Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 82

2020年07月10日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

健康全書(Tacuinum Sanitatis、Taqwim al-Sihhah)についてヨーロッパから見たお話をしました。今まで書いたところと一部分重複するところがありますが、ここからはイスラム側から眺めたお話をしていこうと思います。

 

ヨーロッパではローマ帝国滅亡後、長く社会全体が著しく停滞しました。特に政治は無政府の状態でした。ただひとつキリスト教組織は無傷のまま残っていましたので、これが政治機能をも果たす事になります。このことが、不運な結果を産むあらゆる事象の発端になっていると思うのですが。そのことはともかく、西ヨーロッパでは三圃制と重量有輪犂※の普及で耕地化が広がります。

             

       https://ja.wikipedia.org/wiki/ ベリー公のいとも豪華なる時祷書 から

※重量有輪犂 11~12世紀のヨーロッパでは、アルプス以北のしめった重い土地を深く耕す為に重い犂に車輪を付けて牛に引かせる方法が考え出されました。重量有輪犂は重く大きいので方向転換が難しく、耕地は細長い形態をとるようになり、これと細長い耕地をいかした三圃制農業が普及したことで農業生産力は向上しました。

そのことがさらに、農村の共同体の形成を促します。当然生産性も向上するわけで、余剰生産物を市場で売りさばく事になります。初期商業主義の勃発です。領主は市場の使用許可、ある程度の自治を認めたときはそれに対する課税を、河川の通行、道路の通行、あらゆる場所で税金を課し始めます。それでも市場は拡大を止めません。儲かった商人は教会への献金を始めました。あちこちで城は建て替えられ、教会は大きく建て替えられるようになります。当然意識も変わるわけで、社会全体で十字軍遠征機運が盛り上がります。

 

ヨーロッパの荘園は、法的・経済的な権力が領主(貴族、司教、修道院)に集中していました。領主の経済生活は、自らが保有する直営地からの収入と、支配下にある農奴※からの貢納(労役、生産物、金銭)によって支えられていました。

農奴は自由民ではないですが、奴隷だったわけでもなく、地域の慣習に従い、法廷料を支払えば訴訟に訴えることもできました。農奴が保有財産を転貸することは珍しくなく、下で述べるように余剰農産物が市場で捌かれるようになると(13世紀頃からは)領地での労役の代わりに金銭納入が行われるようになります。

    

※農奴 D'après une miniature figurant sur le manuscrit de la Sainte-Chapelle (Bibliothèque Nationale) -12世紀の労働者-サント・シャペル写本のミニチュア(国立図書館)から

 

上で述べた7行の内容は末期ローマ帝国の状態とほぼ同じです。ヨーロッパの国々は農奴制を何故か古代ローマから引き継いだようです。労働を奴隷に頼る世界は、どのような最期を迎えるかは、古代ローマ帝国の例をしっかりと見てきた、あるいは学んできたはずなのですが、1000年、2000年のスパンで歴史を眺めることができないのか、あるいは目先の金に目が眩むのか、今なお同じことを繰り返しているのは、皆様よくご存じのとおりです。農奴に道具と、機会を与えればどのように社会に好影響を与えるかは、以降のヨーロッパ社会の変革をみれば、納得できるはずなのですが。

       

民衆、兵士を先導する隠者ピエール(生年不詳 – 1115/7/8、11世紀末にフランス北部のアミアンにいた司祭で、第1回十字軍における重要人物。十字軍本隊に先立ち、民衆十字軍を率いてエルサレムを目指しました。イーガートンコレクション(大英図書館に所蔵の歴史的写本集)から。

Miniature of Peter the Hermit leading the People's Crusade (Egerton 1500, Avignon, 14th century)

 

力が体の中に蓄えられてくると、それを使いたくなるのは個人の場合でも、団体の場合でも同じことで、外に向かって吐き出されるようになります。十字軍遠征の始まりです。西暦1000年は、西ヨーロッパは未だほとんど100%キリスト教組織世界ですから、その人たちが武器を取って向かえば、死ねば殉教することになるわけですから、これほど恐ろしい事はありません。遂に十字軍を先導するキリストが登場します。戦争の度にキリスト教の教義は大きく変節してゆきます。

   

十字軍を戦いに導くキリスト。“クイーンメアリー黙示録”から。14世紀初頭f. 37(大英図書館蔵)Christ leading crusaders into battle, detail from an Apocalypse, with commentary (The “Queen Mary Apocalypse”), early 14th century, f. 37 (British Library)

 

結果はともかく、このことがきっかけで、ヨーロッパ人がアラビアと接触をします。

自分たちとは全く異なる、次元のかけ離れた文化に西ヨーロッパ人は接することになります。格段の差のある、優れたものに接すると、人は見境無く飛びつくようで、アラビアの医学を、自らの教義との違いなど全く気にせず、次第にヨーロッパに取り入れてゆきます。

サレルノ医科大学の教師コンスタンティヌス・アフリカヌス(1017–1087)らが翻訳した、アル ラージーやイブン・スィーナーの医学書がヨーロッパに入ってきます。12世紀になると、イタリアなどで大学が設立され、医学部ではアラビアの医学書を教科書とした専門教育が行われるようになります。15~16世紀まで、医学部では主にユナニ医学が教えられ、18世紀までイブン・スィーナーの『医学典範』が教科書として使われます。16世紀には、アンドレアス ヴェサリウス※((Andreas Vesalius、1514/12/31- 1564/10/15、解剖学者、医師。人体解剖で最も影響力のある“De humani corporis fabrica”(人体の構造)の著者。現代人体解剖の創始者。)がガレノス解剖学の誤りを証明し、19世紀になると西洋医学は伝統医学的思考から自然科学へと方向を転じますが、ユナニ医学の体液病理説(四体液説)は、ヴィルヒョー※(Rudolf Ludwig Karl Virchow、1821/10/13 -1902/9/5、ドイツの医師、病理学者、白血病の発見者として知られ、「全ての細胞は細胞から生じる」と述べ、細胞病理説を唱えました。)まで引き継がれます。

        

          ※アンドレアス・ヴェサリウス(1514/12/31- 1564/10/15)

 

            

               ※ ヴィルヒョー(1821/10/13 -1902/9/5)

 

 


ダマスクローズ 81

2020年07月08日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

Common Cold Ronald Eccles著, Olaf Weber Springer Science & Business Media, 2009から。 『』内はヒルデガルトの“Physica”からの引用です。

 

『風邪や咳にはタンジー※1(tansy ( Tanacetum vulgare) をスープ、ケーキ、肉と一緒に取ることを勧めます。オランダフウロ※2(Erodium cicutarium、Redstem filaree、別名redstem filaree, redstem stork's bill, common stork's-bill or pinweed,)、アナキクルス・ピレスルム※3(Anacyclus pyrethrum 、Mount Atlas)、ナツメグの粉末を一緒に吸入すると苦痛が和らぎます。』

ヒルデガルトの病気の理論は、古代の体液性病理説とほとんど変わりませんでした。

とりわけ、複合医学の本(Causae et Curae" 『病因と治療』(1151 - 1158) は、ガレンの理論を反映しています。

『風邪は寒気や脳内の湿り気のせいで起こり、やがて毒になるので追いださなければなりません。すなわち、人は宇宙の反射にすぎません。空気の中に存在する星も又この方法で清めるのであって、地球も又その汚れ、四つの悪臭のする物質を取り除くのです。』

ヒルデガルトはくしゃみを体の自己浄化メカニズムであると見ていました。

『人の血管を流れる血液は活発で速いわけではなく、むしろ眠っている時のようです。

体液が早く流れず、緩慢なとき、魂はこのことを関知してくしゃみで身体を揺らし、身体の血液を流すのです。体液は再び動き出し正常な状態に戻すのです。つまり、嵐や洪水によって水が動かなくなった時、腐敗が起こるのです。

同様に、くしゃみをしなかった場合や、くしゃみをして鼻の中をきれいにしないと、人は内部が腐敗します。』

体液が減るのを防ぐためにヒルデガルトは、医学書の中で、幾つかのレシピを推奨しています。例えば、『フェンネルとディル※4を加熱し、その蒸気を吸入し、残ったハーブをパンと一緒に食べなさい。加熱した松の木からでる煙は鼻の粘液の流れを良くします。。灰から灰汁を作り、それを使って頭を洗う事ができます。』

12世紀と13世紀になると、法王は公会議に基づく布告を出し修道院における治療行為を禁じたので、ヒルデガルトが修道院での治療の最後の施術者となりました。聖職者が治癒を実践することは禁じられたのです。治療行為は、学校や大学に移されました。 

   

https://www.dreamstime.com/stock-photo-wild-medicinal-plant-tansy-lat-tanacetum-vulgare-flowering-image98656348 から

 

※1タンジー(Tanacetum vulgare、ヨモギギク、別名common tansy, bitter buttons, cow bitter, golden buttons.キク科の多年生草本。)ヨーロッパからアジアにかけて分布。古代ギリシャ人が薬用に栽培したものとして最初に記録されました。西暦8世紀には、シャルルマーニュのハーブガーデンで栽培され、スイスの聖ガリ修道院のベネディクト会の修道士によって栽培されました。腸内の虫、リウマチ、消化器系の問題、発熱、びらんの治療、はしかの発生に使用されていました。中世以降、中絶に使用され高用量が使用されましたが、適量使用し、女性の妊娠を助け、流産を防ぐためにも使用されました。15世紀、四旬節に魚や豆類と一緒に食べ、鼓腸を制御し、魚を食した結果生じる腸内寄生虫を防ぐという目的で食したと思われます。葉をカスタードプリンやケーキにごく少量用います。

 

花を利用する場合は、黄色い花頭を夏の終わりから晩夏にかけて摘み取ります。香りはローズマリーを思わせるカンファーの香りがあります。葉や花は大量に摂取するとけいれん、嘔吐、および子宮からの出血を引き起こす場合があります。重篤な場合、呼吸停止や多臓器不全に至り死亡することもあります。揮発性油にはツジョンを含む有毒化合物が含まれており、けいれんの他、肝臓や脳の損傷を引き起こします。タンジー種に含まれる揮発性油は、接触性皮膚炎を引き起こす可能性があります。内服すると油成分が肝臓と消化管で分解され、内部寄生虫に有毒な代謝産物が生成されるので何世紀にもわたってタンジー茶は寄生虫を駆除するために薬草学者によって処方されてきました。又、節足動物に対しても非常に毒性があります。人体に用いることは避け、その香りを楽しむか、虫除けに使うのが無難です。

   

       オランダフウロ https://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shiki_4235.htm 

※2 オランダフウロ(Erodium cicutarium、別名redstem filaree, redstem stork's bill, common stork's-bill or pinweed)

 

ヨーロッパやアフリカ、西アジアに分布しています。柔らかいうちは全て食用になり、鋭いパセリに似た味がします。ピンクの花は蜂蜜の貴重な供給源になります。 ズニ族(Zuni、アメリカ南西部に住むアメリカインディアン)の間では、噛んだ根の湿布剤をびらんや発疹に使い、腹痛時に根を服用します。

        

      ※3 アナキクルス・ピレスルム https://yoteiniwa.exblog.jp/9457376/ 

            

※ディル4 Tacuinum Sanitatis, Dill フィレンツェDeutsch: Abbildung von Anethum graveolens 14. Jahrhundert  ( Dillはラテン語でAneti )

     

※フェンネル4 Cod. Ser. n. 2644, fol. 41v: Tacuinum sanitatis: Feniculus A woman harvesting fennel Österreichische Nationalbibliothek - Austrian National Library

 

教皇の布告がなされたずっと前から、すでに10世紀にサレルノ医学学校は、ヨーロッパを代表する地位にありました。多くのテキストはトレドで翻訳され、後にイタリア南部の町では、さまざまな古代アラビア語の資料がラテン語でも利用できるようになりました。

 

 


ダマスクローズ 80

2020年07月06日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

ヒルデガルトの “Liber subtilitatum diversarum naturarum” と題した、生き物のさまざまな性質、自然の治癒力に関する本、(原因と治癒、Causae et curae:Ursachen und Behandlungen)は、“Physica” と題し、彼女の死後 1150から1160年の間に編纂され世に出たものです。

    

” Physica" から https://www.kraeuter-buch.de/magazin/bedeutende-kraeuterbuecher-im-mittelalter-9.html 

“Physica” は9冊からなり木、石、魚、鳥、動物、爬虫類、金属、植物など、あらゆる生物と自然の姿が描かれています。薬草は ”Über die Pflanzen“ ( 植物について ) の中で、当時知られていたほとんどの植物とハーブを非常に詳細に取り上げられています。

 

ヒルデガルトが人間の小宇宙と宇宙の大宇宙との間の医学的および科学的関係を詳述するとき、彼女は相互に関連している4つの形態、つまり火、空気、水、地球、4つの要素、4つの季節、4つの体液、地球の4つのゾーン、4つの主な風に注目しています。

彼女は体液理論の基本的な枠組みを古代医学から受け継いではいるのですが、ヒルデガルトが抱く4つの体液(血液、粘液、黒胆汁、黄色の胆汁)の階層的相互平衡(体液にもヒエラルキーがあると考えていたのでしょう)の概念は、「上位にある」又は、「下位にある」という基本物質の調和に重きを置くものでした。血液と粘液が天上界の要素である火と空気に、黒胆汁、黄色の胆汁が地上の要素である水と土に対してバランスが取れているか否かに注目しました。

ヒルデガルトは、病気の原因がこれらの体液の不均衡にあり、下位の体液によってアンバランスになった状態に原因があると解釈していました。このアンバランスな状態は、そして人間の病気の原因は、体液の不均衡の原因は、アダムとイブの堕罪によるものであると考えていました。それでは、具体的にどのような治療を行っていたのでしょうか。彼女の著書から二例引用しました。

“Physica" 『自然学』1151 - 1158 著から “ベルトラム” を引用しました。

ベルトラム※は Anacyclus pyrethrum ( アナキクルス・ピレスルム 別名 pellitory, Spanish chamomile, Mount Atlas daisy , Akarkara ) でカモミールに似たキク科の多年草植物です。     

 

※ベルトラム(piretri)(熱の3度,乾の2度) Tacuinum sanitatis in medicina)    

1300年代にヴェローナ(北イタリア)のセルッティ家が作らせた細密画入りのタキュイナム・サニタティス・イン・メディキナ

    

※ベルトラム https://jp.123rf.com/photo_53778630_anacyclus-pyrethrum-plant.html

            

           ※ベルトラムの根 http://bertramproject.be/?page_id=14 

Physica I-18. Bertram. / (Piretrum) から
『1. ベルトラムの根は温でやや乾燥した気質を持っているため、優れた強力な作用

    があります。

2. 健康な人では、血液中の老廃物を減らしきれいな血液を作ります。

3. それは純粋な知性を提供します。

4. すでに体重が減少している病人の場合、ベルトラムの根はそれを元の状態に戻します。

5. 十分に消化されない限り、体から離れることはありません。

6. 頭の中に多くの粘液がある病気の人は、ベルトラムの根をしばしば使うと、頭の 粘液が減ります。

7. 頻繁に使用すると胸膜炎を治し、きれいな体液になります。

8. 目をはっきりさせます。

9. この薬草は乾燥させて、食品と一緒に調理して使うと、病気に対して有効で健康 な人にとっても優れています。

10. ベルトラムの根を定期的に使用すると、病気を治し病気になるのを防ぎます。 口の中に唾液を生成し、その結果悪い体液を取り出し、健康を回復させます。』

ベルトラムは、北アフリカ、地中海、ヒマラヤ、北インド、レバント、アラビア半島で見られ、スパイスとしても使われています。皮膚に塗布すると、発赤、炎症を引き起こします。名前は、植物の古代ギリシャ語の名前 πύρεθρον (Pyrethrum) に由来します。アーユルヴェーダとシッダ(Siddha)にはこの植物の根が使用されており、何世紀にもわたって薬として使用されてきました。

 

 


ダマスクローズ 79

2020年07月04日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

      

       パート1、ビジョン1、『神の業(わざ)の書』13thのルッカ写本から。

This illumination introduces Part 1, Vision 1 of Hildegard von Bingen's final visionary writing, the Liber Divinorum Operum" Hildegard completed the ca.1173, but this illumination comes from a 13th century copy known as the Lucca manuscript.

『神の業(わざ)の書』から;

『この作品は、神の姿を詳細にしかも、人間の形で描いたものです。神の燃えるような生命の呼び、創造と創造物の間に起きるさまざまな軋轢、神は人間を神に似せた姿で創られたことをあらわしています。献身的な信仰は神の愛をも包み込みます。これにより、神は三位一体であると理解されるのです。信仰の功徳によって、神ご自身が人間を天国へと導かれるのです。神と隣人の愛は切り離せず、信仰の美徳によって強められます。謙虚な献身をもって神に服し、聖霊の助けを借りることのできた者は、自分の内と悪魔により堕落させられた両方に打ち勝つことができます。天使たちは正義のおこないを喜び、神が全能であることを讃えるのです。

宇宙は神の中に永遠に存在し、神はそれぞれを数、順序、場所、時間で区別して創造されたのです。正義を捨てた悪魔と天使たちは、かつて大きな力を持っていたのですが、彼らの忘恩、高慢のために今のような状態に変えられたのです。だから、天の許しがない限り何もすることができないのです。』

 

ヒルデガルトが書いた絵を4枚見ていただきましたが、如何でしたでしょうか。

ヒルデガルトには予知能力と幻視能力があったと言われていますが、あなたはどのように思われましたでしょうか。幻視した光景をこのような絵にするには彼女にどのような力が働いたのでしょうか。

記憶の底に光景が畳み込まれていなければ描けない絵です。しっかりと、ハッキリと、頭の中にこの光景が刻み込まれていたのでしょう。このことと彼女の病気とは関係があるのでしょうか。子供のころから幻視を体現していたという彼女は、レビー小体型異常の可能性はなさそうですし、驚異的な映像記憶能力の持ち主でもないようです。テンカンによる有形性幻視のせいでしょうか。ともあれ、何をもって彼女に、生涯にわたって『私には幻視、予知能力があると』言わしめたのでしょう。(これから述べる内容に異論のある方もおられるでしょう。しかし私は、人間には予知能力も幻視能力もないと考えています。啓示と思われたのは、単なる思い込みでしょう。絵は霊感、閃きを自分の脳内に蓄積しておき、そのあとは描く過程で沸き起こる閃き(インスピレーション)で絵を完成させたと思っています)

注目すべきは、絵に分厚い金箔を用いている点です。身分の高い貴族出身であったことに強い自負心があったようです。そのことが「幻視能力がある」という思い込みを生涯貫けた理由の一つでもあります。

「因みにヒルデガルトは、神聖ローマ帝国のドイツ王国のマインツ大司教区・ベルマースハイム(Bermersheim)で、地方貴族である父ヒルデベルト(Hildebert)、母メヒティルト(Mechtild)の10番目の子供として生まれ、1106年から同大司教区オーデルンハイム(Odernheim)のディジボーデンベルク(Disibodenberg)にあるベネディクト会系男子修道院ザンクト・ディジボードの近くで隠遁生活を送る修道女ユッタ・フォン・シュポンハイム(Jutta von Sponheim)に育てられます。ユッタはディジボーデンベルク近くのシュポンハイム城の貴族(シュポンハイム伯シュテファン1世の娘)で、兄弟にケルン大司教フーゴー・フォン・シュポンハイム(de:Hugo von Sponheim)がいます。」 (Wikiから)

      

                   プサルテリウム

https://www.alamy.com/stock-photo-medieval-historical-re-enactment-woman-playing-psaltery-music-musical-19332608.html 弦の数が目まぐるしく変化した楽器なので当時のものとは少し形が異なるかも知れませんが、ヒルデガルトはプサルテリウムをよく演奏していたといわれています。

 

しかも当時は、12世紀頃にアイルランド人でベネディクト会系の修道士であったマルクスがラテン語で執筆した異世界幻視譚である“トゥヌクダルスの幻視:Visio Tnugdali” が世に出るなどの幻視ブームの真っただ中でもありました。

『トヌグダルスの幻視』からその一部分を引用すると、『トゥヌクダルスが天使の後を追うと、光に満ちた場所に出た。そこには高い壁があり、その壁で風雨を避ける大勢の男女がいた。天使は、彼らは悪人だが極悪人ではなく、貧者に充分な施しを与えなかったもの達で、数年間にここで風雨を耐えたのちにより良い場所へ導かれると言った。』物語はトゥヌクダルスが発作で倒れてから、天使に導かれて死後の世界を幻視し、目覚めるという異世界幻視譚の構成になっています。

                                

『トゥヌクダルスの幻視』地獄の口 強欲とその懲罰について;守護聖人がトゥヌクダルスに向かって巨大な獣、アケロンの口を指す。片方の巨人は頭を下にした状態で柱のようになっています。

Hell's Mouth, by Simon Marmion, from the Getty ManuscriptBeast Acheron etwa 147

 

『トゥヌクダルスは、山よりも巨大な獣(アケロン)を見る。強欲な者を飲み込む巨大な獣の口は、二人の巨人(フェルグシウスとコナルス))によって支えられており、三つの門のようになっていた。天使が去るとトゥヌクダルスの魂は悪霊たちによって獣の腹に入れられ、さまざまな獣や怪物による攻撃、悪霊の打擲、炎、寒さ、悪臭で拷問を受けた。トゥヌクダルスが罪を思い知ると獣の外に出され、天使と再会した。』 

     

St Patrick tramples on a snake in Purgatory, in St Patrick’s Purgatory. England, 1451. British Library, Royal MS 17 B XLIII, f. 132v. 悪魔と魂に囲まれた聖パトリック。15世紀半ばにイギリスで出版。Royal 17 B. XLIII、f.132v から引用しました。

 

又同じ頃、1186年から1190年の間には、聖パトリキウスの煉獄譚 ( Tractatus de Purgatorio Sancti Patricii、中世ラテン語で記された幻視譚 ) が出ます。

「聖パトリキウスの煉獄」は、臨死体験を通して、異界を訪問し、無数の悪霊の襲来、灼熱、悪臭、寒冷、虫、蛇、猛獣が跋扈する煉獄で、執拗な拷問と懲罰を受けた後、甘美にして至福の天国を見学し、現世へと帰還する物語です。

 

ヒルデガルトが再び注目を集めたのは、彼女が亡くなってから実に760年を経た第二次世界大戦時です。『薬草学の書』がオーストリアの軍医ゴットフリートヘルツカ( Gottfried Hertzka、ヒルデガルト医学の創始者. 1913/10/12—1997/3/6 )により再評価されることにより世に出たのです。一時は名を知られていたヒルデガルトですが、幻視を誰も体現することはできません。亡くなればすぐに忘れ去られるのは当然のことだったのでしょう。

 

 

 


ダマスクローズ 79

2020年07月04日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

      

       パート1、ビジョン1、『神の業(わざ)の書』13thのルッカ写本から。

This illumination introduces Part 1, Vision 1 of Hildegard von Bingen's final visionary writing, the Liber Divinorum Operum" Hildegard completed the ca.1173, but this illumination comes from a 13th century copy known as the Lucca manuscript.

『神の業(わざ)の書』から;

『この作品は、神の姿を詳細にしかも、人間の形で描いたものです。神の燃えるような生命の呼び、創造と創造物の間に起きるさまざまな軋轢、神は人間を神に似せた姿で創られたことをあらわしています。献身的な信仰は神の愛をも包み込みます。これにより、神は三位一体であると理解されるのです。信仰の功徳によって、神ご自身が人間を天国へと導かれるのです。神と隣人の愛は切り離せず、信仰の美徳によって強められます。謙虚な献身をもって神に服し、聖霊の助けを借りることのできた者は、自分の内と悪魔により堕落させられた両方に打ち勝つことができます。天使たちは正義のおこないを喜び、神が全能であることを讃えるのです。

宇宙は神の中に永遠に存在し、神はそれぞれを数、順序、場所、時間で区別して創造されたのです。正義を捨てた悪魔と天使たちは、かつて大きな力を持っていたのですが、彼らの忘恩、高慢のために今のような状態に変えられたのです。だから、天の許しがない限り何もすることができないのです。』

 

ヒルデガルトが書いた絵を4枚見ていただきましたが、如何でしたでしょうか。

ヒルデガルトには予知能力と幻視能力があったと言われていますが、あなたはどのように思われましたでしょうか。幻視した光景をこのような絵にするには彼女にどのような力が働いたのでしょうか。

記憶の底に光景が畳み込まれていなければ描けない絵です。しっかりと、ハッキリと、頭の中にこの光景が刻み込まれていたのでしょう。このことと彼女の病気とは関係があるのでしょうか。子供のころから幻視を体現していたという彼女は、レビー小体型異常の可能性はなさそうですし、驚異的な映像記憶能力の持ち主でもないようです。テンカンによる有形性幻視のせいでしょうか。ともあれ、何をもって彼女に、生涯にわたって『私には幻視、予知能力があると』言わしめたのでしょう。(これから述べる内容に異論のある方もおられるでしょう。しかし私は、人間には予知能力も幻視能力もないと考えています。啓示と思われたのは、単なる思い込みでしょう。絵は霊感、閃きを自分の脳内に蓄積しておき、そのあとは描く過程で沸き起こる閃き(インスピレーション)で絵を完成させたと思っています)

注目すべきは、絵に分厚い金箔を用いている点です。身分の高い貴族出身であったことに強い自負心があったようです。そのことが「幻視能力がある」という思い込みを生涯貫けた理由の一つでもあります。

「因みにヒルデガルトは、神聖ローマ帝国のドイツ王国のマインツ大司教区・ベルマースハイム(Bermersheim)で、地方貴族である父ヒルデベルト(Hildebert)、母メヒティルト(Mechtild)の10番目の子供として生まれ、1106年から同大司教区オーデルンハイム(Odernheim)のディジボーデンベルク(Disibodenberg)にあるベネディクト会系男子修道院ザンクト・ディジボードの近くで隠遁生活を送る修道女ユッタ・フォン・シュポンハイム(Jutta von Sponheim)に育てられます。ユッタはディジボーデンベルク近くのシュポンハイム城の貴族(シュポンハイム伯シュテファン1世の娘)で、兄弟にケルン大司教フーゴー・フォン・シュポンハイム(de:Hugo von Sponheim)がいます。」 (Wikiから)

      

                   プサルテリウム

https://www.alamy.com/stock-photo-medieval-historical-re-enactment-woman-playing-psaltery-music-musical-19332608.html 弦の数が目まぐるしく変化した楽器なので当時のものとは少し形が異なるかも知れませんが、ヒルデガルトはプサルテリウムをよく演奏していたといわれています。

 

しかも当時は、12世紀頃にアイルランド人でベネディクト会系の修道士であったマルクスがラテン語で執筆した異世界幻視譚である“トゥヌクダルスの幻視:Visio Tnugdali” が世に出るなどの幻視ブームの真っただ中でもありました。

『トヌグダルスの幻視』からその一部分を引用すると、『トゥヌクダルスが天使の後を追うと、光に満ちた場所に出た。そこには高い壁があり、その壁で風雨を避ける大勢の男女がいた。天使は、彼らは悪人だが極悪人ではなく、貧者に充分な施しを与えなかったもの達で、数年間にここで風雨を耐えたのちにより良い場所へ導かれると言った。』物語はトゥヌクダルスが発作で倒れてから、天使に導かれて死後の世界を幻視し、目覚めるという異世界幻視譚の構成になっています。

                                

『トゥヌクダルスの幻視』地獄の口 強欲とその懲罰について;守護聖人がトゥヌクダルスに向かって巨大な獣、アケロンの口を指す。片方の巨人は頭を下にした状態で柱のようになっています。

Hell's Mouth, by Simon Marmion, from the Getty ManuscriptBeast Acheron etwa 147

 

『トゥヌクダルスは、山よりも巨大な獣(アケロン)を見る。強欲な者を飲み込む巨大な獣の口は、二人の巨人(フェルグシウスとコナルス))によって支えられており、三つの門のようになっていた。天使が去るとトゥヌクダルスの魂は悪霊たちによって獣の腹に入れられ、さまざまな獣や怪物による攻撃、悪霊の打擲、炎、寒さ、悪臭で拷問を受けた。トゥヌクダルスが罪を思い知ると獣の外に出され、天使と再会した。』 

     

St Patrick tramples on a snake in Purgatory, in St Patrick’s Purgatory. England, 1451. British Library, Royal MS 17 B XLIII, f. 132v. 悪魔と魂に囲まれた聖パトリック。15世紀半ばにイギリスで出版。Royal 17 B. XLIII、f.132v から引用しました。

 

又同じ頃、1186年から1190年の間には、聖パトリキウスの煉獄譚 ( Tractatus de Purgatorio Sancti Patricii、中世ラテン語で記された幻視譚 ) が出ます。

「聖パトリキウスの煉獄」は、臨死体験を通して、異界を訪問し、無数の悪霊の襲来、灼熱、悪臭、寒冷、虫、蛇、猛獣が跋扈する煉獄で、執拗な拷問と懲罰を受けた後、甘美にして至福の天国を見学し、現世へと帰還する物語です。

 

ヒルデガルトが再び注目を集めたのは、彼女が亡くなってから実に760年を経た第二次世界大戦時です。『薬草学の書』がオーストリアの軍医ゴットフリートヘルツカ( Gottfried Hertzka、ヒルデガルト医学の創始者. 1913/10/12—1997/3/6 )により再評価されることにより世に出たのです。一時は名を知られていたヒルデガルトですが、幻視を誰も体現することはできません。亡くなればすぐに忘れ去られるのは当然のことだったのでしょう。

 

 

 


ダマスクローズ 78

2020年07月02日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

ヒルデガルトの最初の幻視は、預言的幻視著作『スキヴィアス(scivias : 道を知れ)』(1141–1151 執筆)の序によれば 5 歳の時に、『聖ヒルデガルト伝』3. 二章)では 3 歳に遡ります。そこでヒルデガルトは、誕生する前に創造主である神によって、自分の魂に幻視が刻印されたと述べています。ヒルデガルトは「人間は、肉体は両親から得るが、魂は神に由来し、母の胎内にいる間に息吹として吹き込まれる。」と考えていました。ヒルデガルトは神から授かった幻視能力を生涯にわたって体験し、幻視とともに生きた修道女ですhttp://www.columbia.edu/itc/english/f2003/client_edit/documents/scivias.html https://arthistoryproject.com/artists/hildegard-von-bingen/scivias-i.6-the-choirs-of-angels/ から絵を4枚ご覧いただこうと思います。

『 道を知れ L.6 』(1141 - 1151) (1153出版)エンジェル達の聖歌隊 Scivias I.6: The Choirs of Angelsから

 

Scivias I.6:Choirs of Angelsは、1150年にインクと金箔で作成された絵です。

天使の合唱団は、ヒルデガルトフォンビンゲンが幻視した26の宗教的影像のうちの1つで、その中で宇宙の創造と構造、および魂の救済について説明しています。 これらの幻視は、幻視予見能力について書いた『道を知れ』の中に集められています。モニター上では分かりにくいですが、黄色っぽく見えるところが金箔です。

 

『神の業(わざ)の書』Liber Divinorum Operum 1163 - 1173/1174、1—3:風の大宇宙、ユーモアの小宇宙  http://www.hildegard-society.org/p/liber-divinorum-operum.html#I-4 から

     

風の大宇宙、体液の小宇宙。Liber Divinorum Operum I.3: Macrocosm of Winds, Microcosm of Humors.
Biblioteca Statale di Lucca, MS 1942, fol. 28v (early 13th-cen.)

『上部に現れている火は、天空全体を守り上層部から風を逆向きに吹き出すことで天体の進路をコントロールしているのです。そのことは、人の中で動く体液は、周りを回る風と空気のさまざまな性質によって変化するということです。』神の業(わざ)の書から。1230年にヒルデガルトフォンビンゲンによる金箔絵画です。Biblioteca Statale に保存されています。  

      

   ヒルデガルト画 『神の業の書』 Liber Divinorum Operum I.4: Cosmos, Body, and Soul.   

      宇宙、肉体、魂。13世紀初頭 Biblioteca Statale di Lucca, ルッカ州立図書館蔵、

上の絵はLiber Divinorum Operum『神の業の書』1163 – 1174の中にあります。そこに書かれた解説の一部分を次に引用しておきます。

『59. 海と川が空気によって動かされ、体は血が流れるその静脈によって動かされるように、魂は美徳によって、大地が水の流れによって潤うように、その芽を出すのです。』  

 

                   


ダマスクローズ 77

2020年06月30日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

“Das Kochbuck des Meisters Eberhard 1400”の中に名前のあったヒルデガルトについてこれから述べようと思います。彼女はドイツ人(少し風変わりな方かもしれませんが“ドイツ薬草学の祖“と呼ばれているほど後世にまで影響力を与えた方)ですので、彼女の書いた書物を通して、ドイツでどのようにイスラム文化が取り上げられたのかを知ることができます。ドイツ以外のヨーロッパの国とドイツのどこが異なるのかも理解できると思います。実際ドイツは、地理的にフランスやイングランドと比べても、イスラムとは距離があるのですが、文化においてはイスラムからもかなりのものを吸収していることが理解できると思います。そんなわけで、彼女を取り上げるについては、書き方によっては誤解を招くのではと少し迷ったのですが、筆を執ることにしました。

   

フェルヘンハイム(Fechenheimにあるヘルツヘス教会(Herz-Jesu-Church)で、使われていたヒルデガルトが描かれたタペストリー。現在はフランクフルトのハイリヒガイストキルヒ(Heilig-Geist-Kirche)で使用されています。WISSEDEWEGE(あなたが知っているように)と肖像の左側に刺繍があります。

 

原画を誰が描いたのかは不明ですが、彼女の雰囲気を良く捉えているのではと思っています。

 

彼女は1098年の生まれです。絵から想像できるように、身体が丈夫そうには見えませんが81歳の寿命を全うしました。子供の頃から亡くなるまで病気との共存生活が続いていたと自らの著に書き残しています。作曲家でもありそのメロディーは心を揺さぶるものがあります https://www.br-klassik.de/aktuell/br-klassik-empfiehlt/cd/cd-tipp-hildegard-von-bingen-100.html からも聞くことができます。

 

しかし彼女を最も特徴付けているのは “幻視”能力です。下の絵をご覧ください。

             

Hildegard of Bingen, under divine inspiration, dictating to the monk Volmar. Illumination in her book Scivias.  "Scivias" 『道を知れ』(1141年 - 1151年) (1153出版) の挿絵。神からの啓示を受けているヒルデガルトと書記のフォルマール。この絵は修道女達によって描かれたと言われています。

 

ヒルデガルトが啓示を受けているところです。顔から光が出ているのではなく、天から啓示を受けているところです。『啓示とは天により、知識・認識が開示されることで、キリスト教は「啓示宗教」)であると自ら説いています。神自身が行為と言葉において自身を啓示しなければ、人間は神について何も知ることができない。また、人間は神をあるがままに認識することができない。そこで、神が自身の存在と性質、計画と意思について明らかにし、知識を伝達する限りにおいて、人間は神を知ることができる』(Wikiより)。キリスト教における“啓示“という考えがヒルデガルトの異常ともみえる“幻視”能力を異端視扱いしなかった理由の一つかも知れません。

        

   書記のフォルマールがいたザンクト・ディジボード男子修道院跡

                                                           

 

 


ダマスクローズ 76

2020年06月28日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

Das Kochbuck des Meisters Eberhard ---1400 から

R-36. 『レタスは寒である。食べる時にボイルすると他の野菜よりも血を良くして眠りを起こさせる。生でもボイルしても、胃炎又は太陽で頭を痛めた人々には良である。ヴィネガーといっしょに食べると空腹になり食欲が出る。レタスは又熱と乾であり、頭と目、胃を傷つけ悪夢を見る。ダメージを和らげるにはレタスを水の中で2回ボイルするべきであるとアヴィセンナ(Avicenna)※2は書いている。』

 

レタスは寒と湿の2度に分類されています。分類の基準ですが、確たる目安、水準となるものはありません。そのものが採れる場所、気候、見かけ、雰囲気、価格の高低によって決められたものです。採れる場所が、水中、土中、地上、空中であるかによって湿と寒、寒と乾、湿と熱、乾と熱の性質を持たされることになります。レタスは水気が多いせいでしょうか、本来ならば寒と乾ですが、ご覧の通りの記述になっています。

寒と湿の性質を持っているので、このまま食べずに熱を加えるようにガレノスは説いているのですが、アヴィセンナは逆の熱と乾であると説いて、ボイルして湿をレタスに与えるべきであると説諭しています。ガレノスの理論をさらに進め、経験と理論をもとにガレノスの欠点を指摘したこの点がほかのヨーロッパの国々とは大きく異なる点です。ドイツのこの料理書も他のヨーロッパの国のものとは大きく異なります。言いなりではない、いったん受け止めてさらに工夫を積み重ねるというドイツ人の気質すら見えてきます。

          

    レタス Tacuinum Sanitatis. 14th century. Medieval handbook of health. Lettuce. Folio 29r.

 

R-74. 『キジバトは高貴な食べ物であり、感覚と記憶を研ぎ澄ますとアヴェロエス(Averroes)※3とラーズィー(Rhazes』※4は述べています。他のハトは感情を高ぶらせ熱を引き起こす。Rhazesは, 若いハトは熱の性質を強めるが年取ったハトは悪病又はpalsy(中風?)を患った人々に有益であると述べている。ベーコン、杜松、セージと混ぜてローストすべきである。』

 

キジバトは空を飛ぶその姿からでしょうか高貴な鳥でした。ハトも同じように空を飛ぶのですが、すぐに手に入れることができるからでしょうか、なぜか評価が悪いのです。どちらの鳥も空中を飛ぶので、熱と湿の性質を持っています。寒と湿の性質を持つ豚といっしょに食べるべきであると説いているのです。セージは土の上に生えていますから湿で寒と判断するところですが、ハーブ、スパイスはそのほとんどが熱で乾です。キジバトは、熱で湿の性質です。Rhazesはヨーロッパの四元素説からは少しはずれた判断をしていることになります。

   

            キジバト  http://www.larsdatter.com/hunting.htm

        

           ハトと鶏 Tacuinum Sanitatis (BNF Latin 9333, fol. 65), 15th century

                        

 https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2812%2960846-0/fulltext 

                             ガレノス※1 Aelius Galenus(129-216、Galen, Galen of Pergamon)

ガレノスの On the Elements According to Hippocrates は、ヒポクラテスの四体液説(人体が血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁から成るとする説)について記したものです。ガレノスのギリシャ語作品の大半は、サーサーン朝時代にジュンディーシャープール

(サーサーン朝ペルシャ帝国の南西部にあった都市)においてサーサーン朝後期からアッバス朝時代にかけてこの地の大学でネストリウス派の僧侶たちによりパフラヴィー語やシリア語に訳された。フナイン・イブン・イスハーク※(Ḥunayn ibn ’Isḥāq al-‘Ibādī、808年頃–873年頃、著書の『ガレノス医学入門』はラテン語訳され、中世ヨーロッパにも影響を与えた。)らをはじめとするバグダードの学者たちは、これを他のギリシャ語文献ともどもアラビア語に訳した。特にアッバス朝時代にガレノスの著作の多くがアラビア語へ訳されました。

                            

                        Rhazes ※4      https://en.wikipedia.org/wiki/File:Portrait_of_Rhazes_(al-Razi)_(AD_865_-_925)_Wellcome_L0005053_(cropped).jpg  

アブー・バクル・ムハンマド・イブン・ザカリヤー・ラーズィー( Abū Bakr Muhammad ibn Zakariyyā al-Rāzī Latinized name Rhazes又はRasis ; 854–925 CE) は、ペルシャの錬金術師、化学者、哲学者、医師、学者『Doubts about Galen』では経験的な方法から四体液説の誤りを初めて証明しました。

 

 

 


ダマスクローズ 75

2020年06月26日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

ドイツの料理書(Das Kochbuck des Meisters Eberhard ---1400)を開く前に、古代インド医学の影響を受けている古代ギリシャの体液病理説が中世ヨーロッパに入り、どのように変化したかを先に説明しておきましょう。最初に下の絵をご覧ください。

                          

この絵はエル グレコの “無原罪のお宿り” ですが、画面中央よりやや上に父なる神の三位のひとつである “聖霊が放つ非常に神秘的な光” を描き、超自然な全体の雰囲気を演出しています。絵が示すように、神は天上の第五元素が存在する場所で光として存在しているのです。四元素で成り立っている現世に舞い降りるや四元素の影響を受けて、神や天使の姿となって神はその姿を現します。

 

四元素説はギリシャ時代にすでに唱えられていた説です。アリストテレスは宇宙論の中で、地球の周りには,月,水星、金星、太陽、火星などの惑星が回り、全てを含む天体の間を完全元素である第五元素(エーテル)が、満たしていると考えました。惑星が回る一番外にはこれらの天体を回している大きな力を持つ ”ある者” が存在していると説いたのです。中世のキリスト教神学者であるイブン スィーナーやトマスアクィナスらはその者こそ ”神” であると考えたのです。

地球上に存在する土、水、空気、火の四つの元素から地球上全てのものが創られ、土には寒と乾の、水には寒と湿の、空気には湿と熱の、火には熱と乾の要素があるとアリストテレスは考えました。

                

       アリストテレスの理論による四元素の関係図。

 

キリスト教会側に立てば、“全ては神の摂理よって起こり、その限りにおいて、起こりうる全ての事象は一つの宇宙の枠内にある”と言うでしょう。即ちこの世の中に、時間の経過によって起こる事象は全て“天地創造から最後の審判に到る時間軸の中で経過する。”と教義付けたからです。これとアリストテレスの四元素説が合体するとどうなるでしょう。

             

上の絵はベリー公のいとも豪華なる時祷書の中の黄道十二宮人間です。
土には秋と黒胆汁を、水には冬と粘液を、空気には春と血液をそして火には夏と黄胆汁を関連付け、四つの各元素には星座を当てはめ人体の各部位と星座を結びつけたものを絵で示しています。これによって手術の場所や時間を判断しました。

人体に起こりうる全ての事柄が、病気、身体の成長、老いそして死が、神の意志に委ねられているというのです。人の一生が神の意志の下にあるということは、取りも直さず魚も,鳥も、獣も、植物も、神に背いたデーモン(怪物)すら、全てが神に支配されているということです。

キリスト教会は天地創造から最後の審判までの時間を全て掌握しているのですから、不可思議な現象や、理解できないことは存在しないのです。全ては神の摂理によって起こっているというのです。

言葉を変えて端的に言えれば、全ての存在は一つの宇宙の枠内にあると言っているのです。黄道十二宮人間をもう一度見てください。人間の内臓すらも天空に存在する星座に結びついて、その背後に存在する神の意志で動かされているのです。

 

以上がフランスの、およびその文化圏にある国々の四元素説です。それでは次に移るとしましょう。

 

 


ダマスクローズ 74

2020年06月24日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

ヘナはインドではヒンディー語でメヘンディと呼ばれ、枝、葉、実ともに、薬や染料として身近に用いられてきました。また、ヘナはヒンドゥ教の美と幸運の女神、ラクシュミーが好む植物として知られ、インドの人々に大切にされ、愛されてきました。

     

 http://v1.archiecho.com/item/54338_mehndi-the-gorgeous-indian-henna-tattoo-art-taking-the-world-by-storm ヘナを施したインド女性、このサイトにはへナに関する内容が多数集められています。

 

※アーユルヴェーダ 説明はWikiから引用させていただきました。

アーユルヴェーダ(梵: आयुर्वेद、ラテン翻字 :Āyurveda)はインド大陸の伝統的医学です。ユナニ医学(ギリシャ・アラビア医学)、中国医学と共に世界三大伝統医学のひとつで、相互に影響し合って発展しました。トリ・ドーシャ※と呼ばれる3つの要素「ヴァータ」「ピッタ」「カパ」のバランスが崩れると病気になると考えられており、これがアーユルヴェーダの根本理論です。

“アーユルヴェーダ”とは寿命、生気、生命を意味するサンスクリット語のアーユス(梵: आयुस्、ラテン翻字:Āyus)と知識、学を意味するヴェーダ(梵: वेद、ラテン翻字:Veda)の複合語で、医学だけでなく、生活の知恵、生命科学、哲学の概念も含み、よりよい人生を送ることが目的です。健康の維持、増進、若返り、幸福な人生、不幸な人生とは何かを追求します。ひとつの体系にまとめられたのは、紀元前5 - 6世紀で、古代ペルシャ、ギリシャ、チベット医学などに影響を与え、インド占星術、錬金術とも深い関わりがあります。

※トリ・ドーシャ

  

トリ・ドーシャと五大(パンチャ・マハーブータ)の関係(使用された色は任意)

 

トリ・ドーシャ;トリは3.ドーシャはサンスクリット語で「不純なもの」「増えやすいもの」「体液」「病素」の意。体液、また肉体のエネルギーと精神のエネルギーの両方を含む生体エネルギーを指します。

 

古代ギリシャの体液病理説は、古代インド医学の影響を受けていると言われています。アーユルヴェーダでは、「ピッタ(胆汁、胆汁素、水、火)、カパ(粘液、粘液素、水、地)、ヴァータ(風、体風素、空)」の3つの性質を持つ体液が体をめぐっていると説いています。医学書『チャラカ・サンヒター(The Charaka Saṃhitā or Compendium of Charaka (Sanskrit चरक संहिता IAST: caraka-saṃhitā))』では、病気は「体液のバランスが崩れると起きる」とするトリ・ドーシャ※説が唱えられています。

 

古代インドでは、五大元素として「地・水・火・風・空(虚空)」を挙げ、ピッタは「火・水」、カパは「水・地」、ヴァータは「風、空」から成ると考えました。

医学書『スシュルタ・サンヒター』では、第4の体液として「血液」が挙げられ四体液説となっており、古代インド医学の概念が、ペルシャ経由でギリシャに伝わったと考えられます。『スシュルタ・サンヒター』をThe Sushruta Samhita に英訳したビシャグラトナー(Bhishagratna)は、この説がギリシャに伝わる過程でヴァータ(風)が除外され、胆汁が黄・黒に区別され、ギリシャの四体液説になったと推測しています。

ドーシャの不均衡は、理(ユクティ)に基づく薬物、つまり増大したドーシャと反対の性質を持った薬剤によって鎮静すると述べられています。各ドーシャの性質は、ヴァータ(体風素)は「乾、冷、軽、微、動、清、荒」、ピッタ(胆汁素)は「潤、温、激、流動、酸、液、辛」、カパ(粘液素)は「重、冷、柔、潤、甘、固、粘」であるので、その反対の性質を持った薬剤を用いると病気を防ぐことができるとされました。

 

薬剤には3種類あり、ドーシャを鎮静するもの、ダートゥ(体組織)を阻害するもの、健康の維持によいものがあり、さらに動物性・植物性・鉱物性の3種類があります。

薬剤の性質としてラサ(味)があり、「甘・酸・鹹(塩辛い)・辛・苦・渋」の6種類で、甘・酸・鹹はヴァータを、渋・甘・苦はピッタを、辛・苦・渋はカパを制圧します。

 

※ユナニ医学 説明はWikiから引用させていただきました。

『現在もインド、パキスタンのイスラム文化圏で行われている伝統医学で、古代ギリシャの医学が起源です。「Yunan」は、(アラビア語、ペルシャ語で「ギリシャ」(Ionia)の意で、「Yunani」は「ギリシャの」または「ギリシャを源にするもの」の意です。ギリシャ医学を受け継ぎ、自然治癒と病気の予防を重視しています。イスラム医学と呼ばれますが、ネストリウス派(古代キリスト教の教派の1つで、コンスタンティノポリス総主教ネストリオスにより説かれた。431年のエフェソス公会議において異端認定され、排斥された。これにより、ネストリウス派はペルシャ帝国へ移動し、7世紀ごろには中央アジア・モンゴル・中国へと伝わった。唐代の中国では景教と呼ばれ、のちアッシリア東方教会が継承した。キリストの位格は1つではなく、神格と人格との2つの位格に分離されると考える。)やユダヤ教徒など、多くの異教徒の学者も功績を残していますし、非アラブ人であるペルシャ人やトルコ人、インド人、ギリシャ人、エジプト人、シリア人の医師たちも活躍したため、厳密には広くアラビア世界、イスラム文化圏で発展した医学と考えられます。

 

ユナニ医学は10世紀に確立し、イスラムの拡大とアラビア語の普及に伴い、ヨーロッパやインドでも広く採用されました。ヨーロッパの大学では、15~16世紀に主にユナニ医学が教えられており、18世紀までイブン・スィーナー(Avicenna, 980-1037)の『医学典範』など、ユナニ医学の文献が教科書※として使われていました。

ギリシャ医学を受け継ぎ、自然治癒と病気の予防を重視し、生活指導や食材の性質を考慮した食事療法をとります。理論は体液病理説がベースにあり、ガレノス医学を受け継ぎ四体液説を採っています。これは、4種類の基本体液のバランスがとれていれば健康で、どれかが優位になれば病気になるとする考え方で、体液の調和を回復させるために、患者の気質と薬剤の性質を考慮し処方され、瀉血や下剤なども用いられる。アッバス朝下では交易が盛んになり、地中海や中近東地域に産だけでなく、世界各地の生薬が広く用いられた。西洋近代医学が台頭してからも、ヨーロッパでは19世紀まで治療に活用されました。』

 

イブン・スィーナー※(Avicenna, 980-1037)の名がヨーロッパの料理書に最初に現れるのは(わたしが知っている範囲内ですが)ドイツの料理書(Das Kochbuck des Meisters Eberhard ---1400)の中です。

15世紀のバイエルン-ランドシャット家由来の栄養学及び料理レシピ集です。

著者は、南ドイツの流れを汲む、15世紀前半のバイエルン・ランドシャット( Bayern-Landshut )家と縁が深い人物、推定の域をでませんが、ランドシャット家の料理人?と考えられます。料理のレシピと栄養に関するテキストをさまざまな文献から引用した内容が圧倒的に多く、セイント ヒルデガルディス ビンゲンシス( St. Hildegardis Bingensis )が書いたものも含まれています。2レシピを引用して“体液病理説” の説明に代えようと思います。

                

    Image of Ibn Sina, medieval manuscript entitled "Subtilties of Truth", 1271

※2 イブン・スィーナー(Avicenna)

イブン・スィーナー( ابن سینا, پور سینا‎、 Abū 'Alī al-Husayn ibn Abdullāh ibn Sīnā al-Bukhārī、: Avicenna‎, アヴィセンナ 980―1037/6/18)ペルシャの哲学者・医者・科学者。イスラム世界が生み出した最高の知識人。イブン・スィーナーは哲学の師であるアリストテレスの説いた四大元素説を理論医学に応用するなど、彼の理論を『医学典範』において活用している。イブン・スィーナーはヒポクラテスやガレノスを参考に理論的な医学の体系化を目指し『医学典範』を執筆した。2巻、5巻の記述の大半はディオスコリデスの著作を典拠とし、残りの巻の理論はヒポクラテス、ガレノス、アリストテレスの著作に基づいている。「第二のアリストテレス」とも呼ばれ、アリストテレス哲学と新プラトン主義を結合させたことでヨーロッパの医学、哲学に多大な影響を及ぼしました。

人間の霊魂、神、天体の霊魂の間に共感があると考え、その繋がりを強化するには礼拝などの宗教的行為が有効であると考えていたようです。

 

 


ダマスクローズ 73

2020年06月22日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

     

https://www.pinterest.co.uk/pin/447897125423800830/ 説明はWikiから引用させていただきました。

※3ヘナ

ヘナ(ヘンナ)は、ミソハギ科の植物。Lawsonia inermis( 別名 hina, henna tree, mignonette tree, Egyptian privet、指甲花(シコウカ)、ツマクレナイノキ、エジプトイボタノキ)。エジプト、インド、北アフリカ、イランなどの乾燥した水はけの良い丘陵に育ちます。葉を乾燥させて粉にしたものを水などで溶いて、古くから皮膚、髪、指の爪、絹、羊毛、革などの布地を染色するために使用されてきました。又、地中海東部の青銅器時代後期以来、社会や休日のお祝いの一環として若い女性の身体を飾るために使用されてきました。アクロティリ(Akrotiri, 紀元前 1680年のテラ)※1 の噴火以前で発掘された壁画※2には、爪、手のひら、足の裏にヘナと思われるマーキングのある女性が描かれています。

 

インドの伝承医学アーユルヴェーダでは、何千年もの昔から切り傷の治療や、皮膚病の薬として使われてきました。皮膚病予防、止血、火傷、打撲傷、吹出物、皮膚炎などの薬剤としてヘナの場合は使用者が女性であることから結婚、妊娠、出産にまつわる護符的役割のものとして施されることが多いようです。タトゥーとの違いは身体の新陳代謝で2~3週間で色が抜ける点です。北アフリカのベルベル人(berber)、ヨーロッパから南アジアを流浪する民、ジプシー(gypsy)、ロマ(roma)にもヘナのタトゥーがみられます。

エジプト、インド、北アフリカ、イランに自生し、35〜45°Cで多くの色素を生成します。降水時に急速に成長し、新しい芽を出しその後、成長は鈍化します。葉は徐々に黄色くなり、長時間の乾燥または涼しい時期に落ちます。最低気温が11°C未満の場合は繁殖せず、5°C未満では枯死します。ヘナの葉に含まれるローソン(Lawsone)またはヘンノタンニン酸(hennotannic acid)というオレンジ色色素がタンパク質に絡み付く特性で頭髪や皮膚に色が付きます。花は香水の原料になります。

 

※1テラ

サントリーニ島( Σαντορίνη / Santorini、別名ティーラ島(Θήρα / Thira)は、エーゲ海のキクラデス諸島南部に位置するギリシャ領の島。大爆発で火山が形成したサントリーニ・カルデラの一部で、島の形に残っているのはその外輪山( 東西14.7㎞、南北16.5㎞ )です。阿蘇のカルデラがそれぞれ 18 x 25㎞ の大きさですからこの火山も相当大きいことがわかります。

               https://ja.wikipedia.org/wiki/サントリーニ島   から

 

BC1628年頃、海底火山の爆発的噴火により、地中のマグマが噴き出してできた空洞状の陸地が陥没してカルデラを形成し、現在のような形状になりました。サントリーニ島内の南部に、ミノア文明下の大規模な港湾都市遺跡、アクロティリ遺跡があります。

  

※2 壁画 ギリシャ アクロティリの遺跡から Ship procession fresco, part 1, Akrotiri, Greece.

https://de.wikipedia.org/wiki/Akrotiri_(Santorin) から

  https://de.wikipedia.org/wiki/Akrotiri_(Santorin)  アクロティリの遺跡から“サフランを積む女性” 一部分。

The saffron gatherer lady. Fresco from Akrotiri prehistoric settlement, 17th BC.Thera island.

上腕部から肩、背中にかけてヘナで描かれたと思われるタトゥーが見えます。

先に『ヘナは、エジプト、インド、北アフリカ、イランなどの乾燥した水はけの良い丘陵に育ちます。』とヘナの説明をWikiから引用させていただきましたが、そのヘナがギリシャを含む地域から、BC1600年以上も前から地中海~インド洋にかけての内陸部地域で使われていた、文明の地域間交流があったとまで明言できるか否かは疑問ですが、よく似た風習があったことは、運よく残った壁画から明らかです。

 

 


ダマスクローズ 72

2020年06月20日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

           

Munna Lal Sons & Co. の製品、ホームページから。http://munnalalsons.com/index.htm

しかし、カナウジにある蒸留所のMunna Lal Sons & Co. の若い経営者であるVev Bhav Pathakは、『アタールの需要は減少しています。アターは費用対効果の高い製品ではありません。作るのに費用がかかることを理解する人はほとんどいません。しかもその価値を認める人はさらに少ないのです。高価格の理由の1つは、白檀の希少性が高まっていることです。サンダルウッドオイルはそれ自体で香料として使用できますが、伝統的には、デグの竹のパイプから出るローズオイルと混合します。しかし、森林破壊を防ぐために、インド政府は白檀の伐採を禁止しました。その結果、白檀が手に入らなくなったのです。』と話してくれました。

 

Munna Lal Sons & Co. は、他の競合他社と同様に、サンダルウッドオイルの代用品として現在は安価なパラフィンを使った製品を作っていますが、本物の白檀を使った商品を知っている顧客には魅力ある商品では決してありません。

ローズオイルを何度か蒸留して濃度を上げ、他の物質を混ぜていない花から抽出されたエッセンシャルオイルのみで作った本来のイターを、皇帝ジャハーンギールは彼の自伝的作品であるトゥーズキ・ジャハーンギーリー(Tuzuk-e-Jahangiri)で、『同等の卓越した香りは他にない…それは精神を持ち上げ、魂をリフレッシュする。』と書いています。       

1kg のローズオイルを作るには、8トンの薔薇の花が必要でが、Munna Lal Sons & Co. では、その1kg の卸売価格は$ 18,000です。インドでは、まだアタールやローズオイルを購入する裕福な顧客がいますが、カナウジの最大の国内顧客は、今や噛みタバコ産業です。純粋なローズオイルは、口から摂取しても安全な天然製品であり、極少量で大量のタバコに風味を付けることができます。インド国外では、最大の市場の1つは中東です。中東では、蒸気釜で生産されたアタールが高く評価されており、購入する余裕のある顧客がたくさんいます。

 

アクバルの伝記、アクバル・ナーマの編纂を行ったアブル・ファズル(ابو الفضل, Abu'l Fazl, 1551/1/14 -1602/8/12)によれば、ghulab、bela、chameli、champa、maulshri、およびrajnigandhaのような花に加えて、アドラクや生姜のような根についても言及しています。 アクバルの時代に使われた樹皮は白檀、シナモン、沈香でした。 ムスク、没薬※1、龍涎香などの動物性物質も、草の一種であるクス(khus)※2と他のいくつかのスパイスと一緒に使用されました。現在のイターには、ローズ、ジャスミン、白檀、ヘナ(花)※3、ナルギス(nargis;水仙)、マジュマ(majuma)、ケブダ(kevda)、クス(khus)、モグラ(mogra)が入っています。

 

ジャスミンの抽出物は、ストレス、高血圧、皮膚病の治療に。サンダルウッドオイルを吸入するとストレスが軽減され、嘔吐が止まることがあります。胸や喉に塗ると乾いた咳が治ります。マリーゴールド抽出物は、頑固な傷を癒すことを目的とした古くから使われてきた薬で、防腐性に優れています。

   

                       没薬 https://www.timelessessentialoils.com/products/myrrh-premium 

説明はWikiから引用させていただきました。

※1没薬(ミルラ、Commiphora myrrha)myrrh, African myrrh, herabol myrrh, Somali myrrhor, common myrrh, gum myrrhの各種樹木から分泌される赤褐色の植物性ゴム樹脂。スーダン、ソマリア、南アフリカ、紅海沿岸の乾燥した高地に自生します。また殺菌作用を持つことが知られており、鎮静薬、鎮痛薬としても使用されていました。ミルラはアーユルヴェーダ※とウナニ※では薬として使用されており、樹脂に強壮性と若返りの特性があります。

                 

         クス https://herbalveda.co.uk/shop/absolute-oils-attars-ittar/rooh-khus-attar-a-grade-vetiver-vetiveria-zizanoides/

※2クス 説明はWikiから引用させていただきました。

ベチバー (Vetiver、別名ウサル、和名カスカスガヤ、インド名Khusは香り高い根の意、Chrysopogon zizanioides ) 背丈は2~3mになり、大きな株を形成します。根に強い香りがあり、精油は根茎から抽出されます。 香料は多くの香水に高級感のあるウッディなベースノート(分子量が多い為に、遅く揮発し、時間がたってから香りがたちのぼる)として広く用いられ、シャネルNo5.に使用されています。乾燥した根茎を水蒸気蒸留して1~1.5%の精油を得ることができます。

 

 


ダマスクローズ 71

2020年06月18日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

皇帝ジャハーンギールの時代から400年以上にわたり、インドの都市カナウジ(Kannauj、地図中央)では、花を蒸留して香水を作り続けてきました。

 

ウッタル・プラデーシュ州にあるカナウジには、現在では100軒ですが、20年前には700の香水蒸留所がありました。蒸留所は、ローズ、ジャスミン、ヘナなどの花から水蒸気蒸留のプロセスを経て、オイルベースの香水(アター)を製造しています。

材料から個性を引き出すには水蒸気蒸留に時間をかける必要があります。ローズアター1kgを作るには手摘みのバラが4トンで必要です。日の出前に、棘のある茂みからダマスクローズの花を手で摘み、蒸留所に送ってその日の内に加工します。

 

大きな銅の鍋の中に少量の水と一緒に入れて、木や糞に火をつけ、低温で4〜6時間煮ます。蒸気が花のエッセンシャルオイルを放出し、凝縮したオイルは竹のパイプから受け壺の中に流れ落ちます。調香師の仕事は複雑です。過熱しすぎると、香りはスモーキーになります。 加熱にどれだけ時間をかけるかを判断することが重要でこれらの技は何世代にもわたって父親から息子に受け継がれてきました。

                                                                                                                                         

           


ダマスクローズ 70

2020年06月16日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

今までに述べたことだけでもアクバル王と長男のジャハーンギールの中が悪かったのは想像に難くないですよね。生き方が全く異なります。価値観が違うのですからね。アクバル王は今も人気がある王です。料理の世界でも彼の名前はよく出てきます。たくさんあるレシピの中から、今までに食べたことの、おそらくない料理をご紹介しておきましょう。“アクバル王の鶏料理:Murgh Akbari (ムリギアクバル)“ です。Murgh はチキンの意です。かなり手の込んだ料理です。一度試されては如何ですか?

      

Murgh Akbari (ムリギアクバル、مُرغ اکبری)“レヌ・アロラ 私のインド料理”から引用させていただきました。

 

材料

下味用ソース;

チキン胸肉(二枚に切る)               3枚

ヨーグルト                      30g

タマネギ(みじん切り、茶色になるまで炒めておく)   1TBS

ベスン粉(チャナ豆の粉)               2TBS

ショウガの汁                     ―

ニンニクの汁                     ―

塩                          1/2ts

ソースの材料を混ぜる。

胸肉に混ぜた下味用ソースを塗る。

 

詰め物;

オレンジ(細かくほぐす)               3-4袋

シシトウ(みじん切り)                 2本

タマネギ(みじん切り)                 5g

しょうが(みじん切り)                10g

レーズン                        5g

カッテジチーズ                    2TBS

松の実                        10g

塩                            ―

詰め物の材料をすべて混ぜて胸肉で巻く。

 

ブラウングレイビーソース;

ココナッツジュース                   1/2缶

カシューナッツ                     10g

ポピーシード                      30g

クローブ                         8粒

カルダモン                        4粒

シナモンスティック                    1/2本

ココナッツジュース、カシューナッツ、ポピーシード、クローブ、カルダモン、シナモンスティックをミキサーにかけてペースト状にする。

 

サラダ油                         100ml

ヨーグルト                        400ml

ニンニクの汁                       ―

ショウガの汁                       ―

鍋にサラダ油を熱し、しょうがとニンニクの汁、ヨーグルトを入れて煮る。ブラウングレイビーソースとペースト、次のレッドペッパー、ガラムマサラ、塩を入れて水を加え15-20分間煮詰める。

 

レッドペッパー(粉)                   1ts

ガラムマサラ                       1ts

塩                          11/2ts

水                           400ml          

鶏肉に上の裏ごしをしたソースを掛け、200℃のオーブンで約15分間焼く。

一切れを半分に切って供する。

 

「こんなのやってられない!」という方は下のサイトをご覧ください。味は少し劣りますが驚くほど簡単な方法です。 http://www.khanapakana.com/recipe/0c10a5d4-226f-43f3-9b62-398a3f733cab/chicken-akbari- 

 

デザートも必要でしょう。これはムガル時代のレシピではありません、イラクの現在のレシピですが上の料理に味も雰囲気も合っているので引用しておきました。

  

ローズウォーターとサフランのアイスクリーム (Bastani Irani)

バスタニは、牛乳、卵、砂糖、ローズウォーター、サフラン、バニラで作ったイランのアイスクリームです。(ピスタチオが入ることがあります)https://www.foodandwine.com/recipes/rosewater-and-saffron-ice-cream-bastani-irani から

 

材料;

卵黄                  6個

生クリーム              300ml

牛乳                 300ml

砂糖                 120g

塩                   1/2ts

サフラン(粉末)            1/2ts

ローズウォーター            50ml

バニラエッセンス            1/2ts

乾燥薔薇                 ―

 

方法;

1.大きいボールの中に冷水を入れる。別の中くらいのボールの中に卵黄を入れて白っぽくなるまで混ぜる。

 

2.鍋に生クリームと牛乳、砂糖、塩、サフランを入れて混ぜ、中火で砂糖が溶けるまで熱する。卵黄の中に半量入れて流れ落ちるまで混ぜる。鍋に戻して弱火で木杓子を使って混ぜる。火が通って木杓子の背に付くまで約12分間火を通す。決してボイルしない。

 

3.カスタードを裏ごししてボールに入れ、冷水で冷やす。冷えたらローズウォーターとバニラを入れて混ぜる。ラップにくるんで冷蔵庫に4時間以上入れておく。

 

4.カスタードをアイスクリームメーカーに入れる。アイスクリームを22.5x10cmの容れ物に入れて4時間以上凍らせる。

 

5.アイスクリームをボールに入れ、ドライの薔薇を飾って供する。


 

生クリームとサフランの取り合わせは本当に後を引く口当たりです。すり潰したピスタチオを入れると食べるのをやめられなくなります。 

 

 


ダマスクローズ 69

2020年06月14日 | ダマスクローズをさがして — Ⅱ

左からアクバル王、ターンセーン、スワミ ハリダス。作者不明 (1700 AD - 1760 AD) 画

古代インドにおけるヴェーダ(バラモン教とヒンドゥー教の聖典)の究極の悟りを「梵我一如(ぼんがいちにょ)と言います。梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)は同一であるの意です。すなわち個人の肉体が死を迎えても、アートマンは永遠に存続するという事です。この考えはアートマンが死後に新しい肉体を得る輪廻の根拠になっています。『六道輪廻の宿命観。因果応報、この世のカルマ(行為、業)が “因” となり、次の世で “果” を結ぶ。』がヴェーダの教えで、日本人にも共感がもてる考え方です。

16世紀にインド全域を統一したアクバル帝の宮廷に、宮廷音楽を統括する大音楽家ミヤン・ターンセーンが現れます。以後20世紀まで彼の流派が古典音楽の最高位に君臨し続けたという大音楽家です。「梵我一如」の思想は音楽だけではなく、絵画の世界でも反映されています。上の絵からはひしひしと六道輪廻の宿命観が感じられます。3人の背後にはうっそうとした森が、その上には黒々とした雲が空を覆っています。「虚」の世界に存在する3人の人間。その空間を、これまた瓢箪の中を繰り剥いて作った「虚」の世界から生み出されたシタールの音色が切々と響いています。心の中を虚にすることの大切さはいつの時代にも大切な考えだと思います。見ていて清々しく、豊かな気持ちなるいい絵です。

右端のスワミ ハリダスは、カルナティックhttps://www.youtube.com/watch?v=spRQEectgB8音楽の父であり、生徒の一人にターンセーンがいました。

3人にまつわるお話(全文)をhttps://note.com/yoshiminekondo/archives/2019/07から引用させていただきました。
『ある日、アクバル帝はターンセーンより優れた音楽家がいることを知らされました。それは森に住む聖人で、ターンセーンの先生だといいます。アクバル帝は「彼の歌をぜひ聞いてみたい。」といい出しましたが「たとえ王であっても、彼は誰かに請われて歌うことはないでしょう」とターンセーンはたしなめます。
ますますその歌を聞いてみたくなったアクバル帝は、ターンセーンに頼み込み、家来に変装して森に出かけていくことにしました。
森に近づくと聖人は瞑想を終えて、歌をうたっていました。その声は森を震わせ、アクバル帝の心を深く揺さぶりました。帰り道、アクバル帝はターンセーンにたずねます。
「お前より優れた音楽家がこの世にいるとは思っても見なかった。なぜお前はあのように歌えないのか。」するとターンセーンは答えていいました。
「アクバル帝。私は貴方のために音楽を奏でています。けれども彼は、神様のためだけにうたっているからです。」』

 

当時の西・南アジアは、オスマン帝国、サファビー朝ペルシャ、ムガル帝国の3大国が拮抗し、非常に安定していた時期で、まだ西欧人が進出する隙もありませんでした。ジャハーンギール時代には、先進国だったペルシャから多くの官僚や職人などが仕事を求めてやってきました。彼らにとって、ムガル帝国の宮廷の公用語がペルシャ語だったことも好都合でした。ジャハーンギールは、ペルシャ語: نورالدین جهانگیر‎, ラテン語:Nūr'ud-Dīn Muḥammad Jahāngīr。ヌール・ジャハーンは、ペルシャ語 نور جهان, ウルドゥー語:نور جهاں, パシュトー語:نور جہاں で表記されていることからもこの時代の時代性が窺えます。

  

ムガル帝国時代のザクロ形の香水瓶-ルビー、エメラルド作り

ナセル・アル・サバ(Nasser Al-Sabah、クウェート国の元副首相兼国防大臣)コレクションから https://www.metmuseum.org/exhibitions/listings/2001/jeweled-arts-of-mughal-india/photo-gallery