平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

トップページに平和の歌が投稿

     核兵器廃絶へ

2020年08月08日 | Weblog

長崎 1945年8月9日 原爆投下7万人死亡

 

2019年10月24日

広島原爆の体験談

   岡田女史(81歳)

 1945年(昭和20年)8月6日の朝、アメリカのB29が広島に襲いかかつた。私は、爆風に飛ばされた背中に熱さと痛みが。服は焼けたが、やけどは負わなかった。隣のおばちゃんと逃げた。道すがら目にした光景は、地獄絵図そのものだった。皮膚がぼろ切れのようにぶらさがっている人。おんぶしている赤ちゃんの首がなくなっているのに気が付かない女の人。次ぐ次と川に飛び込み、力尽きて流されていく人たち、原爆の熱線で、あめのように曲がりくねった線路を伝い、死体を超えて、ようやくおばちゃんの家にたどり着いた。

 

解説 

岡田女史の父は、原爆投下直後から被災者のために物質を配って歩いたがのち被災でなくなっている。妹も被災で亡くなった。しかし、原爆の威力は恐ろしい。赤ちゃんや川で亡くなった人、皮膚をぼろきれのような恐怖にさせてしまう武器である。この恐ろしい原爆の体験談を小学校などで話すなど平和の活動をなされている岡田女史である。 (2019年10月24日 S新聞から)

 

 

2020年8月6日

グテレス国連事務総長

核兵器が意図的、偶然的あるいは誤算によって使用される可能性は危険なほど高まっている。核保有国間の関係は危険で不安定な対立に向かっている。

 幸い、国連加盟国の大半は核兵器なき世界という目標になお専心している。123もの国が核兵器禁止条約の採択を支持したことでも明らかだ。

                                                             (Y新聞)