goo blog サービス終了のお知らせ 

ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

ダイエット③

2012-01-19 15:49:29 | ひとの幸福
しつこく、ダイエットシリーズ。

美味しそうな食べ物を前にして、

「食べたらいけないから、食べない」と、

「食べないことをしたい」では心の世界が違う。

食べるということに否定がある のと、

食べるということに否定が無い のとの違い。


どうなってもいい と、覚悟した後に起こったこの思い、

「食べないでおこうかな(食べないことをしたい)」

・・になんでなったのか?


「食べないことをしたい」これは自発的自由意志なので、無理がない。

やりたくてやる。それだけのこと。ストレスなし。

「食べるのはいけないから、食べない」は、

やらなくちゃいけないからやる。無理の塊。ストレス大。



共感

2012-01-19 14:32:39 | ひとの幸福
共感してもらうと嬉しい。嬉しく思わない人なんているのかな。

どんなに馬鹿みたいなこと?言っても、

そうなんだぁ と聴いてくれることがどんなに嬉しいか。

ちきしょうめ!あいつ叩きのめしたろか なんてこと言ったことないけど、

本気でそう思ったとして、そう言ったとき、

ほんまや、やったれ なんて言ってくれる方がいい。

そんなことしたら、わたし悲しい と泣かれるのもいいかな・・・?

嬉しいかな・・・?どうだろ。


二人で共に

2012-01-19 14:22:31 | ひとの幸福
知人から聞いた話なんだけど、

知人のその又知人の知ってる人の夫は、

結婚してから、身体が悪いわけでもなく、

売れない小説を書いているわけでもないけど、

一度も自分でお金を得たことがなく、

妻や親や子供が働き者でその金で生きて来たらしい。

老齢になった今も遊興費や酒代を何やかや嘘を言ったり、

ごまかしたりして、手に入れているらしい。

双方ともにそれが合意の上ならどんな生活スタイルでもいいと思うけど。

その奥さんは文句を言いながらご飯の支度をしたり、

せびられる(そう表現してるそう)とお金を渡しているらしい。

そうしたくなかったらそうしなければいいと思いがちだけど、

自分がお金を渡さなかったら、

他所で借金をしてしまうのではないかという不安で、

そうしているらしい。

なるほどと思った。

借金して他人様に迷惑掛けてはいけないし、

そのつけを回されるのも敵わない、ということ。

お金を渡すという行為はそういう考えで、

そういうことを実現したいがために行なっているよう。

その彼は奥さんがそう思っていることを

知っているのか、知らないのか、わからないけど、

その不安を意識的にか、無意識のうちにか利用しているという気もする。


いくら他所で借金をしようと、なにがあろうと、

一切あなたにはお金は渡しません。

・・と毅然とした態度をとったとしたら、(それが正しいと言ってるんじゃないよ)

彼はどうするんだろか。

彼にとって彼女は運命共同体だ。


目の前の人は自分がその人と共に創っている・・という感じ。

不安から出発した行為は抜け道が無いみたいに見える現象を創り出す。






周辺症状⑤

2012-01-19 13:45:39 | ひとの幸福
周辺症状 これは認知症の症状についての言葉。

ひとはみんな認知症じゃないかと思ってるので、

その仮説から言うと、この世そのものは周辺といえる。

私を囲むものは全部認知症の私にとって「周辺」

夫も舅も周辺。

地域も、友人も親も子も新聞記事もテレビ番組も、みな私の周辺。

周辺の状態によって、いろんな認知症状が起こる。

皆が私のことを綺麗ね綺麗ねと言ったら、

私は綺麗だと思うようになるんだろうか?

それはちょっと怪しい。

自分でどうしても綺麗だと思えないから。

でも、なんて不細工なんだろって言われるよりは悪い気はしないだろ。

いくらかはその気になって、形に表われるようになるかもしれない。

顔の造作は変わらなくてもいつもニコニコしてたら人相が良くなるとか・・・


周りにいる夫や義父や近所の人知人がかなりのクセモノばかりで、

無理難題言い放題、暴力振るい放題、暴言言い放題・・・

だったら私の居心地は悪い。

心境も乱れるかもしれない。

だけど、周りの人も何の訳もなしにそういう態度をとることはないだろ。

どんな場合でも何らかの訳がある。

そうなるプロセスがある。

周辺現象は人にとって大きな環境だけど、

周辺である自分の目の前の人は、その人と共に自分が創っている。

♪みんなは悪い人だと言うが、わたしにゃいつもいい人だった~♪

松尾和子という歌手の「再会」という歌の一節。

こんなふうなことを考え出すよりずっと以前から、

何故か惹かれていた一節なんだ。






ダイエット②

2012-01-19 10:47:09 | ひとの幸福
「どうなってもいい」と開き直れたとき(覚悟を決めたとき)、

ぐちゃぐちゃの気持ちから解放されて、

新しい展開を迎えることが出来る。

どうなってもいい と覚悟すると、不思議と心境が変わる。

行為も変わる。

「どうなってもいい」と聞くと、

捨て鉢なニュアンスのように感じる人もあるけど、

どんなこともどのようにか、なる。

このパソコン、いつか使用不能になる。

永遠に使えるわけじゃない。

一瞬一瞬変化し続けるんだろ。

すべてが変わるべくして変わる。

物も心も身体もいろんな複雑な絡み合った作用で、

変化を続ける。

自分の都合〈思考、願い)だけでどうにか、なって行くわけじゃない。

それほど一人の人間は力を持ってない。

「どうなってもいい」という境地は合理的といえる。


ダイエットも様々な要因で、

“なるべくしてなる”のなら、

その「なり方」を知的に、

体得的にわかることが成功への道なんだろ。