きっと、いいことあるよね!

母ひとり子ひとりは16年になります。

矢沢さんとカツオのたたき丼

2014-08-22 | 歌謡曲・カラオケ
今日も矢沢永吉を聴きながら会社に行く。

今、気に入っている曲は「ニューグランドホテル」という曲だ。
調べてみると、横浜に本当にこの名前のホテルがあるらしい。


90年代になると家を出てしまったので、あまり父とカラオケに行っていない。
だから、この曲を歌っている父を知らないのだが、こうして何度か聴いてみると、だんだん父の声で聴こえてくる。

こういう感じの曲だったら、こんな風に歌っただろうな、この曲は好きだっただろうな、とか。

車に乗っていると、たまに矢沢永吉さんファンの人の車を見かける。
後ろの窓や車体に「YAZAWA」みたいなロゴシールを貼っていたりしている。

イメージ的に矢沢さんのファンはみんな怖そうなので(うちの社長含む)、こうして「ニューグランドホテル」のことをブツブツ書いていると、丸ごと批判されそうで心配である。
それでもさらに書いてみると、私が歌うとしたら、「YES MY LOVE」か、「SOMEBODY'S NIGHT 」かなと思う。さらに余計なことを書くと、「YES MY LOVE」をDAMで歌うには本人映像と、そうでないのが2種類あって、本人が出て来るのはうんと若い永ちゃんなのだけど、曲が1番だけで終わってしまうようである。

そうこう思いながらも、矢沢さんの歌を聴いている。
個人的に「時よ止まれ」「YES MY LOVE」「LAHAINA」「ミスティ-misty-」・・・アメリカの西海岸!と言うイメージである。
今はたそがれつつある夏なので、ちょうどはまる。

これから8月と言う時期が来るたびに父の事を思い出すだろう。
うんと暑くて、セミがさわがしくて、そういう季節に思い出すだろう。

私は誕生日も大切だけど、命日も次に大切だと思う。
父は夏だった。

私はいつになるのだろう?



最近、我が家でよくリピートされる「かつおのたたき丼」である。
ケンタロウの本をヒントに、楽ちんに作ってみた。

1.ご飯は寿司酢を混ぜてよそる。
2・海苔の細長にこまかく切ったのを散らす。
3.たたきについているタレに、かつおのたたきをつけてから、2に乗せる。
4.青ねぎやシソを細かく切って上から散らす。

それだけだけど、おいしい。
これはkekeも喜ぶレシピである。
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windows更新プログラムの不具合で

2014-08-21 | パソコン&ブログ
昨日は朝から会社のPCが立ち上がらなくて困った。
セーフモードにすらできない。

新しいPCだったので、油断してバックアップも取っていなかったのだ。
折しもその日に限ってどうしても私のPCの中から出さなければならない資料があって「まるでコントかよ!」と一人ツッコミしそうなほどであったけれど、笑うに笑えず必死に考えた末、PCのセットアップしてくれたお兄さんに電話をしたところ、「金曜の午前でないとあいてない」と言われてしまう。

そのお兄さん曰く、たぶん原因はこれです、yahooニュースにあるんですけどね、と言い、調べてみるとWindows更新プログラムに不具合、OSが起動しなくなる恐れ言う問題らしい。

それで金曜まで待とうかと思ったのだけど、ほんとにこのPCでないと出せない資料が、それもその日どうしても必要な事態になっていたわけで、その後でPCに強いけど存在が薄い取引先の某じいさんに電話をしてみた。セットアップしてくれたお宅の知り合いの人が来るのは金曜だけど、どうしても今日起動できないものかと。するとすぐに来てくれると言う。

首を長くして待つこと1時間。そのじいさんが来てくれて、PCメーカーに電話してくれたりいろいろしながら、「でもどうしても立ち上がらないので、一度リカバリーした方が」と言われたのだけど、そうすると中の資料が飛んでしまうので、神に祈るに近い気持ちでそれはどうしても困るので、それなら金曜にあの人が来るのを待ちます、でもどうにかならないでしょうか、その人はこんなことを言ってましたので、とあのyahooニュースのプリントを失礼を承知なうえで、見せた。

セットアップの人にこれではないかと言われたのですが、どうにかならないでしょうか。。。


それでまたあれこれやって頂いている間、いつものごとく、あれこれ用事に振り回されていると、そのじいさんが「sakeさんこちらです」と言うので、行ってみると、PCがきれいに立ち上がっていたのだ。

「えぇえええ〜〜」と思わず声をあげてしまった。

本当にこれは助かりました。

さすがの私も何かお礼をと思い、お中元にきてた「カルピスでも飲まれますか?」と(他に何もなかったので瓶ごと持ち出して)言うと、「いいんです、いいんです、いつもお世話になってますから。」と無償で帰ると言う。

この私、今度どこかに行ったら、おみやげを買ってくることを決意した。

このデータが飛んでたら(紙であるので作り直しはできるけど)、どれだけ労力が必要だったか。。。


いやぁ、本当に助かりました。
お陰でPCガンガンつかえてます。(^_^;)
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就活祝い

2014-08-20 | 息子keke
久しぶりにポストを見たらピザ屋のチラシが入っていた。

見ているとよだれが出るほどおいしそう。
念のために検索してみると、ピザを頼んだのは去年のこの時期である。あの後1回ぐらい頼んでいるけど、年に2〜3回ぐらいだったらぜいたくだけど許されるだろう、今日は久しぶりにピザを頼むぞと思い、kekeに久しぶりにピザでもいいかねぇと言うと、いいよと言う。(大金はたくので、誰かに背中を押してほしいと言う心理が働く。)

それでは頼もうか、いつものやつで・・・と思うと、kekeが「Yシャツをもう一枚買いたいから金がほしい」と言う。

うっ。

ここでピザを買ってYシャツも買うとなると5,000円ぐらいになってしまう、これは使い過ぎなのではないかなぁピザは止めようかと思いつつ、もう口の中がピザモード(ピザが食べたい食べたい)になっていたので、珍しくアクセル踏んじゃおうかな、昨日食べるものだけはおいしいもの食べたいって書いたばかりだし・・・と思っていると、今日は面接に行って疲れたとkekeが言う。

「面接に行ってきたのかい?」と言うと、2箇所行って来た、と言う。
この前もそうだったけど、どうして同じ日に2箇所面接に行くの?と尋ねると、「その方が電車賃が浮くから。」と言う。そして「明日は朝からバイト」と言う。

私は「やっぱり今日はkekeの好きなピザにしよう!就活祝いとして。ピザを食べてがんばっておくれ。」と言うと、「それを言う前からピザにしてたよね」とツッコまれる。


今日はとても暑い日だった。
夕方、みんな暑い暑いと言いながら帰ってきて、nanuさんは手を洗いながら(こんなに暑い所で仕事をしてきたんだぞ)と言う顔で「暑い暑い」と言って私の顔を見て「でもsakeさんは関係ないってか?」と言うので、「じゃあ私はどうすればいいのでしょう?」と真顔で答えてしまった。

私も炎天下で座禅でも組んでいればいいのか、冷たい飲み物の種類を増やしておけば良いのか、そのようなことだったら必要があればするけど、腹の底で(仕事の内容が違うから給料も違うんだよ)と思っているので、心に無いねぎらいの言葉だけはなかなか言えない。

でもこんなクソ暑い日に面接に行くkekeはエライと思った。
先の事は分からない。やっても何にもならないかもしれない。
だからがんばってるなと思う。

ピザはやっぱりおいしいけれど、昔ほどたくさん食べられなくなった。その分kekeがよく食べる。
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仕事はじめである

2014-08-19 | 今の会社
初めて赤飯を炊いてみた。


お赤飯が好きなのに、今まで一度も炊いて食べたことがなかった。実家でも炊いて食べることがなかったので、「買って食べる」ものだと思っていたお赤飯。
そのうち炊いてみようと、そのまま入れて炊くだけの「お赤飯セット」なるものを買っておいた。kekeがこの前朝方「お腹がすいたけど冷蔵庫に何もない」と言うので、これはチャンスと赤飯を炊いてみることにした。

炊いてみると小豆の香りに感動する。お赤飯セットも3合炊きで140円、もち米も買って本格的にしたので割高になってしまったが、自分で稼いでいるうちはこうして食べたい物を楽しめるのだなぁと日々に感謝。

ちなみにこれは上海焼きそばである。

普段3食100円の安い焼きそばしか買っていなかった私。
おいしいものをゴウジャスに食べようと、2食320円もする上海焼きそばを買ってみた。

材料は豚肉・ニラ・もやしの組み合わせが良いらしい。
それを添付してあるオイスターソース系の液体焼きそばソースでからめるのである。
書いてある通りに作るとなかなかおいしい。

こうしてささやかな贅沢で品数を埋めながら、ビール缶をプシュと開ける。
それがこれからの私の人生の愉しみ方である。


やれ仕事が始まった。

たまっているので休み中に1日2日仕事をしようかと思っていたが、父が亡くなったと聞いても葬式にも来ない会社の人達(Aさんを除く)にこき使われるために休みの日まで仕事をするのが虚しくなってきたのだ。

だから、これからは自分の仕事を後回しにしてまで他の奴の話は請けないぞ!と思っていたのに(こういう逆恨み大好き♪)、社長は税務調査がらみのことばかり言ってくるし、nanuさんは相変わらず雑用をいいつけてくるし、社長のメールのやり取りは自分がするしかないし、結局いつもと何も変わらない。くそ。

大学時代の何年も会ってない友達が来てくれたり、20年以上会ってない友達が噂を聞いて香典を出してくれたのに、比べてはいけないと思うが、この人たちはいったい何なんだろうと思う。(しつこいけどAさんは除く)最初は忙しいのに無理して来なくていいよと言う気持だったのに、あまりに無関心すぎなのでノックアウト喰らうほどたまげた。まだまだ私も修行が足りない、こんな人達が駆けつけてきてくれると思ってたのだから。私もまだまだ自意識過剰だ。


しかし会社についたら、またいつもの生活が始まる。
父がいなくても、いつもの生活が始まっていく。

そして私はこれからは見守っていてくれる父と一緒なのだ。
「そんなこともうどうでもいいじゃないか。」と父は言っている。(はず)
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脳をきたえる習慣

2014-08-17 | 健康とか病院とか
この前カラオケで、加藤ミリヤの「Aitai」を歌おうとしたら、忘れてしまって歌えなかったのがショックだった。一時期何回も歌っていた歌なのに、2年も経つと忘れてしまうのか。

こうして覚えた歌も、しばらく聴いていないとすぐに忘れてしまう。
池谷裕二さんの本によると、人間の脳は年を取っても能力はさほど変わらないそうである。
年を取ると「また忘れてしまった」と忘れた方ばかりに目が行くので、そういう気がしてしまうそうなのだ。また、子供に比べるともともとの記憶量が多いから、どうしても子供に比べると忘れる事柄も増えていて、一層そう感じやすくなるらしい。

とは言っても、昔はこんなにすぐに歌を忘れたのかな??

自分の脳の衰えが怖い。想像するだけで、これから人と付き合う気が失せる。
私はたぶん、人よりアルツハイマーになるのが早そうなので、ボケてあたふたするのが誰よりも早いと思う。
同年代の人にボケた姿を見られるのが恥ずかしい。

そんな訳で、「脳をきたえる習慣術」と言う本を読みながら、これから少しでも脳によいことをしていこうと思う。(ただしストレスになると逆効果なので、頑張らないとできないことは、しない。)

本を読んでいると「ナビを見ないで地図を頼りに運転するのは脳の活性化に良い」と書いてあったので、さっそく今日は「越谷レイクタウン」を目指して行ってみた。

あと一歩の所まで行ってみたが、だいぶ前から渋滞になっていたので、入ることも無くUターンして帰ることにする。天気もイマイチだったので、写真も撮らなかった。
帰りは同じ道だと刺激が無いので、わざと別のルートで地図を見ながら帰ることにした。今日は問題なく帰れたが、地図も時々左と右を間違えて曲がってしまうことがあって、地図を見ても見ても、3つ以上曲がり角があると、覚え切れなくて左と右が分からなくなってしまう。こんな自分が情けない。
それでも今日は無事に帰れた。

車の中では「加藤ミリヤ」のCDをかけてみた。
帰ってから古本屋で「漢字」の文庫本を買ってまた脳を鍛えようと思う。
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LINEというツール

2014-08-16 | パソコン&ブログ
今日も休日なのでTVを見ていると、中学生からLINEをはずされたのを恨んで脅した(?)議員さんが出ていた。

私は今のところ、ツイッター、ライン、フェイスブック、一切していない。
ブログをしていなかったら、手を出していたかもしれない。
不器用なのであれもこれもできるわけがないし、何より自分のブログを読んでみても、いつ何を失言するか分からない怖さを知っている。とても知り合いなんかとつながっていられない。

父の葬儀には身内は早めに会場に行く関係で、ヒマな時間があり、妹や姪がやっているLINEというのを拝見した。、グループのチャットみたいなもののようである。妹や姪曰く「こっちのが便利で携帯メールはもう面倒」とのことだ。

この後の感想は「ひがみ半分」と思って聞き流していただければ幸いと断わりつつ感想を述べると、姪っ子のそのLINEと言うグループは30個ぐらいあるのであることに驚いた。
「携帯メールはもう面倒」と言いながら、この30個ぐらいあるLINEグループの発言をいちいちチェックする方がよっぽど大変なのではなかろうか。。。(姪の名誉のために言うと加入しているだけで、ほとんど機能していないものもたくさんあるそうであるが。)

その上にこのLINEと言うツールは「既読」というシグナルみたいなものがあり、相手が読んだか読まないかが判別できるそうである。「既読」しておきながら返事が無いとその状態を勘ぐられ、相手にあれこれ詮索される要因になるようである。そんなことを想像するだけで首輪をつけられているグイグイ言わされているみたいである。

これはTVで見たのだが、文字だけなので誤解を生じる事もあると言う。
例えば髪を切った子に対して、かわいいねと言う意味で「かわいくない?」と言うつもりが「?」と入れ忘れて「かわいくない」と発言に誤解されるとか。
(姪っ子曰く、そう言う時は慌ててすぐに「?」を送信するらしい。)

何より恐ろしいと思われるのが「裏LINE」と言う存在である。
それもTVで見たのだが、LINEグループの中に1人変な子がいると、その子を除いた別のグループを作成して、その子の悪口を言っていたりすると言う。。。。それを知らずに済めばよいけれど知ったらショックである。
(姪っ子に訊いてみると、たしかにそういうこともあるらしい。)

ちなみに私はスマホを持つ気は無い。
スマホどころか携帯だって、ある事情を除けばほとんど必要ないぐらいなのだ。(いずれ止めてしまうかも。)
つながる機能を持っているから、誰かとつながってないと淋しいのである。
最初から、つながり得るものが何も無いから淋しくも何とも無い。

若者はLINEなるものに疲れはしないのだろうか。
試しに二日ぐらい「スマホが壊れた」ことにして電源切って放っぽらかしてみたらどうだろう?
羽根が生えたように自由で、思う存分、自分の時間を堪能できるかも?

なんて要らぬお節介ですな、ハハハ。。。(虚)
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sakeの車窓から(横須賀)

2014-08-15 | 車の練習
父の好きな矢沢永吉のCDを作った。^^

さっそく車で掛けてみなくては。

入っている曲は父が好きだった曲、「チャイナタウン」「YES MY LOVE」「ラハイナ」「ミスティ」「東京」「心花(ときめき)よ」・・・。

こうして聴いていると、父が身近にいるような気がして、またこうして掛けていると父に届いているような気になっている。
空はきれいに晴れているし、ガソリンは入っている。
「これは海だな」

と言う事で、今日は横須賀まで行ってみた。

遠出をするなんてまだまだ先の事・・と思っていたけれど、妹は学校の用事で忙しいみたいだし、父がいないのですることがないのだ。。。これから週末何をして過せばいいのだろう?!

本町山中道路を走らせ横須賀に着くと、「?」前回来た時にはなかったショッピングモールができていた。
「ノジマモール横須賀」と言うショッピングモールである。
駐車代がタダなのがうれしい。


モール内から街を見下ろす。横須賀の町。


モール裏は海が広がり釣りができる。(この向こうにはスポーツ広場になっていて、ミニバスケやスノボーも楽しめるようだ。)


街路樹がヤシの木。この雰囲気が好き。


観音崎の方まで足を伸ばしたのは初めて。
海も見たけど、信号が無いので写真はまったく撮れず。
(この時期なので駐車場も混んでた、でも全然入れないことはなさそう。)



ノジマモールはノジマ電気の他に「しまむら」、食品スーパーは「SANWA」が入っていた。ちょっと海を見て楽しんでお買い物、手ごろな洋服や電化製品などを見て、食品を買って・・・家族連れだとそこそこ楽しめそうである。
ただこれだけ海辺にありながらモール内から海が見れない(駐車場からは見える)のがちょっと残念な気がする。午前中4F駐車場はガラガラだったが、帰る時(昼ごろ)はもう満車に近かった。客の回転率をあげるためにも海をのんびり見ていられては困るということでこうなったのだろうか。

これは店のせいではないが、食品売り場でカートを押してるじいさんに足をぶつけられた。カカトが擦れてしまったぐらいなのに知らん顔で行ってしまう。腕をつかんで「ここぶつけましたよ。」と言いたかったが、逆切れされるのが怖くて何もできなかったのが悔しい。こういう場合、普通の女性はどういう対応をしているのだろう?(せめてバチでも当たってほしい)
たしかに食品売り場の通路は狭い気もする。普通のスーパーならこれでいいだろうが、これだけ大きなモール人口を考えるとちょっと歩きにくいかも。

父を偲んで作った矢沢のCDだが、行き帰り何回も何回もリピートしすぎてゲップが出そうなほど聴いてしまった。ちょっと偲びすぎたかもしれない。。。
(でもそのうち歌えるようになるんだ。(^o^))
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G子とランチ

2014-08-14 | M→G←T
通夜に大学時代の友達もきてくれて、ビックリした。
もう何年も会っていないのに駆けつけてくれた友達、それもそんなに近くに住んでいるわけじゃないのに来てくれた、KIさんにはとても驚いた。

私はこういう優しさが苦手で、自分がそういうものを持ちえていないから劣等感を感じて卑屈になってしまうのだろうけれど、そういうものからいつも遠ざからずにはいられなかった気がする。
高校時代にもこういう女の子が何人かいた。街でバッタリ会って彼女はとても喜んでくれて住所や電話番号を交換したのだけど、自分が離婚になってしまい、それきりになってしまった。その後彼女が連絡をしようとしても取れなかっただろう、ウソの電話番号かと思われてしまったかも。10年以上も経った今になって時々それを悔やんでいる。

もともと心が捻じ曲がっているので「みんなで仲良く会いましょう」的なのが苦手なのである。人が集まる所に行っても何も話すことがないし。。。でも今までこんな卑屈な自分だから人に会ったって意味が無いと思ってきたけれど、いるだけでも顔を見せるだけでも喜ばれるかもしれない。
父の通夜がきっかけでそんなことを考えた。

「とにかくG子にお礼を言わなくては!」と思って連絡を取ってみると、すぐ会おう会おうと言う。

ランチを食べながら、「G子の言うとおりだったよ」と私は言い、
「(父が亡くなる)1週間前ぐらいに電話で話してた時【それでも生きて会えるのと死んでしまうのは違うよ】と言う話をしていたね、あの時はそんな事無い、もう息をしているだけの父だから死んでしまっても大して変わらないと思ってた。でもG子の言うとおりだった」
そんな話をすると、G子の方が涙を流した。

「いやー、毎週通った病院への道も、もう行くことが無いのかと思うと切ないんだよね。」と言うと、G子は「そうでしょう?」と言い、今でも妹さんのいた病院への道は通れないと言う。

「今、takeちゃんの所に遊びに行こう」と言う計画があるんだよ、とG子は言う。
takeちゃんとは、私が大学時代にいつも一緒にいた仲良しだった友達である。
「M君がレンタカーを借りてくれて、私が運転して、KIちゃんも一緒に行くって。sakeちゃんはtakeちゃんと仲が良かったから割引料金にしようって言ってるけど。」

でも、私はみんなでどこか行くのが苦手なのをG子は知っていたので、決して無理強いはしない様子が分かる。私は「そうだね」と自信なさげに返事した。

「9月でもいい?」
「そんな早くに?!」
「また今度にすると、いつになるか分からないから。M君は【sakeちゃんは疲れていたら無理に誘うなよ】と強く言われてるけど。」

「私はどうも話題もないし、G子みたいに昔の事をいろいろ覚えてないからなぁ。。」
「ヨシ君って覚えてる?学生結婚したの。」
「そう言えばいたよねぇ。」
「結婚式あげたんだって。」
「今になって式をあげたの?」
「子供が、だよ。」
「えぇ〜〜〜〜〜〜!!その時お腹にいたお子さんが!@@」
「KIちゃん式に呼ばれたんだって。新郎新婦の友達じゃないから親類席だったって。」
「へぇー」

ね?そういう話題で盛り上がれるでしょ?とG子は言う。

それから私達は自分の時の葬式の話(希望)やら、妹さんが抗がん剤で苦しんだので自分はしないで、最後まで好きなことをしていたい、と言うG子の話、T男の話、最近のM君の様子、この前の面接、採用決まるといいね、と言う話とか、いろんな話をした。
G子は「T男に会いたくないのとM君に会いたくないのは意味が違う」と言うので、「別れる時が切ないからね」と言うと、「そうなんだ」と言うので、私はこの前ね【そんなに家に帰りたいの?】ってイヤミで言ったよ、アイツらのそう言う時の態度ってさぁ、と言う話をした。
「1人じゃなくて、向こうはペアなんだよ、ペアでいるのが前提で好きにならないといけないんだ」と言うと、G子もそうだね、と言う。

帰りの車でG子は「T男に久しぶりに連絡してみようかな」と言うので、「今はお盆だから折り返し掛けられないかもよ」と心配するけどG子は携帯を取って番号を押した。

「また後で掛けなおすって。。。」とG子が喜んでいた。

こうして出る時は、電話を待ってた時なんだよ、と言う。
「へぇ、そうなんだ」と私も言う。

G子はとてもうれしそうだった。
それじゃまたね、と言って別れた。
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群青

2014-08-13 | 歌謡曲・カラオケ
久しぶりに父の歌声をカセットテープで聴いた。

「これは何の曲だろう?」と言うと妹が杉良太郎の「すきま風」だよと言う。
「え?そんな曲歌ってたっけ?」と言うとけっこう歌っていたよ、と言う。
妹と私で、記憶にズレがあるようだ。

妹の旦那のお母さんが、「これがお父さんの声で聴けたらねぇ」と言うので二人で「父の声です。」と言うと、えっ!と驚いて、これはお父さんの歌声?何てうまいんでしょう?!音もきれい、どこで録音したの?と言うので、二人で「自宅です。」と言うとたいそう驚く。
「録音している時は音を立てちゃダメって言われるんだよね」と妹がいい、そうそうそうそう!と私は思い出した。でもこうして大人になってから改めて聴くと、本当にカラオケと歌のバランスがよくきれいに撮れていた。

しばらくすると「愛の水中花」がかかったので、「あれぇ〜?」と私は言い、「これおじいちゃんが歌ってたっけ?自分でTVで覚えた曲かと思ってた」と言うと、「歌ってたよ」と妹は言い、「うちにレコードがあったもん。松坂キョウコがバニーガールになってるんだよ」と言われて、ジャケットを思い出した!
「そうだそうだ、うちにレコードがあったっけ。」と私は言い、だからこの歌歌えたのか、と言う。

「津軽海峡冬景色」も父が歌っていたのは覚えていなかった。でもたぶん父の歌で覚えたのかもしれない。「北の宿から」を年中歌っていたのは覚えていたが。。。

こう聞いているうちに、「カラオケ行きたいよね」と言う話になった。
そして父の娘2人、孫3人、全員カラオケ大好きで、これは「血が騒ぐ」と言うほど好きで、私達はこうして年中父の歌を聴かされて好きになったとしても、孫達は家でカラオケをしていないので「カラオケ好き遺伝子」が血液のどこかに組み込まれているのだろうと思われる。

全てのイベントが終わると、下の姪を連れて3人でカラオケに行った。

姪っ子はお気に入りのK−POPを歌い、私と妹は交互に父がよく歌っていた曲を歌うが、3時間歌ってもまだ歌いきらないほどだった。

妹は「歌える自信が無いけど『群青』を入れてみたい」と言う。

この谷村新司の『群青』は、私がkekeのお産の後に何度も聴いていた曲である。
自分の好きな音楽を持ってきておらず、家にあった谷村新司のCDをずっと聴いた。その時この『群青』が気に行って、何度も何度もリピートして聴いていると、母もこの歌が好きな歌だと分かった。

「この曲、お母さんも好きだった曲だよね」と言うと、妹曰く、この歌を父が歌うと最高だったと言う。
「でも(母が)この曲を聴くと戦死した父親を思い出すから、だんだん歌わなくなったんだよね。」と妹は言う。その話も私は知らなかった。

私が久しぶりに入れてみたかったのは、石原裕次郎の「時よお前は」梅沢富美男の「キャラバン」である。
忘れてしまっていて一人で歌える自信がなかったのだ。(でも歌っているうちに思い出せそう。)姪は梅沢富美男が歌手だったことを知らなかったので、ウケていた。

そして3時間歌うと、「それではそろそろ自分の好きな歌を」と妹は言い、ファンになっている何とかと言うK−POPグループの曲を入れ、「今度ハイタッチがあたった」「(下の姪と)コンサートに行く」等と言う。
何人かのジャニーズみたいな男の子が歌いながら踊り、妹は「この人が好き」と言い、途中歌わないので何をしているのかと思うと「今、ホントの声が聞こえたから聞いてたの」等と言う。そしてヒトカラをしていない妹がここまでノリノリ完璧に歌えるところをみると、いったいどれだけ家で聴いているのだろう。これでは氷川きよし、ペ・ヨンジュンを追いかけるオバ様と同じである。

あぁよく歌った歌った、と私達は言い、帰りながら「おじいちゃんの歌だけでこんなに歌える」「もっと定番な歌はまだ歌ってないのに。」と姪を驚かせ、「矢沢永吉はまだ1曲も歌ってなかったね」と言う。

「永ちゃんの歌は難しい」と妹は言い、「バラードは自分で歌ってもお経みたいになるんだよね」と言うとそうそうと妹も言い、「あの歌でうまさが分かる」「ああは歌えない」と口々に言い車に乗った。
「おじいちゃん、きっとそうだろそうだろと言ってるよ。」とシートベルトをしながら妹は言い「これ、sake家には一番ぴったりした偲び方だよね・・・・人には言えないけど。」と言って車を走らせた。

人には言えないけど、ブログには書いておこう。今日の記録として。
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父の思い出総集編(ブログの最初の頃)

2014-08-10 | いつか削除するかも
昨日は料理屋さんで打ち合わせ。
妹が仕事が無い日を選んで私も一緒に行けるようにしてくれたようである。

ボンクラな私はほとんど発言らしき発言もせず、妹と担当の方のやり取りを見ているだけであったが、ふと父が生前「葬式には自分の歌っている歌をバックに流してほしい」と言っていたのを思い出し、その時流すのはどうかしら?と言うと、妹も賛成してくれた。(それが唯一の発言であった。)

父の経歴書が書けなくてと妹が言うので、「たしか出身学校は○○○だったような」と言うと、「お姉ちゃんが覚えている事があったら後でメールで送ってね」と言うので、そうすることにした。

家に帰ってから、できるだけいろんなことを思い出したいと思い、このブログの「父の記録」のカテゴリーの古い記事をざざっと読み返した。と言うのも、父は一時期、昔の同じ話をグルグル繰り返していた時期があったので、何か出てくるかもと思ったのだ。
本当は父との思い出は悲しくなりそうなのでしばらく封印する予定だったが、必要に迫られ読んでみるとどれもこれも和やかな思い出になっているのを発見する。

●父の話(2004年6月20日)

ブログを初めて2ヶ月が経ち、父をざっくばらんに紹介。
まだ認知症の兆候に気づかず「昔話を繰り返すボケ老人」なんて書いている。
ブログに父が登場するのは月に2回程度なのだが、今振り返ると、この「父の記録」のカテゴリーが一番充実しているような気がする。この後10年間父を介護し続けた妹はよく頑張ってきたものだ。
ここに登場する「設計会社の社長さん」も今は息子さんの代に変わっている。お元気なのだろうか。この時、父から電話の一本でもさせておけば良かったなぁと今思う。

●桜咲く母の法事で(2005年4月10日)

このカテゴリーの中でも、私がもっとも好きな記事。
母の法事で挨拶をする父の言葉にのけぞってしまいながらも、両親の仲のよさを思いユーモアと温かさを揃えたヒトコマ。
ちなみに父の遺影は、自分で選んであり、母の遺影の写真の裏に重ねて一緒に額縁に入れていたらしい。どんな写真なのか楽しみだ。

●妹のプチ怒り(2006年9月18日)

この記事を読んで、普段笑わない自分が吹き出してしまった。
ここで笑いのツボにストライクと書いてあるが、8年経った今でも笑いのツボに入ってくる。
これから何か悔しい事があるたびにこの記事を読んで笑おうと思い、選出。


こうして振り返るとまだ父が認知症と分かる前は、日に日に行動が逸れて行く父に呆れ、コバカにもしていたようだ。
妹夫婦が出かけてたまに父の所に行かなければならない時は「やれやれ、またあの話を繰り返されるのか」みたいな感じで、その一方でそんな風に思ってしまう自分を「でもいずれ別れがくるから後で後悔しないように」なんて書いている。

今になって振り返ると、こうしてコバカにしたり、いらだっていたことも、父が元気だった頃だなぁと思える。
「もっとああしておけば」みたいな後悔はなく、ただ、ただ、「父が元気でこんな頃もあったなァ」と言う感じ方である。このあと父の病気が分かり、逸脱さを増し、やがて病院に入る。その変化の中でだんだんと気持も代わっていったようだ。

経験者の方のコメントを読んでも、たぶんみんな父と同じような経過をたどっているような気がする。
今、親との関係がイマイチと思われても、10年の間には少しづつ変わっていずれはみんな同じ気持になるように思う。
今となるとどれも楽しかった思い出になりそう。
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