あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

きょうの太田総理(追記あり)

2006-10-28 00:28:02 | テレビ
 きょうの太田総理のマニフェスト「政治に関する世論調査は禁止する」には、全面的に賛成です。

 太田総理曰く、「日本人は多数派に付きやすいから、世論調査の結果を見て意見を決める。(例/去年の選挙)自分の意見がない。」
    
    「日本人は、個人としてはいいひとたちでも、集団になると狂暴になる」

 私も、このマニフェストには全面的に賛成です。現在の日本人にとっては、”百害あって一利なし”です。

 追記:民主党は河村たかしのTV出演をやめさせるべきだと思った。彼が出れば出るほど、民主党のイメージは下がる。

 今日は、時間がないので走り書きですがこれで失礼します。


追記:番組中でも、著書「憲法九条を世界遺産に」でも語られていたのだが、太田氏は、例の「イラクの人質事件」の時の、政治家の「自己責任論」から世論の人質やその家族へのバッシングが起こったときに、そのことに対する違和感を感じながら、その大きな流れに対してびびってしまって、自分の出ていた番組中でも、こわくて自分の意見を言えなかったことへの強い後悔があって、それが、現在の彼をあのような発言に向かわせる動機のひとつにもなっているようだ。何も言えなかったということは、その時の多数派の意見に従ったことだから。

 「憲法九条を世界遺産に」の中で、中沢教授は、日本について「でも、別の面ではあいかわらず、まともな異論を唱えようとする人々を黙らせてしまおうとする、嫌な精神土壌はそのまま生き続けている」と述べています。私も、あの時、解放された三人の人質が帰国した際に、よかったねと喜ぶどころか非難するプラカードをさげて出迎えた若い人を映したニュースに、これは何だと強烈な違和感を感じたのを覚えています。そしてそういう世論を先導したのが政治家の発言だったということが、腹立たしかった。まるで、自分達が人質救出において無力なのを隠蔽でもするようでした。(殺害された香田証生さんの場合は救出しようという意欲すら見せなかったし)この国の政治家は国民の方は向いていないのだなということを強烈に感じました。そして、残念ながら私の中にも日本人のそういう危うい国民性への危惧があって、そして、その危うさへの危惧が現憲法を簡単にはずしてはいけない思う大きな理由のひとつです。

昨今の教育関連のニュースに関するある疑問について、なかまたさんが記事を書かれていましたので、リンクを貼って置きます。

きのうの太田総理(訂正&追記あり)

2006-10-21 02:14:05 | テレビ
 きのうの「太田総理」は、西川という女医さんの「義務教育を廃止」というとんでもマニフェストだったので、一気に見る、聞く気が失せた。賛成派のメンバーには、塾の講師や宮崎哲弥、太田光、あとは忘れたけれど、子育て中のひとはいなかったようだ。だから、独身、金持ち、エリートの観念論だっつーの!宮崎哲弥は「おれは学校でずっと不良として扱われた!」って叫んでいたけれど、ご実家は西川さんと同じく開業医らしいから、今そうしていらっしゃるのは、実家の経済力という”救済装置”があったからじゃないのおぼっちゃまと思ってしまう。高校の授業料払うのが厳しい世帯が増えてきているんだよっ!(私はこのひとの発言も煽りっぽくてダメなのですが)それにしても西川さん、「音楽、美術、体育、家庭科、文化祭、体育祭は学校にとってムダなものだからいらない」と威勢よく始めたものの、義家先生にきつく言われて顔がひきつり、否決されて泣き出すなんて、みっともなさすぎます。わが家の子どもたちも、「このひとたちみんなバカ!」と言っておりました。太田総理もねえ、「学校教育を信じすぎないこと」と言っていたのはある程度賛同できるけど、このマニフェストはテレビ的煽りで、ふかわりょうが言っていたように「(このマニフェストは)いままでで最低の内容」だと思った。「ゲド」の訳者清水真砂子さんが、その著書で学校教育について、「学校教育の目的は子どもを世俗化することにあります。」という言葉を紹介していましたが、金持ちエリートの観念論でもって教育を語ることのばかばかしさに満ち溢れた番組に腹が立ちました。もうちょっと深い討論が聞きたいのだけれど。みんなつまらない学校生活とつまらない先生にしかめぐり合わなかったのでしょう。あー脱力、つまんない。

 北朝鮮問題についての、太田氏の発言はぶれなくてなかなかよかったのですけどね。(日本でこの件について自由に発言ができない現在の言論の全体主義的な状況に対して率直に発言していました。)

どういう文脈で語られたかは忘れてしまったけれど(かなり編集されていた感じでしたが)、番組の最後に太田光の「たぶん、戦争を始めることを決める人たちは、戦争で死ぬのは自分たちではない(自衛隊員の誰か)と思っている」という意味の静かな呟きで番組がフェイドアウトするように終わったところが心に残りました。

何で煽られたいのだろう?

2006-10-17 15:13:26 | ニュース
 「憲法九条を世界遺産に」を読んでいる途中ですが、この本は、このタイトルによってすべて言い尽くされてるなと思います。不勉強な私は、太田、中沢対談のすべてに付いて行けてはないのですが、このタイトルを眺めるだけでもこの本を読む価値はあると思います。それと、太田光の読書家ぶりに感心したりもできます。

 朝から、みのもんたのしかめっ面がニュース画面の左下に貼り付けられている画面を見ながら、その後のコメントを予想して、うんざりする。夜は夜で細木数子が女子高生や主婦や芸能人を洗脳している。ニュースを見れば都知事が言いたい放題の暴言、差別発言を繰り返している。そして、彼ら、彼女らの支持率が高いことを見ると、みんな感情的に煽られるのが好きなんだと思う。居丈高で高圧的な煽りによって、心の中のもやもやした怒りの感情を発散したがっている。発散するなら「きみまろ」でも聞いて笑ってるほうがずっと健康的だと思うが。煽りは怖い。煽りは、ひとびとの恐怖の感情に訴えて、ヒステリー症状を引き起こす。煽りは暴動に暴動は戦争につながると思う。「ゲームは終わった」などと言う評論家の煽り発言に乗ってはいけない。国民の人気取りのために、さらなる挑発的な外交姿勢を見せる現総理の煽りに乗ってはいけない。論理的に見えて韜晦している彼らの煽りには、「きみまろ」のように自己を客観視する視線はない。

「憲法九条を世界遺産に」購入しました

2006-10-13 10:41:05 | 政治・経済
 太田光・中沢新一の対談本「憲法九条を世界遺産に」を購入しました。この本のはじめの「対談のまえに」と題された文章で、中沢氏は最近の太田光について、

   ところがこのところ、テレビの中の太田君が、真っ正面から日本人の直面している深刻な諸問題を取り上げて、それにラジカルな論評を加えている姿を、よく見かけるようになった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いま僕たちがそれをことばに出して語らなければならないはずなのに、臆病のためか怠惰なためか声高に語るのを避けている重大な事柄を、彼が必死になって語ろうとしている姿に、僕は深く心を打たれたのである。

最前線にたったひとりで躍り出て、背後にひとりの援護射撃もない状態で、太田君はラッパを吹いているのである。まだ暖かいベッドのなかで眠りこけている仲間たちにむかっての起床ラッパのようにも聞こえるし、いきづまった現状を打破するために前に進もうと呼びかけているラッパのようにも聞こえる。いずれにしても、どこか切ない響きがある。(同書より)

 と表現しています。
 最近の、北朝鮮問題とかで、改憲派やマスコミの煽りに説得されそうになっている方は、読んでみてください。

 立花隆氏の関連記事もふたつ紹介しておきます。(立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」より)

 天皇はなぜ参拝しないのか「心の問題」論と靖国神社

 新総理安倍晋三が受け継ぐ”妖怪”岸信介の危険なDNA

 「岸信介の危険なDNA」の記事で、立花隆氏は9条がはずされた場合の日本の経済や学術研究の軍事化について、
 
 9条があるおかげで、日本には武器輸出禁止の原則があり、日本の産業技術は軍事利用されないことになっているが、9条がなくなったら、日本の産業のかなりの部分が部分的な軍需産業になっていくだろう。
いまは、日本の科学技術全体が、研究面でも応用面でも軍事利用の方向に向かうことがないように厳重な歯止めが二重三重にかかっている。しかし、9条がなくなったら、各大学に軍事関係の講座ができたり、防衛庁(省)の予算をもらって、軍事研究をしたりといったことが平気で行われるようになるだろう。
 つまり、9条が改正されると日本の経済も、学術研究も、相当部分が軍事を中心にまわりだすということである
 
 と述べられていますが、軍事化した経済によって破綻しているアメリカの例を見れば、日本がこの方向へ進む事が「憂慮すべき事態」(立花隆)であることは、改憲の議論の前に認識しておかなければならないことではないでしょうか。

 

太田光とビートたけし

2006-10-08 21:47:33 | 日記
 ふたりについて書く前に、最近美容院で見た雑誌「Cut」にジョニー・デップのインタビューが載っていて、ちらちらと読んだのですが、その中で―正確な言葉は覚えていないので大体ですが―「(過去の自分はこんなだったと語りながら、)悪はもう充分経験したので僕はもういい・・・」と言うようなことを言っていたのが印象に残っています。家族を持って変わったのだとも。それで思い出すのが、ずっと以前に、ジョン・レノンがまだ生きていたころ、ジョンとヨーコの生活について、ふたりが食べ物に凄く気を遣っていることなどが紹介されたりしていたのですが、そのころの知人が、「なんかこういうのって嫌!身体に悪いものも少しは食べたらって思う」とか言っていたのを思いだします。私は別に反論もしなかったんですが、ジョンとヨーコは別に気取ったスノビズムからそうしていたわけではなくて、たぶんいろいろなこれまでの”悪い”生活でボロボロになった身体を立て直すにはそうするしかなかったからそうしていたんじゃないかと私は思っていました。つまり、「身体に悪いものも食べれば」と言うひとのほうが、まだそこまで追い詰められてないと言う意味で健康的であると言えるのかもと思います。何より彼らは、ふたりの子どもが欲しかった(ヨーコは流産を何回もしたと聞きました)ので、そのためには、そうするしかなかったのだと思います。

 表題と話がそれてきましたので、本題に入りたいと思いますが、最近の太田光の活動がビートたけしと比較されたりしているみたいなので、さっき書いたこととも関連して私の印象を書きたいと思うのですが、太田光とビートたけしを比較して、どちらがより追い詰められているかというと、と言うか、ぎりぎりのところで発言しているかというと、私はそれは太田光の方だと思うのです。ビートたけしには、団塊の世代特有の胡散臭さというか、中途半端さというか、未だに肝心なところで”悪”に逃げてかっこつけてるところが、この世代のどうしようもなさだと思うし、マザコン少年の反抗から抜け出さない彼の限界だと思う。あの世代はなんだかんだ言って追い詰められてないし、ある意味日本を駄目にした世代であるとも言えるし、なんだかなあー、はっきり言ってはやく大人になって(もう還暦なんですが)、(ジョニー・デップのように)「もう悪はいい」と言ってもいいんじゃございません?と思うわけです。でも彼はどうしてもできない。てれるというか、太田光のようにかっこ悪く正論を語れない。そして、ヤボに見られることがいやだから、そういうひとを見ると、ついからかって茶々を入れてしまう。以前に藤原紀香がアフガニスタンの写真展を開いた時、「まさか第二の扇千景になりたいんじゃないでしょうね」とか言っていたのを思い出しますが、そういうところ。ヤボを極度に恐れるから、なんでもかんでも、こうやってからかってしまう。ヤボを攻撃する事で満足して、本当にたたかうべき相手を見失う。そして本音は、たまにぼそっと小さい声で言ったりする。そんな彼をカリスマ視して影響を受けた世代もそう。というか、劣化版の彼らには、隠している本音すらないから、そんなたけしの悪癖の方をただ真似しているだけなのだ。私は、ヤボを避けるあまり、悪ぶることに逃げこんでいるビートたけしより、口角泡を飛ばしてしゃべり続ける太田光のほうが好きだ。ぎりぎりという意味で。

しゃべり方に感じる好感と違和感2~太田総理より(追記あり)

2006-10-07 00:45:33 | 政治・経済
 「太田総理と秘書田中。」の特番をやっていたので、途中から観た。TVの前で、とても、ここでは書けないような言葉を吐きながら見ていたのですが、前回と同じように、しゃべり方の観点からの感想を書いてみたいと思う。

 まず、消費税問題で普通の主婦の感覚で発言していた松居一代を見て、彼女の発言に初めて共感した。芸能人感覚の松居直美と志垣太郎はブーでした。

 次に、憲法9条問題での、石破元防衛庁長官のしゃべり方だが、一見丁寧なしゃべり方なのだが、”理路整然と韜晦している”感じに腹が立ってくる。訪問販売やテレフォンアポインターのしゃべりに似たうさん臭さを感じる。
 そして自民党の二軍のような民主党の議員さんたち、彼らがTVに出れば出るほど民主党の支持率は下がるだろうというような方ばかり。しゃべり方に誠実さが感じられない。出てはなかったけれど、河村たかしもブーです。

 ところで、太田総理ですが、いろんなことをちゃんと勉強し考えている率直且つ知的なそのしゃべりに、「頑張れ!太田」と応援していました。9条についての発言の粘り強さについては胡散臭い石破氏に負けてなかった。今日の彼には感動すら覚えました。このまま日和らないで発言していってほしい。「9条を世界遺産に」も読んでみようかな。

 それにしても噂には聞いていましたが、田原総一郎、「マスコミは遅れてる」って、思わず「お前は××じじいか!」と言ってしまいました。遅れてるのは遅れてるけれど、あんたの言っている意味とは全然違う意味でね。太田総理のように「(ジャーナリストも)政治家も理想を語れよ!」と思う。テロとの闘いという美名の名の下に軍産複合体国家アメリカがやっている汚い戦争に自衛隊が完全に組み込まれるのをぎりぎりではばんでいるのが9条なのに。マスコミ人の典型のようで、こういうのが一番タチが悪い。

 他にも腹立つしゃべり方のひとがいっぱいいたけれど名前を忘れたので今日はこれでおきます。

 追記:私が憲法改正に反対なのは、現在のTV番組のくだらなさなどを観るにつけ、日本人はちっとも成熟してないし―思春期の反抗のような表現しかできないオトナコドモばかりだし、細木数子やみのもんたなどのくだらない煽りに簡単に乗ってしまう所などに、戦前とまったく変わってない危険な国民性を感じるし、そして、あんなにひどい目に遭ったことをもう忘れてしまい、全く反省もしてないという世界でもまれなその国民性に危惧を覚えるからです。あの憲法は、そんな私たちの欠点を補って余りある貴重な宝だと思うからです。民主党の議員も現憲法を「尊いものです」と認識はしているのなら、何故、簡単に改正などと言うのか、守る道を模索しないのかと思う。こんな幼稚な国民が軍隊など持つべきではないと思うからです。

"素晴らしさ”と”凄さ”連発への違和感

2006-10-05 18:03:55 | サッカー
 昨夜のオシムジャパンのガーナ戦を観ていて気になったこと。
 実況のアナウンサーが交替で出て来る選手の紹介の時に、解説者にやたらと「○○の素晴らしさは何でしょうか?」とか「○○の凄さは何でしょうか?」と言った質問を連発していたこと。
 おいおい、そういう質問は、素晴らしいプレーとか、凄いプレーをしたあとでしてくれよ、と思ってうんざりしてしまいました。
 本当に実力を証明する前に過大評価された選手が大成した例をこれまで見たことがないもので・・・。

 試合に関しては、あのガーナに1失点というのは、ホームということを割り引いたとしても、ある程度は評価できると思う。
 攻撃は、何かが足りない。「内容で上回っていた。」と言っても負けは負けだし、うまく説明できなのですが、攻撃陣(特にFW)に必要なのは、すべてにおいてそこそこできるといった選手ではなくて、この点なら彼、という突出した特徴のある選手なのではないのでしょうか。現在選ばれているFW陣を見ても、そこそこな感じで、スペシャルなアピールポイントのある選手が選ばれてないので、そこそこなところまではいくのですが、結局フィニッシュが決まらないと思うのです。巻にしても、あの身長と体格は買うにしても、それ以外のアピールポイントがどれも弱くて、代表のレギュラーFWというには不満です。
 

今朝の番組から

2006-10-01 14:57:05 | 政治・経済
 今朝のTBS「サンデーモーニング」で、田中優子教授が安倍氏の所信表明演説について、
 
 「(本音を隠した)厚化粧」な内容、
 安倍氏の言うところの国家は「(臭いものには蓋の)ナルシズム国家」、
 「負の悪循環に陥らないためには、
  本人の哲学と
  回りで誰がブレーキをかけるかが重要だ」
 
 と述べられていた。
 
 総裁選の時のようにはっきりと「改憲」と言わなかったところなども、「厚化粧」なのでしょうが、総じて、具体性や内容に乏しく、自民党内での評価もいまいちなのではないだろうか。横文字を多用して、それでみんなが「おっしゃれーっ」とかってだまされてくれればよしという戦略なのでしょうが。

 安倍氏の支持率というのも、実質そのほとんどがマスコミによって作られた若いとか爽やかとかのイメージ的なものでしかないと思うので、みんな、もっと政治に最低限の興味を持って(声の大きいマスコミ人の煽りに騙されずに)眺めてみれば、現内閣の本質がわかって(がっかりする)と思うけれど。
 特に、(陶然としたひとりよがりの)国家や政治家の教育への直接的介入は、ろくなことにはならないと思う。東京都を例に取るまでもなく。

 TBSの次にフジの「報道2001」をのぞいたら、首相補佐官の山谷えり子氏を発見したので、少しだけ見たが、横に文部科学大臣の伊吹文明氏がいて、司会者の質問に対してわりと常識的に答えていて、そんなに腹も立たなかったが、横の山谷えり子氏は氏の発言中、明らかに不満気な顔をしていたのが印象に残っった。(山谷氏は感情がすぐに顔に出る。)このふたり、微妙な関係なのかなという感じだった。最初の方は見ていないが、伊吹氏のしゃべりには、なんとなく山谷氏をけん制するような響きを感じた。

 私は、今の日本はいろいろ問題はあると思うけれど、この戦後の日本の歩みを全否定するような考え方には絶対に与できない。そして、自分の子どもだけでなく、軍隊になった自衛隊員が中東のどこかの国で現地のひとに銃を向ける姿も見たくないと思う。