レモンバーム 9
広告とパンフレットに使われた羊皮紙はモベールの修道院の“聖ジャックのブラザーヨアヒム”が1715年に書いたもので、ここにはレモンバームの本当のレシピが書かれています。このレシピは秘密裏にされており誓いの許、カーメライトの修道士又は修道女に限り伝えたものです。(羊皮紙は東の、レバノン又は聖地パレスティナ由来のものと思われます。)このレシピはプレイス・モベール( Place Maubert, nicknamed La Maube1,2,3,4 is a square located in the districts of the Sorbonne and Saint-Victor of the 5th arrondissement of Paris )にある大カーメライト修道院にあったレシピを発展させたもので、レモンバームウオーターとして荷役人らにヴォージラール通り( the Rue de Vaugirard )の修道院を通じて売っていました。
カーメライトウオーターは、カルメル修道院が1607年にヴォージラール通りにできると、そこでも売られるようになりました。又、カーメライトの秘薬としてプレイス・モベールで扱われるようにもなります。( 2つの修道院であつかわれるようになったのです。)
先のレシピは聖ジャクのヨアヒム修道士に、二つ目はダミアン修道士に手渡されました。二つの違いは大カーメライト修道院のものであるものと、それを変えたものとの差です。
今では、残念ながら1790年以前のカーメライトウオーターを知る者は誰もいません。ヴォージラール通りで売られていたものには専売権がついていましたし、誓いはしっかりと守られていたのです。
エメリーD'Emmery(身許不詳)が1659年に初めて、カルメル水を薬局方に適合したものに処方します。これは先に述べたヴォージラール通りのものではなく、プレイス・モベールのものです。
カーメライトウオーターはこの後、レモングラスウオーター、メリッサ、カルメル水(Aqua Carmelitarum)、カーメライト水(water of the Carmelites)と様々な名前で世に送り出されます。1755年の文献では2~3.5万ポンドを1年で稼いだといわれています。カーメライトウオーターにそれだけの価値があったのでしょうが、聖人を持ち出してまでの販売、利権争いもあったでしょう。
引用文はこの後、相当長く続きます。興味のない方はこの辺で切り上げて、2週ほど後に訪問していただいて、様子見をなさるといいかもしれません。フランス語ができる方は、引用先の http://www.wikiwand.com/fr/Eau_de_m%C3%A9lisse_des_Carmes_Boyer をご覧になると手間が省けます。ブログは他からの引用も挿入しながら少しの間つづきます。