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アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

失踪

2005-08-24 19:43:16 | 暮らし
先夜、真夜中に目が醒めた。電話のベルが鳴っている。
まだ少し頭に昨夜の酒が残っていた。体がだるい。できればこのまま寝ていたいと思った。
でもベルはいつまでも鳴り続ける。もしかしたら緊急の電話かもしれない。いや、こんな時間に鳴るということは、きっとそうなのだ!
私は諦めて立ち上がった。

アタゴの婆さんが行方不明だどっしゃ。
宵の口から帰ってないんだど。
今すぐ行ってけねが。・・・

時計を見たら3時だった。もちろん外は真っ暗。猫たちもまだ夜の活動から帰って来ていないようだ。私は目呆け眼をこすりながら格納庫に行き、軽トラのキーを回した。

アタゴに着いたら玄関が開きっ放しになっている。軒下の電灯がポツネンとしていて何となくもの寂しい。
訪うと中にはひとり、息子さんが赤ら顔で座り込んでいた。息子と言っても50がらみの年配者。独り者である。婆さんと彼はこの家に二人だけで暮らしている。

事情を聞くとこうらしい。夕食時に婆さんと言い争いになった。酒に酔った息子は手当たり次第に婆さんに物を投げつける。婆さんはお前になんかもう世話になりたくない。弟のところに行きたいと泣き叫ぶ。それを聞いて更に逆上した息子は、泥酔したまま車を走らせて遠く市街地に住む弟の家に捻じ込んだ。
しかし家は深閑として誰もいない。警官にも咎められ、諦めて帰って来たら婆さんがいなくなっていた。
それが夜の11時頃のこと。

因みにこの息子とは、酒が元で職を失い嫁子どもたちからも見放され逮捕歴も数え切れないという近在では名うてのアル中である。先妻の子なので婆さんとは実の親子ではない。数年前、それまで旦那さんに先立たれひとり静かに暮らしていた婆さんの元に、折りしも家族から追い出された酒乱がひとり転がり込んだというところだ。以来定職にも就かず、婆さんの年金で酒を飲み、暮らしている。
彼は正直言って中の鼻摘まみ者だった。何しろ祝いの席で酒を飲んでは暴れる。朝から他所の家に捻じ込んでクダを巻き騒ぎを起こす。そして手には必ず焼酎のビンを持っている。
とにかくとても厄介な人だった。我が家にも何度か現れてはその度に揉め事を起こしたし、最期にはパトカーを呼ぶことでやっとケリがつくという、そんなことをあちらこちらでもう何度も繰り返している。
怖いことには女のいる家を狙って訪ねて来る傾向がある。彼に追い回されて畦道を逃げたという女子高校生もいるくらいだ。もちろんその度に警察も「またか!」という顔でやって来る。
その婆さんも日頃かなり苛められているとの噂は聞いていた。誰もが彼女を不憫に思っていた。
その彼がここ2年近く鳴りをひそめていたかと思いきや、久方ぶり、いきなりの「事件」がこれである。

と、まあ、ここまで聞き出すのにかなり長い時間を要した。何しろ彼は今も泥酔しているのである。
恐らく何度も警察に電話をかけたからだろう、電話機は「不通」になっていた。酔っ払いが110番に迷惑電話をかけるのだから堪らない。当局は電話会社に手を回して当該電話機を不通にすることができるのだとは、この時私も初めて知った。

裏の山で、首釣ってんだ。
そうに違えね・・・

当の彼自身は畳に座り込むばかりで、山に確かめには行っていないそうだ。そうして電話をあちこちにかけて騒ぎまくったものらしい。
多分婆さんは、「実の子」である弟のところには行っていないのだろう。彼はそこから帰って来て婆さんの失踪に気づいたのである。時系列的に言っても少し無理がある。
一方、こんな夜更けに車も運転できない婆さんが独力で街に行く手段は限られている。唯一の可能性はタクシーを呼ぶことくらいだけれど、それなら隣近所の目に留まっている可能性が高い。けれど未だにそんな情報は入って来ていない。
まだ行方不明になってから間が無いことを考えれば、恐らくは付近のどこかで野宿をしながら夜を明かしている公算が高い。いずれにしてもこの真夜中にできることはほとんど無いので、少なくとも夜が明けるのを待つしかない。もしかしたらそのうちに婆さんは帰って来るかもしれないのだから。

私はその旨説明して、明け方また来ると告げた。警察を呼ぶなりの助けを借りるなりするにも、とにかく朝が来てからのことだ。
そして我が家に帰る道すがら、懐中電灯も持たずに道路をうろうろしているお婆さんの一群に出会った。
失踪した婆さんの友達たちだった。知らせを受けて独自に捜索していたとのこと。どなたも70、80を過ぎた方で、ひとりはカートを押しながらでないと歩けないほど腰が曲がっている。それがひと山歩き越えて駆けつけたのだそうだ。この真夜中に。
そして彼女らも肝心の婆さんの家には、アル中の息子を避けて顔を出さなかったという。
とりあえず朝を待ちましょう、と言って私は彼女らを家まで送って行った。
そうこうするうち、家に帰って来た時には朝は白々と明けかけていた。

翌朝判明したことには、
当の婆さんはその晩近所の家に助けを求めて、そのままそこで一夜を明かさせてもらったそうである。もちろんそのことを知れば、息子はその家に怒鳴り込んでいたことだろう。だからそのことは内密にされ、私の耳にも入らなかった。

私が翌朝軽トラを運転していたら、ばったりとその婆さんに行き会った。慌ててブレーキを踏んで車を停める。けれど彼女は、私に会釈をしながらも足を止めることなくずんずんと歩いて行ってしまった。どことなく決まり悪そうに。誰とも話したくないという素振りで・・・。
肩にバッグ、手には風呂敷を提げている。
彼女は明け方家に戻って荷造りし、今しも家を出たところだった。これから歩いてタクシーとの待ち合わせ場所に行くと言う。

寝呆けた顔を擦りながら、私は彼女を見送る。
弟の家には何年か前に一度行って、嫁さんとの相性が悪く出戻って来ているとの噂も聞いている。
婆さんもしばらく見ない間にだいぶ痩せたみたいだ。追い出された家にもう一度向かう彼女の心境は、いかばかりだろう。皺の間に涙を溜めた顔で朝もやを潜る、彼女の行く手にはこれから何が待ち構えているのだろうか。






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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お久しぶりです (sake)
2005-08-26 16:34:24
将来、私がこうならないと誰が言えるでしょう?

人間は最後に向かう所は、結局こう言うことなのでしょうか。

人はただ死に向かって進むだけなのかもしれませんね。
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sakeさん、どうも・・・ (agrico)
2005-08-26 18:55:35
時々そちらにも行ってますよ。コメント残さなくてすみませんが・・・



私はそうは思いません。自分の老後は今自分が作っているのだと思います。

自ら発するものがタイムラグはあるけれど、また当の相手からとは限らないけれど、還って来る。これはその目で世界を眺めると、自明のことだと思います。



田舎に暮らして日々いろいろな年寄りと付き合う。その中で私は、「こう生きればこんな老後になる」という共通項を見つけたような気になるのです。いつかそれについて記事を書こうとしてもう随分経ちますが。

私の今は私が今まで歩いた道の先端にあります。だからsakeさん、人は幸せになれるのですよ。例え悪意を受けようとも、それを善意に変える力を私たちは持っていると思うのです。自分の「出す」ものがポイントなのではないでしょうか。



このお婆さんも、そのような生き方をして来た結果なんだと思います。このような人にこそ優しく接したい。それがまた、将来の自分のためにもなります。
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お久しぶりですぅ (ぶんぶくちゃがま)
2005-08-31 02:35:35
コメント残そうかどうか迷ったのですが、心にズンときたので。



私も今年の夏はあまりにもたくさんのことがあって、いろんなことに胸を痛め、私の力ではどうすることもできない現実につきあたりました。



いろんなことがあり、実家の父は「死にたい」と母に言い残し失踪してしまい、かろうじて電話で母に「岡山にいる」とだけいい、私たち娘には「もう会いたくない、会わす顔がない。」といわれました。

いてもたってもいれず、実家からは離れて暮らしている姉たちと私と、朝いちの新幹線に乗り、4時間ぐらいかけて岡山に行き、父を探してまわり、探して探して、父を見つけて、父を抱き締めました。



私たちは、父のことをこれだけ愛しているんだということを、父が生きていてくれるだけで私たちは本当に幸せだということを。

感謝しても、しつくせないほど本当に感謝しているということを。



伝えきれないほどの思いを、伝えました。



大変なのはこれからです。今、本当に辛いです。

だからこそ、最近、「生きる」ということの深さを、少しだけですが感じるようになりました。

今だからこそ、たくさん笑うようになりました。



こんな私のところにも、朝は、やってきますかねぇ。
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心にズンと来て・・・ (あぐりこ)
2005-08-31 16:50:39
出る言葉が無いのです。私にも。



起こることは受け容れるしかない。自分の歩いて来た道のりの分だけしか相手を抱きしめれない。だから私たちはたくさんの辛いことに会う。いつか大切な人をこの手で抱きしめるために。



父の心中、ウエブ上の私には充分に思いやれません。もしかしたら私と同じくらいの年齢かもしれませんね。私の世代、多くの人がそのようなことを引き起こす生き方をして来ているのですよ。目の前に明らかに「正しい」価値観を提示させられていたのです。悩むべき時でした。今もそうなのかもしれませんが、誘惑の多い時でした。

その中で本当に「大切なものは何か」を見失わずに生きて来れた人は、実を言えば皆無に近いかもしれません。みんな迷い道に入ってしまったのです。私も、他のみんなも。

このような状況であなたの真情、お父さんに通じますよ。そのためにそれが起こった。あなただからそれが起こったんだと思います。



どうして生まれて来たのか、なぜここに生きているのか、思い悩む時があります。でもその答えはある時一瞬にしてついてしまうのです。その時はとても大切なのですけどね。



悩んで生きて行きましょう。苦しみながらも進んで行きましょう。今あなたに言えることは、これしかありません。私もその道を一緒に歩んでいるんですよ。
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ありがとうございますぅ (ぶんぶくちゃがま)
2005-09-01 06:28:33
久しぶりにおじゃましたのに、重い話をしてすいません、温かく私のこと受け入れてくださって、本当にありがとうございます。



あぐりこさんのコメントを読んで、なぜか泣いてしまいました。あぁ、久しぶりに泣きました。いつも我慢しているので、すこうし楽になりました。

本当にありがとうございます。



悩んで生きて行きましょう。苦しみながらも進んで行きましょう。

というお言葉、とても素敵な言葉です。
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私たちには・・・ (agrico)
2005-09-01 18:31:41
それしか残されていないだけなのですけどね。でも残されたただひとつのことが一番の価値を宿している。



今日田んぼで泥だらけになって働いている私を見て、あるお婆さんがトマトをくれました。2個。あまり赤くないし無農薬で自分でミニトマトを作っている私には欲しい物ではありませんでした。でもせっかくだからありがたく頂いて・・・

さて、家に帰り着いたら荷台に乗せたそのトマトが無いんです。どうやら落としたみたい。

疲れ果ててはいたのだけれど、すぐに引き返して捜しました。少なくともお婆さんより先に見つけたい。

幸い2個とも見つかりました。お婆さんはまだ向こうの田で働いている。よかった。道端に落ちて潰れているトマトを彼女に見られないで済んだ。

そのトマトは仕方ないから鶏にやりましたけれど、

私は大事なものを何とか守れたと思うのです。2個のトマトに載せられたあのお婆さんの気持ちを。



でもこのような行動、昔の私にはできませんでした。何でも経済価値、実利で計ることが習慣になってしまっていたのです。だから昔の自分は同じような状況にあっても、2個のトマトに何の価値も見出せなかったかもしれません。



失くした時に気づくのですよ。私もたくさんの宝を失くし続けて初めて気づいたのです。

だから失うことは、ある場合にはとても大切な意味を持っている。
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はい! (ぶんぶくちゃがま)
2005-09-07 22:19:40
うまい言葉もありませんけど、ほんとうにそうですよね。

ありがとうございます。



ところで、台風大丈夫ですか?心配です、あまり被害がないことを祈ります。本当に祈ってます。
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ありがとう。 (agrico)
2005-09-08 08:19:45
幸いこちらの方はほとんど被害が出なかったろうと思います。昨夜は夜通し強風でしたが、あの程度じゃ大丈夫でしょう。まあ、被害が発見されるのはこれからなんですけどね。



うちも今まで台風には泣かされました。鶏小屋が飛ばされたり田の土手が地滑りしたり畑が流されたり・・・

だから台風が来るたびに、怖いと思います。

でも、地球を征服した顔している人間だって、怖いことの幾つかは持っていてもいいですよね。

アメリカのハリケーン、凄いみたいですね。去年の中越大震災のようなものでしょうか。
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