以前に他所様のブログでコメントしたことだが、ブログの性格上、あまり突っ込んだ議論は出来ない、(コメント欄とかでも、お互いの意見を言いっぱなして終わる、お互いに規制してしまうところにブログの限界を感じる、)その時書けなかったことをここで書いてみたいと思う。
先日、
日本民放連賞のテレビドラマ部門で「14才の母」が最優秀賞に選ばれたというニュースについてなのですが、私は、このドラマをまったく評価してなかったので、ついに、日本のドラマは制作側のみならず、観る側もそこまで劣化したか、今後、あのような路線が評価されて行くのだとしたら、日本のドラマの将来は真っ暗だなと思ったからです。は~~~っ・・・・・・。
まず、サブタイトルの「愛するために生まれてきた」って言うのも少し曖昧な感じがする。誰を?生まれてくる子どもを?それとも相手の男の子を?そもそも「14才の母」と言うものが有り得ない。”14才は精神的にも肉体的にも母にはなり得ないほど未熟である”という事実はどう表現しようが動かない。ドラマは、最終的には、多少の困難はあったが、予定調和的に周囲の暖かい理解の中、未来への希望を感じさせながら終わるのだが、それはあくまでもドラマの中でのこと。私には「絵空事」にしか思えなかった。あのドラマで、徹底的にリアリティを追求するなら、主人公やその家族は、もっと大きな困難に突き当たり、不自由な現在に疲れ果て、未来への不安におののきながら終わるべきだと思うからだ。妊娠と出産というのは、それ位、女性にとっては、肉体的にも精神的にも社会的にも、大変なこと、エポックメーキングな出来事で、自身の経験から言うと、妊娠、出産も、肉体的、精神的な成熟が必要だが、(昔は命を落とす女性も多かった)、大変なのは、その後、産んでからの育児で、産むのは、ある程度未熟でも現在の医療ならできるでしょう。でも育てるのは、自分たち。そのために必要な成熟が14才にあるわけがない。自分が子どもなのだから。結果的に、未熟でも産んじゃっていいっていう結論ですよね。ドラマでは描かれなかったその後、本人たちの両親、特に母親の援助を見越した甘えとしか思えない結論に腹が立つ。それが「絵空事」ではないとも、「リアリティ」があるとも、「温かい目線の演出」ともさらさら思えないし、ましてや、青少年にとって「セリフや表現に細やかな配慮が行き届き、子どもを持つ家族で見てほしい番組」ともさらさら思えない。もっと言わせていただければ、あのドラマはヒューマンなうたい文句の裏で、「14才の母=幼な妻」という言葉に発情して、好奇心からチャンネルを合わせた多くの視聴者による高視聴率によって成立している。視聴者層は主人公と同じ位の若い世代、(あるいは実際に若くなくても精神的に未熟なひとと言ってもいい)が多いと思う。そして、そのコンセプトは、若い女性を性愛の対象としてのみ捉える時代のコンセプトにも合致している。性愛を描くことに拒否反応があるわけではない。ただ、私には、制作側、視聴者側双方が、自分たちの(幼な妻への)劣情を、ヒューマンなうたい文句によってごまかしている、その欺瞞に我慢できないのだ。
所詮テレビドラマだから、そんなに目くじら立てることもない、と言われそうですが、所詮、テレビドラマ、映画、アニメだと言っても、それらをまったく批判的に見れずに影響を受けてしまう世代にとっては、深刻な影響を及ぼすことがあります。何年か前に起きた「バトルロワイアル」に影響された佐世保の小学生の殺人事件や、つい最近ベルギーで起きた「デスノート」殺人。それらは、一部の特殊な事例でしょうか。私には、それらの突出した事件を生み出した深層心理の広いバックグラウンドがあると思うし、それらの形成に影響力を持つと思われるこれらの物語に無批判にはいられないのです。私は、「14才の母」も含めた、それらの物語を無批判に受け入れ、評価しているひとたちの意見は、あまりにも観念的すぎると思うのです。未熟な子どもたちが観念的にしか捉えられないのは仕方ないとして、あれが最優秀とかいうことは、オトナたちのかなりが未成熟であるということだと思う。