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脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

「ゆりちかへ・・・」、今夜のドラマに思うこと。

2013年01月26日 | つぶやき

マンガ雑誌フォアミセスの3月号の

脳脊髄液減少症マンガ「お母さん生きて」について、

まだまだ書きたいことはあるのですが、

今日は、

今夜放送のドラマについて書きます。

今夜9時からの、

「ゆりちかへ ママからの伝言」の放送があります。

 

くわしくはこちらもお読みください。

1月25日読売新聞

 

「ゆりちかへ・・・」は

ずいぶん前、

私が治療で脳脊髄液減少症が回復してきて、

結構な時間、立っていられるようになって、本屋に行った時、

ふと立ち寄った闘病記コーナーで見つけた本です。

 

手にとると、地元の出版社から自費出版で出されたと思えるような、

見なれない名前の出版社から出ていたその本は、

 

がんで闘病しながら子育てをした、お母さんの気持ちがつづられていたものでした。

 

でも、すぐさま心に葛藤がわき起こり、

買ってまで読む気持ちにはなれませんでした。

 

そのわけは、

私と同じ思いをした脳脊髄液減少症の患者さんなら、

想像できるかもしれません。 

 

この本は、何度もマスコミで取り上げられ、そして今回

「感動の実話」としてドラマ化されました。

 

最近、

お子さんを思いながら亡くなっていったお母さんのことを書いた本、

「はなちゃんの味噌汁」も「感動の物語」として話題になりました。

 

 

回復するのが難しい病でありながら、

闘い抜いて、子を思いながら亡くなっていったお母さんたちだけが、

どうしてこれほどまでに、

「感動の物語」として、マスコミに取り上げられるのかと、

 

私の中に葛藤がわき起こるのです。

 

もう、それらのお母さんを死に追いやった病名は

世界中に知れ渡っているし、

世界中の研究者が、患者を救おうと各国の研究者たちが切磋琢磨して日夜研究に励んでいるし、

その病の深刻さは、充分すぎるほど、

世間にも医療界にも知識は浸透しているというのに・・・。

 

でも、

その病の過酷さの知識が世界中に浸透しているからこそ、

その病と果敢に闘いぬいて、たとえ命を奪われようとも、

最後まで子を思う母の気持ちに、

人々は胸を打たれるのかもしれません。

 

どんな病名の病であっても、

子を残して亡くなるお母さんたちは、それは無念だと思います。

 

だけど、普通に世間や医療に認知されている病の患者さんたちは、

亡くなるまでに、

医師はもちろん、家族も周囲も、

誰もがその病名の深刻さ、つらさを知りつくし、

患者を誰もが病人だと認め、

細心の心を配って扱ってくれ、

充分に医療に支えてもらい、家族に支えてもらったはずだと思うのです。

 

少なくとも、

脳脊髄液減少症患者が医師に言われるように

「あんたの症状は気のせいだ、思いこみだ、仮病だ」、と思われることも、

何の治療もされないまま、ほったらかされることも、

がんではあまりないと思います。

 

特に医療先進国の日本では。

 

でも、脳脊髄液減少症には

「いくら症状を訴えても、医師にも信じてもらえず、ほったらかされ、

怠け者、精神病扱いされ、

まともな治療さえ受けられない、家族にさえ、症状の深刻さをわかってもらえない。」という

信じられないことが、

いともたやすく起こってしまうのです。

 

誰にも病人だと気づいてもらえず、

その患者の症状、苦しみ、訴えが、脳脊髄液減少症だと医師にも気づいてもらえず、

気づいてもらえないから、病名もつかず、

その後は医師にいくら症状を訴えても、相手にされなくなる。

 

そして、医師が病人だと認めないから、

家族も

なまけ病、仮病だと思いこんでしまうこともある。

そうなって、

動けなくなったお母さんたちが、

寝たきりになって、家事も育児もできなくなって、

我が子を思って頑張って頑張って生きようとしても、

もう自分の力ではどうにもならなくなって、

苦しんで

苦しんで、

誰にも医療にも助けてもらえず、

ある日、呼吸困難などの何らかの脳脊髄液減少症の激しい症状や

脳脊髄液減少症が引き起こした硬膜下血腫で亡くなってしまっても、

あるいは、あまりの苦しさから自殺してしまったとしても、

誰も、そのお母さんの闘った軌跡や、

残していく子を思いながらの無念な気持ち、生きたかった気持ちは

闘病記に記することもなく、

世間が気づくことすらないでしょう。

 

そのお母さんのことを、マスコミも「感動の物語」として

とりあげたりもしないでしょう。

 

同じ病での死であっても、

がんと闘いぬいて子を思いながら亡くなっていったお母さんと、

脳脊髄液減少症で亡くなっていったお母さんとでは、

マスコミや

世間の関心度が、あまりにも違うと

私は感じるのです。

 

脳脊髄液減少症と闘ったお母さんの話は、

生き抜いたにせよ、

亡くなってしまったにせよ、

 

「感動の物語」としては、マスコミもほとんど紹介しないし、

出版されることも、ドラマ化されることもないと思うのです。

 

それはなぜかというと、

そもそも、

そういう病が存在することも、

その症状の過酷さも、

どんな風にその症状が日常生活を阻害するかも、

全く世間に知られていなからだと思うのです。

 

脳脊髄液減少症の深刻さが全く世間に普及していないから、

医療界にもまだまだ知識の普及が足りないから、

マスコミもテレビ局も、

脳脊髄液減少症のお母さんたちの話しを

伝えようともしないのでしょう。

 

そんな中、

脳脊髄液減少症のお母さんのことを、

そのお母さんが、症状に苦しみながらも、子を思い、生き抜く姿を、

漫画化してくださった意味は

大きいと思います。

 

多くのミセスが手にとるマンガ雑誌に掲載し、

今回のフォアミセス3月号の「お母さん生きて」の作品を読んで、

自分の症状や家族、知人の症状が、

脳脊髄液減少症に似ていることに、気づいてくれる人もいるかもしれない。

 

病名は知っていても、症状の深刻さを

このマンガではじめて知る人だっているかもしれない。

 

脳脊髄液減少症を発症したお母さんが、

もし、夫が単身赴任でいない世帯だったら、と考える人もいるかもしれない。

 

もし、同居で家事を代行してくれるお姑さんがいない核家族だったら、

周囲に知りあいもいない、

夫と転勤してきたばかりの土地での交通事故での発症だったら、

 

あるいは、

頼れる知人も、守ってくれる家族もいないシングルマザーだったら

 

といろいろな想定を考えて、

危機感を持ってくださる関係者の方もいるかもしれない。

 

秋田書店の皆さま、

漫画家の三谷さん、

体験を話してくださった患者さん、

ご尽力くださった関係者の皆さま、

重ね重ね、

感謝申し上げます。

 

皆さま方の勇気と行動力は、

必ず多くの人たちに気づきを与え、

早期発見に導き、救うと思います。

 

そして、マンガでは伝えられなかったことについても、

マンガからこの病の持つ問題点の奥深さに想像力を働かせて

考えてくださる人も現れるかもしれません。

 

ありがとうございます。

 

そして、

私たち全国の患者は、秋田書店に感想を届けましょう。

 

 

 

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