Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 108

2020年08月30日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

トルコ人とタタール人はまた、エジプトの一部を統治します。マムルークスルタン{スルターンが、マムルーク(奴隷身分の騎兵)を出自とする軍人と、その子孫から出たためマムルーク朝と呼びます}は、エジプトを中心に、シリア、ヒジャーズまでを支配したスンナ派のイスラム王朝(1250年 - 1517年、マムルーク朝(Dawla al-Mamālīk、を興しました。

      

ムハンマド1世(ナースィル・ムハンマド(al-Malik al-Nāṣir Nāṣir al-Dīn Muhammad b. al-Malik al-Manṣār Qalāwūn al-Alfī al-Ṣālihī, 1285/3/24 – 1346/6/7)の時代の最も広い国境。Muhammed dönemindeki en geniş sınırlar.

これらのターコモンゴルの精鋭たちは、当時中央アジアのイスラム教徒の間で支配的な文化であったターコペルシャの伝統の守護者になり、その後の数世紀、ターコペルシャの文化は、近隣の地域にターコモンゴルを征服することによってさらに引き継がれ、最終的に南アジア(インド亜大陸)、特に北インド(ムガル帝国)、中央アジア、タリム盆地(中国北西部)および西アジアの大部分(中東)の支配階級およびエリート階級の支配的な文化になります。                    

 

お約束していた、ジョン リンドリー(John Lindley )が指摘していた、R. moschataに纏わるお話を述べようと思います。彼はR. moschataとR. brunonii、R. abyssinica、R. sambucinaの類似性を取り上げました。非常に興味の湧く話題です。順にお話しして行きましょう。

GBIFではロサ アビシニア(R. abyssinica)はRosa abyssinica R.Br. ex Lindl. 一種のみの分類となっています。

Rosa abyssinicaは、ロバート・ブラウン(Robert Brown、1773/12/21 –1858/6/10、イギリスの植物学者)による記録が残っています。

ローザアビシニカは、アラビア、エチオピア、イエメン、ソマリア、スーダンで見ることが出来ます。このバラは中部と高地の通常、乾燥した高地の常緑樹林、空き地、高地の茂み、岩が多い場所、乾燥した草原、河岸で茂みを形成します。高さ0.5〜7 mの小さな木のように生えています。

 

          R. abyssinica  http://www.africanplants.senckenberg.de/root/index.php?page_id=78&id=4271

Rosa moschata J.Herrmと比べ花の大きさが一回り小さい点を除いてはほぼ同じです。

               

                                http://www.splendidarabia.com/kingdom/flowers-of-saudi-arabia/ 

Rosa abyssinicaの特徴

花       5弁、多くの雄しべを持つ

花の大きさ   3-4cm

花柄      7-10本

花の色     淡い黄色を帯びた白

香り      薔薇~クローブ

蕾       細長い萼片内に収まっている

萼片      鋸歯状ですぐに落ちる

花期      長い

ローズヒップ  赤黒く滑らかで卵形、1.5-2cm

棘       短い

葉       尖った先端、明るい緑色、卵形、

         Rosa abyssinicaの自生地 https://www.nationsonline.org/oneworld/map/north-africa-map.htm

 

 


ダマスクローズ 107

2020年08月28日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

 

  
キプチャク ハン国( Khanate of the Golden Horde)、南のうすい紫の地域がチャガタイ ハン国 1294

 

※3 チャガタイ ハン国

ターコモンゴルは、モンゴル帝国崩壊後、多くのイスラム後継国家を設立しました。

例えば、キプチャク汗国(金張汗国、the Golden Horde)、チャガタイ ハン国を継いだチィムールがあります。ターコモンゴルの王子でありチィムールの孫のバブール(1483〜1530年)は、ムガル帝国を設立しました。この帝国は、インド亜大陸のほぼすべてを統治することになります。

 

チャガタイ ハン国( Chagatai Khanate in the late 13th century.)

13世紀のチャガタイ・ハン国の支配領域

チャガタイ ハン国は、13世紀前半に興きたモンゴル帝国の創始者チンギス ハーンが次男チャガタイにアルタイ山脈方面をウルス(所領)として付与したことに始まり、1225年 - 1340まで続きます。後を継いだティムール朝(ペルシャ語: تیموریان‎、Tīmūriyān‎、ウズベク語: Temuriylar、1370 - 1507)は、現在のウズベキスタン中央部に勃興したモンゴル帝国の継承政権のひとつで、中央アジアからイランにかけての地域を支配したイスラム王朝です。最盛期の版図は、北東は東トルキスタン、南東はインダス川、北西はヴォルガ川、南西はシリア・アナトリアまで及び、かつてのモンゴル帝国の西南部地域を制覇しました。創始者のティムール(ペルシャ語: تيمور‎ Tīmūr/Taymūr,1336/4/8 – 1405/2/18、在位中の国家をティムール帝国と呼びます。)はチャガタイ ハン国の出身で、ティムール一代で大版図を実現しますが、その死後に息子たちによって帝国は分割され、15世紀後半にはサマルカンドとヘラートの2政権が残ります。これらは最終的に16世紀初頭にウズベクのシャイバーニー朝(テュルク系イスラム王朝)によって中央アジアの領土を奪われるのですが、ティムール朝の王族の一人バーブールはアフガニスタンのカーブルを経てインドに入り、19世紀まで続くムガル帝国を打ち立てました。

 

そして4/24に既に登場していたのが、次にお示しするチンギス ハーンの四男が興したイルハン朝(1256-1353)です。

 

イルハン朝の最大版図 The Ilkhanate at its greatest extent Ilkhanate  ایلخانان 1256–1335/1353

                                  

上で述べたターコモンゴルのエリートたちは、当時中央アジアのイスラム教徒の間で支配的な文化であったターコペルシャの伝統を引き継ぎます。その後の数世紀、ターコペルシャ文化は近隣の地域へのターコモンゴルの征服によってさらに引き継がれ、最終的に南アジア(インド亜大陸)、特に北インド(ムガル帝国)、中央アジアおよびタリム盆地(中国北西部)、西アジアの大部分(中東)の支配階級とエリート階級の支配的な文化になります。このことは、この階級の人達の間で流行ったミニアチュールを見てもハッキリとわかります。前述の“Miniature. “ユスフとズレイカ(Yusuf and Zulaykha)”、ウズベキスタン ブハラ( Bukhara); 1683”、そしてこのたびお示しした” バーズィー チャガニアン(Bāqī Chaghānyānī )の、アムダリヤ岸にて“、そして、少し前に戻りますが 、”ムガル帝国の第4代皇帝“ 時代のミニアチュール。そして次にお見せするムガル帝国の創始者バーブールの肖像画をご覧になれば納得されることでしょう。

                  

※2 バーブール

バーブール(ペルシャ語: ظهیرالدین محمد بابُر‎、Ẓahīr al-Dīn Muḥammad Bābur、1483/2/14 – 1530/12/26、北インド、ムガル帝国の創始者です。ティムール朝サマルカンド政権の君主(在位:1497年 - 1498年)でもあります。16世紀初頭に中央アジアからインドに移り、ムガル帝国を建国。バーブールはティムールの三男ミーラーン・シャーの玄孫であり、母方の祖父モグーリスタン・ハン国の君主ユーヌスはチンギス ハーンの次男チャガタイの後裔にあたります。軍事力に優れた指導者、文人で、自らの半生を著述した回想録 『バーブルナーマ』 は文学性・史料的価値を高く評価されており、多くの言語に翻訳されています。

 

『バーブルナーマ』から薔薇に因む文章を引用しました。

春のカーブル(カブールのこと)は、緑と花のエデンです;

カーブルで比類なきグルイバハールとバランの春。

この旅で、私はオードを終えました、—

私の心は、赤い薔薇、赤いバラのつぼみのように、

嘘は折り目の中に折り込みましょう;

無数の泉の息吹でも

私の心のつぼみに吹きつけますか?

( MAY 24th 1506 to MAY 13th 1507 AD.) 

 

恋の歌と取れなくもないですが、春の日の鷹狩又は鳥の射撃に出かけてカーブルとガズル国(Kabul and Ghazniガズニーは、 カーブルとカンダハールの間に位置する標高約2220メートルの高地にある交通の要所。)を称賛した詩と言われています。

 

 


ダマスクローズ 106

2020年08月26日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

1405年までにこの地域でローズウォーターが使用されていた事実は、ターメルレーン(Tamerlane 、チャガタイ1336-1405)が記録した次の文章の中にみることができます。

『ターコモンゴル(Turco-Mongol)の征服者(バーブール)は、1405年2月に亡くなり、中国に向かいます。彼の遺体はローズウォーター、ムスク、クスノキで香りが付けられ、真珠で飾られた棺に入れられ、真夜中に軍隊が動揺しないように、400マイル離れたサマルカンドに移されました。』

             

バーズィー チャガニアン(Bāqī Chaghānyānī )が、アムダリヤ岸にてバーブールに敬意を表す絵。 1504 CE バーバーンマ(Bāburnāmah)※ の中におさめられた一枚

 

※ バーブルナーマ( バーブールの回顧録、書 )。元はチャガタイトルコ語で書かれ、その後、ペルシャ語に翻訳されたバーブルナーマ(Bāburnāmah)は、北部を征服したフェルガナ(中央アジア)のティムール朝の統治者、シャールアルダンムハンマドバーブール(1483—1530 )※2 の回顧録です。後に、北インドを征服し、インド、ムガル帝国を樹立しました。おそらく10世紀後から16世紀にかけて写されたものです。彼の散文は、文の構造、形態、語彙が非常にペルシャ語化されており、ペルシャ語の多くの句や小さな詩も含まれています。 アクバル皇帝の治世中、作品はムガル帝国の廷臣アブドゥルラヒム( Abdul Rahīm, 1556/12/7 - 1627、ムガル帝国の大臣であり作曲家 )によって1589-1590にペルシャ語に完訳されました。

バーブルナーマの中に描かれた細かいムガールスタイルの30のミニチュアは少なくとも2人のアーティストによるものです。( http://www.bl.uk/turning-the-pages/?id=b4e4b216-731f-44a5-ad21-a6091b7ef8f2&type=book で見ることができます。)

 

上のe-Book に書かれた序奏を以下に引用しておきます。

『 ムガル朝の創始者であるバーブールの回想録は、バーブールの孫である皇帝アクバルが、1589年に原文をチャガタイトゥルク語からペルシャ語に翻訳しました。この図解は1590年から93年のものです。中略。原稿はペルシャ語で書かれており、右から左に読む言語であり、原稿の層序は本の最後から始まります。大英図書館 OR 3714 』

 

ターコモンゴル( Turco-Mongol )※1の王子でありティムールの孫であるバーブール( Babur、1483〜1530 )※2は、1526年にムガル帝国を設立しました。後に、この帝国は、インド亜大陸のほぼすべてを統治することになります。

この頃、トルコ人とタタール人は、エジプトの一部を統治して、マムルーク朝( Mamluk Sultanate、エジプトを中心に、シリア、ヒジャーズまでを支配したスンナ派のイスラム王朝、1250 - 1517 )を確立しました。

 

※1 ターコモンゴル( Turco-Mongol )

ターコモンゴル( Turco-Mongol )の伝統は、ジョチ ウルス( ペルシャ語: اولوس جوجي‎、Ulūs-i Jūchī‎、13世紀から18世紀にかけて、黒海北岸のドナウ川、クリミア半島方面から中央アジアのカザフ草原、バルハシ湖、アルタイ山脈に至る広大なステップ地帯)を舞台に、チンギス ハーンの長男ジョチの後裔が支配した遊牧政権とチャガタイ ハン国(Chagatai Khanate、チンギス ハーンの次男チャガタイ)が征服、統治し、支配したトルコ人に同化してゆきます。文化的統合を指し、ターコモンゴルとして知られるようになりました。即ち、モンゴルの政治的および法的制度を維持しながら、イスラム教とチュルク語(突厥語、Turkic languages )を徐々に採り入れて行きます。

他民族の文化、宗教に寛容な元王朝の施策のおかげで、ダマスクローズは次の時代へと受け継がれていくことになります。これらの地が、イスラム教を放棄し、違った宗教を選択し、その宗教が香りを忌み嫌うものでない限り薔薇は大地に根を這わせることができます。

 

 


ダマスクローズ 104

2020年08月24日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

上の絵はBC3500―AD500の期間ローズウォーターを生産していた地域です。アナトリア、トルコ、イラン、モロッコ、アルジェリア、リビア、アリーガル、ガジプル、カナウジ、ペルシャでローズウォーターを作っていました。(モロッコ、インド、アルジェリア、リビアは地図上に入っていません)この上の地域を3つの薔薇の自生地に重ねたのが次の絵です。

R. x damascenaの自生地から、赤で示したローズウォーターを生産していた地域へと薔薇が移動したのです。遅くともAD500年には薔薇の移動が終わっていたことになります。

   

3つの重なり合った地域(上の絵で示した)は、起点がAmu-Daryaの流域内にあることがわかります。アムダリヤは、古代ローマ人が名付けていたトランスオクシアナ(the Transoxiana of Alexander the Great)であり、古ラテン語とギリシャ語で言うところのオクサス川(the River Oxus)のことです。

前にも述べましたが、トランスオクシアナとは実際にはアムダリヤとシルダリヤの間の地域を指し、ウズベキスタンの中央部を占めるエリアです。

約1,385,000平方キロメートルのこの領域は、アムダリヤがトゥラン低地に注ぎ込む一帯です。流域には、タジキスタン、キルギスタンの南西隅、アフガニスタンの北東隅、東トルクメニスタンの長く狭い部分、ウズベキスタンの約半分が含まれます。

水の約61%はタジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンにあり、39%はアフガニスタンに流れ込んでいます。

アムダリヤを流れる大量の水は、パミール山脈と天山の氷河由来のものであり、大気中の水分を集め、周囲の乾燥した平野を潤しています。川は、この乾燥した厳しい地域で唯一の肥沃化をもたらす源です。雨がほとんど降らない、年間降水量が300ミリメートル未満のアムダリヤの低地は、山の水源がなければ不毛の地となってしまいます。

 

 


ダマスクローズ 103

2020年08月22日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

モロッコのダデス峡谷( Vallée du Dadès)ではR. x damascenaをRosa x damascena Mill.と称しています。以下の名称を持つ薔薇は全てR. x damascena、即ちRosa x damascena Mill.です。()内は一般名称。

 

Rosa x damascena Mill.

=Rosa belgica Mill.

≡Rosa calendarum Münchh.

=Rosa calendarum Münchh. ex Borkh. (突厥薔薇)

=Rosa centifolia var. bifera Poir. (Autum Damask)

=Rosa gallica var. damascena Voss

=Rosa polyanthos R

=Rosa ×bifera (Poir.) Pers.

=Rosa ×damascena var. trigintipetala var. trigintipetala Dieck

=Rosa ×damascena var. variegata var. variegata Keller

 

Variety

Rosa damascena var. brachyacantha Focke

Rosa damascena var. damascena

Rosa damascena f. damascena

Rosa ×damascena f. trigintipetala f. trigintipetala (Dieck) R.Keller

Rosa ×damascena f. versicolor f. versicolor (Weston) Rehder

 

上には入っていませんが、カトル セゾン ブランシェ(Quatre Saison Blanche)という白い花のダマスクローズは、オータム ダマスク( カトル セゾン / Quatre Saison )からの色変わりです。あるいはイスパファン(Rosa Ispahan)は19世紀初頭にペルシャで開発されたクリアピンクの半開型のダマスクローズです。数え上げればダマスクローズの血を引く薔薇はきりがありません。R. x damascenaは現在、モロッコ、アンダルシア、中東、コーカサスで野生で見つけることができます。

        

                   Rosa x damascena Mill.

            

                   Rosa x damascena Mill.

  1. x damascenaの特徴

花       八重

花の大きさ   7cm

花柄      殆ど1本でその先に3-10本の花をつける

花の色     濃いピンク~淡いピンク

香り      強く、甘い麝香臭

蕾       長細い花托、細長い萼、長い蕾

倍数性     4倍体

花期      Rosa centifolia var. bifera Poir.は6-9月        

棘       長く下向きで不揃いの大きさ

葉       濃い緑、5-7枚の羽状葉

倍数体※    4倍体

種       R. moschata Herrm. x R. gallica L

花粉      R. fedtschenkoana Regal

 

※倍数体 生存に必要な最小限の染色体の1組(ゲノム)が倍加するに伴って環境適応性が向上します。特に、高緯度地帯に倍数性が高い植物が多い一因と言われています。

これまでの結果(3種の薔薇の自生地)をまとめたのが、次の絵になります。

緑で囲った地域が3つの薔薇の自生地を示しています。

イタリア北部から東西に大きく占めるのが、R. gallica

中央アジアを占めるのが、R. moschata

タリム盆地を占めるのがR. fedtschenkoana

三者の自生地が重なっている場所が、R. x damascenaの自生地とおぼしき場所になるわけです。(Central Asiaの字があるあたりです)

 

 


ダマスクローズ102

2020年08月20日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

Rosa moschata J.Herrm ; https://www.gbif.org/ja/species/100469406 から

 

(カッコ内は一般名称)

=Prunus cerasifera subsp. pissartii (CarriŠre) Dost

=Rosa arborea Pers.           (Musk Rose)

=Rosa broteroi Tratt.            (Mos chus rose)

=Rosa brownii Tratt.            (Gol-e mos’kin)

=Rosa glandulifera Roxb.

=Rosa manueli Losa             (“Graham Thomas’s Musk)

=Rosa moschata var. nastarana Christ

=Rosa moschata var. ruscinonensis (Gren. & Déségl. ex Déségl.) Nyman, 1878

=Rosa nepalensis Andrews       (Roister Musque’)

=Rosa opsostemma Ehrh.        (Single Musk)

=Rosa pissardi Carr.

=Rosa pissartii Carriere

=Rosa recurva Roxb.

=Rosa recurva Roxb. ex Lindl.

=Rosa ruscinonensis Gren. & Desegl. ex Desegi.

≡Rosa sempervirens Dup.

=Rosa sempervirens Dup. ex Steud.

 

Variety

Rosa moschata var. dasyacantha Cardot

Rosa moschata var. moschata

 

R. moschata とは何者なのか。その問いに答えたのが次に取り上げた文章です。Rosa x moschata の進化遺伝学と分類学、(ase Study 2. P.33から)『Rosa moschata とは何か、そうでないものは何なのか、識別することが大切です。このムスクローズ(Rosa x moschata)は園芸植物と一緒に栽培されてきたため、野生種の分布との間で分類学上の混乱が生じています。しかも、その分布の範囲内であっても花の形や色にばらつきがあるようです。野生で見つかる花が唯一の決定的な情報源となります。以下の分布図は、これらの情報に基づいていて作られたものです。Rosa x moschata は、下剤としての薬効だけではなく、棘の欠落、優れた香り、開花期間の長いという特徴を備えた薔薇が自然交雑の結果、選択されて残ったと思われます。』

ベルギーの薔薇愛好家 Ivan Louette は、2018年にこの植物について詳細な調査を行いました。( CONSERVATION AND HERITAGE COMMITTEE - ISSUE 18, SEPTEMBER2018. “BY ANY OTHER NAME“ - SEPTEMBER 2018. http://www.worldrose.org/assets/wfrs-heritage-no-18-september-2018--2.pdf 参)

そして、グラハム S トーマス(Graham S. Thomas)は、ヨハネス ヘルマン著のDissertation de Rosa 1762(Hermann 1762)の中で R. moschata の記述に言及しています。(以下の『』内に引用しておきました。)

 

『これは、鈍い緑の葉を持つ大きな低木です。最初の霜が麝香の香りのする中程度の大きさの二重の白い花の花序を作り出します。ヘルマンはさらにそれが地中海沿岸全体にアラブ人によって広まったと言います。

1820年、ジョン・リンドリー( John Lindley 、1799/2/5 – 1865/11/1、イギリスの植物学者、園芸家)は、R. moschata とインドの野生種、後に Himalayan muskrose と呼ばれた R. brunonii との類似性を指摘しました。問題は、R. moschataという名前が南フランス産の薔薇にも適用されていることです。同じ問題は東アフリカとサウジアラビアの R. abyssinica : ヒマラヤの R. brunonii、および中国と日本の R. sambucinaにも存在します。(この上の行、5行ばかりのお話は一旦今回のお話 ―” 3つの親”― が終わった後でしようと思っています。この中には日本の薔薇の花、R. sambucina:準絶滅危惧であるヤマイバラも入っています)

  

               R. sambucina

関係する薔薇の分類が、その植物の分布と一致しているという、つまり、この論文で言及している R. moschata と、2000年に Iawata らが言及した「Damask roses の3つの親」は、the Plant List.(植物リスト)で定義している R. moschata Herrm と同じ薔薇である確信を得たのです。』

  

                                           Rosa moschata J.Herrm

            

Rosamoschata J.Herrm http://www.chileflora.com/Florachilena/FloraJapanese/HighResPages/JH0274.htm

 

Rosa moschata Herrm の特徴

 

花        一重、5枚

花の大きさ    5㎝

花柄       1本、時々太い茎に5本付く

花の色      クリームホワイト

香り       強い、麝香臭

蕾        先細

花期       9-10月

ローズヒップ   小楕円形、先端が突き出た形

棘        非常に少なくまっすぐ

葉        明るい緑、5〜7枚、卵形(2cm)

 

            Rosa moschata Herrm の自生地

 

 


ダマスクローズ 101

2020年08月18日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

R. gallica;

Rosa gallica L. (カッコ内は一般名称)

= Rosa gallica var. officinalis (hort. ex Andrews) Ser.

=Rosa arvina Krock.    ( Essig-Rose )

=Rosa assimilis Déségl.   ( Französische Rose )

=Rosa atropurpurea Boullu   ( French Rose )

=Rosa austriaca Cr.     ( Provins Rose )

=Rosa austriaca var. cordifolia ( Host ) Borb

=Rosa austriaca var. leiophylla Borb

=Rosa austriaca var. officinalis ( hort. ex Andrews ) P.V.Heath

=Rosa austriaca var. subglandulosa Borb

=Rosa belgica Brot.     ( The Apothecary’s Rose )

=Rosa centifolia var. provincialis Bean

≡Rosa centifolia var. subnigra hort.

=Rosa centifolia var. subnigra hort. ex Andrews

≡Rosa centifolia var. tricolor hort.

=Rosa centifolia var. tricolor hort. ex Andrews

=Rosa chrshanovskii Dubovik   ( Rosa gallica ‘Versicolor’ )

=Rosa cordata Cariot     ( Rosa Mundi )

=Rosa cordifolia Host     ( R. gallica ‘Officinalis’ )

=Rosa crenatula Chrshan.    ( Rosiser d’Autriche )

=Rosa crenulata Chrshan.

=Rosa czackiana Besser

=Rosa czakiana Besser

=Rosa flectidenta Gand.

=Rosa gallica f. cordata ( Cariot ) R.Keller

=Rosa gallica f. elata H.Christ

=Rosa gallica f. pumila ( Jacq. ) Vukicevic

=Rosa gallica f. versicolor ( L. ) Rehder

=Rosa gallica subsp. austriaca ( Crantz ) Nyman

=Rosa gallica subsp. leiostyla ( Gelmi ) So

=Rosa gallica subsp. leiostyla ( Gelmi ) Soó

=Rosa gallica subsp. pumila ( Poir. ) Nyman

=Rosa gallica var. austriaca ( Crantz ) Heinr.Braun

=Rosa gallica var. baldensis R.Keller

=Rosa gallica var. conditorum Dieck

=Rosa gallica var. cordifolia ( Host ) Heinr.Braun

=Rosa gallica var. czackiana ( Besser ) Heinr.Braun

=Rosa gallica var. czakiana ( Besser ) Heinr.Braun

=Rosa gallica var. eriostyla Keller

=Rosa gallica var. gallica L.

=Rosa gallica var. grahovicensis R.Keller

=Rosa gallica var. haplodonta

=Rosa gallica var. leiophylla

=Rosa gallica var. leiostyla Gelmi

=Rosa gallica var. magnifica

=Rosa gallica var. officinalis ( hort. ex Andrews ) Ser.

=Rosa gallica var. officinalis Thory

=Rosa gallica var. pannonica Wiesb.

=Rosa gallica var. plena Regel

=Rosa gallica var. pulchella R.Keller

=Rosa gallica var. pumila ( Jacq. ) Ser.

=Rosa gallica var. pumila Poir., 1804

=Rosa gallica var. pygmaea ( M.Bieb. ) Boiss.

=Rosa gallica var. reinechei M.Schulze

=Rosa gallica var. rosamundi Weston

=Rosa gallica var. ruralis ( Déségl. ) Rouy & E.G.Camus, 1900

=Rosa gallica var. subglandulosa

=Rosa gallica var. subinermis ( Chabert ) R.Keller

=Rosa gallica var. subtomentella

=Rosa gallica var. trichophylla R.Keller

≡Rosa gallica var. variegata hort.

=Rosa gallica var. variegata hort. ex Andrews

=Rosa gallica var. versicolor L.

=Rosa gallica var. virescens

=Rosa grandiflora Salisb.

=Rosa grossheimii Chrshan.

=Rosa heteracantha Chrshan.

=Rosa heteroacantha Chrshan.

=Rosa hispida Muench.

=Rosa holosericea Du Roi

=Rosa homoacantha Dubovik

=Rosa humilis Besser

=Rosa humilis Tausch

=Rosa jundzillii var. livescens ( Besse r) R.Keller

=Rosa krynkensis V.M.Ostapko

=Rosa livescens Bess.

=Rosa millesia L.

=Rosa minimalis Chrshan.

=Rosa mirogojana Braun & Vukot.

=Rosa officinalis Kirschl.

=Rosa oligacantha Borb.

=Rosa olympica Donn

=Rosa parviuscula Chrshan. & Laseb.

=Rosa pinnatifida Andrews

=Rosa provincialis Herrm.

=Rosa provincialis Mill.

=Rosa pumila Jacq.

=Rosa pumila Scop.

=Rosa pumila var. hispida ( Münchh. ) A.Rau

=Rosa pumila var. holosericea ( Du Roi ) P.V.Heath

=Rosa pumila var. rosamundi ( Weston ) P.V.Heath

=Rosa pumila var. subnigra ( hort. ex Andrews ) P.V.Heath

=Rosa pumila var. tricolor ( hort. ex Andrews ) P.V.Heath

=Rosa pygmaea Bieb.

=Rosa racemosa Andrews

=Rosa ratomsciana Bess.

=Rosa repens Muench

=Rosa rhodani Chab. ex Boullu

=Rosa rhodanii Chabert

=Rosa rubiginosa var. imitans R.Keller

=Rosa rubra Lam.

=Rosa ruralis Desegl.

=Rosa scabrata J.Henning

=Rosa schistosa Dubovik

=Rosa subpygmaea Chrshan.

=Rosa sylvatica Gater.

=Rosa talijevii Dubovik

=Rosa tauriae Chrshan.

=Rosa tenuis Becker

=Rosa ucrainica Chrshan.

=Rosa umbrosa H.Waldner

=Rosa velutinaeflora Desegl.

=Rosa virescens Desegl.

=Rosa ×subinermis Chabert

 

R. gallica は、ウクライナ、トルコ、イラク、北イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタンなど、中央および南ヨーロッパ原産のバラです。R. gallica は落葉低木を形成し、大きな植え込みを形成します。R. gallica と R. x damascena はどちらも一重から八重の花を付け非常に多様な形を表現します。野生で育つと茂みの形に特徴が現れます。 R. gallica は矮性の低木となりますが、R. damascena は大きく、雑然とした茂みになります。自然の変化により、花弁が増えた中で最もよく知られているのは R. gallica Officinalis です。

  

      R. gallica https://en.wikipedia.org/wiki/Rosa_gallica#/media/File:Wild_Rosa_gallica_Romania.jpg

 

                              R. gallica https://www.alamy.com/rosa-gallica-essigrose-french-rose- 3B   

                                   R. gallica http://www.naturemp.org/Rosier-de-France.html

上の絵は野生化した(フランスでの)R. gallicaですが、R. gallica が園芸種として中東からヨーロッパに入ったのは13世紀なってからです。名前の由来になっている接尾辞 Officinalis は薬としての使用を示し、「薬剤師のバラ」という別名はよく知られています。これは後年になって付けられたものです。

 

Rosa gallica の特徴

 

花        一重、5枚

花の大きさ    6㎝

花柄       1本、時々太い茎に5本付く

花の色      冴えたピンク~薄いピンク、中央部は白、黄いろい雄しべ

香り       強い

蕾        萼片、花托に樹脂臭がある

花期       一期

ローズヒップ   球状から卵形、直径10〜13 mm、オレンジ色から鈍い朱色

棘        数少なく、細い三角錐

葉        青緑色、3〜7枚

 

                                                              Rosa gallicaの自生地

 

 


ダマスクローズ 100

2020年08月16日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

ダマスクローズに大きく関わっている薔薇を3つ取り上げ、それらの祖先とR. x damascena の関係を分子レベルで調べた、以下の『』内の内容は5/14ですでに述べた事柄ですがこれから始まる解説の序章として再び取り上げておきます。

 

『ダマスク品種をランダムに増幅した多型DNA分析(RAPD法;PCR 法と電気泳動法を組み合わせた遺伝子分析法。)の結果、それらが共通の祖先をもつことを示す同一のプロファイルを持っていることを証明しました。( 扱ったサンプルは有性生殖の可能性はなく、その繁殖は完全に栄養繁殖に依存していました)。

fedtschenkoana, R. gallica, R. moschata の3つの薔薇がダマスクローズの形成に関与した親種と確認しました。また、psbA-trnHスペーサーシーケンスから判断して、最も古い4つのダマスク品種すべてが、R. moschata のみに由来する葉緑体を持っていることもわかりました。三つの親の特徴は、4つの最古のダマスク品種のいくつかの形態学的特徴である、ローズヒップの形状、葉の色、苔の特徴、花のがく片の苔状の成長などの形態学的特徴を説明しています。』

 

fedtschenkoana, R. gallica, R. moschata の3つの薔薇に加え、R. x damascena の生息範囲を地図上にプロットすることにより4者の関係を探っていこうと思います。

 

その前に薔薇の花の各部位の名称を頭の中に入れておかねばなりません。お付き合い下さい。   Narcea—an unknown, ancient cultivated rose variety from northern Spain から

A;  (a,b) 小葉(folioles)、 (c) 耳葉,  (d) 小花柄(pedicel又は小花梗)、 (e) 花托(hypanthium), (f) 萼片(sepals).

B;  (a) 萼片(sepals)、 (b) 花托(hypanthium又はreceptacle)、 (c) 雄しべ(stamens ; AntherとFilamentを合わせたもの)、 (d) 包葉(bract.)

C;  (a) 小葉(Folioles)、(b) 中心の葉脈、葉軸を結ぶ托葉、 (c) 托葉(stipule)、(d)葉柄から上の部分で各小葉を結ぶ耳葉.


fedtschenkoana, R. gallica, R. moschata, R. x damascena の順にその分布地と花の特徴を見ていこうと思います。R. fedtschenkoana から始めます。分類は生物多様性情報機構( Global Biodiversity Information Facility: 略してGBIF )の分類をもとにお話をさせていただきます。

 

現在、GBIF で R. fedtschenkoana として受理された名称には次のものがあります。すべて R. fedtschenkoana です。

=Rosa caraganifolia Sumn.

=Rosa coeruleifolia Sumn.

=Rosa epipsila Sumnev.

=Rosa lavrenkoi Sumn.

=Rosa lawrenkoi Sumnev.

=Rosa lipschitzii Sumn.

=Rosa minusculifolia Sumn.

=Rosa oligosperma Sumn.

 

fedtschenkoana は野生種には珍しい二期咲き(晩春から秋までの長い開花を指します)の薔薇です。R. damascene var. semperflorens. ( Autumn Damask ) がその因子を受け継いでいます。下の絵は R. fedtschenkoana 特有の花、ローズヒップ、棘のある枝と蕾です。

                             

     

                               

                       fedtschenkoana  https://www.helpmefind.com/rose/l.php?l=21.163930

                 

                           fedtschenkoana https://www.plantarium.ru/page/image/id/478935.html

fedtschenkoana の特徴;

花       一重

花の大きさ   5㎝

花柄      1本若しくは2-3本

花の色     白、淡黄色の雄しべ

香り      きつい香り

花期      晩秋まで咲く二期咲

ローズヒップ  洋梨状で鮮やかな赤

棘       新しい棘は深紅色、長く細い棘

葉       灰色がかった緑

     

     https://www.nationsonline.org/oneworld/maps.htm#MiddleEast

                                              中央アジア内のR. fedtschenkoanaの自生地

 

上の地図をもう少し詳しく説明したのが下の2つの地図です。

   

https://www.nationsonline.org/oneworld/map/uzbekistan-political-map.htm から

                                        ウズベキスタンでのR. fedtschenkoanaの自生地

国名は、ウズベク人の自称民族名 Oʻzbek(オズベク)と、ペルシャ語で「~の国」を意味する( -istan) の合成語です。国土の中央部は、古代よりオアシス都市が栄え、東西交易路シルクロードの中継地ともなってきたマー・ワラー・アンナフル( Mā-warā' an-Nahr(トランスオクシアナ地域で、アラビア語で「川の向うの土地」を意味する言葉。字義通りにはアムダリヤ北岸 )の地域を指します。中央アジア南部のオアシス地域の歴史的呼称です。8世紀にアラブ人によって征服され、宗教的にイスラム化し、人口の約90%がムスリム、5%がロシア正教会、その他が5%となっています。

 

天山山脈;Tien Shan mountains landscape, Kyrgyzstan from Issyk-Kul lake. Biggest, 2018.から

                                 

            キルギスタンでのR. fedtschenkoanの自生地

国土の 40% が標高 3000m を超える山国で、東の中国との境には天山山脈が延びています。宗教はイスラム教が 75%、キリスト教正教会が 20%、その他が 5%です。敦煌で南北に分かれた「シルクロード」はカシュガル(喀什)で合流後、再び南北に分かれ、南の道はタジキスタンに、北の道はキルギスの南部を通っています。円内はR. fedtschenkoan の自生地を示します。

 

西隣のトルクメニスタンはカラクム砂漠が国土の 85% を占め夏は 40 - 50度、冬は 0 度以下まで下がり、寒暖の差が激しいので薔薇の生育には適していません。イスラム教スンナ派が大多数で、キリスト教正教会の信徒も一部存在しています。

 

 


ダマスクローズ 99

2020年08月14日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

R. x damascena の生垣で囲われた小さな畑に、毎年植物で作った堆肥を施します。その結果、土壌は豊かで、アシフ ムギーンで灌漑されたダデス渓谷では、毎年2回穀物を栽培することができます。

       

                                                        アシフ ムギーンのダマスクローズ

                 https://mustseeplaces.eu/here-are-the-roses-morocco-mgoun-valley/ から 

最初の作物の大麦は7月上旬までに収穫し、畑を耕して小麦を播き、10月末までに収穫します。農業の多くは依然として手作業で行われています。 畑は木製または鉄の先端のプラウを馬またはラバで引っ張って行います。作物は手で収穫し、乾燥したら、ロバやラバを使って脱穀します。

土壌は粘土と崩積土の深い層で構成されており、地質内容と色で簡単に区別できます。土はpH7.4〜7.8で、わずかにアルカリ性で、沖積層の有機物と窒素の含有量は低いため、施肥料の必要性があります。R. x damascena の繁殖は、古い生垣から取り木または吸枝を取って、これを11月から2月にかけて40cmの深い溝に切り込んだ溝に45 cmずつ離した平行な列状に植えます。薔薇は交互に離して植えられ密集した生垣を作ります。十分な花を生産するのに3年かかりますが、30から40年経った生け垣があるように、薔薇の生産量は年とともに増加するようです。

灌漑をしてカリウム、リン酸塩、窒素の肥料はやりますが、害虫や病気に対するスプレーや化学薬品の使用はしていないようです。

 

『このレポートでは、紀元約3500年前から始まった文化交流の結果、R. x damascenaに二期咲きの遺伝子が入り、ダマスクローズという園芸上の名前を持った薔薇が、はるか中央アジアのアムダリヤ流域からローマに、BC300年までに入っていた事実を明らかにしています。』と5/13, 8/4, 8/6に唐突に、証拠も上げずに述べてきました。心許ない証拠ではありますが、根拠となる事例を一つあげておきましょう。

ホメロスのイリアスを取り上げました。彼は紀元前 ca.800 の生まれです。

                                           

                      ホメロス( Hómēros、 Homer、紀元前8世紀末のアオイドス(吟遊詩人)

                           BC 500のギリシャのオリジナルからの複製。 グリュプトテーク蔵。

薔薇の花を使った軟膏 Rose unguent ( rosaceum ) は、ホメロスのイリアス※( Illiad XXIII, 186-7 )の中にもその記述( ヘクターにローズオイルを塗る場面 )があります。

このローズオイルはヒポクラテス や ペダニウス ディオスコリデスが『薬物誌』の中に記したローズオイルと同じものと思われます。

 

※イリアスは古代ギリシャ最古期の英雄叙事詩。伝説の戦争であるトロイア戦争の10年目、その五十日間の部分が描かれています。イリアスはもともと朗誦のための叙事詩です。そこで土井晩翠訳のイリアスを使わせて頂きました。Illiad xxiii, 184-198から。( 人物名等を一部分替えさせていただきました )

             

土井晩翠訳

しかく罵り叫びしも、狗は屍體に近づかず、
ゼウスの娘アフロディーテ之を守りて夜も日も、 
狗を遠ざけ、アムブロシヤ薔薇の香油塗 (まみ) らして、
アキレスにひきながら屍體を裂くを得せしめず。
更にポイブス アポロ、平野の上に黒雲を、
天より彼のため擴げ、屍體の占むるすべての地、
皆蔽ひ去り、太陽の威力の爲めにいち早く、 
肢體並びに筋肉の萎縮すること無からしむ。

パトロクロスの火葬堆、しかはあれども善く燃えず、
脚神速のアキレス再び一の策案じ、
即ち堆を立ち離れ、ゼフィルス及びボレアス、
風の二靈に祈祷上げ、すぐれし供物捧ぐべく 
誓ひて、金の杯に數多の奠酒(テンシュ)行ひて、
すぐに屍體の燃え上り、薪材迅く燒けん爲、
その來向を乞ひ求む

                           

「薔薇の香油」はRosaceum oil を指すとおもわれます。

 

lawata et al.(岩田ら)が2000年に、初めて Rosa x damascena の血統(生まれ)を明らかにしたことは既にお話したところです。そして、『DNA 分析を2,000例の薔薇におこなった結果、ダマスクローズの親が R.gallica, R. moschata, R.fedchenkoanaであることを突き止めた。』と唐突に、最初に結論ありきで始まった Rosa x damascena の親さがしでした。( インド、サウジ、モロッコ等ダマスクローズのバックグラウンドがある程度頭の中に入り、予備知識が整いましたので )次からはそのことについてもう少し詳しく述べようと思います。

 

 


ダマスクローズ 98

2020年08月12日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

      

          ケラート メグナの街の中心に飾られたR. x damascena

ケラートメグナのバラの谷はティンヒル県( the province of Tinghir )にあり、2014年の人口は16,956人でした( World Gazetteer 2014 )。 R. x damascenaのモニュメントがある小さなオアシスの町は、アシフ ムギーン( Asif M'Goun )川で灌漑されたダデス峡谷の薔薇の谷のふもとにあります。

  

        アシフ ムギーン(Asif M'Goun)川で灌漑されたダデス峡谷 

バラの栽培は、2つの異なる地域で行われています。一つ目は、ケラートメグナ村から約10 kmから北西に10 km続き、ブマルヌ ダデス ( Boumalne Dadès ) の町の近くまで続いています。 2つ目の地域は、ケラート メグナから始まり、真北にあるボウ サラル( Bou Tharar )の村まで続く道路に沿った地域で最も重要な場所です。

約30 kmの長さで途切れることのないバラが涸れ谷沿いに見られます。黄土色の峡谷の下にあるこの青々とした谷は、信じられないほど美しい風景です。

バラは非常に重要な作物であり、4月10日頃から5月20日頃までの間の主要な収入源となります。Dades渓谷全体でR. x damascenaが植えられていますが、畑の中に列を作って植える北ヨーロッパで行われているような方法で植えられていません。 むしろ、バラはそれぞれ約0.5エーカー(0.2ヘクタール)の小さな土地を囲むように植えられています。

小さな段々畑は川の側面に沿った低い堤防状の上にあり、薔薇は吸枝又は盛り土を利用した取り木の伏せ技法で植えられています。(「吸枝、取り木」の手法が今まで何回か登場しましたがこれでやっと腑に落ちました。堤防の盛り土を利用しているのです。下絵を参照。)  

 

一年目に根本を切り、来シーズンの新芽を待ちます。成長したところで、おがくずを根元に盛り、発根を待って次の作業に移ります。これが吸枝、取り木の手法です。これなら、吸枝を布でくるんで運べば、ローマへの輸送も可能かも知れません。

 https://irrecenvhort.ifas.ufl.edu/plant-prop-glossary/08-layering/07-layering-mound.html から 

          

First year cherry plants in a stooling bed. https://irrecenvhort.ifas.ufl.edu/plant-prop-glossary/08-layering/07-layering-mound.html これはチェリーの一年目の作付け図です。ダデスの薔薇は、畑の縁の盛り土の上に植えます。木が大きくなると土を更に盛り、根本を切って新しいシュートを出させて花を咲かせます。チェリーもバラ科なのでよく似た栽培方法がとれるのでしょう。プリニウスの『博物誌』の中にもチェリーの吸枝に言及した記述がありました。

吸枝はR. x damascenaの成熟した植物から切り取り、小さな半ヘクタールほどの小麦と大麦が栽培されている畑を囲むように、生垣を作るように植えられています。

ボウ サラルの薔薇の谷 Bou Tharar, Roses Valley, Morocco https:// www.alamy.com/stock-photo-moroccan-girl-farming-bou-tharar-roses-valley-morocco-171910404.html どこからどこまでが麦畑で、どこから薔薇が植わっているのかはっきりとはわかりませんが、確かに薔薇の花も見えます。

 

 


ダマスクローズ 97

2020年08月10日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

これまで見てきたダマスクローズの広がり方を振り返ってみれば、文明を拡散する力は、政治力よりも宗教の方がはるかにあることがわかります。

        

イスラム世界の領土拡大 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A4%E6%9C%9D

  ムハンマド下における領土拡大  622–632   茶

  正統カリフ時代における領土拡大 632–661   橙

  ウマイヤ朝時代における領土拡大 661–750   黄(緑はモロッコ)

 

ローマ帝国下にあったモロッコはイスラム支配下に入り、引き続きダマスクローズを扱うことになります。そのおかげで、モロッコは今では推定世界5位のローズウォーターを生産地です。そのほかのイスラム教下の国々でも、ローズオイル、ローズウォーターの生産が今も続いています。そして東ローマ世界を構成していた、ブルガリアでも宗教行事で使われる関係で薔薇製品が作られています。イスラム世界を示す上の地図上の国々のほとんどが薔薇を今も農産物として取り扱っています。( 6/10 ダマスクローズ 67 前述 )で、正教会で古代から奉神礼で使われている “振り香炉“ をご紹介しました。あの中には乳香の他に薔薇のオイルを入れることがあります。

 

モロッコのワルザザート近くのダデス峡谷( 5/22 ダマスクローズ 57  前述 )はサハラ以南の生物気候で、バラの成長に適した比較的低温の地域です。地元では乾燥ローズのつぼみとローズウォーター生産は、イスラム教に改宗したときにベルベル人によって確立されたと言い伝えられています。


     

ダデス峡谷のケラーア メグナ https://www.limkimkeong.com/morocco-roses-valley-kalaat-mgouna/

Located about six hours’ drive south-east of Marrakesh, Morocco’s “Valley of Roses” is famous for Roses Festival. Kalaat M’gouna city in the Dades Valley

 

1200年後の1940年になってフランス植民香料メーカーが、のケラーア メグナ ( Kalaat M’Gouna )に蒸留所を建設し、ローズオイルとローズエッセンスを生産し始めました。 伝統的な古代から始まった栽培方法は、世代から世代へと伝わったものです。栽培方法はほとんど変化していないと思われます。                 

 

モロッコでの栽培方法はペルシャでの栽培方法と同じでしょうか? もしおなじであれば、イスラム教徒のローズウォーターの生産にイスラムまたはペルシャの園芸技術がモロッコの西にまで移動した可能性が考えられます。

 

ペルシャと中央アジアでは、R. x damascena は吸枝から繁殖しますが、ヨーロッパと北アフリカでは、バラは伝統的に種子から、または特殊な形の T接木※によって出芽させます。   

              

 Root Grafting  https://etc.usf.edu/clipart/87100/87143/87143_root-grafting.htm

※ T接木 ( Root Grafting ) は根の一部分を取り出してそこに枝を差し込む方法です。

 

モロッコの小規模農家では、伝統的な吸枝による方法でダマスクを繁殖させています。 ( Zahra Rose Water Co. 1978 )2016年の調査では、モロッコでベルベル人によって行われている薔薇の繁殖は、伝統的なペルシャの方法を取っている今日のイランとまったく同じ方法であることがわかりました。 吸枝は自然に植物の根に発生するもので、特別の技術を必要としません。 どちらの国でも、10,000 km 離れているにもかかわらず、栽培方法に変化が見られませんでした。

このことから、繁殖方法、栽培技術がペルシャから直接または間接的に導入されたと考えることができます。

ケラーア メグナでもこの繁殖方法が取られている事が判れば、この仮説がさらに確かなものとして裏付けられます。

 

 


ダマスクローズ 96

2020年08月08日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

モロッコ、アンダルシア、中東、コーカサスの野生種の薔薇の中に Rosa damascenaに特徴的なDNAを見出だすことができます。

自然崇拝の多神教を採用する社会の中に Rosa damascena が受け入れられたと思われます。そして、自然崇拝の原イラン多神教を母体としたゾロアスター教の中でも。

即ち、古代ペルシャ帝国であるアケメネス朝、アルサケス朝、サーサーン朝の時代まで Rosa damascena は生き残ったようです。問題はその先です。サーサーン朝時代の、633年にアラビア半島に興った新興宗教イスラム教を報じるアラブ人がイランに侵攻してきます。そして、Rosa damascena は、イスラム教の教義の儀式の一部としてローズウォーターとして使われることで生き残ります。このあたりでしょうね。Rosa x damascenaは生き残ったのですが、それはローズウォーターを産する植物としてであって、本来の Rosa damascena ではすでに姿を消しつつあったのかもしれません。自然交配ではなく人の手が加わった可能性を拭い去ることはできません。

 

ダマスクローズを挿し木、吸枝で殖やす限り、遺伝情報は変化しません。オイルの収量を増やすために、即ち、花びらの数を多く、花びら自体を大きくするための何らかの手が入ったのではと考えられます。

サーサーン朝( Sassanid、226-651)に続く時代は化学が発達した時でもあり、ガレノス(129-216)が活躍した時代とも重なります。しかし彼は Rosa damascena に関する記述を残してはいません。彼よりも少し前に『薬物誌』を描いたディオスコリデス(40-90)はたくさんの Rosa damascen aに関する文書を残しているというのに。

 

2015年にモロッコで Rosa x damascena の栽培に関する調査が行われました。

ペルシャ時代と違って現代のイランでは、モロッコのアトラス山脈南のサブサハラ砂漠で北アフリカの古代先住民であるベルベル人が Rosa x damascena を栽培しています。

 

ベルベル人の住む地域は、西暦632年のムハンマドの死後、イスラム征服の対象となりました。アラビアのイスラム教徒は642年までにメソポタミアとエジプトを統治し、アルメニアを侵略してペルシャ帝国の征服を終わらせました。 エジプトの西側にある北アフリカ地域へのアラブ軍の遠征が開始され、イスラムが西側に広がったのはこの時点です。 以前の宗教や文化の征服とは異なり、アラブ人によるイスラム教への改宗は、アフリカの北西部のマグレブ( モロッコ、アルジェリア、チュニジア、西サハラの北アフリカ北西部に位置するアラブ諸国を指す言葉 )に広範かつ長期にわたる影響を与えました。

        

Cat. 21. Miniature. “ユスフとズレイカ(Yusuf and Zulaykha)”、ウズベキスタン ブハラ( Bukhara); 1683 から。 足元に選りすぐりのローズウォーターのボトル、香炉、ローズウォータースプリンクラー、ダマスクローズのアレンジメントが並んでいます。(ウズベキスタンは、アムダリヤが流れ込むアラル海の南半分を占める国です。現在、人口の約90%がムスリムであり、5%がロシア正教会に属しています)

 

イスラム諸国がダマスクローズを受け入れた背景には、ムハンマドが政治および宗教の指導者であったことが大きく関わっています。一方キリスト教はダマスクローズの存在を排除します。そのことは多神教だったローマ帝国が、キリスト教を国教と定めたコンスタンティヌス帝による313年のミラノ勅令前からすでに始まっていたようです。遅くともヘリオガバルスの時代あたりから。そのことはガレノスの『De curandi ratione ; 癒しについて』に薔薇が登場しないことで明らかです。

“心を癒す“力を持つダマスクローズの存在が、キリスト教の布教の足かせになることを嫌ったのでしょう。キリスト教が安定した地位を確立した後も、秘かに教会内で栽培を続けていましたが、一部分の人たちの間で知られる程度で広く活用されるには至りませんでした。イヤむしろダマスクローズを含め、そのほかの薔薇たちを卑しい存在と看做してきたようです。そのことはあの、「薔薇物語」の最後で見ていただいた、あの”開き戸“( 3/21、ダマスクローズ 26 前述 )に象徴されています。覚えておいででしょうか? 

 

                              


ダマスクローズ 95

2020年08月06日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

プリニウス(40-90)が書いた『博物誌』の中に次のような吸枝に言及した記述があります。薔薇を直接の対象とはしていませんが、バラ科の植物も含まれており、興味ある内容です

 

XII. 『自然はまた、苗を作る技術を教えてくれています。多くの樹木の根は子孫をあふれるほどに生み出します。母となる木はまるで自分影が無秩序に押し寄せるように、殺される運命にある子孫を産むのです――ローレルやザクロ、スズカケノキ、チェリー、プラムのように;ニレやヤシなど、この種類には数本の樹木もふくまれていますが、その枝は吸枝を予備として準備します。しかし、この性質の若い芽(シュート)は、その根が地面の表面を動き回る太陽と雨への愛情によって導かれている木によってのみ生み出されるのです。

即ち、育てようとしている場所に直接植えるのではなく、苗床で成長させた後で繁殖地に植え直す事が大切です。植える場所を変える事で大きな効果を得ることが出来ます。たとえ野生の樹木であっても、人間のように、樹木にも目新しい経験と旅行に貪欲さがあれば、たとえ植え替えしたときに、そこに毒液が残ることもあっても、動物のように飼い慣らす事が出来ます。』

XLII. 『また、自然は前述のものに似た別の種類の繁殖を示すものがあります。木から引き裂かれた吸枝は生き続けます;この手順では、刺し穂を母親の繊維状の物質をつけて引き裂きます。この方法は、ザクロ、ヘーゼルナッツ、リンゴ、ナナカマド、メドラー、トネリコ、イチジク、とりわけブドウの木を根付かせるときに使います。

しかし、この方法で育てると、マルメロではその品質は低下します。同様の方法ですが、若枝を切り取って植える一つの方法が考え出されました。

最初に採用された方法は、生垣を作る目的で植えられたマルメロ、木イチゴですが、後にそれは木の成長を促す方法としても導入されました、例えばポプラ、ハンノキ、ヤナギなどで、これらは切り口を逆にして植えます。吸枝は、一度特別の専用の場所に植えます;他の植物に進む前に、苗床の管理について話すことにしましょう。』

 

吸枝の束を毛布または亜麻仁の布で包み、湿らせて日陰に置くと、数か月間生きているので、乾燥した場所から別の場所に輸送できるというのです。もしそうであれば、ダマスクローズが紀元前3500年頃にアムダリヤ川(Amu Dyra)流域から紀元前300年までにローマ帝国内に輸送されていたと言えそうです。

 

“ヘリオガバルスの薔薇” ローレンス アルマ タデマ( Lawrence Alma-Tadema, 1836/1/8 – 1912/6/25古代ローマ、古代ギリシャ、古代エジプトなど歴史をテーマにした絵を描く英国の画家 )1888年 画

       

            ヘリオガバルス帝が描かれたデナリウス銀貨

ヘリオガバルス(マルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス( Marcus Aurelius Antoninus Augustus、203/3020 -222/3/11、ローマ帝国第23代皇帝。別称ヘリオガバルス(Heliogabalus )、又はエラガバルス(Elagabalus )は放縦と奢侈に興じ、きわめて退廃的な性生活に耽溺し、その性癖は倒錯的で常軌を逸していました。退廃した性生活については、誇張された部分もありますが、『ローマ帝国衰亡史』で知られる18世紀イギリスの歴史家エドワード・ギボン(Edward Gibbon、1737/5/8 – 1794/1/16)は「醜い欲望と感情に身を委ねた最悪の暴君」と評しています。また、『ローマ皇帝群像』の中では「ヘリオガバルスが宴会に招いた客の上に巨大な幕を張り、その上に大量の薔薇の花をのせ、宴会中に幕を切り、花を一斉に落として客を窒息死させた。」という逸話があります。このお話をモチーフにしたのが、“ヘリオガバルスの薔薇”です。

この薔薇の花がダマスローズであることは、納得していただけますでしょうか。

たとえ納得は出来なくても、ダマスクローズ以外の名を上げることは非常に難しいと感じていただけるのでは思っています。初期のローマ帝国の主要な庭園は宗教的建造物と結び付けて造られていました。そしてこれらの施設の長官は大陸の国々とも頻繁に交流があり、薔薇はその際の貴重な贈り物であったと思われます。ローマ人の豪華な暮らしぶりや宴会でバラの花輪を身につける習慣から、彼らが作った庭にはさまざまな薔薇の種類が持ち込まれていたと思われます。

 

 


ダマスクローズ 94

2020年08月04日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

商業的にバラを繁殖し、栽培してきた中央アジアと中東ではどのようにRosa x damascenaを扱ってきたのでしょうか。厳しい気候の下での栽培方法を述べようと思います。(これから述べる事柄は、Rosa x damascenaの栽培に限っていますので、ほかの薔薇には該当しないことがあります。)

          

種による繁殖方法;

Rosa x damascenaはご覧のような果実(ローズヒップ)の中に種を付けます。この種を使って、現在のダマスクローズの地理的分布範囲内で栽培と繁殖を続けることはできますが、非常に困難です。現在栽培されている地域の気候が、冬季は氷点下に近い温度になることがありますから、種子を4か月間置いた後に、新芽が出るまでに2年間の期間が必要だからです。

他の方法では、少々乱暴ですが、時間を短縮する為に、種子に傷つけてそれを2〜3週間、27〜32℃の温度の湿った培地の上に置き、その後3℃で4か月間置くことでも発芽させることが出来ます。

又は、種が完全に実り、乾燥する前に種を取り出してそれを蒔くと発芽します。上の絵のように種が完全に成熟し、しかもまだ乾燥していない時が適期です。

 

挿し木による繁殖方法;

過去4000年間伝統的に使用されてきた方法に挿し木があります。しかし、挿し木をするタイミングは限られています。湿度が高く、挿し穂が乾燥しにくい時期に挿し木をして発根を促します。挿し木を行うには季節が限られます。

吸枝、取り木で殖やす方法; 

根から土の上に枝を出したものが吸枝(sucker, サッカー)です。枝につながる根を切って新しい株にする方法です。この方法は中央アジア全体で伝統的に使用されている手法です。これをさらに発展させた方法が取り木です。

母植物の根から切り取った吸枝を利用する手法は、Rosa x damascenaを繁殖させる伝統的な方法で、中央アジアで3000年間実践されてきました。

      

     https://www.rosenotes.com/2012/03/dr-huey-you-sucker-you.html

茶色く見える古株の手前に二本勢いよく顔を出しているのが吸枝(sucker)です。本体から切り離せばそのまま栽培できます。下図は、取り木です。これも地面の中の根を確認して、元の枝を切ると苗になります。元々枝だったものを、地面の中に埋め込んで根を出させたのです。乾燥した地域には適した方法です。{ Suckerとは繁殖能力の低い薔薇の枝を、丈夫な台木に挿し木した薔薇に対して表現する言葉です。台木から生えてきた枝を指して吸枝 ( sucker:カモ ) と言います。ダマスクローズにカモは生えてきませんが、慣習上、吸枝(サッカー)と書きました。ひこばえの方がいいかもしれません。適切な表現をご存じの方はお教えください。}

    

       https://gardenerspath.com/how-to/propagation/spirea/

長い歴史の間でRosa x damascenaはどのように受け継がれてきたのでしょうか。

クレタ島ではすでにB.C.3000年頃に薬用として栽培されており、そこから更に古代地中海世界、小アジアへと広まったと考えられています。ヨーロッパに入ったのはその後です。                              

ローマ帝国のプリニウスが『博物誌』の中でダンスクローズに言及したのはすでに述べた通りです。加えてダマスクローズがアケメネス朝(BC550 - BC330)の時代に王の道を通ってすでにローマ入っていたことは(5/22)でお話しました。

 

上のお話と関連して、ダマスクローズが紀元前3500年頃にアムダリヤ川(Amu Dyra)流域から紀元前300年までにローマ帝国内に輸送されていたことに目を向けると、中央アジアと中東の厳しい乾燥した暑い気候下では、挿し木、接ぎ木、苗木などの方法での輸送は無理だったのでは思われます。吸枝を輸送するのが一番安全で、容易で、数多くの輸送出来る方法であったろうと思われます。そう判断した根拠を次にお示ししましょう。

 

 


ダマスクローズ 93

2020年08月02日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

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薔薇 — 薬用としてのハーブ https://herbs.org.nz/rose-a-medicinal-herb/ から

 

花の女王と呼ばれている薔薇は、美しさだけでなくそれ以上のものを我々に与えてくれます。 薬草学者のカリーナ・ヒルターマン(Karina Hilterman)がその薬効を説明しています。

 

薔薇は、美しく香り高い花で、その花は多くの愛とロマンスの詩を呼び起こします。 しかし、薔薇はただのきれいな顔だけではないことをご存知ですか?

薔薇には薬効があるので、薬草と呼ぶことができます。 1930年代までは、内科的治療と局所的治療の両方で医師からは薬と見なされていました。

特に商業用としてエッセンシャルオイルとローズウォーターの生産のために栽培されている主要な薔薇の品種が3つあります。ロサ ガリカ(Rosa gallica)、ロサ センティフォリア(Rosa centifolia)、ロサ ダマスセナ(Rosa ×damascena)です。 ロサ カニーナ(Rosa canina)はローズヒップオイルの製造に使用されます。

種間の組成にはいくつかの違いがあります。 ここに一般的なリストをお示しします。 全体として、性格と治療効果は似ています。

 

表面上の性質;

甘い、渋い、一般的に中性またはわずかに清涼感があります。

成分;

フラボノイド類、果糖(フルクトース、グルコース、マルトースを含む)、アミノ酸類、シトロネロール、ゲラニオール、オイゲノール、ネロール、フェニルエタノールなどのエッセンシャルオイル。

ビタミンA、B1(チアミン)、B2(リボフラビン)、B3(ニコチン酸)、B6(ピリドキシン)、B7(ナイアシンまたはビタミンHとも呼ばれている)、B9(葉酸)C、D、E、およびK。

ミネラルとしては、カリウム、カルシウム、マグネシウム、鉄、亜鉛、ナトリウム、銅、ヨウ素、クロム、ニッケル。また、消化を助けるタンニンとさまざまな酵素が含まれています。

薔薇のエッセンシャルオイルには、ゲラニオール、ネロール、シトロネロール、ファルネソール、リナロール、リモネン、1-p-メンテン、ミルセン、ピネン、ローズオキサイド、タンニン、有機酸、ベータ-カロテン、シアニン、樹脂、ワックスなどの揮発性油が含まれています。成分は薔薇の種の品種によって異なる場合があります。

薔薇のエッセンシャルオイルは非常に高価ですが、すべてのエッセンシャルオイルの中で最も毒性が少ないものの1つだからです。安価なローズオイルを見つけたら、他のオイルが混入している可能性が高いので、ラベルをよく読んでください。ローズヒップ(種を付けるために膨らんだ果実)は、特にビタミンA、B3、C、D、Eの優れた供給源です。

これらには、クエン酸、フラボノイド(ケルセチン、イソケルセチン、リコピン、ルビキサンチンおよびフィトキサンチンを含む)、フルクトース、スクロース、キシロース、リンゴ酸、タンニン、亜鉛が含まれています。お茶で摂ると、感染症、特に膀胱感染症に効果があります。ローズヒップティーは下痢の治療にも使用されます。特にビタミンCの優れた供給源です。年を取っている方であれば、ローズヒップシロップを子供の頃の強壮剤として飲んだ覚えがおありかもしれません。

治療効果

抗うつ薬、抗けいれん薬、媚薬、収斂薬、鎮静薬、消化促進薬、胆汁産生、汚れ落とし、去痰薬、抗菌剤、抗ウイルス剤、防腐剤、腎臓機能の促進、月経調節剤、および抗炎症剤。

準備と使用

現代の雑種の薔薇は、一部の古い種が持っている程の薬効はありませんが、食用として、スイーツ、サラダの両方に使えます、又、砂糖付けはお菓子の飾りとして使うことが出来ます。

医療または料理の目的で使用する植物には有毒な化学物質を噴霧しないことが最も重要です。

使用する薔薇の種はさまざまですが、北半球の多くの国で薬として薔薇を使ってきました。北米インディアンは風邪には野生の薔薇の花を、筋肉痛には種子を使用しています。ヨーロッパでは、皮膚を洗うためにローズウォーターを使い、ローズオイルを睡眠補助剤として吸入し、薔薇の花びらの砂糖付けを風邪、咳、肺の愁訴、および泌尿器系の感染症と痛みを和らげるために摂取してきました。

中国人はロサ ルゴサの花を使って肝臓と脾臓の経絡を、ロサ レヴィガタヒップで腎臓、脾臓、肺の経絡を整えます。

西部で主に使用されるローズヒップは、ロサ カニーナ(ドッグローズ)を、ロサ センティフォリア、ロサ ダマスケナ、ロサ ガリカの花びらは薬用に使用します。

薔薇は渋いので下痢の治療に役立ちます。使用する部位は通常、花、種子、またはヒップを、新鮮なものから乾燥したものまで、さまざまな方法で使用します。

 

治療には、浸出または煎じて使います。1日2〜10グラム(乾燥または新鮮なものを同等)。薔薇の花びらの浸出液は、喉の痛みがある時のうがい薬として使用できます。

チンキ剤の投与量は1日3〜10 mlです。

薔薇はチンキ剤またはワインとして準備できます。仕事の後、腰を下ろして薔薇の花びらのワインを傾けることを想像してみてください。リラックスするだけではなく、元気も出てきます。

妊娠中の女性や赤ちゃんに安全に使用でき、消化器系、皮膚、および頭痛を伴う神経障害、ならびに月経異常に使用します。

スチームアイロンに薔薇水を入れてアイロンをかけると、香りがあなたを外国に運んでくれます!

 

化粧品の使用

シェービングクリーム

½カップ すりおろした石鹸

175 ml  ウォッカ

175 ml  ローズウォーター、蒸留水または雨水

弱火で鍋に石けんを溶かし、柔らかなペーストになるまで水を加えます。ウォッカの中にローズウォーターを混ぜ、それを石鹸のペーストに混ぜます。よく混ぜ、広口のジャーに入れしっかりと蓋をします。

シェービングブラシまたは指で剃る場所にすりつけます。

 

リップクリーム

ダブルボイラーで、ミツロウ小さじ2、アーモンドオイル小さじ4を溶かし、火から下ろし、ローズウォーター小さじ1を混ぜます。固まり始めるまで攪拌します。ガラス瓶に入れます。

 

料理の用途

最も重要なのは、使用する薔薇が「安全な」スプレーであっても、最近スプレーされていないことです。植物で何がいつ使用されたかを確認してください。有機リン酸塩など、薔薇全体にスプレーがかかっている場合は、使用しないでください。

 

薔薇の花びらジャム(カンタベリーハーブソサエティクックブックより )

(  from the Canterbury Herb Society Cookbook )

900g     赤い薔薇の花びら

1リットル  水

900g     砂糖

レモン5個分 ジュース

薔薇の花びらが柔らかくなるまで水で煮ます。砂糖とレモン果汁を加え、テスト時にジャムが固まるまで急速に沸騰させます。熱い瓶に注ぎ入れて密封します。食品用のローズウォーターを追加して、風味をさらに高めることができます。 (非食品グレードのローズウォーターは有毒な防腐剤が入っている可能性がありますので、ラベルを確認してください。)

 

薔薇の花びらといちごのジャム

2カップ   香りのよい濃い赤の薔薇の花びら

1カップ   水

2カップ   イチゴの葉を取り、四つに切る

2カップ   砂糖

レモン汁大さじ1とクエン酸小さじ1/4

小さじ1/4  酒石酸   

薔薇の花びらの白い部分を取る。鍋に水と砂糖、薔薇の花びら、イチゴ、レモン汁を入れます。ゆっくりと沸騰させ、砂糖が溶けるまで攪拌し、その後急速に沸騰させ、設定温度に達するまで酒石酸とクエン酸を加えます。きれいな熱い瓶に注ぎ入れて、密封します。

 

薔薇の花びらフリッター

薔薇の花びらをシェリー酒またはブランデーに浸し、こね粉に入れ、熱い油ですばやく揚げる。油をよく切り、アイシングシュガー又は粉糖を振ってサーブします。

 

薔薇の花びらのアイスクリーム(カンタベリーハーブソサエティクックブックより)

( from the Canterbury Herb Society Cookbook )

1カップ      赤い薔薇の花びら

大さじ1      キャスターシュガー

175 ml(3/4カップ)ロゼワイン  

1リットル     バニラアイスクリーム

 

アイスクリームを少し柔らかくします。その間にすべての薔薇の花びら、ロゼワイン、砂糖をブレンダーに入れ、滑らかなペーストになるまで泡立てます。好みの味に合わせて、アイスクリームをまぜます。混ぜたアイスクリームを冷凍庫に戻します。冷凍庫に戻す前に一、二回撹拌すると滑らかに仕上がります。

 

* 注意事項:このテキストは一般的なガイダンスとして提供されています。副作用が生じたり、何らかの症状が続く場合は、資格のある薬草医または医師に直ちに連絡してください。

 

ウェブサイト:www.lavenderhillherbals.com

Karina Hilterman, Medical Herbalist, Ph +61-3-59831534 or +61- 400019567 Send an email to Karina