Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ハーブ

2017年09月12日 | レモンバーム

レモンバーム 12

その頃、レモングラスウオーター、別名メリッサと呼ばれていました、カーメライトのカーメライト水は、入浴剤、疫病(ペスト)の臭いをカモフラージュするために使われていました。又、リシュリュー枢機卿※が偏頭痛の持薬にしていたこともあって、ルイXIV世の宮廷でメリッサ水は万能薬の名を得たのです。

   

リシュリュー枢機卿(アルマン・ジャン・デュ・プレシー、Armand Jean du Plessis, cardinal et duc de Richelieu, 9/9/1585-12/4/1642、カトリック教会の聖職者, 政治家。1624年から死去するまでルイ13世の宰相を務めた)  フィリップ・ド・シャンパーニュ( Philippe de Champaigne, 5/26/1602-8/12/1674、バロック期のフランス派の画家)1637年画。 

※ ハプスブルク・スペインはユグノーとの紛争でフランス軍が引き止められている状況を利して、北イタリアのマントヴァ公国継承問題に軍事介入をします。ユグノーが降伏した後に、ルイXIII世とリシュリューは1629年2月、軍を率いてアルプスを越え、北イタリアに出征してスペイン軍を撤退させます。戦争はフランス軍の優勢に進むのですが、戦費調達のため財政難に陥り、母后マリーを始め、貴族や民衆の反発を受けることになります。その翌年、リシュリューの地位は以前のパトロンである母后マリー・ド・メディシス(Marie de Médicis)に脅かされることになります。母后マリーはリシュリューが自分の政治権力を盗んだと思い込み、リシュリューに反対するカトリック篤信派の国璽尚書を管理するミシェル・ド・マリヤックと一緒にリシュリュー失脚を謀ります。母后マリーは息子のルイXIII世に宰相の罷免を要求します。(国王は私的にはリシュリューが好きではなかったようです)ルイXIII世は説得されて、1630年11月11日、母后マリー・ド・メディシスと王弟オルレアン公ガストンはリシュリュー罷免の確約を国王から受けるのですが、リシュリューはこの陰謀に気づくと、翻意するよう国王を説き伏せます。ルイXIII世は土壇場で態度を翻し、リシュリュー支持を表明すします。これ以降、国王のリシュリューに対する支持が揺らぐことはなく、リシュリュー公爵位がつくられ、フランス貴族(Pair de France)の称号が与えられました。一方、陰謀を画策したマリヤックは逮捕され、母后マリー・ド・メディシスはコンピエーニュ(Compiègne)に幽閉され、その後ブリュッセルに亡命したのです。

 

 

つづく。