アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

小女パウラ

2007-10-29 08:51:54 | 暮らし
 縦長のいかつい窓ガラスが薄陽を滲ませる。天井は高く、昼だというのに青黒く錆び付いたようでいて、視界を中空の靄の中に溶け込ませてしまっている。肉厚の堅い壁も、冷ややかな響きを奏でる床もたぶん石造りなのだろう。四方を居丈高に逼塞させられた部屋の中を、僕は歩き回っていた。部屋を出て、また次の部屋へ。ここはどこか。博物館だろうか。それにしては何かを陳列してるようにも見えない。折に触れすれ違う人々がいて、彼らは壮年だったり老人だったり、あるいは年季のいったオバサンだったりするのだけど、誰もが一人か二人程度のグループで、僕と同じように部屋から部屋へと巡回して歩くのだった。床の隅々や漆喰の塗り重ねが醸し出すこの場所の雰囲気を考え合わせると、もしかしたらこの建物自体に価値があり、一部屋一部屋が陳列品なのかもしれない。特に目立つ人もいなければ甲高い声で語る人もいず、静かで、それでいてどこか雑とした「群集」のざわめきを内包する空気が充満していた。僕の心は醒めていて、ここが夢の世界だと知っていた。夢にあっても現にあっても、こうして自分自身を失わないでいられることが嬉しかった。右手を掲げて見ると、手のひらの皺までがしっかりと見えた。
 ここで今自分は自由な選択を委ねられている。そして周囲がこのような状況であるのなら・・・僕は考えた。そう、微妙に形を変えてしばしば夢の中に現れるこの迷路的閉鎖空間の中にあっては、とりあえず、建物内を経巡るしかない。その上で注意を怠らないでいるのなら、どこかにここからの脱出口なり意外な発見なり、物語の新たな展開を惹起するポイントが見つかるかもしれない。そう考えて僕は殊更意図的に歩き回ることにした。同じ場所での堂々巡りは避けて、できるだけ他の種類の空間へと。壁の合間や、かつて扉のあった場所は細長く切り取られていて、次なる空間へと身を滑らせるエスケープ・ゲートとなっている。そういえば、初めて明晰夢を見た時も、それはこことは趣を異にする和風作りではあったけれど、このような果てしのない広がりを持つ建造物の中をさながら迷い児のように徘徊し、結局自分の探しているものが何なのかもわからないままに、タイマーがこと切れるまで歩き続けたのだった。もちろんその頃の夢は今よりもずっと暗くおぼろげで、物や人の姿も、醒めた後の記憶さえも明瞭ではなかったのだけれど。それに比べれば今は少なくとも「見よう」とすることができるほど力がついてるし、どこかに焦点を合わせればそこが拡大構造で映し出されたり、またはそこから別の空間に繋がる扉が形を現したりすることがわかった。それに何よりも現実世界ではありえない、さまざまなことを試してみることができることも知っている。

 階段を抜けた先は事務室のようだった。木製のぶ厚い執務机が据えられていて、その脇に高い背もたれをこちらに向けて、重厚な回転式の椅子が置かれていた。ふと、その背もたれに遮られて見えない腰掛に誰かがいるような気がした。僕は一瞬躊躇した挙句(無視して次の部屋に行こうという選択肢もあったのだが)、このまま先を急いだって結果的に何も起こらない可能性もあるのだから、ここはひとつその椅子に坐っている誰かを確かめてやろうと思った。気になることを躊躇なくすることが出来る。これは夢の世界の特権である。
 づかづかと部屋に踏み込んだ僕は、肘掛け椅子に向けて進んだ。コーヒー色に光る傍らの卓の上には事務を執るためには有用な、けれどいささかもったいぶったような古めかしさを感じさせる、ペンや文鎮、綴り併せの便箋の類などが積み重なっている。それらを見下ろしながらぐるりと回って椅子を覗き込むと、分厚い皮の背もたれに身を埋めていたのは意外にも、小さなーまるで赤子のような按配で暖かな毛布にくるまれて、けれどもちろん赤子ほど小さくはないのだがーひ弱そうな一人の男だった。男は眠っている。毛布を捲るとその間から、長い年月陽に晒された焦げ色が染み付いたような、乾いた素肌が覗いている。どうやらこの毛布は、男の衣服代わりなのかもしれない。
 ふとこの夢の中で、自分の手を使ってこの人を揺さぶり起こすことができるだろうかと僕は考えた。思いが即具現化しがちの夢の世界では、えてして触感や実際の行動感を肌身に感じることが少ない。それにこの発想はこちらから意図して始まるコミュニケーションというという事で、僕に刺激的な何かを感じさせた。ただ流されるだけの通常の夢では、こんな事態の展開の仕方など願ってもありえないのだ。
 試してみよう。そこで僕は、両手をもって彼の二の腕を掴んで、揺さぶってみた。実際に握ってみると彼の体は随分と軽く、並みの人間よりもずっと華奢な造りに思えた。その上彼の胴体はーこれは夢であることによるある種視覚上のデフォルメなのかもしれないがーベトナム戦争の枯葉剤に侵された子どものように、いびつに捻じ曲がっていた。畸形なのだろうか。しかし瞼をおもむろに見開いた彼の眼差しははっとするほど強く、瞳は知性そのもののようだった。洋画に出てくる褐色で彫りの深い、精悍な顔つきをした主人公。僕はその時点で既に驚くべき発見をしていた。-この男は何でも知っているー直感がそう伝えていたのだ。そうだ、今すぐに、僕は彼に自分の一番知りたいことを訊かなければならない。それが今できる最高で唯一の選択肢だった。

 少しの間ーそれは滴が滴るほどの瞬間だったかもしれないし、それとも大きく深呼吸できるくらいのゆとりがあった時間だったのかもしれない。しかしそれはどっちみち大した問題ではなくて、夢の中の時間というのは、歩く者の精神状態に応じてどのようにでも加工できるもののようだったし、またそれに合わせて状況は展開の歯車を回すのだ。しかしその時の僕はやや焦っていた。早く質問しないとならないという強迫観念が胸を締め付けて、頭の中はジェット気流が錯綜するように紛糾していた。やがて息苦しい間断の終止符として、どうにか辿り着いたリセットは、こじ開けた唇を突いて飛び出したたったひと言から始まった。「私の、人生の目的は、なんですか?」
 発したと同時にこの問いに、半ば驚き半ば得心しつつ苦笑混じりの顔をして背後に佇む自分がいた。明晰になっている時はこのように、自分のなす一挙手一投足に自省と分析の鋭い視線が注がれる。つまり舞台で踊る役者をガラス越しに冷徹に検分する監督のように、「自分」という思考主体が、行動する「自分」の膜一枚裏側に不即不離に存在するのだ。日常知りたいことはもちろん山ほどもあるのだが、こういったここ一番という時に、結局僕はまたしてもこの問いを選んでしまったのか。15年前のあの時もそうだったし、20年前もそうだった。そして今もそうだとすればこの時に至るまでずっと、僕は日焼けとシミにうっすらとコーティングされたこの同じ質問を相変わらず痴呆のように抱き締めながら、生きてきたというのか。・・・

 しかし間髪をおかずに男は答えたー「小女パウラ」。
 え?僕はわが耳を疑う。小女パウラ?・・・そう、確かに彼はそう言った。てっきり僕は、何かをすることとか何かの役目を果たすとか、そんな人間の行動や位置づけを示唆する答えが返ってくると思っていたのだった。それが案に相違して人間の、しかも女性の固有名詞らしきものを挙げられるとは思ってもいなかった。その時の彼の言葉は発声と同時に、網膜に掲げた掲示板に明確な文字としても視認されたのだったが、小女・・・そう、少女じゃなくて「小女」と彼は言った。「小女パウラ」?これはいったいどういう意味なのか。まさか、受け取りようによってはまるでメロドラマや純愛小説(またはパロディ)に擬せられる風ではあるけれど、これが本当のところ、あれだけ差し迫った自分の真剣な問いに対する答えなのだろうか。しかし彼がそれ以上何も語らないことは、自分にはわかっていた。
 僕は思案する。とにかくも、まずは「小女パウラ」を探すことだ。このままこの建物内を部屋から部屋へと経巡ってもいいのだが、それよりはこの際幸いに、この事に直截的に役に立ちそうな一冊の本がその場の僕の手元にあった。それはオリンピックか何かの記録写真集のようなもので、ページごとに体操の各種競技のような(またはエキゾチックな舞踊のような)スナップショットがたくさん載せられている。この中になにがしかの情報がある。僕は次から次と矢継ぎ早にページを捲り、そうしてとうとう目指す一枚の写真に行きついたのだった。
 それは若い男女が入り混じって演ずる曲芸のワンショットで、雰囲気を例えて言うならば中華皇帝のお抱え曲舞団による演目のハイライト。踊り手たちは右に左に華麗な跳躍や人体構造の極限を極めたポーズを駆使した舞踊を披瀝し、それらが全体としてひとつの絢爛な花舞台を構成しているというものだった。小女パウラはその中のひとりとして、まるで水面に落ちかけたバレーボールを跳躍一閃間一髪で掬い取ったような姿勢で、魚のような肢体を跳ね上がらせていた。一応衣装らしきものもあるのだが、彼女は事実上半裸で胸元も顕わだった。といってもその写真の登場人物は全員が似たような姿だったのだが。これが・・・「小女パウラ」。僕の生きる目的・・・
 そう思った瞬間、彼女は実物として「そこ」に立っていた。顔は卵形に近くて角ばりがなく、澄んだ額に控え目で楚々とした微笑を浮かべていた。背は高くはなく幾分ふくよかで、それでいてつるんと引き締まった白い肌をした、正真正銘の少女だった。取り立てて胸が大きくも、凄い美人だという訳でもなかったけれど、姿かたちも物腰も充分に僕の好みと言えるものだった。しかし容貌はともかく雰囲気は明らかに日本人離れしていて、なんとなく中国かタイか、どこか東洋人を思わせた。
 彼女の口から出たのはどこかの外国語で、静かな口調で私はあなたと共に歩むと言った(夢の中では例えどのような言葉を話そうと意味は通じるようだ)。僕は語学初等コースのようなたどたどしいスペイン語で、Nosotros vamos......正確な表現は忘れたけれど、僕たちはこれから一緒に行くのだと言った。彼女が何者なのか、何が僕の人生の目的なのか未だに何もわからないけれど、でもこうして僕たちは出会って、このままにやっていこうと思ったのだった。

          ☆       ★        ☆

 もう少しだけ時間があったなら、僕は彼女を抱いてそのままこの世界に戻ってこれたんじゃないかという気がする。例え現実への垣根を踏み越える瞬間に、彼女の体が先日押入れから出したばかりの冬布団にすり変わっていたとしても、夢の世界ではすべての試みは成しえるし、加えて僕はあの時まだ明晰だったのだ。しかしながら夢はあの決定的な瞬間に、微かな余韻を残しつつも唐突な終幕を迎え、僕は数々の強烈な記憶の断片を抱えて朝靄の中にとり残された。
 どの夢にも何がしかの意味はあるだろうけれど、そのすべてに深い「意味」があるとは限らないし、それらを根こそぎほじくることのために日常の貴重な時間を割きたいとも思わない。でも中には訳がわからないながらも、醒めた後も長い長い間心の端っこにぽつねんと留まる水滴のような夢というのもあるものだ。「小女パウラ」は、最近僕が見た夢の中では一等明瞭に、記憶に刻まれた中のひとつだった。

(「明晰夢」についてはアグリコ日記「夢を歩く」参照)




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