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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

振り込め詐欺

2012-01-30 15:04:40 | ひとの幸福
例えば孫(ホントは違う)から、

自分の不注意で事故に合ったけど、

会社に内緒に済ませたいから、お金がいるんだ・・とかの言葉や、

「おばあちゃん、今困っているんだよー」

・・というような言葉を「問題」と捉え、

では・・送金する・・というのが「問題解決」ということなのかな。

困っているという言葉を聞いて、

可愛い孫が困っているなら、それを解決してやりたい

・・という心情になることを利用しているんだろうな。

問題だと捉えなければ、

解決しようという考えにはならない。


「おばあちゃん、事故を示談にしたいんだ」


「あー、そうなの。 大変だろうけど頑張ってやりなさいね。じゃあね。」


なかなかそういうおばあちゃんはいないのかもしれないね~

相対絶対

2012-01-30 11:17:09 | ひとの幸福
「朝焼け小焼けだ大漁だ

オオバいわしの大漁だ

浜は祭りのようだけど

海の中では何万の

いわしの弔いするだろう」

・・という金子みすずの詩がある。


勝負 なんてものはまさしくそういうもので、

勝者がいるということは必ず敗者がいる。

身長が高いと言えるのは低い人がいるからで、

みな身長が同じ高さの2メートルだったら、

2メートルの身長は高いとは言わない。

所謂相対的(物事が他との関係や比較の上で成り立っていること)

になっているのが今の世界。


「絶対」は比較や対立を超えた存在であること。

他の何ものにも関与・制限されないこと・・広辞苑より。


相対じゃない「絶対」は、

今のこの世でどんなふうに出現しているのかと考えると・・・


「超訳 ニーチェの言葉」にあったけど、

「愛が働く場所」以下

善悪の彼岸 それは善悪の判断や道徳を完全に超越した場所のことだ。

愛から なされることはすべて

その場所で起きている。

だから愛の行いは一切の価値判断や解釈がおよばないものであるのだ。

以上。


それはある種の母の愛に似てる。

木語②

2012-01-30 10:46:52 | 新聞を読んで
先週の「木語」からなんだけど。

孔子の子孫が「法治など英国人の遺物だ。

法で秩序を維持するのは香港人に自覚がなく、

人間のレベルが低い証拠だ」と言ったそうで、それはその通りと思った。

法治 というのは法で治めるという意味と思うけど、

人間界を権利義務観念を使った法律でうまいこと治めようということ。

さっき書いたけど、自然は権利義務なんてない。

虫や花や雲や大気や地球や太陽や月や星に向かって

権利や義務を言う人はまさかいないだろ。

そんなこと言わなくったって、花は戦争もせず生きてる。

花も虫も雲も地球も月もみんな自分の分をわきまえて自然に生きてる。

自然は美しい。

人間も自然からの贈り物という存在なんだろうけど、

不自然なことしてるから美しくない面が現われるんだろな。

自分の分をわきまえずに、

自分の分を越えて、他に干渉するのは不自然なことなんだろな。


権利 義務

2012-01-30 10:11:11 | ひとの幸福
権利、義務という言葉があるけど、

基本的な欲求の食欲、性欲、睡眠欲については、

食べる権利、食べなくてはならない義務、

セックスする権利、セックスしなくてはいけない義務、

眠る権利、眠らなければいけない義務、

・・というようなことはあまり聞かない。

食べる権利 という言葉は飢えに苦しむ地域では聞かれることはあるけど。

(こういうのは地球人の意識が未熟で低いレベルだということを表わしてると思う)

けれど、ひとは食べる時に食べる権利があるからと思って食べてない。

食べる義務があるから食べるという感じでもない。

ただ、食べたいから食べるんだと思う。自然なこと。

この人とセックスする権利があるという人も

広い世の中にはいるかもしれないけど、

セックスしたいというのは自然の気持ちだろ。

寝るのも権利や義務じゃない。自然。

排泄もそう。排泄する権利があるからするのでもないし、

排泄しなくてはいけないという義務でするのでもない。

自然。

自然なことには権利だ義務だって言わない。

当たり前だって言われそうだけど。


欲求とは「~したい」という気持ち。

どんなことも基本的には~したいからする、

~したいと思わないからしない、

ただそれだけでいけるといいなと思う。

そういう行為の仕方はみな快適と感じるんじゃないかな。

お金儲けが絡まない趣味をやっているときに、

ひとが殆ど不愉快にならないのは、

やりたくてやる以外に理由がないからだろう。

権利や義務が出てくるといきなりギクシャクする感じになる。

ちゃんとそうなるわけがある。

 

ウォーキング②

2012-01-30 09:32:23 | ひとの幸福
行き着く先が見えない方が「遠い」と思わないで済む と書いた。

それは、遠い と思うと気持ちが萎えるから・・

なんで萎えるのかといえば・・

そこまで行かなくちゃならない、としてるから・・


遠い と思うと楽しくなる、という場合もあるかもしれない。

なんで楽しくなるのかといえば・・

行き着くまでたくさん道中が楽しめるから・・


同じ“遠さ”でも捉え方が違うね~


でもマラソンの場合一直線だったら

その道中があまり楽しめそうもない気もする。

曲がりくねってる方がやっぱり楽しそう。


どっちにしろ、行き着く先がわかってないと、

どっちに向かって歩いていいやらわからないので、

行き着く先をはっきりさせて、それに向かって

好き好きに歩けばいい、ということで。

ひねくれてる

2012-01-30 09:10:17 | ひとの幸福
子供の頃、5月5日が「子供の日」なら、

その日以外の日は大人の日なのか、と思った。

敬老の日以外は敬老じゃない日なのか、なんてことも思った。

こういうこと言うと、あんたは素直じゃないと言われた。

ひねくれてるね~とも言われた。

そうか、こういうのはひねくれてる、と言われることなのかと思った。

自分がひねくれてるなんて思ったことなんてなかったけど。


こんなふうに思ってしまう癖が私にはあるみたいで、

やっぱりひねくれてると言えば言えるのかもしれない。