あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

エクアドル戦

2006-03-31 23:59:40 | サッカー
 試合があることをすっかり忘れていた。観たのは、前半の終わり部分からで、それも観たり観なかったりといった感じで、後半のFWの交替までは、コンディションのよくなさそうな相手に対して責めきれない日本に、「やはり玉田は玉田だった」とか「久保はまだまだ復活していない」とか「小野も相変わらず」とかぶつぶつ言いながらストレスのたまる展開でした。だからゴールシーンもリプレイでしか観てないのですが・・。

 この試合の日本チームのサッカーは、まるで「規律のないカオス」のようだった。(私が観たいのは「規律のあるカオス」(by クライフ)のようなサッカーなのですが・・。)

 それにしても、もうちょっと強い(本気の)相手とのマッチを組むべきなのではないかと思う。アメリカやボスニアぐらいの。さしあったってオーストラリアとクロアチア戦が問題なのだし、今は、結果よりも内容が大事なのではと思うのですが。それと、相変わらずの実況アナウンサー、解説者合わせての、選手よいしょコメント(特に小野への)が気になった。
 せめてオーストラリアには勝ってほしいと思う今日この頃。

※ココログのほうに映画「チャーりーとチョコレート工場」の感想をアップしましたので、よかったらのぞいてみてください。

卒業式

2006-03-28 01:54:54 | 教育
 23日に小学校で兄の学年の卒業式があった。
 
 最近の卒業式というのは初めてなので、自分達の頃とは大分違うなと、最近の小学生は大変だなと(卒業証書をもらう前に、ひとりひとりがひと言ずつ―宣誓と言うのだろうか―言ってからやっと証書をもらえるという、私だったら、どえらく緊張してしまうだろう七面倒くさい手順があるのだ)思いました。そんな親の心配をよそに、皆しっかりと卒業証書をもらっていったのですが、兄のクラスの生徒たちの多くが、自分にとってクラスの友だちがいかに大切だったか、支えだったかということを、心から発表していたのが、クラスのよい雰囲気を表していて、とても好ましかったです。そして代表による答辞とかも無くて、卒業生全員による”別れのことば”が、やはりひと言ずつ発表されました。それに対して、4,5年生が同じように送る言葉を発表して、そして卒業生、在校生一緒に唄を唄うんですが、子どもたちの歌声にはどうにも弱くって、思わず泣きそうになりました。その時は何とかこらえた涙も、クラスでのお別れの時の、担任の先生の涙には、生徒たちも保護者たちも皆、涙々でした。5年生、6年生と二年間子どもたちを見守り、教え育ててくれた先生には、その出会いが、息子達にとってどれだけ貴重で得難い素晴らしいものであったかと思うと、只々感謝の気持ちで一杯です。「 すきなひととわかれるのはつらいんや 」と言って、二年間ずっと発行し続けた学級通信(クラス全員ひとり残らずこの通信でとりあげられた―わが子に関して言えば、彼が落ち込んでいるであろう時に励ますように通信に載せてくれたことを思い出します)の名前「SABOTEN通信」にちなんで、皆に小さなさぼてんの鉢が配られました。(最後の通信の内容は、通信の命名の秘密を語りながらのさりげない子どもたちへのエールでした。彼ら全員しんとして最後の通信を読んでいました。この通信の内容の濃さを思うと、この発行だけとっても頭が下がります。)

 思えば、この学年の(今のクラスとは違いますが)兄のクラスは4年生の時に、”学級崩壊”と呼ばれる荒波の時期があったのですが、卒業式のあとで行われた保護者と担任の先生方によるお祝いの会で、この時荒れていた中心人物の生徒のお母さんの、「息子は、あの時のことを振り返って、あの時の自分はもういない。自分はうまれかわった、と言っています」という言葉を聞いて、親にとっても辛かった時期ですが、あの大波を乗り越えて今の彼らがあると、今となっては禍転じて福となす、とでも言った気持ちになりました。会では、わがクラスの担任の先生に対して、お母さん方より「先生大好き!」「私も大好き!」「その願いはかなわんよ」「じゃあ愛人一号ということで」などという発言も飛び出して大いに盛り上がりました。

 彼らがこれから出会うであろう山や谷はさらに高く、さらに深いでしょうが、彼らの前途にこのような幸福な出会いがあることを只々祈らずにはおれません。
 そして、今は只々感謝しています。

 ところで、卒業生退場の時に流れた唄は、「さくらのはなびらがどうしたこうした」とかいうたぶんいまどきのヒット曲だと思いますが、誰か曲名をしらないでしょうか。ボーカルは男性です。「舞い散る」だったかなあ。


※ココログのほうに映画「チャーりーとチョコレート工場」の感想をアップしましたので、よかったらのぞいてみてください。

筍を食べながら考えたこと(「女王の教室」のこととか)

2006-03-19 00:45:32 | 映画・ドラマ
 実家から茹でた筍をもらったので、早速、酒と醤油と砂糖で味付けして食べた。(カツオのアラでダシをとれと言われたけれど、手っ取り早くカツオ節のダシで煮た。)柔らかくておいしかったです。アクがかなり強かったが、その苦味もまたよしという感じです。
 
 春の雨でぐんと伸びたチューリップのつぼみが膨らんで来て、もうすぐ咲きそうな、そんな春の宵に、途中からたまたま見てしまい、ツッコミつつ最後まで例の「女王の教室」を見てしまいました。ふ~疲れました。私には刺激が強過ぎるドラマでした。「あんな理解のある校長なのに、なんで真矢を守れないんだ」とか「いじめっ子の見え透いた嘘がなんで検証もされず通ってしまうのか」とか「保護者が公平な見方ができないひとばかり」とか「問題児の実力者の親の意見があんなに通ってしまうようでは学校現場の自律性は無いに等しい」とか「親に言いつけますよ、という子どもの幼稚な論理に何故すぐ言い返せないの」とか「何で石原良純なんだ」とかストレスのたまるドラマでした。まあ、ドラマなんだし、少々ステロタイプな設定(問題児の親が実力者)も仕方ないのかもしれないし・・、でも、ドラマでは犠牲者が出なかったからよかったけれど、対子どもに対しては、現実ではあそこまで行く前に彼らを救済するやり方があると思う。だから、私はこのドラマ、凄く感心することはできなかった。描き方が、劇画的というか、このドラマの提起している問題を否定はしないが、いじめっ子はこんなもの、いじめられっ子はこんなもの、それを見ている大勢の子どもはこんなもの、今の保護者達はこんなものというステロタイプを、このドラマを見ている子どもたちを含めたナイーブなひとたちに与えてしまうんじゃないかと思うから。うまく言えないけれど、現実はもっと散文的で、複雑で、偏見の無い保護者も存在して、本当に信頼できるベテランや中堅の教師もいると思うのです。そういうことを描いていくと、視聴率が取れないし、ドラマにならないのかもしれませんが、そういうセンセーショナリズムと単純化がドラマの限界であり、私が感じる違和感なのかもしれません。まあ、学園ものに現われたアンチヒーロー教師というところが、新しくて受けているのだと思いますから、そんなに目くじらたてなくてもよいかもしれませんが、以前に私が「大人とは」の記事で紹介した本「未熟なオトナと不遜なコドモ」に書かれているような”不遜なコドモたちの未熟さ””コドモのレベルに迎合しているオトナたち”にはうんざりしていますので、このあたりの考えについては、私が以前に教育のカテゴリーに書いた拙ブログの記事を読んでもらえればと思います。

キャンデロロ発言&ストイコビッチの鈴木隆行評

2006-03-16 18:16:09 | フィギュアスケート
 荒川静香関連のニュースで、元フランス代表選手で日本でも人気のフィリップ・キャンデロロ選手の荒川選手の金メダルへの演技に対するコメント、「ご飯一杯分の価値」のニュースを聞いて、今話題の荒川選手だからニュースになったのでしょうけど、全体的になんかピントのずれた話だなあと思ってしまった。まず、キャンデロロの発言自体が意味不明で、中継を聞いていたわけではないので、彼が荒川選手の演技に不満があっての発言ならば、皮肉とも取れるかもしれないが、そうだとしても、「だから?」と言った感じなのだ。頂点に立つと毀誉褒貶いろいろあるのは仕方ないと思うが、この発言を侮辱的と決め付けて、一般紙までが報道する必要があるのだろうか。それに、キャンデロロにも、あのトリノの会場の観客のスタンディングオベーションが聞こえなっかたはずはないだろうし、彼が日本人に特別差別的な偏見のあるひとにも思えない。私は、発言者のキャンデロロよりも、報道している側に悪意を感じてしまうのだが・・・。少なくとも、本人の真意なりコメントなりをちゃんと取材してから記事にするべきだと思うが。
 キャンデロロの真意はともかく、自分が観て感動したものがすべてなので、誰が何を言おうと、それは変わることがないと言うこと、私が”トリノの荒川静香のトゥーランドット”の演技に心を揺さぶられたことはこんなことでは変わらない。

 ところで、セルビア・モンテネグロのレッドスターに移籍した鈴木隆行について、レッドスター会長のピクシーの彼についてのコメントを見ると、ピクシーの鈴木に対する高い評価が窺えます。とかく日本のマスコミの思い込み記事で、彼のことを過小評価するひとが多いと思いますが、私たちは、彼に対してもっと正当な評価を与えるべきだと思います。そうすることが、本人の力になったりすると思うので。マスコミの彼に対する冷遇を見ると、横並び意識とイメージでしか物事を見ない日本のマスコミの安易さを痛感します。ポスト小泉(安倍晋三)報道も然りで、イメージだけなんですよね。イメージだけですべてが判断されていく怖さがある。

ゲドの声は釜爺・・・

2006-03-12 17:52:17 | 映画・ドラマ
 ジブリの新作「ゲド戦記」のゲドの声が、あの菅原文太と聞いて、映画化されるのは第3巻の「さいはての島へ」の壮年期(四十~五十歳くらい)のゲドと聞いているので、老年期と言ってもいい菅原文太では、歳をとりすぎている感が否めない気がしている。
 実年齢が原作のゲドに近い人のなかに、大賢人ゲドのイメージを声で表現できる人が見当たらなかったための起用なのかもしれないと思うが、この後、第4巻「帰還」や、第5巻「アースシーの風」でテナーと新しい生活を築いていくゲドを描いていくのだとしたら、やはり彼では歳をとりすぎていると思うのだけれど。老年期のゲドが描かれる第5巻「アースシーの風」でさえも、私のイメージでは菅原文太では老けすぎ感がある。今の菅原文太の実年齢に近いのは、ゲドの師匠「オジオン」なのではないだろうか。

 というわけで、期待半分、不安半分で映画の完成を待っている私です。

代表チームのことつれづれ、サントス、稲本、小野・・

2006-03-09 12:00:05 | サッカー
 久保の腰痛が再発した模様。FWの軸は久保でと思っていたジーコにとっては頭の痛いところですね・・・。
 
 まあ、そんなことより、ここ何試合かの代表の試合を見て、考えたことを少しだけ書いてみたいと思う。まず、この時期の日本の選手はJリーグが始まってないことからコンディションが良くないことを考えつつ、フィンランドとインド戦は全くWカップレベルの相手ではなかったので、あとの二試合(アメリカ戦とボスニア戦)のみから見ると、より大きな問題は攻撃よりも守備にあるのは誰が見ても明らかだし、いくら頑固なジーコだとしても、現在のディフェンスのメンバーのままWカップを闘うのは無謀なことだということははっきりしたと思う。サントスのサイドが穴であると言うのは、日本と対戦するWカップ出場国チームにとっては、常識のようなものになっているのではないだろうか。このまま、オーストラリア戦、クロアチア戦で彼を先発で使い続けることは本人にとってもどうかと思うのだが。
 
それともうひとつ書いておきたいことは、日本代表のふたりのスター選手、小野と稲本の伸び悩みである。稲本については過去に何回か書いてきたように、’02以降、殆ど成長していないように思う。’02の時、実力以上に持ち上げられすぎたのだと思う。今の代表はあの時とプレイスタイルがかなり変わっているのに、彼の意識はあの時と同じなので、今の代表チームに対応できていない。少なくとも私は今の稲本には殆ど期待していない。

 次に小野君。好きな選手だったのになあと、過去形で書いてしまう。現在、メディアに露出している彼、嬉々としてリフティング姿をカメラの前でしている彼を見ると失望してしまう。もうそれはいいからと。オランダで何を学んできたのだろうと思う。実戦に必要なのはリフティングの技術じゃないよと言われただろうにと思う。そして、彼も久保と同じく先発に固定するには怪我が多すぎる。

 この’02Wカップ時はホープだったふたりの伸び悩みに比べて、Wカップ後、一番伸びたのは、前回落選した俊輔と、FWなのに得点できなかったことで叩かれた柳沢なのではないだろうか。そして、トルコ戦のあとで捲土重来を期して、一番悔しそうだった中田・・・。

 宮本がCBでいいのかどうか私にはわからないけれど、(ジーコジャパンには他の選択肢はたぶんないのだろうが)、彼はキャプテンと言うにはバランサー的というか、私の思うキャプテン像とはちょっと違う。私の思い浮かべるキャプテン像は’98Wカップで優勝した時の仏チームのキャプテン、デシャン、あるいは、元ブラジル代表チームのキャプテン、ドゥンガ、あるいは元韓国代表チームキャプテン洪明甫の3人だ。この3人に比べると、宮本はどうもかなり弱い。ピンチをしのいで攻撃に転ずる時に、なりふりかまわず味方を叱咤し鼓舞し指示するキャプテンの力というものが大きいと思うが、今の代表でその役目を負っているのは宮本ではなくて中田だ。でも中田はトルシエが見抜いていたように、キャプテンタイプではない。彼は、マイペースの個人主義者だ。多分にナルシストで優等生的な宮本の足りない部分を中田が、中田の足りない部分をバランサー宮本が補完し合っているというべきか。’02は中山と秋田がいた。しかし、今回は彼らがチームの最年長者として振舞えるかどうかにかかっていると思う。今でも劇薬と言われている中田がどこまでエゴを抑えることができるか・・・。何かサントスや稲本や小野の話題から、話が中田と宮本のことになってしまったのでこの辺りでやめますが、’02の仏代表のようにキャプテンのいないチームというのは、弱い、脆いと思います。小野もキャプテンタイプではないしね・・・。

 追記:ところで、香田証生さんの殺害犯が逮捕されたニュースが報道されて、何か彼が殺害されたと聞いた時のやりきれない思いがまたよみがえって来たので、忘れない内に書いておきたいと思う。彼の開放への努力を無にするような、彼の生への希を断ち切るような発言をしたこの国の指導者の酷薄さを、日本人として彼にあやまりたい。そして彼の墓前に心の中で花を手向けたい。


さらに追記:Wカップイヤーということで、Jリーグの選手たちも気合が入っているみたいですが、何かこういう時期にJでゴールが量産とか言われても、ひとつもWカップで勝てる気がしないのは、仏大会前の、中山の連続ハットトリックとかを覚えているからだろうか。

正当な評価 (追記あり)

2006-03-04 02:18:43 | フィギュアスケート
 荒川静香フィーバーもひとまず落ち着いたと思ったら(トゥーランドットのCDやピアスなどの関連商品の売上などの経済的な反響は続いているみたいですが)、手のひら返しのマスコミは、今度は浅田真央ちゃんだとばかりに、彼女がニュースで取りあげられたり、CMが頻繁に流され始めている。荒川選手と浅田選手のスケートは、質がまったく違うものなのに・・。荒川選手のスケートはフィギュアを芸術の域まで追求した大人の演技で、今、浅田選手がやっている、ジャンプ中心のスケートとは全く違う域にまで達した滑りなのに、マスコミにしたら、今度はさあ、浅田の4回転ジャンプだぞというところで、彼女の「4回転を跳びたい」というコメントが紹介されたりするんでしょうが、彼女(真央ちゃん)は、荒川選手がオリンピックチャンピオンになった理由や、自分に欠けているものを知って発言しているのでしょうか。荒川選手が表現していたものを、今の浅田選手に求めても無理なのはわかっていますが、浅田選手が荒川選手のような表現力のあるスケーターになっていくかはまったくの未知数だと思う。もし、今回、浅田選手がオリンピックに出て、彼女が勝ったとしても、今回の荒川選手のように一般紙の紙面でまで話題にはならなかったと思う。それぐらい、今回のオリンピックでの荒川選手の滑りは画期的で、これからも人々の記憶に残っていくだろう名演だった。ソルトレークのヤグディンの「仮面の男」のように。プルシェンコは「トリノオリンピックは僕のオリンピックだ」と言っていましたが、私は今回のトリノオリンピックは「荒川静香のオリンピックだった」と思います。荒川選手のフリーの演技の後で、アナウンサーの刈屋さんと解説の佐藤さんが、「これこそがフィギュアスケートだ」と言うようなことを話されていましたが、私も、彼女の方向性にフィギュアスケートが行ってくれることを願っています。
 久しぶりに、評価されるべきひとが、正当な評価を受けたことの幸せを感じています。


 追記:昨日、フジで放送された「シアターオンアイス」で、エキシビションに出れなかった高橋大輔君の「ノクターン」の演技を観ることができました。オリンピックと違ってのびのび滑っていて、とてもよかったです。音楽に乗る、音楽を表現するという点(しかも感情を入れすぎた自己満足な表現ではなく)で、プルシェンコ以上だと思います。トリノのエキシビションで観たかったなあと、今更ながら思いました。そして、選曲がやはりGoodで感心します。「ノクターン」(夜想曲)なんて・・・。はなまるつきで期待しています!

このままでは・・(ボスニア戦とかトリノオリンピック報道とか)※追記あり

2006-03-01 15:31:26 | スポーツ
 このままでは・・、というのは茶番のような最近の政局ではございません。前原党首は民主党に対する最強の刺客としか思えないし、永田議員の幼稚さ、前原党首を始めとする松下政経塾出身議員のだめぶり・・・

 さて、昨夜の代表のボスニア・ヘルツェゴビナ戦について書く前に、今回のトリノオリンピックについて振り返ってみると、日本選手の不振というよりも、日本のスポーツジャーナリズムのだめぶりということが言えるのではないかと思う。女子フィギュア以外の成績もほぼ実力どおりだったのではないだろうか。日本は「加藤と荒川の銅ふたつ」と予想していた海外のスポーツ誌の予想はかなり正確だったと言わざるを得ない。女子フィギュアにしても日本のマスコミが騒いでいたのは、浅田真央選手の不出場と安藤美姫選手の4回転ジャンプとアイドル的取材で、荒川選手は地味な扱いだった。フィギュア関係者がメダルの最有力候補として荒川選手の名前を挙げるひとがダントツだったのと、実際のメディア報道とのこのアンバランスは何なのだろう。日本のマスコミが安藤から荒川にシフトを変えたのはSPが終わってからというのは、あまりに遅すぎる。NHKは半年間彼女を追い続けていた番組を放送したところを見ると、マークしていたのだろうが。(彼女を特集したNHKスペシャルはかなりおもしろかったです。)実力以上に騒がれた選手達のだめっぷりを見ると、無駄な雑音が入らなくてよかったのかもしれないが、日本のスポーツジャーナリズムがこのままでは、日本のスポーツの発展は望めないでしょう。大衆の人気に迎合した取材、報道ではなくて、実力の正当な評価と評論が主流にならなければと思う。荒川選手の金メダルの報道にしても、客観的な海外メディアの報道の方を聞きたいと思ってしまう・・。

 ということで、昨夜の代表のボスニア・ヘルツェゴビナ戦ですけど、2-2のドローに辛くも持ち込んだものの、このままでは・・・。この後を書くのは止めておきましょう。高原が得点したこと、中田のロスタイムでの同点弾等の勝負強さは評価していいと思うけれど、日本の守備の弱点を突かれた後半は押されっぱなしで、このままでは、この試合を見ていた対戦相手の監督に、恰好の日本の弱点を教えたような試合になってしまったのではないだろうか。ヒディング監督やクロアチアが見逃してくれるはずはないのだろうし。今回は久保のリハビリ試合という意味合いがあったのだろうが・・。小野が先発でなかったのは評価できるが、後半の交替が小野と稲本というのはなんだかなあである。日本にもっとしっかりしたサッカージャーナリズムがあれば、代表チームや監督へのよいプレッシャーになるのでしょうが、現状では、危機感のないまま本大会を迎えて予選敗退ということになりかねないと思う。(あーあ、書いてしまった。)昨夜の生ぬるい雰囲気の試合を見て、この感じはフランスの前のときに似ていると思ってしまったけれど杞憂でしょうか。

 というところで荒川さんに戻ると、彼女の今日があるのは、彼女がこれまでスター扱いされてこなかったということもあると思う。マスコミの過大評価や過小評価によってスポイルされなかったということも大きかったのではないだろうか。そんなわけで、ここしばらくは、彼女のフリーの演技を繰り返し見さしてもらう日が続きそうである。

 モロゾフコーチ 「 彼女のイナバウアーは世界一美しい ! 」


追記:女子フィギュアの刈屋アナウンサーの実況はよかったですね。それぞれの選手について本当によく勉強されているのがわかりましたし(民放のサッカー中継のアナウンサーに見習わせたい)、アテネの体操の金メダルに次いで、荒川選手の金メダルのシーンでの(他の人だとたぶん臭くなってしまうような)名ゼリフも、さらっとした口調で嫌味に聞こえず(前もって考えてあったのでしょうけど)、解説の佐藤さんともどもとてもよい実況でした。こういうのを聞くとスポーツの実況は、やはりNHKだなと思います。メダルが期待されていたので、エース級が送られてきたのかもしれませんが、他の(うるさい)アナウンサーでなくて本当によかったです。