今月12月の「あなべるお菓子教室」のお菓子はタルトタタンです。
思い付きやひらめき等小手先の考えでお菓子の作るのではなく、そのお菓子が生まれた時代や理由を振り返った時、そのお菓子が備えている「本当のおいしさ」に出会えることがあります。「タルトタタン」もその一つであると思います。 http://www.eonet.ne.jp/~annabel/ では「お菓子の歴史」の中で、タルトタタンについて述べていますが、サイトの容量上画像を省略しています。内容が重複していますが改めて載せました。参考になさってください。
Tarte Tatin タルトタタン
タルトタタンを作り出したのはフランスロアール渓谷の、ラモット=ブーヴロン ( Lamotte-Beuvron ) に、ホテルタタンを1888年に設立し切り盛りしていた姉妹、キャロライン ( Caroline,1847-1911 ) とステファニィ( Stéphanie, 1838-1917 ) です。1894年頃には周辺では評判のタルトだったようです。公には1903年のシェール県地理学会広報 ( de la Société Géographique du Cher ) に記載されたのが最初です。上の写真は姉妹が営んでいた「タタンホテル」。下が食事のできるレストランで上に宿泊施設を備えたこじんまりとしたホテルです。
キャロライン ( Caroline,1847-1911 ) とステファニィ( Stéphanie, 1838-1917 )
タルトタタンの起源については;
「人付き合いが悪いが料理の上手いステファニィのお得意は、サクサクとしたクラストにキャラメル味がする、口に入れると溶けるようなアップルタルトであった。その日は狩りのシーズンで立て込んではいたがいつものようにタルトを作る準備をし始めた。焦げる匂いがして初めて、リンゴをバターと砂糖の中に入れていた事に気がついた。急いでペイストリィをリンゴに被せてオーブンに入れた。クラストとリンゴがひっくり返っていたが、構わずそのまま焼いてしまった。冷まさずに出してしまったがホテルのお客様に評判が良かった。」 という話が残っています。
ステファニィ直筆のレシピは残っていませんが、近所に住む親しい友達であったマリー・サウチョン ( Marie Souchon ) が書き残した手書きのメモが残っています。日付がありませんが、タルトタタンについて書かれた一番古いレシピでしょう。レシピからはホテルのキッチンで見たままの様子を記したことが伺えます。
そのレシピ(下)とは;
” 銅製の型と石炭の強い火を用意する。火を型の上にのせる。練ったバターを型の底に塗り、砂糖を振る。ピピン ( King of the Pippins ) 又はカルバイルアップル ( Calville Blanc d'hiver ) を切って型の中に入れる。層状にできるだけたくさん入れる。砂糖をたくさん振ってリンゴを覆う。
小麦粉、バター、水でドウを作る。厚さ 1mm 位にできるだけ薄く延ばしてリンゴを覆い、型の周りのドウを切りそろえる。ドウをのせないときは蓋をする。焼けたらサーヴィングディッシュをかぶせてひっくり返す。暖めて食べる。" といった内容です。
キャロラインが1911年に、ステェファニィが1917年に亡くなった後、ポウルベスナード( Paul Besnard ) が 1921年にフォー・デ・カンパーニュ( four de campagne ; 左写真 ) を使ったタタンを考案します。フォー・デ・カンパーニュはブリキの蓋が付いた型で、ストーブの上にのせて蓋の上に熱い石炭をのせて周りを石炭で熱して調理する道具です。
深さ6cmの銅引きの型の内側にバターを塗り、砂糖を1cmの厚さに張り付けます。4つに切ったリンゴを入れて上に砂糖を振り入れ、バターを所々に入れます。コインの厚さに延ばしたフレイキィなドウで覆う。フォー・デ・カンパーニュの蓋をして火の上にのせ、蓋の上にも火のついた石炭をのせます。20-25分間焼いて、ナイフでドウを少し持ち上げて焼き具合を確かめます。リンゴがキツネ色になって砂糖がキャラメル化していたらできています。サーヴィングディッシュを被せてリンゴが上になるようにひっくり返し、暖かい内にサーヴします。
黄色いところに赤い筋が入ったピピンを使うと上手いタルトができます。ピーチを使うこともできます。( 日本のリンゴでいうと、フジのリンゴの表面に赤い筋様の模様の付いた、味の濃いリンゴの意だろうと思います )
これと似たレシピを自分の母が妹のために1892-93年の間に作っていたと、フェロル ( Férolles ) から20マイル離れた町に住むフランソア・ジャリ ( François Jarry ) が語っています。内容は一言一句同じでしたが、「鋳物の型で、上と下から焼けるように蓋の上も石炭を置いて………これがリンゴをクックしている間にキャラメル化させるには非常に大切である。」という詳細な説明が追記されています。( タタン姉妹が周りの人達の意見を聞きながら、レシピをすこしずつ改良していた様子が伺えます。)
上の3つのレシピを総合して、タルトタタンが生まれた経緯を思い巡らすと「タルトタタン誕生の内幕は」次のようなものではなかったかと思われます。
ステファニィが最初に作ろうとしていたアップルタルト ( 従来のアップルタルト ) は、空焼きしたクラストの上にアップルソースを広げ、その上に皮を剥いてスライスし、砂糖をまぶしたリンゴをきれいに並べ、オーブンに入れてリンゴの表面に焼き色を付けるというものです。この過程でバターと砂糖の中に1/4に切った皮の付いたリンゴが入っている可能性はあるのでしょうか?あるとすればこれから作るタルトの準備のために材料であるリンゴと砂糖、バターを入れ物に入れておいた。と言うことでしょう。リンゴを入れる訳だから少し深めの入れ物に入れていたのではと想像できます。
上は彼女が使っていたオーブンレンジです。一番下に石炭や薪を入れて燃やし、中央がオーブンになっています。一番上は熱く熱せられていて鉄製のアイロンを置いて温めたり、鍋を置いてスープを作ったりしました。写真(上)にあるような深鍋の中にバターと砂糖、リンゴを入れてこのレンジの上に放置していたと思われます。砂糖が焦げる匂いに気が付いてあわてて、用意していたクラストを被せたのでしょう。
周りでは評判のタルトでしたが、そのレシピは姉妹が生きている間に公表される事はありませんでした。「食通界のプリンス」 の異名を取る20世紀の美食家キュルノンスキー ( Maurice Edmond Sailland, 10/12/1872-7/22/1956 ) が1926年版の "La France Gastronomique" の中で 「 オルレアン近郊のラモット=ブーヴロン周辺 」 と指摘したうえで 「 ラモット=ブーヴロンの未婚の夫人が作る有名なアップル又はペアタルト」 は文句の言いようがないほどに際立った旨さであると述べています。
1930年代になり、パリで有名なマキシムのメニューに上るとタルトの名声はさらに高まりました。
マキシムが手にしたレシピの入手経路には興味ある話が残っています。マキシムの長年のオーナーであったルイ・ヴォーダブル ( Louis Vaudable、8/25/1902 – 4/29/1983 ) によれば、「若い頃に狩りをするためにラモット=ブーヴロンに行き、そこで小さなホテルを営んでいる初老の夫人達に出合った。メニューにあったタルトがとてつもなく美味しかったのでキッチンスタッフに訪ねたがすげなく拒否された。私は諦めずに庭師として雇って貰った。三日後、キャベツも植えることができない私は首になったが、キッチンから秘密を聞き出すには十分であった。レシピを持ち帰り自分のメニューに "Tarte des Demoiselles Tatin" ( タタンという名の結婚していないの夫人のタルト ) を加えた。」 というものです。
ヴォーダブルは1902年に生まれ、姉妹は1906年に身を引いて1911年と1917年に亡くなっています。一方マキシムは1893年にマキシム・ガイヤール ( Maxime Gaillard ) がビストロとして始め、大きく発展させた店を1932年にヴォーダブルが購入しています。( 10才にもならないヴォーダブルが狩りに行き、庭師に雇ってもらいしかも首になるまでの3日の内にレシピを聞き出したとは、一体どういうことでしょう。)
写真はマキシムのメニュー
すばらしいタルトを作りだしたのは確かにタタン姉妹でしたが、タルトにタルトタタンと名前を付けたのはヴォーダブルであり、此のお菓子を高く評価したのは美食家キュルノンスキーでした。姉妹の死後残ったのはパリのレストランマキシムと有名フランス料理家キュルノンスキーの名です。姉妹は料理書を出すことも、レシピを公表することもありませんでした、お菓子に名前を付けることもなかったようです。
一般的なタルトタタンのレシピを記しておきます。 ( 直径25cmのマンケ型1個分 )
ドウ:
小麦粉 1 1/2 カップ
塩 1/2ts
砂糖 1tbs
バター 112g
冷水 1/4カップ
フードプロセッサーに入れて粗いコーンミール状にする。水を入れてまとめ、冷蔵庫で1時間休ませる。
フィリング:
グラニィスミス 6個
バター 112g
砂糖 1/2 カップ
鍋にバター、砂糖を入れて溶かし、その上にリンゴ入れて揺らしながらクックする。砂糖がキャラメル化してキツネ色になったら火から下ろす。ブリゼ生地を鍋よりも大きく、4mmの厚さに延ばし、リンゴに蓋をする。生地の縁をリンゴの中に折込む。175°で約20-30分間焼く。熱いうちに取り出しディッシュの上にのせる。冷めないうちに又は室温に戻したタルトにホイップクリーム、クレームフレーシュ ( Crème fraiche ) 又はアイスクリームをのせる。
( タタン姉妹のレシピとは、クラストに砂糖、塩を入れる。リンゴの種類が異なる。リンゴの皮を剥く?点が大きく異なります。)
上の記事は一部を除いて、次のサイトからそのほとんどを引用させていただきました。
http://www.tartetatin.org/home/history-of-the-tarte-tatin
タタン姉妹は、当初リンゴをスライスしてクラストの上にきれいに並べて焼く伝統的なフランスのアップルタルトを作っていたようです。それを、恐らくマンケ型のような型を使って1/2~1/4切りにしてキャラメライズしたリンゴを使うようになりました。リンゴとクラストのバランスを計って、フィリングにはリンゴ、砂糖、バターだけを、クラストには水とバターだけを使いました。リンゴの香りを生かした、非常に優れた、まれに見る秀作と言えるでしょう。
フランス料理を合衆国に紹介したジュルア・チャイルドらはマスターリング・ヂ・アート・オブ・フレンチ・クッキング ( Julia Child , Mastering The Art Of French Cooking ) の中で三つのアップルタルトを紹介しています。アップルタルト( Tarte aux Pommes )、ノルマンディアップルタルト ( Tarte Normande aux Pommes ) 、残る一つは 「タタン姉妹のタルト ( La Tarte Des Demoiselles Tatin 」と紹介しており、好感が持てます。( 括弧付きでアップサイドダウン アップルタルトとあるのは頂けませんが。)
突然お話が変わりますが、クレオールクックブック ( The Original Picayune Creole Cook Book、1901年から4版目の1910年版を引用しました。) にあるフランスの香りが濃く残るアップルパイ ( Tarte aux Pommes ) は、「 空焼きしたクラストの上にクックしたリンゴ ( シナモン、メイス、オールスパイス、水、バターでクックした) を入れて、上に薄いクラストをのせて縁飾りする。オーブンに入れて焼く。砂糖を振ってサーヴする。」 というものです。このレシピは現在のアメリカンアップルパイと変わりません。クレオールは ( フランス人と奴隷の混血の人々) を指し、ニューオーリンズには多くのフランス人とクレオール人が住んでいます。 ( ニューオーリンズはフランス人によって1718年に設立され、1722年にはフランス領ルイジアナの首府となりました。1763年パリ条約によりルイジアナはスペイン領になりますが、町はフランス系住民が多く、宗主国スペインの影響はほとんど見られません。1801年ナポレオン皇帝がルイジアナをフランスに返還させましたが、財政上の必要から1803年アメリカ合衆国に売却したのです。) この地に住む人達が自分達の文化残そうと作ったのが上で引用した料理書です。
ジュルア・チャイルドらが書き残したタタン姉妹のタルトを引用しておきます。
ショートペイストリィ;
小麦粉 1カップ
グラニュー糖 1TBS
塩 1/8ts
バター 4TBS
ショートニング 1 1/2TBS
冷水 2 1/2-3TBS
フィリング;
新鮮なリンゴ 4ポンド
グラニュー糖 1/3カップ
シナモン 1ts
バター 2TBS
ベイキングディッシュ 9-10x 21/2インチのディッシュ
グラニュー糖 1/2カップ
溶かしバター 6TBS
ヘビィクリーム又はクレームフレーシュ 2カップ
リンゴの芯を取り、皮を剥いて1/8インチにスライスする。ボールに入れて砂糖、シナモンをまぶす。ベイキングディッシュにバターを、特に底に濃く塗り、砂糖を半分振りかける。リンゴを1/3入れてバターを1/3振りかける。残しておいたリンゴの半分を入れてバターを振りかける。残りのリンゴ入れてバターを振りかける。残りの砂糖をリンゴの上に振りかける。
190度にオーブンの温度を上げておく。
ペイストリィを1/8インチに伸ばし、ベイキングディッシュに敷きこむ。リンゴを入れて、ペイストリィの淵を内側に折り込む。4-5か所1/8インチの長さに切れ目を入れる。45-60分間焼く。
焼けたらすぐにサーヴィングディッシュに載せる。リンゴに薄キャラメル色が付いていないと粉糖を振って数分間ブロイルする。暖かい内にクリームを添えてサーヴする。
合衆国に入った(フランスの)アップルタルトは急速に変化し、「グルグルと混ぜて焼くだけ」という現在の姿に近づいています。