは難しかったと思う。これは、他の日本のスター選手たちにも当てはまることであるが。例えば、Wカップの予選では殆ど活躍やゴール出来なかったにもかかわらず特に批判もされずエースストライカーとして代表入りした高原については、皆どう思っているのでしょうか?セリエAでずっとノーゴールだった柳沢がクロアチア戦ではずしたからといって今頃戦犯みたいに騒ぎ出すのもねえ・・・。
 
 そして、あのオーストラリア戦の3失点というところに帰って来るのですが、ベンゲルは、あのオーストラリア戦の10分間が無ければ日本は予選を突破していたと言っていたし、トルシエもクロアチア戦の日本の試合は世界に誇っていいと評価していました。だから、クロアチア戦でもし柳沢がゴールして1-0で勝っていたとして、1勝1敗1分でオーストラリアと並んでいたとしても、オーストラリアとの得失点差でトーナメントを逃していた可能性は強い。だから、柳沢がゴールできなかったことよりも、オーストラリア戦で3失点したほうが問題なのだ。そして、ブラジル戦の後半もだが、あの守備の崩れ方は攻撃以上に問題で、守備に関しては、選手選考も含めて大いに反省しなければいけないと思う。オーストラリア戦の3失点は柳沢がアウトになってからということを考えると、前線の柳沢は効いていたとも思う。
 そう言えば、Wカップ前に、中田がFWの選手について聞かれて、高原、柳沢、大黒はやりやすいタイプだと言っていたと思うが、三人とも結果を出せなかった(ゴールしたのは玉田だけ)。この点から見ても、中田中心のチーム作り、中田の好む選手選考にジーコが偏ってしまったことも、結果的には失敗だったと思う。選手の選考や起用に選手が影響力を持つことのマイナス面も出ていたと思う。
 ブラジル戦の後半、高原退場したあとのピッチ上の選手たちのやる気の無さ、ベンチの選手たちの諦めきった弛緩したような表情は見るに耐えなっかた。何かが足りないチームだった。メンタル的な問題からチーム全体にマイナスのオーラが漂っていたような気さえする。そして、それは中田ひとりの責任ではないが、中田にも確かに責任はあったと思う。
 ただ、トルシエやベンゲルような客観的な意見を聞くと、ジーコジャパンまるでだめだったと切って捨てるのは、あまりにも拙速なやり方だと思う。客観的に、評価するところは評価し、ダメだったところをちゃんと分析しないと、また四年後に同じ事が繰り返される予感がする。徹底的に日本を分析し、日本の良さを消すプレーをしてきたオーストラリアに日本は負けるべくして負けた。でも、その試合のラスト10分くらいまでは日本は試合をコントロールしていたのだから、あのチームが何も無かったわけではないのだ。