歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

ガーディナー『パーセル/ディドーとエネアス』

2008年12月23日 | CD パーセル
Purcell
Dido and Aeneas
Ode for St Cecilia's Day《Welcome to all the pleasures》
Watkinson, Mosley, Holton, Tindall, Shaw, Chance
Monteverdi Choir
English Baroque Soloists
John Eliot Gardiner
PHCP-5195 (432 114-2)

1990年録音。67分19秒。PHILIPS。ガーディナーがようやく録音した『ディドーとエネアス』。ディドーにキャロライン・ワトキンソンを持ってきたのが意外でした。ワトキンソンは古楽の世界ではベテランのアルトで、わたしはこの人の出た『リナルド』『セルセ』『メサイア』『復活』『ソロモン』などなど聴いてきたんで愛着あるんですが、90年のガーディナーなら、もっと一般受けするメゾを連れてこられたでしょうに。

70年代以降、ガーディナーはパーセルをあれやこれや録音してきて、そのどれもがすぐれた演奏ばかりだったのに『ディドー』はなかなか出してくれなかった。そのガーディナーが満を持して、という期待を持たせて出てきたCDなんですが、この録音、悪くはないんだけど、地味です。数ある『ディドー』の録音のなかで、上から数えて指を折るまでのこともない。なんかね、ガーディナーとしてはもうパーセルからは気持ちが離れてたんぢゃないですかね。でも『ディドー』まだ録音してなかったんでこの際入れとこか、みたいな。いやこれはわたしの勝手な想像ですけどね。

ワトキンソンは上のほうの音がちょっとヒステリックに聞こえる。ディドーは本来ソプラノの役で、ベルガンサやフォンオッターのように「上も出るメゾ」ならともかく、ワトキンソンのような「根っからのアルト」には荷が重すぎた。エネアスのジョージ・モスリーという人もたいしたことありません。ベリンダのルース・ホルトンが爽やかでいい感じ。総じて女声はしっかりしてますけどね。

パーセルでいちばん有名な作品と、手ごろな長さのオードを1枚で聴けるのが強みか。