梅雨の再来のような天候が続いていましたが,また太陽がガンガン照り付ける夏がもどってきました。青空を背景に,入道雲までその存在を誇示するように空の一角を占めています。セミの鳴き声まで,『ナツダ ナツダ』とにぎやかに告げているようです。庭のサルスベリが鮮やかなピンクの花を咲かせ,風に揺れています。夏の高校野球も始まりました。仙台の七夕祭りも今日が初日です。あの震災からあと少しで5ケ月目を迎えます。
いつもと同じような夏らしい夏がもどってきましたが,何かがこれまでと違って見えます。震災で失われたものが,余りにもたくさんありすぎたせいでしょうか。
広島では,今日で被爆66年を迎えました。新聞では,広島を訪れたアメリカの青年のことが紹介されていました。
アリ・ビーザーさん(23歳)の祖父は,広島と長崎に原爆を落とした両方の投下機のレーダー技師でした。この祖父の存在を通して,アリさんは,原爆の使用について二つの視点から考えるようになりました。
一つは,生前の祖父がアメリカのテレビ番組で語っていた,原爆を投下しなければ戦争はさらに長引き,もっと多くの日本人と米兵の命が失われたとする,原爆投下を正当化する視点です。もう一つは,小学校6年のときに知った視点です。歴史の授業で,2歳のときに被爆し,白血病の回復を祈り,鶴を折り続けて12歳で亡くなった 佐々木禎子さんのことを知り,衝撃を受けました。大学では,日本語を学びながら被爆者の手記を読みました。<原爆投下が正しかったのかどうかは,ぼくらの世代で判断できるのか><人間を殺すのが正しいなんてあり得るのか>原爆投下の正当性を疑う視点を持つようになったのです。原爆投下を正当化していた祖父が,生前『原爆の使用は,最も異様な非人道的行為だった』とメディアに語っていたことも思い出しました。
アリさんは,5日に被爆体験者の証言を聞いて心が動かされます。そして『原爆を使うような状況は二度とあってはならない』と,被爆地に立って確信したそうです。
兵器としての原爆と平和利用としての原発。使用目的は異なっていても,人間の命や健康を脅かす存在である点では,同じように感じます。福島での事故が,何よりの教訓なのではないでしょうか。科学力を過信過ぎるが故に,安全性より経済的発展を重視したが故に,原発への安全神話が生まれました。今回の事故で,人間の手では放射能の制御ができない状況になることがわかりました。
人間は,もっと自然に対して謙虚であるべきなのではないでしょうか。太陽が与え(太陽光発電),海が与え(潮力発電,海水の温度差を活用した発電),風が与え(風力発電),火山が与えてくれるエネルギー(地熱発電)を尊び,生かす道を探るべきなのではないかと考えます。
被爆国:日本であるからこそ,放射能の威力と放射線の被害を否定する道を世界に示しながら,未来に向かって歩むべきなのではないかと考えます。
これまでとは異なる夏を迎えた今だからこそ,未来についてみんなで考えていきたいものです。