異教徒たちの踊り

まるでリズムの悪い絵と日記のブログ。それでも____
楽しい出来事があればいいなぁ、と、言う、ブログ。

2013年02月22日 | Weblog
病気と薬の話を書きます。
内容は鬱々として気持ちの悪い話です。
「文字列は無条件で読むのが好き」という人以外無理だと思います。
まとめる気もなくてダラダラいきます。







病院で薬を増やしてもらったので、ネット上で再度薬の効果や副作用の確認をしてました。
薬も人によって合う合わないがあるらしく、自分の飲んでる薬が他の人には苦痛になったりするらしい。

余ったからって気軽に人にあげるのはよくないのね、と思いました。
ネットで色々と読んでたら過去のことをフワフワと思い出しましてきました。


自分も薬を飲み始めた高校生当初に副作用はありました。
個人的には安定剤が眠くて眠くてきつかった。

今になって考えれば絶対合ってない薬だったと思います。
「安定剤なんだからなんも考えられなくなるんだろう、すげー効いてるじゃん・・・むにゃむにゃ」
みたいな感じだった。
当時は妄想や思考や意識する事自体を意図的に止めることができず、何も考えられなくなってる状態それ自体が楽でしたので文句を言わずに飲み続けてました。
あと、学生だったから、フワフワしたまま半年くらい過ごしてた。
その時に自分の記憶力がビックリするくらい落ちた。

もともと記憶力は悪かったけど、飯を食ったかどうかとか、風呂に入ってて髪を洗ったかどうか、とか覚えてられない状態まで落ちた。
勉強しない学生だったので、全然問題ありませんでした。





ヤバイヤバイとよく思って生きてきたのですが、今の職場には自分よりヤバイ人がいたりして、記憶力や確認能力に関しては気にしなくてもよかったじゃんと思えてきて、色々と微笑ましい。
そういうのは、なんつか、大きな括りで見て素敵だなって思う。








今はほぼ無い事だけど。
いつからかわからないけど、学生時代は自殺願望が半端なかった。
意識がある間ずっと自己嫌悪を止めることができずに苦しんでた時期がある。
なんとなく「16,7歳のころって多感な時期」ってラジオとか大人とかが言ってたのを知っていたので、皆こんな感じで苦しいんだろうな、と自分にいいきかせてたのですが。いかんせんあまりに苦しい。
本当に皆この苦しみに耐えてんのか?と疑問を感じ始めたある日
「死にたいなんて一度も思ったこと無いよ」と同級生に真顔で言われて愕然とした記憶がある。
それでも、その人がたまたま幸運な人なんだろうなと思ったくらいだった。


常に自己嫌悪に苦しんでた自分はある日閃きまして、自己嫌悪の原因を無くせばいいんじゃね?
という安直な考えに行き着きました。
とりあえず、勉強をしようと思いました。
当時高校生で、今更他の人と並んで勉強するのは無理だと思ったので資格試験をとることにしました。
それだったら良い高校に行ってる人とスタート位置は同じだ、と漠然と考えたんだと思います。
無理じゃないレベルで自分ができそうなもの。

ということで、漢字検定3級と危険物丙種と簿記3級とワープロ2級の勉強を平行してスタート。
漢字検定は6、7級辺りから勉強して、簿記は授業取ってなかったから先生に相談して、参考書貰って1ページ目から最後までやって、簿記の授業取ってる人達の勉強会に混ぜてもらってた。
ワープロ検定はたまにやって、危険物は寝る前20分だけ。
2ヶ月で全部取りました。

どれもちんけな資格ですが、当時の自分としては起きてる間ずっと勉強してた気がします。
それでコンプレックスが無くなるとなかば本気で思っていたので、全く苦を感じなかった。
むしろ毎日が清清しいとすら思った。
そう思ったというのは、実は間違いだったんだけど。
コンプレックスが一周した躁状態。
その資格試験を取るまでの2ヶ月間の間に美術の県展に出させてもらってて、ワープロ大会にも参加さしてもらってた。



躁状態で走り続けて、目標はほぼ終わりかかってて、あと1週間で全部終わる頃。
ワープロ大会とワープロ検定だけ残ってる時。
ぶっちゃけワープロ検定なんかPC触ってる人間からしたら「これ取る意味あるの?」ってレベルで勉強するもなにもないし、落ちる訳もない。
ワープロ大会は学校で3人選ばれた人が泊まりで行くんだけど、一応やってるイベント程度で特訓があるわけじゃない。


そんなワープロ大会の直前に、具体的な病気になった。
常に尿意を感じるという地味な病気になった瞬間、今でも覚えてる。
あら?あら?
って感じ。
尿は漏れないんだけど、なんか尿が出そうな感じが永遠と続く。
授業の間は生き地獄でした。
軽いパニック状態がずっと続く。

とてもじゃないけど日常生活おくれねーだろ、と思い、それで病院に行くことになりました。

病院に行って尿漏れを抑える薬を貰ったんですが、喉が渇くだけで全く意味なし。
当時ネット環境がなかったので、急いで本を読みまくって自分の状況を確認して、親に相談しようとチラっと言ってみたら、理解してないにも程があったので、学校サボって1人でデカイ病院に行ってきた。


初めて病院に行った時「抗欝薬がほしい」って言いました。
病院って診察してもらって、処方箋をもらいます。
それを持ってお薬屋さんで薬をもらいます。

そこで自分のもらった薬が安定剤のみだと知って、かなり苛立った記憶がある。

次の日、また同じ病院の同じ先生に「抗欝薬がほしい」って言ってもらってきた。
それが病院通いの始まりです。
高校2年か3年か、覚えてないけど、そんくらいの時だったと思う。
田舎なんで電車乗って病院に行って学校行くと授業半分終わってる。
なつかしい。






良いお友達にはもともと恵まれていたのですが、もっと良いお友達とも巡り会えて、高校生ながら週1ペースで飲み会に誘ってもらってました。







もう寝る時間になったのでまとめる。
病気になるならないって、ほんとたまたまだったと思う。
自分は尿意を常に感じる病気になった。
心因性頻尿という奴。
それで不登校になる人も多いみたい。
俺は家にいたくなかったので、地獄だけどそれでも学校行ってた。
それで良かったと思ってます。

病気になるっていうのは体や精神からくるサインらしいです。
その時に人は学ぶらしいです。
後遺症的な症状は未だに自分を戒めるし、未だに薬無しじゃ生活できないし、同じストレスを繰りかえしちゃっててお前本当に何か学んだのかと思うこともあるけれど。
高校生の時になった病気はベストタイミングだったと思う。



何文字だ?