「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

岡山城

2007年11月13日 22時57分55秒 | 紀行


 城好きの僕としては外せない箇所でしたね。隣に日本三大名園の後楽園がありながら、そちらには目もくれずにコンクリート再建のお城に行ってしまいました。「烏城(うじょう)」とも呼ばれる岡山城は不等辺五角形の変わった形状のお城ですよ。最も僕らのお城の基本は姫路城とか名古屋城にあるわけで、それが基本となりうるかって言うとそうでも無いんですけどね。
 岡山城はかの安土城に近い形だともいわれているそうで、公園の正面から見ると一層二層がのっぺりして見えますが、違う角度でみると結構かっこいいのです。

 岡山駅から桃太郎市電にのって二駅目の城下で下車しました。100円でしたね。ホッとする料金です。そこから川沿いに出て歩いて行かなくちゃいけません。
この川沿いの道が良いですね。

 僕はこの川の風景がとても気に入ってしまって、しばらくたたずんでいましたね。


 お城もこの角度でみると結構繊細な感じがして良いでしょ。鉄橋が見えますが、それは岡山城から後楽園への渡り廊下みたいなものになっていますね。









 お城の御門のすぐ手前にある私邸の玄関先です。お着物を召したご婦人が車から降りてきて瀟洒なお庭の松を剪定なさっている親方に声を掛けていらっしゃいました。
 この土手沿いの道はNHK連続テレビ小説「あぐり」の撮影現場になったそうですが、そういった時代の雰囲気を少しだけ嗅ぐことができたような気がしてとてもうれしかったですね。

 

 朝日に映える岡山城でございます。



 秋に行ったという証拠も見せておかねばいけませんね。

 

「赤穂浪士」なんかだと浅野内匠頭の異変をいち早く知らせる武士役の人が袴を高腿に引き上げて全速力で駆け上がっていくシーンなんかでみたような気がします。

  

 城内に入ってきました。従業員のおばさまたちがモップで丁寧にお掃除されていましたよ。昭和四〇年に鉄筋コンクリートで再建されたお城ですから、中身に期待はしてませんでした。昭和三十年代から五十年代に掛けてのお城の再建は観光を狙って博物館を兼ねた作りになっていますが、歴史ブームがかなりマニアックになってくるとともに、お城にも本物志向があるようで、あんまり鉄筋再建のお城には人気が出ていませんね。でもこのお城のメインテナンスの仕方は結構気に入っていまして、岡山県人の律儀さとか誠実さみたいなものが出てるようで好感が持てましたね。

 備中と岡山の城主と言えば宇喜多直家でありまして、お家再興のために謀略の限りを尽くして、主家の乗っ取り、毒殺、だまし討ち、で一国の主にのし上がった人なんですよ。およそ今の岡山県人のイメージとはかけ離れていますね。むしろその息子さんで豊臣秀吉に愛され、関ヶ原の戦いで最も激しく、純粋に闘った宇喜多秀家の方に岡山人をみたいような気がしてますね。 


 


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