あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

『ゲドを読む。』を読む

2007-08-30 01:15:54 | 
 DVD発売の広告の一環として無料で配布されている「文庫本のかたちのフリーペーパー」『ゲドを読む。』を読んだ。
 これが、なかなかおもしろく、よくできた原作の紹介、解説書となっています。私がいちばんおもしろく読ませてもらったのは、中沢新一さんによる”『ゲド戦記』の愉しみ方”という第一部です。(大学教授にもかかわらず、)非常にわかりやすい語り口で、ル=グウィンの生い立ちや、この物語が生まれた頃の時代背景(第一巻がアメリカで出版されたのは1968年、)などをていねいに解説してくれていて、とても勉強になりました。当時、世界中で時代を揺り動かしていた大きな波が、個人の創造にも大きな影響を与えていた時代に、書かれるべくして書かれた「作家の個人性を越えた人類の無意識から誕生した物語」(=「古典」)であると。このような時代背景がゲドとテナーの関係のありよう(ニ巻の最後でふたりが結婚しなかったこととか)にも影響しているのだという部分はとても興味深かったです。
 そして、最後の部分ではジブリ映画「ゲド戦記」についての解説が添えられていますので、興味のある方は、手に入れて読まれてみてください。第三部の、河合隼雄×宮崎吾朗対談も読んでの私の感想としては、私はやはり原作『ゲド戦記』の世界、表現が好きなんだなあと思いました。中沢氏は、「映画版はアジア的解釈のひとつのヴァリエーション」として「あり」としていますが、その辺りについての私の感想は、映画についての過去記事を参考にしてくださいませ。

 
 映画「ゲド戦記」 
 思いつくままに(映画「ゲド戦記」追記)
 THE ART OF TALES from EARTHSEA
 ゲドのいる入り江
 「ゲド戦記」追記

表情としゃべり方(NHKの8/15の討論番組を見て感じたこと)

2007-08-16 01:16:56 | テレビ
 NHKの憲法9条についての討論番組(8/15)を、(長かったのであんまりじっくり全部を視聴とまではいかなかったのですが、)見た。元より護憲派と改憲派の意見が交わるわけはなく、どこまでも平行線の議論が続き、護憲派の私としては、改憲派の、特に一般参加者の乱暴で単純でトリッキーな発言に、「バッカじゃないの!」とかの悪態を吐きながら見るわけなので(私はとてもあの場所には参加できないなあ、と思ったりするのですが、)番組中、私がいちばん気になったのは、討論部分ではなくて、東京在住のフリーターの男性が、このまま行っても、絶対にこの状態から這い上がれない。それなら、改憲して、戦争でも起きてくれたら、自分も何かに(=英雄のようなものに)なれるんじゃないかと思う(「なれるわけないじゃんよぉ~!」と合いの手を入れておきました)、なんて現状の閉塞感から来たまるで戦争を待望するような甘い幻想を述べていた部分です。
 そして、討論部分で気になったのは、改憲派の人たちの顔としゃべり方です。その多くが態度が尊大で、しゃべり方がヒステリックなのです。自分の意見に異論を述べた護憲派の人に、「あなたは自衛隊のことをバカにしているのですかあっー!」と言った自衛隊のイラク派遣を全面肯定する、(ゲストの評論家の諸氏には改憲派も護憲派も含めて”イラク戦争&自衛隊のイラク派遣”を肯定した人は、ひとりもいませんでした。小林よしのりも含めて!)赤いスカートのやたら攻撃的なしゃべり方の女性や、何故か和服で出席の、やたらとキンキンしたヒステリックなしゃべり方の女性や、日本は欧米などの先進国などと同じ指導者グループにいる、と脳天気に演説していた、やたらとふんぞりかえった尊大なしゃべり方の男性(イラク攻撃におけるアメリカの国際法無視を容認する発言をして、改憲派の教授に反論されていた)や、どこかで聞きかじったような改憲論を余裕かましているようにしゃべる男子学生たち、同じく公務員の男性、彼ら彼女らに対する違和感・・・。考え方以前に、その態度、しゃべり方、佇まいそのものに付いて行けない・・・。
 

 当番組のゲストでその話がわかりやすくて説得力があったのは、自分のことを”ワシ”と言う小林よしのり氏ではなく、一橋大学大学院教授、渡辺治氏でした。以下、そのままではありませんが覚えている部分を少し紹介します。

 今、日本に憲法改正の圧力をもっともかけているのは(改憲派が言うところの現憲法を日本に押し付けた)アメリカである。このことは、現状で憲法が改正されて自衛隊が軍隊になるということは、(自主防衛のためなんかじゃない)”アメリカの2軍となる”ことを意味している。 

 イラクやアフガンやスーダンなどの紛争は、すべてアメリカのグローバル経済にその原因がある。

 安倍総理のいう”戦後レジウムからの脱却”という言葉のまやかし、嘘っぱち、内実(の空っぽさ)についてよく考えてみよう。そして、言葉がどのような表情を伴って、どのような抑揚で発せられたかということも、意外と判断する助けになるということも付け加えておきます。

夜の昆虫観察会&「はだしのゲン」と「鬼太郎が見た玉砕」(追記あり)

2007-08-13 14:27:40 | 日記
 7月末に博物館の昆虫教室(”アサギマダラ蝶のマーキング”)に子どもたちと参加したのが楽しくて、先日、同じ博物館主催の”夜の昆虫観察会”に参加しました。特に昆虫マニアというわけでもないのですが、平地では味わうことのできない自然の中に身を置くことの楽しさ!というのでしょうか、子どもにかこつけて、私がいちばん楽しんでいたりします。自宅から博物館まで自家用車で1時間半ほど、そこから博物館のマイクロバスで、休校(廃校になったとは書かれてませんでした)になった小学校まで、川沿いのくねくねした山道を30分ほど揺られ、バスから降りて、さらに四駆がどうにか登れるような道(片方は崖になってました!)を10分ほど歩いてやっと到着という、こんなところに学校があるのか、というような山の上の小学校でした。近く(と言っても、上の小学校から見て、かなり下の方や向かいの山の中腹でしたが)に何軒かの集落がありました。小学校の校舎は鉄筋になっていて、思ったより古くなくて、少しがっかりしましたが、秘境と言ってもいいような場所でした。
 準備として、体育館の外の壁に白い布を張って、その前に白い蛍光灯とブラックライトというタイプの蛍光灯を吊るして、日没を待ちます。午後7時頃から虫が光に誘われて飛んで来始めます。最初は、羽アリ(結婚の時期だそうです)やカメムシばかりで、「カメムシ大発生や!」と皆がっかりしていました。徐々に、コガネムシやカナブンや色々な珍しい蛾、クワガタなども飛んで来るようになりました。(甲の季節はもう終わったそうです。)クワガタが飛んでくると大騒ぎになったり、コソバスズメガという羽が木の葉のような大きくて珍しい蛾を手に持って、鱗粉が飛ぶのもまったく平気で、「わーい鱗粉すごいけど、天然の扇風機みたい!」などという、虫嫌いのお母さんが見たら悲鳴を上げそうな光景などもありました。私は、そんな子どもたちの様子を見ているのが楽しかったりしました。カメムシ臭さには辟易しましたが、7時頃から9時過ぎまで観察して、山の空気や臭いを満喫して、親子共々満足して帰って来ました。わが家の次男は、やたらと外国の珍しいクワガタやカブトムシの名前にだけは詳しいのですが、それは以前に”ムシキング”というカードゲームにはまっていたためというのはココダケノハナシデス。


 ところで、8月というと、毎年、戦争テーマにしたドラマが放送されますが、今年、放送されたフジの「はだしのゲン」(8月10日~11日放送)とNHKの「鬼太郎が見た玉砕」(8月12日放送)を子どもたちと観ました。(ゲンのふたりの子役たちがなかなかよかったです。)

 追記:「鬼太郎が見た玉砕」で印象に残っているのは、ドラマ中、漫画家の水木さんが、「総員玉砕せよ!」というドラマの原作となった漫画を執筆中に、戦争中の飢えへの仕返しのように過剰に物を食べるシーンです。例えばアイスを何本もとか、大福をわしづかみにして食べながらとか、その姿は可笑しくもありますが、戦争中の飢えの描写をはさんで見せられると、嫌な感じはしない、それくらいいいだろうと思ったりするのです。
 
 それと、戦死した兵士たちが彼の白日夢にあらわれて、彼を取り囲み、「(セントジョージ岬)あそこで起こったことを書いてくれ!われわれは死んでも死に切れんのだ!」とたのむところ。
 
 そして、理不尽な最後の玉砕命令による突撃前に、兵士たちが、「最後にお前達の好きな唄でも唄って死ぬか」と言われて、丸山二等兵が娼婦の哀しい心情を唄った唄(「私はあなあんでこのようなあつらいつとめをせにゃならぬー」というような歌詞の)を唄い始め部隊が合唱するところです。

参院選最終日の天木直人さんの街頭演説の動画

2007-08-01 00:49:13 | 政治・経済
 

 「参院選最終日の天木直人さんの街頭演説」の動画

 今回、天木さんの夢は実現しませんでした。率直な彼の言葉は、すっとこちらに届きます。その彼が、最終日の演説で「日本は自民党か民主党でなければもう当選できなくなってしまいました」「どんなに私たちがいいことを言っても全く皆さんに伝わらない」「私たちの声が皆さんに届かない」と、選挙戦を振り返った感想を述べられてます。私は、これからも彼の声に耳を傾け続けるつもりです。