実は1週間と少し前に帰国しておりました。報告が遅れてすみません。予定外に日本を空けていたため、公私にわたってやらなければならないことが山積しており(正直なところまだ片付いていません)、なかなかブログに取り組む時間がありませんでした。と言いつつ、既に劇場には何度か足を運びました。まぁブログを書くにも、まずは劇場公演を見ないことには始まらないので、ご容赦願いたく。
「48」の日に行われた奥ちゃん卒業公演の時には、まだ国外でした。節目の公演を見ようのない場所にいるということが、大変もどかしくはあったのですが、私が私自身のやるべきことをやっている結果なので、仕方のないことだったと思っています。まだ確定ではないのですが、もしかすると今年は、今回のような長期出張が増えるかも知れません。とりあえず来月は、国内ではありますが、2週間ほどの出張が決まっています。残念ながら名古屋でも大阪でもないのですが、捨てる神あれば拾う神ありということになりそうな気配です。
これまで私は、劇場公演にこだわり、彼女たちの日々の頑張りを見続けていること、そして光が当たらないポジションでもひたむきに努力を続けて輝きを放ち始めた人を見逃さないで言葉にしていくことが、AKB48に向けた「私にできること」であり、そして私がしなければならないことでもあると思って来ました。しかし、AKB48も今や国民的アイドルとして、もう私のようなファン一人がいようがいまいが、まったくどうでも良いほど大きな存在になっています。そして私自身も、前述のように、今後は劇場公演を見られない期間が増えていきそうな状況です。
劇場から遠く離れた出張先のホテルで、ノートパソコンの小さな画面だけからAKB48の情報を見聞きしながら、もうそれで良いのかな、と思ったりもしました。今の彼女たちは、ガラガラの劇場で明日をも知れぬ必死な公演を重ねていた頃に比べれば、まったくもって夢のような状態にいるじゃないか。一ファンとして、ここまで見届けられたら、もう十分なんじゃないか、と。
でもやっぱり、ここで降りちゃだめだ、と考えました。劇場公演があまりにも高い競争率になり、私の知り合いで、いろいろな努力を続けている人たちでさえ、推しの出ている劇場公演をもう3箇月見ていない、もう半年見ていない、という声を聞きます。一方、劇場公演を初めて観る人たちの中にも、もちろん見る目のある人はいるだろうとは思いますが、多くの場合は、憧れのアイドルを間近に見た高揚感が大きく、パフォーマンスの良し悪しに気づけない、または気づいても言及しないのではないかと思います。それは当たり前のことで、ほとんどの人は、その日その時を楽しむために劇場に行っているのですから、公演の出来にいくらか疑問が生じたとしても、少々のことなら目をつぶって、その場を楽しんでしまう方が良いに決まっています。
だからこそ、劇場公演を継続的に観ている「うるさ型」のファンというのが、あえて今、そして今後も必要なのではないかと思うのです。ステージから見た夜の海のような客席に、一人ひとりの顔を全部見分けられるわけではないと思います。けれど、そのどこかに、あなたたちのひたむきな頑張りを絶対に見逃すまいとしている眼があるということ。時に生じる油断や慢心を見過ごしにしない視線が潜んでいるということ。劇場の客席こそは何よりも暖かく、しかし同時に、何よりも厳しいものでもあるということ。それをメンバーや研究生一人ひとりが、それぞれの心に刻んで欲しいのです。
帰国して劇場公演を観て、私自身も「ああやっぱり劇場公演は良いなぁ」と幸せを感じました。そういう幸せを感じられずに、苦しい思いをしている人が、あまりにもたくさんいることは分かっています。それでもなお、私が得ている幸せを、AKB48という全体的な状況に対してどう返して行けるかを考えた時、私は引き続き、可能な範囲で、私にできることをするべきだ、と考えました。自己弁護に聞こえると思います。腹が立つ人もいることでしょう。それでもあえて、私の意思表明として書きました。ご海容くだされば幸いですが、許せない!と思う人がいても仕方ないとも思います。こんなブログですが、これからも読んでやろうという方は、引き続きよろしくお願いします。
「48」の日に行われた奥ちゃん卒業公演の時には、まだ国外でした。節目の公演を見ようのない場所にいるということが、大変もどかしくはあったのですが、私が私自身のやるべきことをやっている結果なので、仕方のないことだったと思っています。まだ確定ではないのですが、もしかすると今年は、今回のような長期出張が増えるかも知れません。とりあえず来月は、国内ではありますが、2週間ほどの出張が決まっています。残念ながら名古屋でも大阪でもないのですが、捨てる神あれば拾う神ありということになりそうな気配です。
これまで私は、劇場公演にこだわり、彼女たちの日々の頑張りを見続けていること、そして光が当たらないポジションでもひたむきに努力を続けて輝きを放ち始めた人を見逃さないで言葉にしていくことが、AKB48に向けた「私にできること」であり、そして私がしなければならないことでもあると思って来ました。しかし、AKB48も今や国民的アイドルとして、もう私のようなファン一人がいようがいまいが、まったくどうでも良いほど大きな存在になっています。そして私自身も、前述のように、今後は劇場公演を見られない期間が増えていきそうな状況です。
劇場から遠く離れた出張先のホテルで、ノートパソコンの小さな画面だけからAKB48の情報を見聞きしながら、もうそれで良いのかな、と思ったりもしました。今の彼女たちは、ガラガラの劇場で明日をも知れぬ必死な公演を重ねていた頃に比べれば、まったくもって夢のような状態にいるじゃないか。一ファンとして、ここまで見届けられたら、もう十分なんじゃないか、と。
でもやっぱり、ここで降りちゃだめだ、と考えました。劇場公演があまりにも高い競争率になり、私の知り合いで、いろいろな努力を続けている人たちでさえ、推しの出ている劇場公演をもう3箇月見ていない、もう半年見ていない、という声を聞きます。一方、劇場公演を初めて観る人たちの中にも、もちろん見る目のある人はいるだろうとは思いますが、多くの場合は、憧れのアイドルを間近に見た高揚感が大きく、パフォーマンスの良し悪しに気づけない、または気づいても言及しないのではないかと思います。それは当たり前のことで、ほとんどの人は、その日その時を楽しむために劇場に行っているのですから、公演の出来にいくらか疑問が生じたとしても、少々のことなら目をつぶって、その場を楽しんでしまう方が良いに決まっています。
だからこそ、劇場公演を継続的に観ている「うるさ型」のファンというのが、あえて今、そして今後も必要なのではないかと思うのです。ステージから見た夜の海のような客席に、一人ひとりの顔を全部見分けられるわけではないと思います。けれど、そのどこかに、あなたたちのひたむきな頑張りを絶対に見逃すまいとしている眼があるということ。時に生じる油断や慢心を見過ごしにしない視線が潜んでいるということ。劇場の客席こそは何よりも暖かく、しかし同時に、何よりも厳しいものでもあるということ。それをメンバーや研究生一人ひとりが、それぞれの心に刻んで欲しいのです。
帰国して劇場公演を観て、私自身も「ああやっぱり劇場公演は良いなぁ」と幸せを感じました。そういう幸せを感じられずに、苦しい思いをしている人が、あまりにもたくさんいることは分かっています。それでもなお、私が得ている幸せを、AKB48という全体的な状況に対してどう返して行けるかを考えた時、私は引き続き、可能な範囲で、私にできることをするべきだ、と考えました。自己弁護に聞こえると思います。腹が立つ人もいることでしょう。それでもあえて、私の意思表明として書きました。ご海容くだされば幸いですが、許せない!と思う人がいても仕方ないとも思います。こんなブログですが、これからも読んでやろうという方は、引き続きよろしくお願いします。
これからもよろしくお願いします。
私もこのブログの一読者ですが、AKB48とはどうあるべきか、ファンとはどうあるべきか、常々考えらされています。
これからも定期的にチェックしていきますよ。
お帰りなさい!
個人的には出来るとこまで応援し続けたいと思います!!
後悔だけはしたくないのでw
毎回楽しみにチェックしてますので,更新お願いします!!(^^)
このグループの育成?が参加できるのはAKB48の醍醐味ですね。だんだん出来なくなるとしても...
花をっ育ってる間毎日チェックして、ケアすることと同じ、劇場で彼女達をチェック(変な意味はありません)しているファンとヲタたちの心でしょう。
駄文ですみません。これからも妄想よろしくお願いします。
更新楽しみにしていました。
これからも読ませて頂きます。よろしくお願いします!!
は劇場がある」と言っていました。幸か不幸か、ゆきりんが劇場に出ずっぱりになる日が戻ってこようとは思え
ません。でも、彼女たちの帰るべきところとして劇場が精神的に機能し続けている限り、やはりカギさんにはがん
ばっていただかないと(笑)。いつまでも読ませていただきます。よろしくです!
昔に戻ることは出来ませんが、その精神だけは忘れずに伝えていかなければならないと思います。
ということで、解散するその日までブログも続けて下さいね!(笑)
私は「チャンスの順番」のプロモーション活動や、相変わらずの不公平総選挙やらなにやらで心がかなり揺れて来ています。
これからもちょくちょく読ませて頂きます(^^ゞ
意外と応援ってなぜか自分が元気もらえますよね。 だから応援しましょう!
東京ドーム開催決定ですね。
これで1つの時代が終わりますね。