Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ハーブ

2017年09月30日 | レモンバーム

レモンバーム 23

 

 

           

                   フランチェスコ・レディ 

※フランチェスコ・レディ( Francesco Redi2/18/1626-3/1/1697、イタリアの医師。)ハエと腐肉を使った実験( Esperienze Intorno alla Generazione degl'Insetti、昆虫の世代についての実験)は自然発生説( 1668年に発表は)で有名なので肖像をご紹介しておきます。

 

☆  "メリッサ水は、キャメラインウオーターとして知られていました。レモンバームの若葉4オンス、レモン2オンス、ナツメグ1オンス、コリアンダー1オンス、コリアンダー1/2オンス、クローブ1/2オンス、シナモン、ボヘミアン・アンゼリカの根を潰して蒸留ワインの中に3日間漬す。湯煎にかけて蒸留し1ポンドのメリッサ水を得る。“ 

  Déjeanは「蒸溜器の中にブランディ5パイント、ホワイトワイン5パイント、ナツメグ1,メイス1/4、シナモン1オンス、クローブ2オンス、コリアンダー4オンス、レモンの皮12個、レモンバーム24握りを入れて蒸溜する。」と述べています。

 

この後、数人の科学者(占星術師ではない)のメリッサ水のレシピが続きます。

化学者も生まれた年が1700年代になると次第に科学的な内容になってきます。



つづく。



ハーブ

2017年09月29日 | レモンバーム

レモンバーム 22

 

            

                  Moyse Charas

                     絵の右側には蒸留装置が見えます。


モーズ・シャラス( Moyse Charas, 1619-1698, フランスの化学者、薬学者。)当時解毒剤として知られていたテリアカ※を公開で調製し、1667年にテリアカの成分を書いた著書Thériaque d'Andromachusを出版しました。

1672年に、王立植物園の監督官、アントワーヌ・ダキン ( Antoine d'Aquin ) に雇われ、植物園の化学の実験助手になります。ダキンの指示で、当時の薬剤の製法をまとめた1676年刊の『欽定薬局方と化学』(Pharmacopée royale galénique et chimique )は好評で中国語を含む多くの言語に翻訳されました。

1680年にプロテスタントの信者である疑いを受けたためフランスを逃れ、イギリスに渡り、3年ほど滞在し医学を学びます。その後スペインのマドリードで開業し、さらにその後オランダからフランスに戻り、1691年に科学アカデミーの会員に選ばれました。


           

   テリアカと書かれた薬壺 Albarello vase for theriac from Italy, 1641 Science Museum SSPL

 

※テリアカ 

シャラスの治療法はまだ中世以来の知識である錬金術に影響を受けたもので、蛇毒や蛇肉をテリアカの材料として用いました。1699年に蛇毒に関する著書、Nouvelles expériences sur la vipère, les effets de son venin, et les remèdes exquis que les artistes peuvent tirer du corps de cet animal où il étudieを発表します。イタリアの医学者、フランチェスコ・レディ※と蛇毒に関する論争を行います。レディは、蛇毒は常に有毒であると主張し、シャラスは蛇が興奮したときのみ有毒であると主張しました。1700年代にかけてのテリアカの中にはアヘンを入れていたようで初期のものとは性質が異なります。

テリアカについては http://www.geocities.co.jp/Technopolis/1566/zuisou_16.html を参考にしてください。詳しく述べられています。

 

 

つづく

 

 


ハーブ

2017年09月28日 | レモンバーム

レモンバーム 21

             

          17世紀頃の蒸留装置の一つ。

 

★ 1676年、ガレノス( Aelius Galenus or Claudius GalenusSeptember 129 AD – c.200/c.216), 又は Galen Galen of Pergamon )とモーズ・シャラス( Moyse Charas 1619 - 1698年)が王室薬局方の中で、「レモンバームの蒸留抽出法」及び、抽出したメリッサオイルをナツメグオイル又は香りのよいルートオイルと混ぜて使う方法について述べています。『若い、柔らかい、多汁のレモンバームを刈り取り、葉と種を潰して大きな銅製の窯に入れて蒸留します。』

 

【 窯は図の ( B )を指します。刻んだレモンバームと水を入れます。加熱された水蒸気はレモンバームの成分を溶かしこんで C, G, H を通り、少し冷やされて樽(M)の中に溜まります。揮発性のいわゆるエッセンスは、この装置では少し不十分ですが、( I )に溜まります。水溶性蒸留物とその中に溶け込んだオイルは ( L ) の中に出てきます。オイルは水の上に浮かんでいますのでそれを掬い取れば、レモンバームオイルが手に入ります。 】 

 

ガレノスは上にあるように古代ローマ帝国のギリシアの医学者です。『古代に集大成された医学が1500年以上ルネサンスまでヨーロッパ医学の根幹をなした。』 とはよく言われるのですが、ルネサンスとはいつまでを指すのか漠然としています。しかし上の局方をみる限り、1680年であってもガレノスの姿ははっきりと輝いているようです。

 

有名な解毒剤を考案したモーズ・シャラスについては次回に。

 

 


ハーブ

2017年09月27日 | レモンバーム

レモンバーム 20

https://fr.wikipedia.org/wiki/Eau_de_m%C3%A9lisse_des_Carmes_Boyer から

 

パリに保管されている古文書、1732,1748,1758年によれば1786年のドイツ薬局方 ( Wirtemberg Pharmacopoeia ) にあるようにどこの国においてもカルメル水が秘密の薬というわけではありませんでした。パリのカーメライト兄弟は1775,1781年にレモンバームウオーターを一年に20,000リーブル以上を売り上げます。又、月に3,000リーブル、一年に36,000リーブル以上を売ったという情報もあります。

 

カルメル水はこの後、様々なレシピが登場します。どのレシピも”元のレシピ”ではありません。なぜなら”元のレシピ”がどのようなものであったかを知る者はいないからです。

 

いくつかのレシピ(★)を取り上げておきました。

 

★ ニコラス・ルーフェブレ( Nicolas Le Fèvre1615 – 1669 フランス化学者、錬金術師 ) は、1651年に発酵した蜂蜜を使ったメリッサのミード酒のレシピを考え出しました;

メリッサを刻んで、モルタルで潰す。ボイルした時、粘度が出るまで蜂蜜を加える。・・・・(いくつかの段階を経て)すべてのメリッサが瓶の底に沈むまで発酵させる。

 

(レシピの詳細は分かりませんが、擦り潰したレモンバームの中に蜂蜜を入れて発酵させるのでしょう。うまく発酵してくれれば良いのですが、一か八かのミード酒作りです)

      

             ニコラス・ルーフェブレ



つづく。


 

 


ハーブ

2017年09月26日 | レモンバーム

レモンバーム 19

レモンバームのお話もそろそろ終わりなのですが、ここらで、一杯「実際のレモンバームウオーター」を飲んでみたくなりました。最後まで調べてないので、もっといい方法があるかもしれませんが。理論はちょっと置いて、の気持ちが優先してしまいました。

下は、ホワイトワインの中にレモンバームの葉を入れたものです。レモンバームを入れてから5-6時間すると香と味が抽出されるようです。下の小さい容れ物で3回飲んでしっかり確認しました。本当は花と葉を入れるとよかったのでしょうが、種が出来た後に出てきた新芽を入れました。( 冷やして飲むとおいしいですよ。)

       

 

      

レシピをいくつか見るとコリアンダーの実とアンゼリカの根を一緒に入れるようですが、ご覧の通りです。一口飲むと効果バッチリ、「頭脳明晰、鼓腸も取れ、関節の痛みも消えて、肌はすべすべ、うつ状態はとれて、血圧は降下・・・・・・レモンバームの効能を全て挙げてしまいました。」言うことなしの状態です。アルコールも入ってすこしハイになったようです。


 

幸運なことに、納得の出来るしかも効果のある救済策が新たに提案されます。それは、ヴォージラール通りにある跣足カルメル会のカルメル水を使うというものでした。飲むと宮廷の女性達の発作が治まりました。ルイXIVは提出されていた請願に対して、17098月ヴェルサイユ宮殿にて製造と販売の認可を与えたのです。 

この水は非常にたくさん生産されるようになり、2/15/1773年と1/9/1776年の二度にわたり、僧侶たちは王から特許を得ようとします。三回目の請願にのぞんだ時、薬剤師達が反対していたことに気づきます。薬科大学に跣足カルメル会が年に12,130ポンドを支払うことで決着が図られました。 

ヴォージラール通りにあるカルメル教会はフランス全土及び外国にあるカルメル教会の中心となりました。ボルドーに二カ所、ここでは製造もおこなっていました。Philibert de Nerestang 8人の僧侶が住める住居と土地をリヨンの跣足カルメル教修道院に寄付をします。そこではカルメル水を作るためのMelanesian waterが作られるようになります。革命の後、製造方法の独占を訴えたセッレ ( Serre、イタリア共和国カンパニア州サレルノ県 ) 兄弟が聖バーソロミュー教会(イタリアローマのSan Bartolomeo

all'Isola又はブルゲーリオのSaint Bartholomew, Brugherioを指すと思われる)の階段の一角に居を構えました。その場所は今も占拠されたままになっています。

 

 

つづく。


 


ハーブ

2017年09月25日 | レモンバーム

レモンバーム 18

 

       

     ガイ・クレセント・ファゴン Guy-Crescent Fagon 5/11/1638-3/11/1718 )

ジェラール・エデリンク ( Gérard Edelinck , 1640 – 4/2/1707 、銅板版画家 ) , イアサント・リゴー ( Hyacinthe Rigaud 画)。 

王様おつきの医師で植物学者であるガイ・クレセント・ファゴンが呼ばれました。彼は住居としている部屋を擦る※ように処方します。合理的で効果のある方法であると言うのですが、夫人達は乗り気ではありません。ルイ王がおっしゃっているので、従わなければならないのですが・・・・・。

 

※これは類感呪術です。ケネルン・ディグビィ( Kenelm digby1603/7/11—1665/6/11 )の時代の考えがまだ存在しています。(詳しくはカテゴリー内の「ヴァイパー(毒蛇)ワイン」をご覧ください)


彼もまた、錬金術師です。錬金術師は一方では近代化学の扉を開いた優れた人達ですが、一方では古い中世の ” 神を中心とした世界に閉じこもった---わずかに開いた蓑虫の巣穴から外の様子を覗いている人達 ” でもありました。

時に時代を進展させる推進力となり、時に時代を逆行させる炎を吐き出しながら、時間という乗り物に乗った人間は前へ進もうともがいているのです。壁を擦るように勧めた彼を決して非難するつもりはありません。


つづく。



ハーブ

2017年09月24日 | レモンバーム

レモンバーム 17

コリアンダーが大きくなるまで?( 上手く大きくなるといいのですが )レモンバームのお話に戻ります。

 

ヴェルサイユ宮殿とマルリー城が出てきましたので、少し寄り道になりますが、「世界第8の驚異」と称される建造物について少し触れておこうと思います。

マルリーの機械(Machine de Marly)はフランスに存在した巨大揚水装置です。1680年に着工し、1684年、揚水機自体の機構は概ね完成し。1688年には水道橋も含む全体が竣工しました。その巨大さや複雑な機構が精緻な木造構築物として顕れた「機械」は「世界第 8 の驚異」と称されました。

   

 マルリー城の揚水装置;  Vue de la Machine de Marly , 1723 ピア・デニス・マーティン Pierre-Denis Martin,  ( 1663 – 1742 ) 画。1789 年のフランス革命により城は破壊され今は庭だけが残っています。 

セーヌ川左岸、パリから少し下流の地点に直径11.69mの水車14輪と200のポンプ群からなる装置で水を汲み上げ、高さ154mのマルリーの丘まで運び、そこから8kmの水道橋によってマルリー城やヴェルサイユ宮殿まで水を引いていました。

   

 マルリーの水道橋, アルフレッド・シスレー (  Alfred Sisle、10/30/1839-1/29/1899 ) 画

 

 

つづく。

 


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2017年09月23日 | コリアンダー

コリアンダー 7

モード・グリーブからの引用をつづけます。

成分;実には1%の揮発油が含まれている。薄い黄色又は無色でコリアンダーの臭いがする。5%の灰分、リンゴ酸、タンニン、脂肪分が含まれる。

英国産は香りがよく、ロシア、ドイツは油分に富む。オハイオのモガドール産は大きくて光っているが油分が少ない。ボンベイ産(下)は大きくて楕円形で油分が少ない。

         

     https://dir.indiamart.com/mumbai/coriander-seed.html から

     ボンベイ産コリアンダー

 

医用;刺激剤、アロマ,駆風に使う。粉末の果実、流エキス、オイルを強い下剤傾向を弱めるめに、激しい腹痛を和らげるために使います。薬局方では糖菓、シロップ、センナのチンキ剤、ルバーブシロップに、アンジェリカ、ゲンティアナ、ヤラッパ、カシア、ラベンダーと一緒に使う。

センナの緩和薬として使うと他のアロマよりも香りがよくなる。

コリアンダーウオーターは鼓腸の駆風剤として重宝されています。

処方;

実の粉末:実10-60粒。

流エキス:5-30滴。

B.P. 1/2 to 3 滴。

 

コリアンダーはセリ科コエンドロ属に属し以下の種類があります。

 

Coriandrum didymum

Coriandrum diversifolium

Coriandrum globosum

Coriandrum latifolium

Coriandrum majus

Coriandrum melphitense

Coriandrum radians

Coriandrum sativum — コリアンダー

Coriandrum seselifolium

Coriandrum setifolium

Coriandrum testiculatum

Coriandrum tordylium


つづく。


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2017年09月22日 | コリアンダー

コリアンダー 6

※ セイント・アントニィズ・ファイアーとは、皮膚の水泡、焼かれるような痛み、四肢の壊死などの症状が現れる病気に対して9世紀につけられた名前です。ライ麦パンの原料のライ麦にしばしば寄生する糸状菌(エンドファイト;endophyte)が作り出す麦角アルカロイドによる中毒は、ヨーロッパ中世ではしばしば蔓延しました。足や手の血管が収縮して血液の循環が悪くなり、赤く脹れたり痛んだりした後、重症になると壊疽を起こして炭のように黒くなって崩れ落ちます。妊婦は死産し、脳神経系に作用すると幻覚や痙攣などが現れます。人々はその症状から「聖アントニウスの火に焼かれる病」と呼びました。聖アントニウス会の修道士が麦角中毒の治療術に優れるとされたことから、ヨーロッパで麦角中毒は「聖アントニウスの火」 (St. Anthony's fire) とも呼ばれてきました。これは聖アントニウス※に祈ると治癒できると信じられてきたからです。

ブリューゲル(1525-1569)の謝肉祭と四旬節の喧嘩“の画面を4つに割った、右下の画面中央には麦角中毒で手足を失った人物が、その傍らには、病の原因となったであろうライ麦パンが描かれています。施しを受けているにもかかわらずその人物は虚ろで不安に満ちた形相をし、幻覚を見ているようです。

     

      謝肉祭と四旬節の喧嘩 Pieter Bruegel the Elder 1559

画面中央の少し下の左側に、でっぷりと肥えたビール腹の男がビールの樽の上に乗って串に刺して肉を掲げ、これから始まるレント(四旬節)を代表するやせ細ったサンマに似た魚を板の上にのせた男と対峙している。引き車の上にはライ麦パンとプレッツェルがのっている。食料の少ない寒く厳しい冬に向けての季節がこれから始まります。


       

   St. Anthony of Padua、エル・グレコ( El Greco ; 1541 – 1614 ) 画


※ 聖アントニウス

聖パドヴァのアントニオ( Sant'Antonio di Padova1119-6/13/1231 )、カトリック教会で、失せ物、結婚、縁結び、花嫁、不妊症に悩む人々、愛、老人、動物の聖人。



つづく。



ハーブ

2017年09月21日 | コリアンダー

コリアンダー 5

カヤツリグサの根塊はリン、カルシウム、ビタミンECに富み、ナッツはジャガイモ、サツマイモの二倍のでんぷんを含んでいます。根塊の油の中には飽和脂肪酸であるパルミチン酸、ステアリン酸が18%、不飽和脂肪酸であるオレイン酸、リノール酸が82%含まれています。

フィトステロール(コレステロールは摂取量の40%以上が小腸から吸収されるのに対し、植物ステロールは吸収率が5%以下でありコレステロール吸収を阻害する。食品の成分や添加物として、フィトステロールはコレステロールを減少させ、腸でのコレステロール吸収を抑える作用を持つとされ、また、がんの予防に効果がある可能性があるとされる。)が多く含まれるタイガーナッツオイルは栄養的に優れた食べ物です。

 

モード・グリーブからの引用をつづけます。

         

          聖アントニィズ・ファイアー

 

『ヨーロッパの北の国では、種はパンに入れて使ったりするが、主にはリキュールに入れて香り付けに使う。エセックスではその目的でたくさん栽培している。ジンの蒸溜業者、牛や馬の外科手術でこれを使う。栄養上の又は医学的には話題になるのはコリアンダーの実の部分だけである。お菓子には、子供用に種で丸いピンクや白い色のコンフィットを作る。英国の薬事では忌避薬以外に使うことはない。

ウィリアム・ターナー( William Turner1508-7/12/1568 イングランド王国の牧師、宗教改革者、医者、博物学者 )1551年に、第1A New Herball : 新本草書を発表し、1562年に第2部、1568年に第3部が出ました。第1部でターナーはコリアンダーはパンや大麦の中に入れて食べると、セイント・アントニィズ・ファイアー※(Saynt Antonyes fyre;皮膚の炎症や壊死を生じる疾患の総称、麦角、丹毒など)に効果がある。 コリアンダーを使ったケーキは今でも時々作られています。』と述べています。

 

セイント・アントニィズ・ファイアーについては次回に。


 


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2017年09月20日 | コリアンダー

コリアンダー 4

     

        The Ebers Papyrus. Photo: Hanf Museum Berlin

 

エーベルス・パピルス (  THE PAPYRUS EBERS , 紀元前1500年頃に書かれ110ページある。古代エジプトの医学知識、約700の魔法の調合法や治療薬が記されている。ミイラの棺の中から出てきたといわれています ) の中に、コリアンダーが出ているので紹介します。内科疾患に関する治療方法の一つとして取り上げられています。 

『デイツ2、カヤツリグサの根1、コリアンダー1をビール10に入れて一晩漬す。濾して4日間服する。』( 重量の単位は不明です ) 

目を引くのは「カヤツリグサの根」です。実はこのカヤツリグサの根は、古代エジプトでは食後のデザートや大麦の飲料に甘みを加えるために用いられ、墓から塊茎が発掘されています。( 後で引用するウィリアム・ターナーも自書の ” A New Herbal “ の中で同様の利用を述べているのは、非常に興味の惹かれるところです。)

近年ではタイガーナッツ( Tiger Nuts )と呼ばれ、健康食品として注目されています。食用のカヤツリグサは( Cyperus esculentus 、別名:chufa sedge, nut grass, yellow nutsedge, tiger nut sedge, earth almond と呼ばれています。パピルスもカヤツリグサの仲間ですが食べることはありません。)

                   

   https://www.pinterest.jp/explore/cyperus-esculentus/  から 

                  


上はカヤツリグサの根塊です”ナッツ” と呼ばれているわけがよくわかります。カヤツリグサの栄養成分については次回に。



つづく。



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2017年09月19日 | コリアンダー

コリアンダー 3

ゲラルドがコリアンダーの特徴をよく捉えた表現をしているので引用しておきます。

「コリアンダーは丸い茎に枝が付いて、高さが2フィートになる特徴のあるハーブである。葉はパセリに似ているが、後になるとカラクサケマン※のように切れ込みが深くなる。しかし、葉は小さく柔らかだ。花は白く、ディルのように飾り房状に咲く。」

       

         ※カラクサケマン ( Fumaria officinalis )

 

コリアンダーの歴史的な記述と言えば、プリニウスの『コリアンダーはエジプトのものが良い。』といった文言が思い出されます。ハーブに関する書物の中で、コリアンダーの原産地について述べるとき、『エジプト』の名が引き合いに出されるのは、ここに由来しています。しかし、プリニウスよりも以前の、コリアンダーの利用方法に関する説明を記した記録が、近年発見されました。今から約3600年も前のものですが、興味が惹かれます。



つづく。



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2017年09月18日 | コリアンダー

コリアンダー 2

 

   

https://www.worldweatheronline.com/brentwood-weather-averages/essex/gb.aspx から

 

コリアンダーは東地中海原産です。エセックスの4月の最低温度は6℃、最高温度は14℃ですから、発芽する15℃には1℃足りない、少し寒い土地柄です。しかし3月も4月もほぼ同じ14℃が最高温度ですから、上のような表現になったのでしょう。

エッセクスの9年間の最高温度は25℃に達していないようですから、コリアンダーはゆっくりと生育して、しっかりと種を付けるようです。半面、年に2回は植えることができないようで、今回の目論見がうまくいけば、「しめしめ」といったところでもあります。

モード・グリーブの言う “温かく、乾燥した、軽い土壌” とはどのような土壌なのでしょう。今回は、使い古した土に枯れ葉と生ごみをビニール袋に入れて2年寝かせたものを使いました。写真を見るとボロボロとして水はけがよくて軽い土壌になっていると思うのですが。結果をお楽しみに!



つづく。


 

 


ハーブ

2017年09月17日 | コリアンダー

コリアンダー 1

 

 

最低気温が25を割ってきたので、9/4日 にコリアンダーの種を半分に分けて、水に3日間浸けておきました。4日目に芽が出て、今日 9/17 で下のように本葉が出てきました。

土の温度が25以上になるとこんなに小さくても、すぐに花が咲いて実がなって枯れてしまうので、今回は温度に気を使って植えてみました。11月までに葉が茂って食べられるようになるといいのですが。

夏に植えるのは、今年で何回目のチャレンジでしょうか。今までコリアンダーを夏に植えてうまくいったことがありません。貯えておいた実が少なくなってきたので何としても成功させたいと思っています。うまくいかなくても、コリアンダー を連載でアップしますので、栽培の参考になさってください。

モード・グリーブ ( Maud Grieve ) は “ A Modern Herbal" の中で、

「コリアンダーは温かく、乾燥した、軽い土壌を好む。エセックスのやゝ重い土壌でも育つ。穏やかな、乾燥した気候の4月に浅い溝の中に、1/2インチの深さに8—9 インチ離して種を蒔くと、種はゆっくりと芽を出す。

3月に暖かいところで種を蒔いて、5月に移植することも出来る。8月頃に実がなると、イヤな臭いがいい香りに変わる。その時、鎌で刈り取って実を収穫する。」と言っています。

  

 

つづく。

 

 

 

 


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2017年09月16日 | レモンバーム

レモンバーム 16

偽造は昨日今日生まれたのではありません。1667年には激しい非難が寄せられていました。この事件が起きたのは、ヴォージラール通りにある跣足カルメル会の品物が本物の価値を損ねるものではないかという疑いがあったからです。

修道院長フレンヌ・デ・サン・ミリュー(Abbot Frenne de Saint-Mirieu)は, 1681910日、詳細なる跣足カルメル水の成分およびそれを保証する旨を列挙した嘆願書をルイXIV世に提出しました。ルイXIV世はすぐにはこの請願に対し返答しませんでした。1709年、意外なところからカルメル水に契機が訪れます。


     

      マルリー城正面図 ( Pierre Aveline the elder, 1656–1722、版画家 ), Nicolas de Poilly

                ( 1623 –1693、版画家 )  


ヴェルサイユ宮殿(Château de Versailles1682年にフランス王ルイXIV世が建てたフランスの宮殿、ルイXIV世とその王族、臣下が共に住み、生活のすべてが絶対王政の実現のために利用され、厳しいさまざまなルール、エチケット、マナーがありました。)の北約10km、パリの北西約25kmにあるマルリー城(マルリー・ル・ロワ、Marly le Roi1676年モンモランシー家から1676年、ルイXIV世がマルリーを買い上げた)は、ヴェルサイユに比べ、ルイXIV世が一人で食事をとることもありませんでした。国王自身、招待客のなかに親しく立ちまじり、狩、散歩、野外のゲーム、トランプ、賭け、コンサート、舞踏会などが行われました。

ヴェルサイユに比べれば、エチケットはさほど厳しくなかったし、ルイXIV世が一人で食事をとるなどということもありません。国王自身、招待客のなかに親しく立ちまじり、狩、散歩、野外のゲーム、トランプ、賭け、コンサート、舞踏会などが催されたのです。しかし、住設備は、快適さには程遠いものでした。夏は焼けるように熱かったし、冬は寒さに凍えました。暖を取れば埃に息もつけず、煙にむせたのです。夫人達は窓を閉め切り、カーテンを引き、王は香水と精油を城の中で使うことを禁じました。

疲労と不眠で夫人の間に神経疾患が広がりました。1709年呼吸器疾患はますます深刻な事態となり、城での滞在が取り止めになりました。



つづく。