平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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NO4 核問題

2020年08月05日 | Weblog

 NO4  核問題

戦争の悲惨
 壮年 (南方へ戦争へ行く)
 壮年 米がない、ご飯がないんだよ。

 聞き手 御飯ないことは、戦が出来ないですね。腹がへって出来ないですね。

 壮年 ご飯がない。ひどいものだった。
                
 解説 現在 映画など戦争はかっこいいと思っている青年もいるが、実際は悲しみの日々ですね。どうして、御飯や物質なものがなくて戦争が出来るだ。当時、日本は何もなかった。銃だってひどいもの。米軍の連発銃はすごかったが日本はぜんぜん駄目だった。物がなかったのだ。命令の違反者はびんた。
 
 南方ではたくさんの日本兵が飢えで亡くなっている。道路には飢えで亡くなった人が多数いたい
               2007年08月26

8 警告
 東北大震災で福島原子発電所が大きな被害を出したが、その以前の2006年に放射線物質放出問題があった。その時、当新聞は警告をしているのである。

 戦争の悲劇

壮年 (当時 青年) 戦争で足に破片が13か所、薬は底をつき、麻酔なしの手術する。4か所は戦後も入ったまま。

負傷者は、続々と運び込まれた病院の中にわには、マキがくみ上げられていく、そのうえには、手術で切断された手や足が燃やす。山のように積まれた。

解説 彼はビルマに行った。ビルマ方面は16万人の日本兵士がなくなっている。戦争は怖い、青年を平気で殺す。夢も希望もある青年を平気で戦争の犠牲者にする。二度と戦争はしないことである。

 

9福島原子力発電問題       2006年08月13日 |
 8月8日に福島で放射線物質放出された。人体に影響がないということである。原子力発電の事故での大きな被害は、チェルノブイリであらわした。この事故の原因のひとつは慢心から起きた。この事故で若い人、幼年も多大になくなった。又、今でも被害者の20代、30代の人でもいつ発病するかと不安状態。日本にはエネルギーの資源がない故に原子力発電と考える。故に、使用には厳重に注意を。


続 2014年8月
今、エネルギーで原子力発電所問題がある。しかし、くれぐれもそれを使用するならば、危険性を知るべきである。広島、長崎はもちろん外国での事故問題もである。いかに、原子力パワーが怖いか。福島事故もしっかり学ぶべきである。そして、一人の生命が大事でその命はお金で買えない価値があることも心得るべきである。

 

 核なき世界へ初決議
国連安保理  全会一致   (A)9月25日

解説
 核の保有国の米露英仏中の5カ国の指導者が”核兵器のない世界を目指す決議を採択した。これは保有国の指導者が決議したのだから大きな価値がある。核の兵器を使用すれば大きな被害がでる。故に、その保有国が将来には核兵器をなくしていこうという目標をしたのだから、世界の平和への道に大きな前進でしたのである。故に、以後は、保有していない国からの信頼を得るためにも、核の保有国は、核の削減交渉をすべきであろう。また、国の思惑、不安、不透明などから、核兵器保持を望む国に、話し合いによって理解をさせていくべきである

   核兵器廃棄提言 

 池田SJI会長は9月8日に(核兵器廃絶へ、民衆の大連隊を)と題する核兵器廃絶提言をした。(聖教 9月8日) この提言は新聞6ページにわたり民衆の連帯の大切さ、また、保持国の首脳人に対して核廃絶の方途などさまざまな角度から捉えて書かれている。

解説
 SJIインタナショナル創価学会は、世界198カ国に流布している。そのリーダーである池田会長の平和への提言は大きな影響を与える。
 今、世界は。核兵器の膨開発に必死な国もある。また、反対に、米国のオバマ政権の如く削減などの道を示す国もある。しかし、各国の緊張関係を考えると削減実施には遠くなるだろう。しかし、廃絶提言は的をうち核兵器廃絶の方向性を具体的に示している。闇の中灯りである。核が使用された場合多大な被害がある。広島型でも大きかった。現在では計り知れない大きな被害があるだけに 

                           (2015年編集)

 

OPNION 2015年(平成27年)8月 

 

 8月は終戦記念日である。8月6日は広島、8月9日は長崎に原爆が落とされ一度の原爆で20万人とも言われる人が亡くなった。多大の人が後遺症に苦しみ、また、亡くなった。第二次大戦時は原爆の開発は、日本、ドイツ、米国、イギリスなどで行われていたのであった。冷戦時は、米国、ロシア、フランセなど2,000回の原爆実験が行われていた。現在の原爆の威力というと80倍はあるとも言われ、広島型の6000倍の核爆弾が存在する。

日本は、原爆の被害国で大きな被害を受けた。戦争しない、核兵器を持たない、世界でのボランティア活動を目的とした平和軍を創立したらと思うのである。仏典には、馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)が、白馬を呼び王に力を与え国の平和に貢献した。また、仏典には、菩薩が、鳩を助けた喩を通じ、畜生さえ助けた、まして人間の生命はそれ以上に尊いのであるとの意である。故に、平和のためのさまざまな企画をだしてもいいのではないだろうか。


 

10-3 国連で核廃止協議  2013年

 国連で核兵器禁止協議 各国足並み乱れ(2016年8月17日)

核兵器廃止を目指す国連の作業部会に100カ国以上が参加した。しかし、各国の意見が異なりまとまらず。

解説、核兵器の恐ろしさを各国は認識している。故に、参加国が多数であった。しかし、国の風土、宗教なども違うので意見も会わないのだろう。長い時間をかけて解決してもらいたい。

10-4 高校生が国連で核の廃絶を訴える

女子高校生(日本)が2018年8月16日に国連、軍縮会議で核兵器のない世界の実現を英語で訴えた。一行の高校生22人が国連軍縮会議で平和の大切さを訴えた。(以上 M新聞2016年8月17日)

解説、若い人でも真剣に平和を考えている。戦争体験者の話かたも大いに参考になったとおもう。故に、大人たちの平和な取り組みは大切である。若い人は大人の姿を見ている。まして、政治家はきちんとやらなで汚職などをしていると、若い人の返しがあるだろう。

11 核廃絶へ

戦争はなぜ起きたか

戦争はなぜおきたか、戦争で子供、女史等が泣いてしまう。米もない、おかずもないないないである。若い兵隊は、だまされて、いやいや、マスコミの戦争のあおりで兵隊は美談となし、日本列島は参勇士を宣伝した。これに青年は憧れた。満々とだまし、いや、宣伝にのった。ムリもない。マスコミの英雄扱い。
 戦争に行った青年は悲劇だ、なにもないのだから、あああ、あった、びんたが。上官のびんた。ひどいものだよ。特攻隊は帰りの燃料は入れない。特攻の青年は可愛そうだ。
 だまされるな。戦争は悲劇、核兵器は大量殺人武器、廃絶すべきである。核兵器は廃絶すべきである
                         2010年8月

NO3 核問題

  婦人(当時学生)

午前8時 一舜の閃光(せんこう)直後爆風  外に出た時、広島は地獄に変わっていた。 真っ黒に焦げた顔。赤くただれた皮膚、ボロボロになった服を着た血だらけの人たち、病院に押し寄せてきた。階段や玄関まで負傷者があふれていた。(助けて下さい)(子供がーーー)。   毎夜のように、病院の広場で遺体が焼かれた。絶えない炎と人間の臭い。(2016年8月七日S)


    

   NO2 核問題

戦争の悲惨


証言 壮年
 外国の敵は女性を狙った。胸を調べる。うちの姉はさらしまいて逃げたよ。

 婦人は漁船で逃げた。多くの乗客がいた。子供も、だが、敵は密告船がいないか、サーチライトで調べる。その漁船に赤ん坊が泣いた、男性の乗客は言った。黙らせろ。敵に見つかる。母は赤ん坊の口をふさいだ。男性は見つかる、早くだませろと。そして、母は、赤ん坊の口をふさぐ。赤ん坊は二度と息を返さなかった。

 その漁船に、サメの大群が押し寄せた。船長は、サメの恐さを知っている。餌をあげなければ大変な眼にあうと。

 証言 壮年
 サメ恐いよ、歯がすごいよ。奴らも必死だ、大群では小さな船をひっくり返すことも出来るだろう。

 漁船の船長は、小さな子供を、病人を投げた。海に投げた。私は(助けて)の声を耳にふさぐことしか出来なかった。

 この婦人はこの悲劇を言うのがいやだった。胸に秘めていた。この恐ろしい話をするのがとても恐かった。しかし、信仰して、使命を知った。未来の人達のために証言をしなければいけないと。平和のためにもと。そして、講演をされている。

 解説
 日本は中国に侵略した。そして、現住民との間でトラブルを起こし兵舎を構えた。なにしろ、何もないのだ、兵隊は、御飯も少ないのだ。上官の命令なんか聞いていたら大変だとばかり、現地で民家を襲った。武力でだからたちが悪い。故に、終戦なったら、日本が負けたと聞いたら現地人の人はここぞとばかり立ち上がって仕返しだ。
 日本の外地の庶民は大変である。そんな思いもよらないから。来た時には甘い言葉で軍の甘い話で来たのだから。日本は強いぞ、勝った、侵略ではない、正義の戦争だ、強い者の領地だ、土地は強い者のものとばかり侵略していった。ひどいものである。 前記の婦人は運がよかった。日本に帰ってきたのだから、そして、言いたくない証言をマスコミにしてくれたのは、平和のためにも貴重であった。何分、今の世の中、戦争映画などで戦争が美化されている。実態は悲劇なのである。戦争は無残なものである。子供を、病人を海に投げてしまうのを平気でやるのである。ひどいものである。
                                                   2009年8月作

婦人 (中国で終戦を迎える)

 ラジオで終戦を告げたとき、現地の人が暴動起こした。日本人は逃げるのにいっぱいだった。私は両親の手配した漁船で逃げた。逃げなければ殺された。男の服装で頭は丸坊主だった。

 

NO1 核問題

原爆の恐さ  

広島 1945年8月 原爆広島投下

1回の投下で14万人ー20万人が死亡。



長崎 1945年8月9日 原爆投下7万人死亡