ヘナはインドではヒンディー語でメヘンディと呼ばれ、枝、葉、実ともに、薬や染料として身近に用いられてきました。また、ヘナはヒンドゥ教の美と幸運の女神、ラクシュミーが好む植物として知られ、インドの人々に大切にされ、愛されてきました。
http://v1.archiecho.com/item/54338_mehndi-the-gorgeous-indian-henna-tattoo-art-taking-the-world-by-storm ヘナを施したインド女性、このサイトにはへナに関する内容が多数集められています。
※アーユルヴェーダ 説明はWikiから引用させていただきました。
アーユルヴェーダ(梵: आयुर्वेद、ラテン翻字 :Āyurveda)はインド大陸の伝統的医学です。ユナニ医学(ギリシャ・アラビア医学)、中国医学と共に世界三大伝統医学のひとつで、相互に影響し合って発展しました。トリ・ドーシャ※と呼ばれる3つの要素「ヴァータ」「ピッタ」「カパ」のバランスが崩れると病気になると考えられており、これがアーユルヴェーダの根本理論です。
“アーユルヴェーダ”とは寿命、生気、生命を意味するサンスクリット語のアーユス(梵: आयुस्、ラテン翻字:Āyus)と知識、学を意味するヴェーダ(梵: वेद、ラテン翻字:Veda)の複合語で、医学だけでなく、生活の知恵、生命科学、哲学の概念も含み、よりよい人生を送ることが目的です。健康の維持、増進、若返り、幸福な人生、不幸な人生とは何かを追求します。ひとつの体系にまとめられたのは、紀元前5 - 6世紀で、古代ペルシャ、ギリシャ、チベット医学などに影響を与え、インド占星術、錬金術とも深い関わりがあります。
※トリ・ドーシャ
トリ・ドーシャと五大(パンチャ・マハーブータ)の関係(使用された色は任意)
トリ・ドーシャ;トリは3.ドーシャはサンスクリット語で「不純なもの」「増えやすいもの」「体液」「病素」の意。体液、また肉体のエネルギーと精神のエネルギーの両方を含む生体エネルギーを指します。
古代ギリシャの体液病理説は、古代インド医学の影響を受けていると言われています。アーユルヴェーダでは、「ピッタ(胆汁、胆汁素、水、火)、カパ(粘液、粘液素、水、地)、ヴァータ(風、体風素、空)」の3つの性質を持つ体液が体をめぐっていると説いています。医学書『チャラカ・サンヒター(The Charaka Saṃhitā or Compendium of Charaka (Sanskrit चरक संहिता IAST: caraka-saṃhitā))』では、病気は「体液のバランスが崩れると起きる」とするトリ・ドーシャ※説が唱えられています。
古代インドでは、五大元素として「地・水・火・風・空(虚空)」を挙げ、ピッタは「火・水」、カパは「水・地」、ヴァータは「風、空」から成ると考えました。
医学書『スシュルタ・サンヒター』では、第4の体液として「血液」が挙げられ四体液説となっており、古代インド医学の概念が、ペルシャ経由でギリシャに伝わったと考えられます。『スシュルタ・サンヒター』をThe Sushruta Samhita に英訳したビシャグラトナー(Bhishagratna)は、この説がギリシャに伝わる過程でヴァータ(風)が除外され、胆汁が黄・黒に区別され、ギリシャの四体液説になったと推測しています。
ドーシャの不均衡は、理(ユクティ)に基づく薬物、つまり増大したドーシャと反対の性質を持った薬剤によって鎮静すると述べられています。各ドーシャの性質は、ヴァータ(体風素)は「乾、冷、軽、微、動、清、荒」、ピッタ(胆汁素)は「潤、温、激、流動、酸、液、辛」、カパ(粘液素)は「重、冷、柔、潤、甘、固、粘」であるので、その反対の性質を持った薬剤を用いると病気を防ぐことができるとされました。
薬剤には3種類あり、ドーシャを鎮静するもの、ダートゥ(体組織)を阻害するもの、健康の維持によいものがあり、さらに動物性・植物性・鉱物性の3種類があります。
薬剤の性質としてラサ(味)があり、「甘・酸・鹹(塩辛い)・辛・苦・渋」の6種類で、甘・酸・鹹はヴァータを、渋・甘・苦はピッタを、辛・苦・渋はカパを制圧します。
※ユナニ医学 説明はWikiから引用させていただきました。
『現在もインド、パキスタンのイスラム文化圏で行われている伝統医学で、古代ギリシャの医学が起源です。「Yunan」は、(アラビア語、ペルシャ語で「ギリシャ」(Ionia)の意で、「Yunani」は「ギリシャの」または「ギリシャを源にするもの」の意です。ギリシャ医学を受け継ぎ、自然治癒と病気の予防を重視しています。イスラム医学と呼ばれますが、ネストリウス派(古代キリスト教の教派の1つで、コンスタンティノポリス総主教ネストリオスにより説かれた。431年のエフェソス公会議において異端認定され、排斥された。これにより、ネストリウス派はペルシャ帝国へ移動し、7世紀ごろには中央アジア・モンゴル・中国へと伝わった。唐代の中国では景教と呼ばれ、のちアッシリア東方教会が継承した。キリストの位格は1つではなく、神格と人格との2つの位格に分離されると考える。)やユダヤ教徒など、多くの異教徒の学者も功績を残していますし、非アラブ人であるペルシャ人やトルコ人、インド人、ギリシャ人、エジプト人、シリア人の医師たちも活躍したため、厳密には広くアラビア世界、イスラム文化圏で発展した医学と考えられます。
ユナニ医学は10世紀に確立し、イスラムの拡大とアラビア語の普及に伴い、ヨーロッパやインドでも広く採用されました。ヨーロッパの大学では、15~16世紀に主にユナニ医学が教えられており、18世紀までイブン・スィーナー(Avicenna, 980-1037)の『医学典範』など、ユナニ医学の文献が教科書※として使われていました。
ギリシャ医学を受け継ぎ、自然治癒と病気の予防を重視し、生活指導や食材の性質を考慮した食事療法をとります。理論は体液病理説がベースにあり、ガレノス医学を受け継ぎ四体液説を採っています。これは、4種類の基本体液のバランスがとれていれば健康で、どれかが優位になれば病気になるとする考え方で、体液の調和を回復させるために、患者の気質と薬剤の性質を考慮し処方され、瀉血や下剤なども用いられる。アッバス朝下では交易が盛んになり、地中海や中近東地域に産だけでなく、世界各地の生薬が広く用いられた。西洋近代医学が台頭してからも、ヨーロッパでは19世紀まで治療に活用されました。』
イブン・スィーナー※(Avicenna, 980-1037)の名がヨーロッパの料理書に最初に現れるのは(わたしが知っている範囲内ですが)ドイツの料理書(Das Kochbuck des Meisters Eberhard ---1400)の中です。
15世紀のバイエルン-ランドシャット家由来の栄養学及び料理レシピ集です。
著者は、南ドイツの流れを汲む、15世紀前半のバイエルン・ランドシャット( Bayern-Landshut )家と縁が深い人物、推定の域をでませんが、ランドシャット家の料理人?と考えられます。料理のレシピと栄養に関するテキストをさまざまな文献から引用した内容が圧倒的に多く、セイント ヒルデガルディス ビンゲンシス( St. Hildegardis Bingensis )が書いたものも含まれています。2レシピを引用して“体液病理説” の説明に代えようと思います。
Image of Ibn Sina, medieval manuscript entitled "Subtilties of Truth", 1271
※2 イブン・スィーナー(Avicenna)
イブン・スィーナー( ابن سینا, پور سینا、 Abū 'Alī al-Husayn ibn Abdullāh ibn Sīnā al-Bukhārī、: Avicenna, アヴィセンナ 980―1037/6/18)ペルシャの哲学者・医者・科学者。イスラム世界が生み出した最高の知識人。イブン・スィーナーは哲学の師であるアリストテレスの説いた四大元素説を理論医学に応用するなど、彼の理論を『医学典範』において活用している。イブン・スィーナーはヒポクラテスやガレノスを参考に理論的な医学の体系化を目指し『医学典範』を執筆した。2巻、5巻の記述の大半はディオスコリデスの著作を典拠とし、残りの巻の理論はヒポクラテス、ガレノス、アリストテレスの著作に基づいている。「第二のアリストテレス」とも呼ばれ、アリストテレス哲学と新プラトン主義を結合させたことでヨーロッパの医学、哲学に多大な影響を及ぼしました。
人間の霊魂、神、天体の霊魂の間に共感があると考え、その繋がりを強化するには礼拝などの宗教的行為が有効であると考えていたようです。