アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

ミギワバエ

2009-07-30 17:07:28 | 暮らし
 本当ならとうに梅雨も明ける時節になって、いつまでもサラッとした雨が降り続く、典型的な梅雨の気候になった。つい先週までは、去年と同じようなカラ梅雨だったのにね。本当に近頃の天候っておかしい。でもおかげで井戸の水位も戻ったし、涼しいから体も休まるし、これからの本格的な夏に備えることができる。正直言ってこのところ、過労気味だった。
 ただ、稲はちょうど今が減数分裂期で、一番低温に弱い時期なんだ。人間で言えば胎児が体の中で最初の体形成を行ってる時期というか。このとき母親はことのほか注意深くならなくちゃいけない。その体はもう、自分のものではないのだから。
 そういえば稲と言ったら思いだすことがある。事の発端は、今からひと月ほど前、6月も半ばを過ぎた田の中にあった。
 
 あの日草を抜きながら田んぼを歩いてた僕は、ふと稲株に点々と丸い泥のようなものが付いているのを見つけた。単なる泥の跳ね返りじゃない。水口に近いその場所に、ある株には数個、また他の株には十数個とひしめきながら同じ塊りがこびり付いている。よくよく見るとそれはなにかの蛹のようだった。


 きっとこれは害虫に違いないと思った。百姓を始めて今年で8年目。まだまだ世の中には知らないことがたくさんあって、来る年毎に新たな発見や数多くの学びがある。たぶんこれも今年の新しい発見のひとつになるのだろうな。しかし毎日田の中を見回ってて、こんなものを見つけたのは初めてだった。
 さっそく家に帰って病害虫図鑑を引っくり返してみた。形と大きさからして、特に怪しいのは「ハエ類」。でも案に相違して、このモノの正体を突き止めるのは簡単なことではなかった。
 一番近かったのは「イネハモグリバエ」だったけれど、よく見れば形状が少し違う。その他イネクキミギワバエ、イネヒメハモグリバエ、イミズトゲミギワバエ、その他害虫と呼ばれるものを悉く当たってはみたのだが、どれにも該当するものはない。家には図鑑やらなにやらひと通りのものは揃っていて、大概のものはこれでわかるし、更にインターネットという有力なツールもあるから、これで見当がつかないとなれば、多分これは余程の難題であるに違いない。
 さあてどうする・・・そうだ!県の農業改良普及センターに訊いてみよう。以前稲の障害の原因で、どうしてもわからなかったものをここで見事突き止めてもらったことがある。農協は自分たちの営利に結び付くもの以外にはまったく関心を寄せないし、その知識もない。また隣り近所や知り合いにこんな時相談に載れそうな人物もいない。やはりここしかないのではなかろうか。
 そこでこの蛹が付いた株と写真とを持って普及センターを訪れた。したところ検体を病害虫防除所に送って調べるから一週間ほど待ってくれという。ここが公的機関の強みだ。その場でわからないならば中央の研究所なり試験場なりに問い合わせてくれる。それに出荷していようがいまいが、有機農業だろうがそうじゃなかろうが、みな平等に利益の追求なく対してくれる。だから僕は普及センターが好きなんだ。
 そして返事が来るのは意外に早かった。一両日後に次のような一報が僕のメール箱に届いた。
蛹の中の幼虫を観察しますとアブかハエの仲間(双翅目)と思います。
羽化しないと、そこまでしか分かりません。
(稲の葉に見られる)食害はイネミズゾウムシによるものであり、(この蛹の虫は)水稲の害虫ではないと考えられます。
添付した写真が幼虫の様子です。
少し蛹を飼ってみて、羽化した成虫を観察したいとは思いますが、うまくいくは分からないので期待はしないで下さい。

 そして送られた画像はこれ。


 僕は感激した。蛹を切り開いて中の個体を取り出したものらしいのだが、さすがは専門の研究員だ。僕のような素人にはなかなかこのようなことはできない。それにしても殻の中の蛹の姿は、なんて美しいんだ!
 しかしその後何度かのやりとりを経たのだったが、残念ながら判明したのはここまでだった。最終的には次のような連絡で事態は一応の結末を見た。
ミギワバエ類の一種であることは確かのようです。
イネに実害まで出すことはないと思われます。
何か悪さをするような感触がありましたら御連絡下さい。
種の特定までは至りませんでした。

 つまり稲の病害虫ではないらしいということが判明した時点で、彼らの業務の対象ではなくなったのだ。病害虫防除所には「害虫」以外の生物の資料が揃えられていないのかもしれない。
 でも僕にはここまでで大満足だった。骨折っていただいた県の方々には感謝の念でいっぱいだった。実はその後もしばらくの間、僕個人でなんとかこのハエの正体を突き止めようと詮索を続けてみたのだが、いかんせんミギワバエ科は,日本産だけでおよそ120種が同定されている上、中には和名がないようなのもあり、蛹の写真などが掲載されてる資料などそう簡単には手に入らない。図書館で取り寄せてもらった書籍も更なる前進の足がかりにはならなかった。僕にとってできるのは、大体そこまでだった。
 ここであのハエについて僕なりの推測を言えば、あの虫は幼虫時を水面下の土中で有機質を食べながら育ち(つまり稲の根や葉を食害するものではなく)、蛹化の際に近くの植物体に上って羽化する生態のものではなかろうか。たまたま深水管理の影響か土中の有機質含有量の増加によるものか、今年初めてわが家の田んぼに現れたものなのかもしれない。
 ミギワバエとは、元々「水際にいるハエ」という意味で付いた名前らしい。ハエの中にはその繁殖や成長の過程で河川や水田、湖沼などの水際を必要とするものが結構いるみたいだ。百種をゆうに越えるそれらハエ類の中には、稲という植物体に害を及ぼすものよりか、むしろなんの影響も与えない、中立または共存的な存在のものの方が圧倒的に多いようだ。


 今回僕は、そんなハエのひとつに出会ったのかもしれない。「人を見たらドロボーと思え」ではないけれど、虫を見たら害虫と思えと言いかねない現代農業の性向からすれば、「明らかに深刻な実害を及ぼす虫以外はすべて残すべし」とする僕の営農方針は極めて異質以外のなにものでもない。でも僕は思う。「世の中には扶けてくれるものの方が、攻撃してくる存在より遥かに多いのだよ」と。
 そう思うから僕は、田の中畑の中の、草や虫たち、生きものたちの名前と生態を自分なりに調べ続けてきたのだった。疑わしいからという理由で安易に薬を撒いてしまえば、10%の害虫を排除するために残り90%の益虫を殺してしまうことになる。僕から言わせれば、世の中に中立的な「ただの虫」なんてものは、実際のところいないんじゃなかろうか。むしろ「害虫」を含めてすべての存在は益虫であり、どれもこれもが生態系の深さに貢献する大切な存在なのだ。
 だから今回名前を見つけられなかったこの小さなハエも、きっと僕のため、稲のため、田んぼの生態系のため、この地球の保全のためになんらかの役割を担っていることと思う。それらのメカニズムを知るには人間の知性と科学はあまりに非力だけれど、でも少なくても、「今すぐ殺してしまわないとならないくらい悪いヤツ」じゃないことくらいは教えてくれる。
 美しいものを美しいと思い、ヒトが生物界において「醜いモノ」に堕しないように、出会うものたちを守ってやりたいと思う。

 
 

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