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ごまちゃんの現況とチベット仏教思想

2024年02月20日 | ごまちゃん

「チベット仏教(ZOOM)」のとき、先生が生徒に質問されるところの「あなたはどこに存在しているか」という禅問答みたいの。

あなたはどこに存在していますか、と問われてみるとたしかに手や髪の毛や心臓にあるのではない。

脳かといえば、それもよくわからない。

すべての結集した総合体をさすのかといえば、それも怪しい。

老衰していくごまちゃんを見ていると、彼が生きていることの証は、呼吸、食事、排せつの3点であり、目や耳の感覚はとうに失われている。

鼻はなぜか多少反応して、鼻先におやつをぶらさげると鎌首をもたげてくいついてくる。

自分で立ち上がれないのがもどかしくて悲鳴を上げる。

昨晩から朝にかけて、ハウス内でおしっこやうんちを2度にわけてやってあり、玄関先に移動したあともなお続きがあり、今日は静岡が24度になるというのでシャンプーを決行する予定です。

食欲はものすごくて、寝たまま顔を横にしていても皿ごと食べつくしそうな勢いでがっついている。

きのうの夕方は玄関の前に寝かせておいたら、いつのまにかずり下がって体が半分敷石のほうへ飛び出しており、横向けになっていてぐったり眠り込んでいる。

それがしかも雨が降っているときなのでもうがっかりした。

快適な住空間を必死になって整えているというのに、雨の中眠り込んでいるのだ。

水気をふき取ってハウスに寝かせてみても、夜中に何度も泣いて起こされる。

近所迷惑の苦情がもうじき来るだろう。

きれいな寝床を作ってもそこで騒ぎ、雨の中では爆睡しているなんて皮肉なものです。

日に日に機能がおとろえていくのがわかり、バスタオルにくるんで抱っこしていると絶対に騒がず静まり返って眠ってしまうのは、体が痛いからとかいう理由でないのはたしかです。

この困った状態をチベット仏教思想と関連づけるとなると、私としての解答は、「識」であります。

「識」があるものに対しては一個の存在として認識せざるを得ず、関係を断つことはできず、手や足が不自由でも下の世話に苦労させられても、やはりごまちゃんであることに違いがない。

 

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