Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

トウガラシ

2021年10月31日 | ハーブ

               8  トウガラシ

      シシトウの花   Capsicum annuum var. grossum   2021/8/16

 

「トウガラシ」と聞いて、その他の呼称をいくつ挙げることが出来るでしょうか。

レッドペッパー、チリ、カイエンペッパー、ピメント、パプリカ、ペペロンチーノ、辣椒(ラージャオ)・・・・・。国が違えば更にたくさんの名前が出てきそうです。トウガラシが今まで歩んできた長い時間と歴史がその名前の中に刻まれているにちがいありません。今回は時間を追いかける旅になりそうです。

 

そして、私は「トウガラシ」と聞いて、七味唐辛子を思い出しました。ズーッと昔からあったような気がします。トウガラシはすっかり日本に馴染んだハーブといえるでしょう。しかし、いろいろなかたちで利用し始めたのは最近の事のようです。唐薯(カライモ)、唐黍(トウキビ)、唐茄子(トウナス)の例を挙げるまでもなく、唐唐辛子という名から、唐から伝搬したとは思われないでしょうが、外国から伝えられた植物である事には同意していただけるのではないでしょうか。

  

                 鷹の爪             ‎2021‎/6‎/29

 

 記録に残る年代(伝来)  日本   朝鮮   インド    ドイツ                          

              1542   1613    1540以前    1539                            

1542年にポルトガル人宣教師が大友義鎮(宗麟)にたばこやトウガラシを献上したとの記録があります。又、1552年にはポルトガル人宣教師バルタザール ガゴ (Balthasar Gago) が大友義鎮にその種を献上したと文献にあり、ポルトガル人宣教師ルイス フロイスは1577/8/10付けの手紙で、日本の貴人が珍重する品々の一つに 「酢漬けのトウガラシ」を挙げています。しかし、このことで豊後の国から日本全域にトウガラシが広まったとは思えません。物品が広く行き渡るにはそれを受け止めるための下地や、大きな出来事やきっかけがなければ成立しません。大友義鎮が行った対明、対朝、対カンボジア貿易では確かに物の交流はあったでしょうが日本全体を揺さぶるほどの影響力は無いように思います。ポルトガル人たちの手で16世紀半ばに日本の九州に伝わったトウガラシは、豊後周辺で時を経た後、16世紀後半に朝鮮に伝わり、そこから、秀吉の朝鮮出兵に従事した日本軍兵士たちによって再び京、大阪など日本の本州へ流入したとみる説が今のところ有力です。トウガラシに「唐=外国」の文字が付いていることに納得です。

朝鮮には、勿論中国からのトウガラシの流入もあったに違いありません。元来辛いものを受け入れる下地があったからこそキムチへの転用がスムーズにいったと推察します。インドへのトウガラシの受け入れもその下地が既に備わっていたからこそ短時間で成り立ったのです。(胡椒、山椒、辛子等の刺激物を多く使った料理が既にあり、唐辛子がそれに置き換わったとみるのが穏当な考えだと思います。こういった交代劇は今までの歴史の中で幾たびか繰り返されてきたことです。)翻って、日本をみると、日本には辛いものを受け入れる下地が無かったので、早い時期に伝わったにもかかわらず、その利用法も薬用、防虫、薬味等、限られた範囲だったのです。

 

トウガラシが朝鮮の文献に初めて記載されたのは、李光が1613年に編集した『芝峰類説』の食物部の中にあります。『南蛮椴には大毒がある。倭国からはじめて来たので俗に倭芥子 (わからし)というが、この頃これを植えているのを時々みかける。酒屋では焼酒(焼酎)に加えて売っており、これを飲んで死んだものも多い。』

この文章は反日的色彩が濃いですが、これは秀吉の侵略をうけてから間もない時代の朝鮮人の文書としては当然のことでしょう。 

 

又、トウガラシと言えば、インド料理が思い浮かびますが、インドには、1540年以前にポルトガル経由ルートで、1570年代にフィリピン (ルソン)-マラッカ経由の、二つのルートで伝えられたと言われています。日本にはインドとほぼ同じ時期にトウガラシが入っていたのです。日本には随分と早い時期に到達していたのにはちょっとびっくりです。(ポルトガル人が直接持ってきたのですから、当然といえば当然ですが。)

 

 名前の変遷  プリニウス   フックス      ジェラード       ベスラー    

        Siliquastrum  Siliquastrum   Guinea pepper  Chilli pepper     

ヨーロッパにはドイツの医師、植物学者であるレオンハルト フックス(Leonhart Fuchs1501/1/17 – 1566/5/10)が『 植物誌:Historia Stirpes commentarii insignis 』にSiliquastrum(下図参照)の名で1542年にトウガラシを初めて登場させました。しかし、フックスは、プリニウスがNATURAL HISTORYに記述している植物をトウガラシであると思い込み、そこに記されていた名を使いました。南アメリカから来たことに気づいていなかったのです。それはフックスの後で編纂されたDodoen's Cruydeboeck(レオンハルト フックスの影響を受けた草木本、レンベルト ドドエンス著、フランドルの医師、植物学者1551刊)とHenry Lyteの翻訳(ヘンリーライトによる1554年のレンベルト ドドエンのクルードベックの1575年の翻訳;Cruydeboeck (1551) and Lyte's translation (1557))にもみられ、「熱で乾の3度である」との注意書きが付いています。

クルードベックは肉のソースに良いと推奨し、それが「胃を温める」こと、そして喉の痛み、腺病に良いこと、そしてシミを取り除くことを指摘しました。

ジョン リンドリー(John Lindley , 1799/2/5 -1865/11/1、イギリスの植物学者、園芸家、蘭研究家)が、『 それは、キナの木と組み合わせて使うと、慢性衰弱、栄養不良による痛風, 消化不良、鼓腸, 中耳炎、麻痺等に効果がある。 悪性喉頭炎(重度の喉の痛み、窒息を伴う悪性猩紅熱)に対して、うがい薬として又は服薬として投与する。しかし、その主な用途は痛みの緩和と、筋肉損傷、消炎鎮痛剤として局所的な適用である。1838 』と書き残しています。

  

                           シシトウ                        2021/8/31

シシトウも完熟すると赤くなります。甘く、料理に使うとアクセントになります。

 

 

 主な有効成分     カプサイシン         βカロテン                          

          アドレナリンの分泌を促進     抗ガン作用                           

辛味の主成分はカブサイシンで、果実の胎座 (種子を付着させている部分)で作られ、胃液の分泌を促進して、食欲を促す働きがあります。脂溶性の無色の結晶で、アルコールには溶けやすく冷水にはほとんど溶けません。カプサイシンは摂取すると内臓感覚神経に働き、アドレナリンの分泌を活発にさせ、発汗及び強心作用を促す働きがあります。唐辛子の刺激は胃腸をも刺激し、消化液の分泌を促し消化を進めます。トウガラシにはビタミンCが多く含まれています。風邪の予防や疲労の回復、肌荒れなどにも効果があります。βカロテンは抗発ガン作用や免疫賦活作用があるといわれています。

 

カプサイシンは、痛みと熱を感知するニューロンに作用して、体温で痛みの感覚を教えてくれますが、

 

湿布薬には普通、次のような注意書きが添えられています。「トウガラシエキスは温感刺激を与える事に優れています。これらの総合的な作用により、慢性的な炎症と痛みを緩和します。」成る程その通りなのですが、慢性の症状に継続して使う事は薦められません。当初、消炎作用を発揮していたカプサイシンが翻って炎症作用を引き起こすようになります。又、カプサイシンは、実験的に、癌細胞のミトコンドリアを攻撃することによって細胞を殺すことが示されています。特に関心が集まっているのは、膵臓と前立腺の腫瘍サイズを縮小する能力です。

          

          Fuchs, De Historia Stirpium (1542) : siliquastrum tertium

        “siliquastrum tertium(第三の胡椒)” と左下に書かれています。

 

フックスよりも少し前の、ヒエロニムス ボック (Hieronymus Bock、1498 – 1554/2/21、ドイツの植物学者、医師、ルター派教会の牧師) が、teutschem Pfeffer(ドイツの胡椒)という名前で“Kreutterbuch 1539年刊”にトウガラシを載せていますが、挿絵が入ったのは1546年になってからでした。

 

プリニウスの説明を引用しておきます。

『 LXVI。 私がシリクアストラムとも呼んでいるピペリチス(Piperitis:胡椒)は、てんかんのために飲む。キャスター(アントニウス キャスター:Antonius Casto、1世紀の古代ローマの先駆的な植物学者および薬理学者)はそれについてさらに説明している。茎の節は接近し、赤くて長い茎、月桂樹のような葉、コショウのような味の白い小さな種。歯茎、歯、臭い息、げっぷに効果がある。』

 

これを読んで、フックスはトウガラシをsiliquastrumと判断したのでしょう。

 

「すでに存在する呼称を利用して新大陸の新しい植物の名を付けている」ところに注目です。例えば、月から何か新しいモノを地球に持ち帰った場合、既に地球上にあるモノの名を借りてそのものの名前を付けるといった思惟です。

そんな訳で、(どんな訳かと問われれば、「長い説明を必要とする理由が潜んでいそうです。」と今回はお答えしておきましょう。)伝来当初の日本では南蛮胡椒、その省略形としての蕃椒、高麗胡椒、のちに ”唐辛子” 即ち、”外国から来た辛子” の名が一般化します。イギリス人のジェラードはギニアコショウ――伝搬経由地を引用しました。イタリアでは 1578年に はダルシャンが 「インド コショウ」あるいは 「ブラジル コショウ」と呼んでいました。

フランスは17世紀になってから、ラテン語の pigmentum (染料の意) から、後期ラテン語では 「香料、香辛料」の意味で用いられたpimentを採ります。その他の国でもトウガラシには同じような「借名」現象が見られます。

 

 

  一般名称        学名             原産地           

  トウガラシ    Capsicum annuum L.         中央、南アメリカ          

        

         Capsicum annuum L.  (鷹の爪) 2021/6/29

種を蒔いても播いてもナメクジに食べられやっと3回目にここまで育てた苗。

6月も末になってしまいました。今から育てて実は生ってくれるだろうか。

 

英名はchili pepper(チリ ペッパー)、仏名はpiment commum(ピモン コムム)、伊名ではpeperoncino(ペペロンチーノ)、独名ではPaprika(パプリカ)、中国名では辣椒(ラージャオ)、韓国名では고추(デンチュ)といいます。いずれも ”pepper” 由来の言葉です。“Chilli” はメキシコ中部に住むインディアンの部族、ユト・アステカ語族 ( Uto-Aztecan ) に属するナワトル族がトウガラシを指して言う言葉です。紀元前4,000年からメキシコで栽培され、紀元前7,200年から料理に使用されていました。初期の綴り(chian、kayan、kian)は、南アメリカのトゥピ人 (Tupi) の言語で、彼らはそれをkyinhaと呼んでいました。それが、フランス領ギアナの主要な町であるカイエンヌの名前に同化します。学名のCapsicumはラテン語のcapsa=pod like fruit(鞘状の実)の意。annuumは一年草の意です。

   

             甘長トウガラシ              2021/8/16

 

     

 

トウガラシは、その野性種が未発見のため、原産地を確定することはできませんが、メキシコ中部ラワカン渓谷では、BC6,500 -5,000年代の遺跡からトウガラシが出土しており、ここが発祥地の一つとみられています。また南アメリカ西部のペルー海岸地域では二千年以上昔の多くの遺跡からトウガラシが発掘されていて、ここも古い栽培地の一つであると考えられています。

 

コロンブスが第1回目の航海 (1492-93 ) の際に記した航海誌 『コロンブス航海誌』には、1493//1/15の条に『また彼ら (エスパニョ-ラ島住民) の胡椴であるアヒ (axiおよび agi) も沢山あるが、これは胡椴よりももっと大切な役割を果しており、これなしで食事する者は (遠征したキリスト教徒の中には) 誰もいない。彼らは、非常に健康によいと考えているのである。これは年間カラベル船50隻分を、このエスパニョーラ島から積み出すことができるだろう。』 と記述しています。ここにみえるアヒ (axi) が、アラウカ族の言葉でトウガラシを指す語だと考えられます。 このアヒについては、続いて1493年に行なわれたコロンブスの第2回航海の際に医師として参加したチャンカ博士がセビリヤ市へ送った書簡にも『この地方の島々の住民はその主食は木と草との中間のような作物の根から作ったパンと、さきに述べたアへ (つくね芋、あるいはヤム) という大根のようなものですが、このアへはなかなか滋養のある食料であります。そしてこれの味付けにはアヒというものを香辛料として倣っていますが、魚や、そして肉に、ある時には鳥にも、これをつけて食べます。』と紹介しています。この axi、agiなどがヨーロッパ大陸にもたらされて、スペイン語でトウガラシを指すachiあるいはagi, ajiとなったようです。

  

レオンハルト フックスは、1542年著の本草書『植物誌』(De Historia Stirpium Commentarii Insignes )で、植物について、ディオスコリデス、プリニウス、ガレノスなどギリシャ、ローマの古典に基づいて薬効を説明し、植物の形態に注目して、薬草以外の植物も取り上げ、植物学の確立に貢献した事で知られています。しかし、トウガラシについてはコメントのしようがありません。何とか言ってくれていたら良いのですが。無理を望んでも仕方ありません。いつもとは違う方向から切り込もうと思います。

 

新大陸に1572年から87年まで滞在した、スペイン人宣教師ホセ デ アコスタ(José de Acosta,1540-1600, 博物学者、アメリカ大陸の初期記録者の一人であるスペインのイエズス会士。)が1590年に著したHistoria natural y moral de las Indias『新大陸自然文化史』に『アヒ、または新大陸の胡枚について』と題し、トウガラシについて次のように述べています。

 

Historia natural y moral de las Indiasから、

『西インド諸島では、コショウ、クローブ、シナモン、ナツメグ、生姜などのスパイス、又は珍しい種類のスパイスは見つかりませんでしたが、私たちの会社の1つは多くの旅行をし、さまざまな場所で過ごし、イアマイク島の砂漠で、コショウを見つけたと言うのですが、いまだ確かめられてはおらず、インディーズの間でのこれらの香辛料の取引もないようです。生姜はインディーズからイスパニョーラ島まで運ばれ、今日では手に負えないほどの有り余る量となりその量は倍増しました。

1587年の間に彼らはセビリアに数100kgもの生姜をもたらしました。しかし、神が西インド諸島に与えられた野生のスパイスは、インドではアクシ(Axi)と呼ばれているもので、私たちは征服した島から名付けた言葉でカスティーリャ インド ペッパー(Castill, Indian pepper)と呼んでいる。クスコではUchuと呼ばれ、メキシコの言語ではチリと呼ばれています。この植物はよく知られており、インディアンの間ではそれが育たないところでは商品として非常に高く評価されているようです。

それはペルーのシエール(Sierre)のように寒い土地では育たず、雨の多い暑い土地で産します。このAxiには緑、赤、黄色などのさまざまな色があり、そして燃えるような色のものは非常に鋭くて噛むカリブ(Caribe)と呼ばれ、噛むと非常に刺激のある味がします。又別のものはそれほど鋭くなく、甘く他の果物と同じように食べることのできるものがあります。甘くて口一杯に入れて食べられるものもあります。小さくて、口に入れると、蔚香のような香がするものもあり、とても味がよい。このAxiで、辛いのは葉脈と種だけで、残りの部分はそうではありません。彼らはそれを生のままで、或いは乾かして、丸ごと又は潰して、鍋の中に入れて、ソースにします。このAxiを適度に摂取すると、消化のために胃を助け、楽にしてくれます。しかし、摂取しすぎると、悪影響を及ぼします。何故なら、それ自体は非常に辛く、霧のような浸透性をもつからです。従って、若い人々の健康に悪く、特に精神に影響して肉欲をおこさせます。

そして奇怪なのは、アヒ自身には火がひそんでいることは周知の事実で、入るとき出るときに燃えると誰もが言うにもかかわらず、少なからぬ人びとが、アヒは辛くなくて、爽快で充分おだやかな味だと主張したがることです。

私に言わせれば、胡椴についてもそう言えよう、この点に関しては人びとの経験は異なるまいと思う。だからアヒが極端なほど辛くはないなどというのは、笑止千万である。 アヒを和らげるには塩を使う。これは性質が反対で互いに相手を抑えるため、大いに味を変えてくれるのである。彼らは塩を使ってこのAxiを和らげ、それを修正するための優れた経験によってお互いを和らげます。彼らはまた、冷たくて(冷の性質を持つの意)非常に健康的なトマトを使用しています。果汁がたっぷり入った穀物の一種で、ソースの味が良く、食べても美味しいです。この新大陸の胡椴(アヒ) は、あらゆる地方にあまねく産し、島峡部、ヌエバ エスパニヤ (メキシコ)、ピル (ペルー)、その他発見された全ての地域に見られます。したがって、玉萄黍 (とうもろこし) がパンのための最もふつうな穀物であると同様、アヒはソースや煮物のための最も一般的な香辛料なのです。 』

 

Historia natural y moral de las Indiasの挿絵の一枚、(カリブ海を望む地図)を引用しておきました。絵の下に、『オルテリウス(Abraham Ortelius)の地図の助けを借りて描いた1570年にドレイク(Sir Francis Drake)によって覆われたマゼラン地域の地図』と説明があります。1570年はドレイクが西インド諸島のスペイン船や町を襲う海賊活動を始めた年に当たります。

     

もう一編、トウガラシの情報を手に入れておきましょう。インカの王女とスペイン人との間に生れたガラシラソ デ ラ ベガ(Garcilaso de la Vega、1539/4/12 – 1616/4/23)が、1609年に出版した「インカの生活について」と「ペルーの征服について」の2つのセクションからなる 『 Comentarios Reales de los Incas:インカ帝国史 』の中で、トウガラシについて次のように述べています。『コメンタリオス レアーレス デ ロス インカ』は彼が子供の頃いたクスコで、彼のインカの親戚が語った物語と口述の歴史に基づいて書かれています。

 

Comentarios Reales de los Incasから、

『 私たちが見てきたインカ人はインカの土地と太陽の土地を耕し収穫しました。 彼らはこれらの土地で育った農作物を収穫しました—主なものはスペイン人がアジ(aji)、またはピメントと呼ぶウチュウ(uchu)です—そしてそれらを穀倉と王室の倉庫の両方に保管しました。アコスタ神父が彼の著述、第6巻の第15章で述べているように、彼の家来が収穫のすべてを彼ら自身のために受け取ったので、これはインカによっておくられた主要な貢ぎ物であったということです。』

 

現在の、トウガラシを指す言葉は、当時中央、南アメリカを支配していた“宗主国” がトウガラシの呼称を引き継いでいる事が、・・・・・・・・当たり前のことですが、わかります。

 

スペイン人宣教師ホセ デ アコスタが「トウガラシはとても味がよい」と言ったには、理由があります。「トウガラシのうまさの秘密」;公表されていることなので、秘密でも何でもないですが、・・・・・を見ていただきましょう。

 

日本食品標準成分表2015年版(七訂) アミノ酸成分表、“アスパラギン酸、アルギニン、グルタミン酸等を含む、アミノ酸合計量“ から;生の野菜100g当たりのmg数を抜き出しました。含量の多い野菜から順に取り上げました。

 

落花生 1,3000、枝豆12,000、 そら豆 9,400、グリーンピース 5,700 ここまでは豆類ですから納得ですが、

次から並ぶ面々は少し趣が異なります。

ヨモギ 4,900、 芽キャベツ 4,600、 ニンニク 4,500、 和種なばな 4,200、

モロヘイヤ 4,200、 アサツキ 3,400・・・・・ハーブと言っていいでしょう。 次に唐辛子がきます。これもハーブですが。

ピーマン(果実)3,300、 ピーマン(葉、果実)2,900、シシトウ 1,500と続きます。

いずれも生の野菜のアミノ酸量ですから、乾燥、調理したものは格段にその量は増えます。旨味成分が多いと言われているトマトが570mg、ミニトマトで900mgですから

「唐辛子が旨い」という言葉には納得です。

 

 キッチンカウンターから    唐辛子の辛味と旨味を活かすと料理に         

                幅が出ます。                           

日本でのトウガラシの使い方は、トウガラシの持つ辛味に重点が置かれているように思います。ホセ デ アコスタが言っているように、トウガラシ特有の ”香りと旨味” を利用すると料理が更に美味しくなります。そのためには乾燥唐辛子ではなく、生のそれも青い内のトウガラシを使うことをお薦めします。胎座と種を取り除けば、辛さを気にせずに使うことが出来ます。昔から我が家で作っている唐辛子の簡単、美味しい、日持ちの良い料理を2種御紹介します。アッという間に出来上がります。

  

 

シシトウの甘辛煮は、素材の善し悪しが出る料理です。材料はできるだけ良質のものを選ぶ必要があります。日持ちがいいのでたくさん作っておくと重宝します。シシトウは1/2-1/3に切って水の中で押し洗いすると種が取れて辛味が抜けると共に口当たりの良い仕上がりになります。     

 

絵は取れませんでした。気付いたときは食べてしまったあとでした。来年ということになります。申し訳ないです。(トウガラシ料理の中ではこれが一番おいしいのではないかと思っています。今からでは、どの地域も間に合わないですが、機会があれば一度作ってみてください。)

           ---トウガラシの葉の佃煮---

材料;トウガラシの葉、醤油

トウガラシの葉をよく洗って、水を切って鍋に入れる。火が通ったところで醤油を入れて煮詰める。醤油以外は使いません。トウガラシの実は入ると辛くなるのでなるべく入れません。入ったら入ったでアクセントになるのでそのままにしておきます。鍋の縁が少し焦げる手前まで火を入れます。粗熱を取ってから密閉して保管します。矢鱈日持ちします。おにぎりがお薦め。