Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

2018年10月04日 | 中世料理書-耳

9. 耳

http://www.turismo.it/gusto/articolo/art/orecchiette-la-pasta-pugliese-pi-famosa-nel-mondo-id-12065/ から;

 

プッリャの代表的なレシピ、“オレキエッテのターナップ和え” をご紹介しましょう。

オレッキエッテ等の作り方は、https://www.youtube.com/watch?v=eEB7jgvXiZk をご覧ください。ナイフや指を使って生地を丸め、そのあと凹んだ内側を押し出して表側にするところがみそです。外側を粗造にして、ソースが良く絡むように配慮しています。

 

    

                Orecchiette with turnip tops

 

プッリャでは、オレキエッテは他に "recchie",  "recchietelle",  "strascinate", "pizzarelle" の名があり、パスタの大きさに応じて変化します。大きいものは "pociacche"、平たいものは "strascinate" と言います。

 

ナイフを使って生地をテーブルの上にこすりつけるように作ったものは。裏と表を返しません。“strascinati ” ストラッシナーティといい、薄いパスタです。「耳」とは少し様子が異なります。

ソースはトマトの他、ブロッコリ、フェンネル、カリフラワー、チーマ・ディ・ラーパ( cime di rapa )が使われます。プーリア州特産の青葉アブラナ科アブラナ属の菜の花の一種、チーマ・ディ・ラーパを使うのはプッリャの伝統料理です。


かすかな苦みがあるので、オリーブオイルで炒めた後、生クリームで和え、塩、コショウをして、そこに茹でたパスタを入れます。パルミジャーノリッジャーノを振ると “Orecchiette with turnip tops” の完成です。turnip topscime di rapaの英語名です。


    

                   cime di rapa


苦みのある野菜と生クリームの取り合わせは、参考になるでしょう?



つづく。



 

 


2018年10月01日 | 中世料理書-耳

8. 耳

 

ノルマン人がバーリの地に侵攻した証拠が残っています。「ノルマン-ホーエンシュタイン城 ( The Norman-Hohenstaufen Castle )」です。この城は南イタリアのサンニカンドロ・ディ・バーリにあり、現在の城はビザンティンとホーエンシュタイン時代にそれぞれ建てられた2つの全く異なる建物からなっています。916年にビザンツ帝国のニコロ・ピッチンニ将軍( Niccolo Piccinni )が、プッリャをサラセンから守るために要塞を建設。台形の石造りの四つの尖塔がある要塞はサンニカンドロの北の一部分を占めていたのですが、150年を経ない1071年にバーリはノルマンの傭兵であるロベルト・イル・グイスカルド・ダルタヴィッラ( Roberto il Guiscardo d'Altavilla, 101/-7/17/1085, 後に中世シチリア王国(オートヴィル朝)を建てたオートヴィル家の首領)に占拠され、サンニカドロの城はこの時ノーマンの建築に完全に復元されました。 

イタリア半島のかかとの部分にあるサレント、バーリにはトマトソースまたは特徴ある羊のチーズと一緒にいただくレシピがあります。

又、チステルニーノには、実っていない小麦を粉にした、柔らかい小麦粉で作った細長い、recch とかprivttと呼ばれる司祭の耳があります。農家に伝わる、祝祭日に、ウサギのラグーと一緒にいただく料理があります。

サレント、バーリ、チステルニーノはいずれもプッリャ州にあります。因みに、プッリャ州(イタリア語: Puglia)は、イタリア共和国南部にある州で、州都はバーリ。

古代には、現在の州域の北部・中部がアプーリア( 古代ギリシア語: πουλία )、アプリア( ラテン語: Apulia )の名で呼ばれていました。英語: Apulia、ドイツ語: Apulien。

 

       

         プッリャ州                 バジリカータ州

 

プッリャ州とバジリカータ州に伝わる「耳」をもう少し詳しく見ていこうと思います。 

プッリャ州のシンボルでもあるアプーリアの耳( Le orecchiette pugliesi: il simbolo della Puglia )は次のようなものです。

 

       

 

アプーリアの耳は、プロバンス地方又はユダヤの伝統料理であり「今ではアプーリア料理として知られています」と説明のあるものは、写真に見られるような小麦粉、水、オリーブオイルで作った小さなドーム状の、真ん中が薄い形をしたパスタです。指をつかってボードの上を擦りつけるようにして、小さな耳の形に似せて作ります。アプーリアの耳の名前の由来になっています。

 

 

つづく

 

 

 


2018年09月27日 | 中世料理書-耳

7. 耳

2017/6/26から6/30のブログでお菓子の「お菓子-耳」について述べましたが、料理(オレキエッテ)についての考察がまだ残っていました。今回は「料理-耳」について書こうと思います。

(カテゴリー内の“中世料理-耳”を見ていただくと、「耳」と呼ばれている(レシピの)歴史の一連のお話がつながります。)

 

料理で耳といえば、思いつくのは、耳の形をしたオレキエッテ( Orecchiette )です。オレキエッテは現在、イタリアのプッリャ州( Puglia )とバジリカータ州( Basilicata )で特に親しみのある、地域を代表するパスタです。タランティーノとヴァッレ・ディトリアでは " 小石:chiancarelle ", “小さい耳: recchjetedd ” は互いに同義語です。大きさは1.8cmほどの小さい白いドーム状をしていて、辺縁は細く表面が粗いパスタです。種類が多いですがいずれも小麦粉と塩水だけで作ったパスタです。


オレキエッテの起源は上で述べたプッリャではなく、最も可能性が高いと言われているのはフランスプロヴァンス地方です。ここは中世から南フランスの硬質小麦でパスタを作っていた地域です。非常に厚みのある皿状の形をした、真ん中に親指で押して穴を開けたものでした。その独特の形は、乾燥しやすく飢饉に備えての保存性を高めるためのものでもあり又、船の長旅に備えるためでもありました。

 

オレキエッテはプッリャ州とバジリカータ州に今もあり、13世紀にその地を治めたアンュー家から広がったと言われています。


12
13世紀にわたってドイツ南西部のノルマン人がオレキエッテ発祥の地であるサンニカンドロ・ディ・バーリ(イタリア共和国プッリャ州バーリ県にある基礎自治体)をイスラエル共同体保護の目的で支配下に置いたことがあります。その当時、ユダヤ人の伝統的なレシピの中に「ハマンの耳」、「クロワゼット」、「オクシタンの谷で作られたパスタ」と呼ばれるものがありました。その地、サンニカンドロ・ディ・バーリはサニカンドロから遠く離れているのでオレキエッテには中東イスラムの影響があったのではと考えられます。

2017/6/26から6/30のブログでお菓子の「お菓子-耳」について述べましたが、料理(オレキエッテ)についての考察がまだ残っていました。今回は「料理-耳」について書こうと思います。

(カテゴリー内の “中世料理-耳” を見ていただくと、「耳」と呼ばれている(レシピの)歴史の一連のお話がつながります。)

 

料理で耳といえば、思いつくのは、耳の形をしたオレキエッテ( Orecchiette )です。オレキエッテは現在、イタリアのプッリャ州( Puglia )とバジリカータ州( Basilicata )で特に親しみのある、地域を代表するパスタです。タランティーノとヴァッレ・ディトリアでは  " 小石:chiancarelle ",  “小さい耳: recchjetedd ”  は互いに同義語として使われています。大きさは1.8cmほどの小さい白いドーム状をしていて、辺縁は細く表面が粗いパスタです。種類が多いですがいずれも小麦粉と塩水だけで作ったパスタです。


しかし、オレキエッテの起源は上で述べたプッリャではなく、最も可能性が高いのはフランスプロヴァンス地方だと言われています。ここは中世から南フランスの硬質小麦でパスタを作っていた地域です。非常に厚みのある皿状の形をした、真ん中に親指で押して穴を開けたものでした。その独特の形は、乾燥しやすく飢饉に備えての保存性を高めるためのものでもあり又、船の長旅に備えるためでもありました。

 

オレキエッテにはプッリャとバジリカータがあり、13世紀にその地を治めたアンュー家から広がったと言われています。


12
13世紀にわたってドイツ南西部のノルマン人がオレキエッテ発祥の地であるサンニカンドロ・ディ・バーリ(イタリア共和国プッリャ州バーリ県にある基礎自治体)をイスラエル共同体保護の目的で支配下に置いたことがあります。その当時、ユダヤ人の伝統的なレシピの中に「ハマンの耳」、「クロワゼット」、「オクシタンの谷で作られたパスタ」と呼ばれるものがありました。その地、サンニカンドロ・ディ・バーリはサニカンドロから遠く離れているのでオレキエッテには中東イスラムの影響があったのではと考えられます。


  

            The Norman-Hohenstaufen Castle


つづく。





 

 


2017年06月30日 | 中世料理書-耳

6. 耳

 

                      

タイユヴァンは甲冑を身に付け、彼自身を表す3つのポット、その上下に薔薇の花をあしらった紋章型の盾を、腰には短剣を携えています。足で竜を踏みつけ、彼が敬虔なキリスト教徒であり、騎士であったことを示しています。(墓石の一部分から)

 

タイユヴァンは宮廷につかえる料理人としての父を幼児期からみていたのではないかと思います。そうでなければ、下働きとはいえ僅か10歳の少年を宮廷の料理場で使うことはないと考えるからです。(当時は、自分の足で歩けるようになると仕事をさせたので、10歳という年齢は、働くのに幼すぎるということはないのです)

 

この時代は毒殺が通常に、政敵を倒す手段としてまかり通っていましたので、調理を作る調理人と、それを運ぶ給仕人にはとりわけ目が配られていた時代です。料理人は血縁関係者あるいは騎士としての宣誓式を終えた者にしか許されていない仕事でした。

 

タイユヴァンは優秀な料理人ではあるけれども、ノルマンの血を分けた、ノルマンディ人であり、敵対するイングランドとも何らかのつながりのある人間なのです。1356年イングランド軍と争ったポワティエの戦いで大敗北を喫した当時のフランス王ジャンⅡ世はイングランド王軍の捕虜となり、ロンドンに連行されたのですが、ジャンⅡ世はエドワード黒太子からイングランドでの旅行、ロンドン塔内でのパーティの開催を許されるなど手厚い処遇を受けています。この時代はイングランドとの百年戦争のまっただ中の時代ですが、前の時代の,イングランドとフランスが婚姻関係を結んでいた時代の友好関係がまだ残っていたのです。

 

このジャンⅡ世がロンドン塔に囲われていた時、タイユヴァンが料理人として呼ばれたという話もありますが、これは行き過ぎた解釈だと思います。全くあり得ない話だとも言えないのですが。しかし、そのような緩やかなほんわか時代は終わりを告げようとしていたのです。1380年、タイユヴァンを支えてくれていたシャルルⅤ世がこの世を去ります。そして、狂気をはらんだシャルルⅥ世とその周りの、色と欲を孕んだ者達の暗躍が始まろうとしていました。

 

このような政治的背景をとっさに捕らえ、料理の名前にすら素早く配慮を払う、このメナジェ氏とは,一体どのような人物だったのだろうと思うのは、私一人ではないでしょう。

 

結論から言うと、役人、しかも高級官僚ではないだろうかと思っています。五十歳余りの年の差のある、若い妻を教育すべく羊皮紙にペンを走らせるこの者は並みの者ではないはずです。ここでは割愛しますが、彼はフランス宮廷の出来事を詳しく見聞きし、そのことを彼は「我々には関係のない、別の世界の出来事だ」と若い妻に語り聞かせているのです。しかしその一方、市長、裁判長などパリのお歴々の、屋敷での接待の方法、テーブルの席順、お供の方々の食事の内容などを事細かく説いているのです。

 

 

                                               完

オレッキエッテ側からの考察が残っています。少し時間をおいてアップするつもりです。しばしお待ちください。 

ベルガモットの花がやっと咲きました。

 

 

 


2017年06月29日 | 中世料理書-耳

5. 耳

 

料理の名前が変わることは、滅多に無いですが、皆無ではありません。一番可能性の高いのは、政変による改名です。レシピから見て取れるように、中世に書かれた料理書は、料理人が利用するためのものではありません。( レシピの中に、材料の重量、容量、調理時間など、料理をするために必要な記載がほとんどありません。)王様の蔵書の一つとして、王様の本棚に飾るためのものです。言葉を換えれば、料理書に書かれたレシピは王様の権威を盛り立てる内容でなくてはなりません。( 手に入れ難いスパイス、見たこともない食材、豊富な料理の種類等 )敵対する国の料理を載せることはありません。そうと分かれば、答えは見えたも同じです。

 

       

 

   1372年3月23日、シャルルⅤ世の侍従Jean de Vaudetarが彩色画入りの聖書を献呈している図。

           The Hague, Museum of the Book Ms 10 B23 F2rから 

 

ふたつの料理書が世に出た年代とそのバックグラウンドを比較してみましょう。

出版時期にはほんの少しずれがあります。

オリエットは1393年。ロリーパスティは1380年(第一版目)にすでに世に出ています。1393年は第二版目と同じ年代ですが、メナジェ氏はそれよりも早くロリーパスティを手にしていたはずです。1390年と仮に決めておきましょう。

 

ル・ヴィアンディエの著者、Guillaume Tirel  ( ギョーム・ティレル ) 通称Taillevent  ( タイユヴァン ) は、1312?年にノルマンディ半島のPoint-Audemer  ( ポン オードゥメール ) に生まれ、14歳でジャンヌ・デヴルー( Queen Jeanne d'Evreuz of France;1310-1371/3/4、カペー朝最後のフランス王シャルルⅣ世の3度目の王妃。)の元で料理の下働きを始めます。以降、フィリップⅥ世、ジャンⅡ世、シャルルⅤ世、シャルルⅥ世の料理人となって仕えます。シャルルⅤ世に仕えた時間が一番長く、料理書を書くように勧めたのも、それを謹呈したのもシャルルⅤ世でした。

タイユヴァンが料理書を完成させた1383年は、彼の人生を飾る最後の花であったろうと思われます。

 

つづく。

 


2017年06月29日 | 中世料理書-耳

4. 耳

 

http://cuisine.journaldesfemmes.com/recette/327965-merveilles-ou-oreillettes から

 

耳のお菓子はラングドック語を話すルエルグ(Rouergate)地方のもので、カーニバルやクリスマスの期間に作られるものです。

      

               不思議な耳( Merveilles ou oreillettes )  

材料(10人分)

中力粉               500g

レモンの皮(おろす)        1個分

塩                 1 ts

卵                 4個

グラニュー糖            50g

オリーブオイル又はバター      50g

オレンジフラワーウオーター     1 TBS
粉糖                500g 
ピーナッツオイル           2 L

 

方法;

1. 材料を混ぜてよく練る。ドウが指につかないようにオイル又は粉を入れて調整する。丸く丸める。ふきんを被せて2時間置く。

2. のばしてルーレットで5 x 10 cmの大きさに切る。

3. 粉糖を入れ物に入れる。ピーナッツオイルを170℃に熱する。

4. フライする。

5. 取り出したらすぐに丸めて粉糖の中に入れる。ペーパータオルの上に並べる。 

 

不思議な名前のお菓子ですね。どこが“ 不思議 ”なのでしょう。それは次の絵を見れば合点します。

      

       https://www.meilleurduchef.com/en/recipe/oreillette-carnival-fritters.html から

オリエットカーニバルフリッター( Oreillette Carnival Fritters ) です。耳の形をしています。

Merveillesという訳は間違っているのでは?とお思いかもしれません。「素敵な」あるいは「美味しそうな」の方が適訳なのではと指摘されるかもしれません。

しかし、フリッターを初めて作った料理人はやはり「信じられない」というのが正直な感想だったのではと思います。何故なら、製粉の不十分な小麦粉を使って、これほど口当たりの良いお菓子を作ったことは「神業に近い」出来事だったからです。小麦粉を使った、例えば、スープのような料理を作るには、いったん小麦粉をパンにして、それを挽いて使ったのですから。 このお菓子には、イスラム文化の影響を受けた、当時の最先端技術が導入されています。

オリエットは地方によって形が異なるようです。菱形のもの、四角で真ん中に切れ目が入ったものなどがあります。

 

それでは、loure がorillettesに変わった理由は何でしょうか。次回はいよいよ本題に迫ります。

 

 


2017年06月28日 | 中世料理書-耳

3. 耳

 

諸々の事情を乗り越えて?それとなく内容を理解しようと試みると、ぼんやりとこの料理の姿が浮かんでくるでしょう? 次に「耳」の文字が料理書の中に現れるのは、数年後の1393年。びっくりするような短期間の内に出現します。その本、メナジェ・デ・パリ(  Menagier de Paris ;パリの家政学 )は一体誰が書いたのか今もってわからないけれども、普通の人間でないことだけは確かです。羊皮紙にガチョウのペンで写し取ったLe Viandier de Tailleventを短期間で手に入れて自らの本の中に書き入れたのですから。

 

Menagier de Parisは、他書からの引用が極めて多い書物です。しかしそこに書かれた料理名は「ロリーパスティ」ではなく、「オリエット;orillettes」に変化していました。この料理の中身を吟味し、先の料理と同一であることを確認したいところですが、レシピは書かれていませんでした。(このことがこの本を書いた著者;以下メナジェ氏と呼ぶことにします、の正体を知るきっかけになるのですが。)

 

第二のコース。海の魚、淡水魚、ブリームとサーモンのパイ、ウナギのゼリー( 逆さまにしたウナギ )、茶色のherbolace(ハーブのパイ包み), テンチのベーコン粥、ブラマンジェ、レタス、lozenges  ( ロザンヌ ),  orillettes  ( 耳の形をしたオリーヴでフライした小さなケーキ )、ノウィージャンパイ、サーモンとローチの詰め物。

 

内容から、第二コースの料理はアントルメであることが分かります。小さな耳は、その内の一つです。大切なお客様を迎えての、第二番目のコースの中でサーブされる料理です。金箔、銀箔、サフランで飾った料理は貴族以上の身分の者にしか出すことのできない、(してはならない)豪華な料理です。

   

     

          Histoire du Grand Alezandre: Petit Palais から

           ジョージ・ネヴィルが大司教の座に着いたことを祝って1467年に行われた饗宴

この豪華な祝宴を飾るのはクジャクのアントルメです。作り方は、孔雀の羽、足、頭を取って、その肉を軽くローストします。冷めた後で取っておいた羽等を元に戻すのです。肉がよく焼けていると後で首や頭が取れてしまうために、この料理を食べるとお腹を壊すと、美しいけれども、手を付けるとひどい目に合うという評判の料理でした。孔雀のアントルメは「ロリーパスティ」から、少し後になって現れたアントルメです。

 

このレシピではオイルがラードからオリーヴに変わっています。オリエットと名の付いた料理は今もあるのでしょうか。フランスのサイトから「不思議な耳」というレシピを見つけました。




2017年06月27日 | 中世料理書-耳

2. 耳

 

このレシピには2つのレシピが挿入されています。

一つは、コインの大きさのペイストリィを作ってそれをラードでフライするもの。

二つ目は、レタスの葉の形をしたものを、大小作ってそれをラードでフライするものです。

 

意味が取りにくいのは、2つのレシピが押し込まれているからですが、一つのレシピ(と我々が勝手に思い込んでいるのが間違っているのだけれど)の中に二つ以上のレシピが混在することは、中世料理書にはままあることです。ページを飛ばすようなミスもたまにあります。この時代、字が書けるのは、聖職者と貴族です。写本をして知識とお金を得なければならないのは聖職者ですが、新たに書き写す時に、一冊は依頼者のために、二冊目は自分のために作業をすることはよくあることでした。一冊の本から、二冊の本に書き写すとき、上のようなミスを犯すことは十分に考えられることです。

 

             

フランスリール市長であり、ブルゴーニュ公の秘書、しかも翻訳者であるジャン・ミッシェル( Jean Michel、1472 )は、今まさに写本の真っ最中です。 https://script.byu.edu/Pages/Italian/es/history.aspx から

料理書;ル・ヴィアンディエはこのような作業を経た結果、現在我々の目の前にあるのです。 

最初に書かれているのが、今話題にしている「耳」のレシピです。小麦粉を練って筒状に延ばし、それを切り分けてスプーンのようなものでボード上に擦り付けてカールしたパスタを作ります。それをラードでフライしたものです。

 

ロリーパスタのロリーとは;

Lorez ; この単語は最初の音節にストレスがあり、ラテン語のlura、そこから派生したloure(ルール;現代フランス語 )につながる言葉です。ルールはブルターニュ、ノルマンディ地方で使われていたバグパイプの一種です。又、ラテン語では財布を示すことからLorezは小さな袋状のものを指すと思われます。

バグパイプはスコットランド、アイルランド、スペイン、ポーランド、トルコ、バルカン半島広い範囲に存在するので、「Lorez」という言葉は広い範囲で理解されていたと考えられます。

 

因みに、ヴァチカン図書館に保存されている写本(下)では「ロリー」は直前のレシピ; PASTEZ NOURROYS 内に含まれています。 

http://www.staff.uni-giessen.de/gloning/tx/vi-vat.htm から )

 

PASTEZ NOURROYS

Prenez chair cuite bien menue hachiée, pignolet, raisin
de Corinde et frommage de gain esmié bien menu, et ung
pou de succre et ung petit de sel.

Pour faire petis PASTEZ LOREZ, comme pastez d'un blanc
ou au dessoubz, et les frire, et qu'ilz ne soient pas si hault de
paste, et qui veult faire des laictues et des oreillettes, fault
faire couvercles de pastez, les ungs plus grans que les autres,
et les frire en sain de lart porc doulx tant qu'ilz soient
durs comme cuitz en ung four; et qui veult, on les dore de
fueil d'or ou d'argent, ou de saffren.

 

次回は「ロリー」から「耳」につながる証拠の品をお見せしましょう。

 

 

 

 


2017年06月27日 | 中世料理書-耳

1. 耳

        

 

現存している料理書の中に初めて「耳」という表現が現れるのは、フランス王シャルルⅤ世の為に宮廷料理人タイユヴァンが著した料理書;ル・ヴィアンディエ(Le Viandier de Taillevent)に於いてです。(タイユヴァンは1373-1380年の間に初版を、1380-1393年の間に初版にワインの取り扱い方法を加筆した二版目を著しました。問題のレシピはその両方に入っています。下に引用しておきます。(訳は原典のままで、カッコ内は訳注です。)

 

194. ロリーパスティ( Petis pastez lorez

小さいロリーパスティを作るにはパスティをBlank 5デニールコイン )又は、それよりも小さいサイズにしてフライする。パスティはそんなに高く(厚く?)しない。レタスと小さい耳(レタス状のあるいは耳の形をしたパスティ)を作るには蓋のパスティを作り、大きいものや小さいものを作り、オーヴンでクックした時と同じ硬さになるまでラードでの中でフライする。お望みであれば金箔又は銀箔、或いはサフランで飾ることができる。


この料理書は評判が高く、1486年から1615年にかけて24版が出版されています。ほんの最近まで使われていたのです。上に掲げた料理書の表紙絵は24版の内の一つです。(フランスの偉大な料理人タイユヴァンの書と大書してあります

レシピの解説は、次回に。




2017年06月26日 | 中世料理書-耳

 

ベルガモット( Monarda didyma )和名:タイマツバナ。シソ科ヤグルマハッカ属、多年草。)の花が咲きそうで咲きません。もう10日間もこの状態が続いています。赤い花が咲きますよと言われていただいたのですが、先端はずーっと白いままです。花が咲いたら、これもしよう、あれもしようと考えているのですが、それまでには少し時間がかかりそうです。

先日、ブログを見ていたら、オレッキエッテの絵が出てきました。耳( オレッキエ:orecchie ) という名のパスタです。さして耳らしい形ではないのですが、昔からこの名が付いているのでしょう。私も何度か作って食べたことがあります。しこっとした歯触りで、単純な形の割にはソースの乗りがよいパスタです。

       

                       http://keywordsuggest.org/gallery/615580.html から

この写真を見ていて、何年か前に訳した中世の料理書の中に「耳」という言葉が出てきたことを思い出しました。もう一度時間をかけて、7, 8 月のお菓子教室の夏休みの間に、調べてみようと思いました。ベルガモットの花期は、6, 7, 8 月ということですから、時間は十分にありそうです。。

・・・・というわけで、次回から ”耳” について少し述べようと思います。極めて、マニアックな内容ですが、知識欲を掻き立てられる作業になりそうです。