歌わない時間

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ニューヨークの『ダイオクリージャン』

2010年05月29日 | 音楽について
2006年10月に、ニューヨーク、ウォールストリートのTrinity Churchで、教会附属のThe Trinity Choirが時代楽器のオーケストラとともにパーセルのセミ・オペラ『ダイオクリージャン』を演奏しました。パーセルとしては『妖精の女王』につぐ、規模の大きな作品。ネット配信されていたそのビデオを見たことが、わたしのパーセル再発見の始まりでした。北米の古楽に対する偏見も、そのとき取り除かれました。

このことについてはもう書いてるのですが、このThe Trinity Choirの『ダイオクリージャン』について、わたし以外の人が日本語で書いているのを見たことがないので、もういっぺん書いておきます。

パーセルのコンサート自体、日本ではめったにないですし、それに『ディドー』あたりならまだしも、『ダイオクリージャン』て作品は、規模の大きなわりに知名度も低い。古楽が好きな人でもタイトルすら知らない、っていうほうが多いんぢゃないでしょうか。おそらくこれからもわたしが実際のコンサートで耳にすることはなさそう。そのレアな作品のコンサートを、始めから仕舞いまで、観て、聴くことができたんですよ。

『ダイオクリージャン』で唯一、まあまあ有名なのは、2本のリコーダーと通奏低音のためのシャコンヌでしょう。たしかにこれもいい曲だけど、声楽曲も合奏曲もおしなべて、どれもこれも素晴らしいのよ。

それをまたThe Trinity Choirの面々が楽しませてくれるの。いまにして考えりゃ、そりゃ世界の首都ニューヨークですもんね。レベル高いはずですわ。ライブですからすみずみまで百パーセント完璧とはいきませんが、とにかく充実したコンサートだった。ソプラノ6・アルト5(うち男声3)・テナー4・バス6の計21人の歌手たちが、ソロに、合唱に、大活躍でした。

ほんとうに不思議なのは、ソリストとしてじゅうぶん聴くに値する歌唱を聴かせてくれた歌い手たちが、コーラスを歌ってもまったく濁りのないピュアな声でまとまっていたこと。ここ日本では、ソリストとしての勉強をしている人は合唱やっちゃいけない、って言いますよ。声の出し方が違うから。たとえば、今の二期会のプロの歌手が21人集まったとして、The Trinity Choirみたいな精緻な合唱ができるか、っていうと、それはなかなかむつかしいでしょう。

しかし考えてみると、HMF時代にレザール・フロリサンが録音したシャルパンティエのオラトリオも、ソリストがコーラスパートも歌ったりしてたんだよな。今だってアラディア・アンサンブルのシャルパンティエもそういうスタイルだ。やはりある程度古楽を歌い慣れている人たちのワザなのかもしれない。

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