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あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

平和な国で在り続けること

2015-08-16 21:30:51 | 日記
今日は、高校野球のベスト8が出そろい、準決勝に向けての戦いが繰り広げられました。
宮城の代表校の仙台育英は、同じ東北の秋田商業を破り、早稲田実業と対戦することになりました。
ベスト16に勝ち残った 東北勢の花巻東、秋田商業との戦いを制したことは、悲願の優勝旗を東北に
もたらす役割を両校から託されたという意味合いもあるのでしょう。
スポーツマンシップにのっとり、甲子園のグランドいっぱいに全力プレーで戦う姿に、勝敗を超えた
ところにある 純粋でひたむきな思いを感じ、熱い感動を覚えます。
平和であるからこそ、味わえる感動でもあります。
100年の歴史を刻んだ高校野球。
先の戦争で休止の時期もあり、甲子園でのプレーを夢見ながら戦地で亡くなった球児もたくさんおら
れたことでしょう。

戦後70年の節目の時を迎え、改めて戦争のない平和な時が続くことを、世界中から戦火が消えること
を心から願います。

広島・長崎の惨禍を二度と繰り返すことがないよう、すべての核兵器のこの地上からの廃絶を願います。

戦争への道を開く安保法案は不要です。

首相談話が、戦争による加害責任を認め アジアの国々で犠牲になった人々に心から謝罪し、二度と戦争
を起こさないという不戦の誓いを明言する内容であったら、悪化する中国や韓国との関係も好転する契機
となったかもしれません。
少なくとも、歴史に謙虚に向き合うことを明言した以上、その建前が実際の行動と結びつくものとしなけ
れば、言葉だけの談話と受け止められてしまうのではないでしょうか。

15日には安倍内閣の閣僚が靖国神社に参拝し、首相本人も玉ぐし料を捧げたとのこと。
こういった行為を繰り返す限り 戦争犯罪人を擁護する 加害責任を認めない歴史修正主義者としての見
方は変わらないのではないかと思います。

侵略や植民地化という加害責任を認めない限り、被害国の人々の苦痛を汲み取ることはできないでしょう。

私は、そこに永続敗戦論の著者が指摘した 過去の戦争の総括と反省が置き去りにされた歴史観を見るよう
な気がしてなりません。
ドイツは、戦争の加害責任を認め、戦争犯罪人を厳しく追究し、過去の戦争に対する反省とお詫びを行動で
示すことで、被害国からその誠意を認められる国になりました。

果たして日本はどうでしょうか。村山談話に至るまでの戦後の過程で、アジアの被害国に対して反省やお詫
びが行動で示されたことがあったのでしょうか。補償金とは別個に、戦争責任を認めた誠意ある言動が政治
家によってなされたのでしょうか。

謝罪の負担を未来の世代に生きる子どもたちに残していけないのだと考えるなら、戦争による加害責任を認
め、心からの謝罪がすべての被害国に受け入れられる言葉が、談話の中に盛り込まれるべきだったのではな
いでしょうか。
その決意に基づく、これからの行動を語るべきだったのではないでしょうか。

今回の談話は、外向きではなく内向きに考えられた内容でもあったように感じます。

安保法案に対する国民の反発意識を考慮し、日本のこれからの歩みは、戦争のない平和な世界を求めての歩
みであることを強調しているような印象があります。安保法案の先には戦争ではなく平和があるのだという
ことを間接的に主張しているように感じてしまいます。
それは裏を返すならば、法案の先に戦争への道を憂慮する国民の思いを感じているということでもあるのか
もしれません。

先の原発事故では、誰も加害責任は問われず、事故に対する反省も教訓も見えない形で、原発の再稼働が始
まりました。
戦後の出発もある意味で同様だったのではないでしょうか。
戦争責任をあいまいにし、加害責任から目をそむけようとする姿勢に、同じ過ちを繰り返しているような気
がします。それでも、戦後の平和が守られてきたのは、不戦の誓いを基にした平和憲法があったからなのだ
と思います。

まさに 二度と戦争を起こしてはならないという痛切な思いが憲法の前文に込められており、戦争を放棄する
9条の下での平和国家としての戦後の歩みだったのではないかと思います。
戦後の道しるべとなった憲法の理念が、政治家の横暴に歯止めをかける役目を果たしてきたのだと考えます。

戦後70年という節目の時を迎えた年だからこそ、この八月は平和の意味や大切さを深く考え、改めてその尊さ
を実感しながら、揺るぎない平和国家としての歩みを支える国民の一人でありたいと思います。