ここ数日、TVのスポーツニュースは、例の亀田兄弟の話題をこれでもかと報道している。ボクシングという競技で私がイメージするのは、パンチドランカー問題などの残酷な側面とか、漫画「あしたのジョー」とかぐらいで、とても苦手なスポーツなのですが、こうも取り上げられると嫌でも目に入らずにはおれないので、この数日間、なんだかその光景に違和感や怒りさえ覚えていたので、みんながこのニュースについてどんなコメントをするか注目して、そして「ブルータスお前もか!」といった感じで、半ばあきれつつ今日まで来たのですが、今日に来てやっとTVで彼らの(特に兄のあの試合前の記者会見の)パフォーマンスを批判した意見をひとつだけ聞くことができた。江川紹子さん、あんたは偉い!!TBS(サンデーモーニング)でよく言った。それに比べて、大沢、張本コンビには失望した。当然”渇”を入れてくれるものと思ったら”あっぱれ”ですか・・・。
まず、”記者会見で物を食う”というとても無作法な態度、そしてそれを誰も批判しないというこのマスコミの腐った体質に我慢ができない。記者会見で相手を挑発するような言動は過去の有名なボクサーたちもやっていて、その姿をお手本にしたのだろうが、あまりにも品が無さすぎて、まるで感情移入できない。そして、サッカーで言えば、圧倒的な声援を受けてのホーム(日本)での試合というアドバンテージがある上に、最初から勝つとわかっている対戦相手が選ばれているような感じを受けたし、そんな相手にさらに強気のパフォーマンスをしないといけないというのは、自信の無さや不安感の現われなのかと逆に疑ってしまった。逆に言えば「そこまでしないと勝てないのか」と勘ぐってしまった。前の試合前の会見の時に、相手に例の”ガンのとばしあい”を(主に父親が)強要していたのを見た時からどうかと思っていたが、今度という今度はその品の無さにあきれはてた。何度も言うが、ここは日本であり、そのホームでの”ごっつぁん試合”にあれほど強がるポーズを見せないと勝てないのでは、この先思いやられると思うのだが。そして、弟のほうも弁慶の扮装は見逃すとしても、試合後の唄のパフォーマンスも「それってどーなのよ」と誰かがつっこむべきなのではないだろうか。ご丁寧に、さんまとキムタクプレゼンツの金のマイクスタンドなんて、まったくもってわからない世界だ。彼らの人気にのっかって利用しようとう有象無象ばかりで、「誰かたしなめろよ」と思いつつ過ごした数日間だったので、江川さんのささやかな正論にはほっとしました。彼女は、「あれを見たニカラグアのひとたちが日本人のことをどう思ったでしょうか。」とおっしゃってましたが、まったくそのとおりだと思います。「あしたのジョー」のストイックさなんてどこにも見当たらない平成日本人の傲慢さ、「なんだかなあ・・・」である。
追記:傲慢な勝者よりも、謙虚で潔い敗者のほうに共感を覚える。アテネの井上康生のように。
人間としての原則も押さえないでどこもかしこも本音ホンネと、本音ばかりがもてはやされる現在の日本の社会(「もうひとつの幸福」清水真砂子著/岩波書店 208頁より)
まず、”記者会見で物を食う”というとても無作法な態度、そしてそれを誰も批判しないというこのマスコミの腐った体質に我慢ができない。記者会見で相手を挑発するような言動は過去の有名なボクサーたちもやっていて、その姿をお手本にしたのだろうが、あまりにも品が無さすぎて、まるで感情移入できない。そして、サッカーで言えば、圧倒的な声援を受けてのホーム(日本)での試合というアドバンテージがある上に、最初から勝つとわかっている対戦相手が選ばれているような感じを受けたし、そんな相手にさらに強気のパフォーマンスをしないといけないというのは、自信の無さや不安感の現われなのかと逆に疑ってしまった。逆に言えば「そこまでしないと勝てないのか」と勘ぐってしまった。前の試合前の会見の時に、相手に例の”ガンのとばしあい”を(主に父親が)強要していたのを見た時からどうかと思っていたが、今度という今度はその品の無さにあきれはてた。何度も言うが、ここは日本であり、そのホームでの”ごっつぁん試合”にあれほど強がるポーズを見せないと勝てないのでは、この先思いやられると思うのだが。そして、弟のほうも弁慶の扮装は見逃すとしても、試合後の唄のパフォーマンスも「それってどーなのよ」と誰かがつっこむべきなのではないだろうか。ご丁寧に、さんまとキムタクプレゼンツの金のマイクスタンドなんて、まったくもってわからない世界だ。彼らの人気にのっかって利用しようとう有象無象ばかりで、「誰かたしなめろよ」と思いつつ過ごした数日間だったので、江川さんのささやかな正論にはほっとしました。彼女は、「あれを見たニカラグアのひとたちが日本人のことをどう思ったでしょうか。」とおっしゃってましたが、まったくそのとおりだと思います。「あしたのジョー」のストイックさなんてどこにも見当たらない平成日本人の傲慢さ、「なんだかなあ・・・」である。
追記:傲慢な勝者よりも、謙虚で潔い敗者のほうに共感を覚える。アテネの井上康生のように。
人間としての原則も押さえないでどこもかしこも本音ホンネと、本音ばかりがもてはやされる現在の日本の社会(「もうひとつの幸福」清水真砂子著/岩波書店 208頁より)