あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

私が他人の映画評を参考にしない理由

2009-01-25 01:50:43 | 映画・ドラマ
 私は、映画を観るとき、他人の評価をいっさい参考にしないことにしている。一般の評価も、評論家の評価も含めて。と言うのも、以前、映画評論家、世間一般の悪い評価を参考にして、封切りのとき見るのをやめてしまった映画を、かなり後になって、BSの放送でたまたま観て、そのあまりの素晴らしさに、”なんでこれを今まで観なかったのだろう!””なんであの時、みんなの感想を鵜呑みにしてしまったのだろう”、と後悔したからだ。その映画と言うのは、「ゴッドファーザーPartⅢ」である。誰が何と言おうとあれは凄い。TVの画面で観ても、なんか画面画面の密度がものすごく濃くて、アル・パチーノの演技も凄い。そしてゴッド・ファーザーの三部作すべての濃密なシーンの数々は、「Ⅲ」のラストシーンのためにあると言ってもよい。と言う意味で、あの作品は傑作です。あの作品を批判するひとが、よくキャストについての不満、とくにマイケルの娘役のソフィア・コッポラへの不満を述べていますが、私的には、彼女で何の問題も無いです。と言うか、現在では映画監督として活躍している彼女の繊細さが感じられる演技だったし、彼女が巻き込まれてしまう、オペラにからめて描かれる「悲劇」は、見事としか言いようがないです。キャストへの不満と言うのは、おうおうにして、単に好き嫌いの次元でしかなく、感情に理屈をくっつけただけの、木を見て森を見ずの、本質的には感情的なものでしかないことが多い。映画評論家の評論も含めて。
 まず自分の目と耳で観ないことには何も始まらないし、傑作を見逃すことになりかねない。

K-20 & ラヴァーズ

2009-01-20 10:01:22 | 映画・ドラマ
 暮に観た映画「K-20」が思いの外よかったので、

 ※「K-20 怪人二十面相・伝」公式ホームページ

 ふっと、金城君の主演映画「ラヴァーズ(邦題)」のことを思い出して、You Tubeで検索してみたら、アップされている動画が思いの外よかったので、チャン・ツィイーの舞踊や唄のシーンなどを繰り返して見てしまった。

 ※beauty song from house of flying daggers

 ↑は、映画全体として見れば、監督も認めているように失敗作だったのですが、細部には好きなシーンがいくつかあったなあと。そして、主要キャストの女優さんの病死や、ロケ地ウクライナの気象(例年より早い降雪)によって、大幅な脚本の変更を余儀なくされ、あのような形で公開せざるを得なくなった、ということ、金城武が、インタビューで「自分の役が、なぜ彼女を短期間であれほど愛するようになるのかが理解できなくて監督に何度も質問した」と言っていたところなどは、彼らしいなと思いました。まあ、細部が芸術的に素晴らしくても、全体として見て破綻していれは、やはり駄目なのですが。(「K-20」は”全体として見れば”合格だと思います!)でも、特に好きな女優さんではないのですが、(どっちかというとフェイ・ウォンのほうが好きです)チャン・ツィイーの色気を再認識しました。清潔なエロスとでも言うのか、なかなか現在の日本の女優さんのなかで、あのような雰囲気を醸し出せる人はいないなあと、あの感じを出せるのは日本では夏目雅子ぐらいだったでしょうか。まあ、でも、「K-20」がよかったので、日本は日本の表現をしていけばいいかと思ったりします。これもまた特に好きな女優さんというわけではなかったですが、あの映画の松たか子はいいし、「K-20」が正当に評価されてほしいと思います。娯楽大作であるだけでなく、「格差社会」というテーマもきっちりとはめこまれているし。時々、前半の警察の暴力の描写などを暗い、不要というコメントを見かけますが、あれは、その現代的テーマを描くのに必要だし、平民と華族という取り合わせが、ルパンの「カリオストロ」に似すぎているというコメントを見かけますが、「カリオストロ」は単に身分違いの淡い思いが描かれていただけで、格差社会という大きなテーマはなかったわけで、影響といっても細部の影響というくらいで、別物だと思うし、「K-20」の前半の暗さは「現代」を描くためには必須なものに思われました。それを救っているのが、金城君や松さんたち主要キャストのユーモアあふれる演技なんです。「カリオストロ」は「K-20」に比べれば時代背景のせいか随分牧歌的だと思います。

精神的なものの怪我に及ぼす影響( 高橋の怪我に関する呟き )

2009-01-11 01:55:40 | フィギュアスケート
 世間的には一件落着したみたいなことなのだが、私はまだ拘ってひっかかっている一件。だから私はあの選手を応援することは無理だし、その笑顔の優勝コメントを聞いても、複雑な気分にしかならず、祝福する気にはならない。
 この間の全日本での村主、安藤の衝突とその後の展開などを見ても、なんだかなあ、と思う。モロゾフがライバル選手のコーチを安易に引き受けたことの影響が、あの微妙な衝突事故に影響してないとは言えない、と私は思うからだ。そして、安藤に付きっきりで、コーチなしだった村主、泣きながらインタビューに答えていた安藤・・。事故にも関わらず完璧な演技をした村主のど根性は凄いと思うし、いまひとつの演技内容にも関わらず、高得点で優勝した織田も、本人的には大満足なのだろうと思う。そして、ふたりからは勝つためにはなりふりかまわなさが必要だということを教えてもらいました・・。でも、そこに感動は無い。こころにひっかかった微妙なしこりのような感覚を覚えるだけ。だから高橋には復活してほしいと思う。
 
 私は、今回の彼の怪我に、この一連の騒動による”精神的な危機”、が関係してないとは言えないと思う。ライバルはさあ、意識してか、してないか知らないが、そこまで意地悪く、そうまでしても勝とうとしてくるのですよ、と思う。と、彼の性格のよさを心配する。
 
 去年の「白鳥」はフィギュア史に残るような画期的なプログラムでした。今季、モロゾフが手懸けている選手から、あるいは新たに引き受けた選手たちのプログラムからは、あまり、あのような新鮮さと感動を感じない。だからこそ、高橋がモロゾフの元を離れざるをえなかったことが今でもほんとうに残念だ。そして、そういうお膳立てをした関係者すべてに対して、未だに腹立たしさを覚える。怒りが治まっていない。「白鳥」のコンビを引き離したのは誰だ!と。それほどあのプログラムは濃密で、造ったものと演技者の意識が渾然一体となった画期的なものだったのだ。そのことが悪でなくてなんであろう!

 
 

七草&ぜんざい

2009-01-10 17:48:48 | 日記
 例によって、”七草粥”ならぬ”七草雑炊”(作ったのは八日でしたが)と、”小豆の粒々大好き人間”としては、餅入りぜんざいを食べました。雑炊は、きじ鍋のだし汁に、さっと洗ったご飯と、きざんだ七草を入れて、溶き卵でとじます。
 ぜんざいは、缶詰の小豆を水で溶いて、餅を焼いて加えるだけ!私は、それにおろし生姜を入れます。
 年々、お節なんかは、手抜きというか、忙しさを理由にして余り作らなくなってますが、このふたつだけは、やめられません。

 ※ココログに映画「K-20(TWENTY) 怪人二十面相・伝」についての簡単な感想を書きました。なかなかよかったですよ!