平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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NO7 続 平和の特集

2016年08月10日 | Weblog

7 戦争の悲惨
 壮年 (当時 青年 南方へ戦争へ行く)
 壮年 米がない、ご飯がないんだよ。

 聞き手 御飯ないことは、戦が出来ないですね。腹がへって出来ないですね。

 壮年 ご飯がない。ひどいものだった。
                
 解説 現在 映画など戦争はかっこいいと思っている青年もいるが、実際は悲しみの日々ですね。どうして、御飯や物質なものがなくて戦争が出来るだ。当時、日本は何もなかった。銃だってひどいもの。米軍の連発銃はすごかったが日本はぜんぜん駄目だった。物がなかったのだ。命令の違反者はびんた。
 
 南方ではたくさんの日本兵が飢えで亡くなっている。道路には飢えで亡くなった人が多数いたという。
                 2007年08月26

南のインパールなどは多数の死者が出た。武器がない、食料がない、薬品がない、ないない、で、マラリヤ病などがある。ひどいものだった。何しろ、終戦ちかくは、国内でも、ベニヤで魚雷艇をつくり、若者を乗務員にし敵の艦艇に特攻隊であった。何にしろ、貧乏でないもないのであるから。