アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

日本の食品ロス

2011-05-24 08:33:22 | 思い
 日本で捨てられる食品廃棄物は、年間約1900万トン。このうちまだ食べられるのに捨てられてしまうもの、いわゆる「食品ロス」が500万から900万トンもあるという(2005年度データを基にした総合食料局の推計)。
 どうしてこんなに捨てられるのだろうか。こんなに食べものを粗末にして、なにか不都合は生じないのだろうか。いやその前に、1900万トンという数字を、私たち自身の身近な感覚に置き換えるとどれほどの量になるのか。
 そんなことを知るために、まずは私たちの体に入る食べもののことから見てみよう。


 グラフで、上の線は国民一人当たりに供給された「全食品可食部のカロリー量」を表している。また下の線は、そのうち実際に「体に摂取されたカロリー量」である。
 2000年度には、全体で2642kcalが供給されているにもかかわらず、実際に摂取された量は1948kcal。その差694kcalが供給過剰、つまり食べずに捨てられた量ということになる。全体の26.3%である。つまり日本人全体を平均すれば、手に入れた食べものの4分の1を捨てていることになる。
 またその差は、近年開く一方だ。つまり「もったいない」などと流行の言葉を弄しながら、私たちは次第により多くの食べものを捨てるようになってきている。これってちょっとおかしいのじゃないか。みな自分のしてることに気づいてないかもしれない。

 ではこれらの「食べものゴミ」は、いったいどこで誰が捨てるのだろう。もっと細かく見ていこう。以下は2000年に農水省が行った調査結果である。


平成12年度(2000年)農林水産省「食品ロス統計調査」
(グラフは「日本から考える食料問題」よりお借りしました。

 この時農林水産省は、全国1000の家庭と外食760店を対象に、果物の皮や魚の骨などを除いた飲食可能な部分(「可食部」という)のうち重量比でどのくらいが捨てられているか調査を行った。この調査はその後も継続されており、今は最新版(平成21年度)が出ている。しかしこのグラフが見てわかりやすいので、ここではあえてこれを引用して話を進める。
 家庭全体では、購入した食べもののうちの7.7%が捨てられている (うち食卓に上らず廃棄4.8% 食べ残し2.9%) 。高齢者がいる家庭の方が少しだけ捨てられる量が少なくなっている。やはり「もったいない」は世代が新しくなるほど失われるのか。
 グラフに現れてはいないが、特に賞味期限切れや古くなってしまった、調理に失敗したなどで捨てられてしまうものがうち62%を占めている。
 外食産業全体では5.1%が捨てられている。そのうち特に廃棄の割合が大きいのが、結婚披露宴で23.9%、およそ4分の1は食べ残し廃棄である(新郎新婦は、新しい人生のスタートをかくも無駄にするところから始める)。次に宴会15.7%。これらの場所では、見栄がいいように必要以上に品数を出していたり、食べる側も気軽に食べ残すなどして結果的に捨ててしまう量が多くなるようだ。
 しかし外食産業を対象とした調査では、世帯食と異なり、腐って捨てた部分(直接廃棄)や調理の際の可食部分までの除去(過剰除去)は調査の対象となっていないので、この数字はかなり低く見積もられている可能性がある。自分で調理をする人であれば、外食時に出される料理が、どれだけ素材のいいところばかりで(つまり廃棄する部分が多く)作られているかわかるだろう。それらを含めると、外食産業全体の食品ロスはぐんと跳ね上がることになるかもしれない。
 そういう意味で単純比較はできないのだが、一応家庭と外食産業を比べると、家庭の方がより多い割合で捨てている。買ったものの7.7%を捨てているのだから、言い換えれば月々の食費のうちその分だけ無駄にしていることになる。また外食した場合も、前述のことを考えれば、それと同じかそれ以上にロスしてることになるだろう。
 自分で買ったものをかくも無造作に捨ててしまってるということは、本来理解に苦しむが、これは一つには、外食する機会が増えた結果、家に買い置いた食べものを使いきれなくなったことも一因かもしれない。高齢者のいる世帯でロス率が低いというのも、外食をあまりしないからとも考えられる。つまり主婦が日常の食べものの管理ができなくなっている。もちろんそうでない主婦もたくさんいるのだろうが。
 因みに21年度(2009年)調査では、世帯全体の食品ロス率が3.7%、結婚披露宴の食べ残し率が13.7%など、全体的に食品ロス率は低減している。ただしこれは部分的に統計の取り方を変えたことによるところもあるので、単純比較はできない。

 「捨てられる食べもの」に迫るのに、また別の切り口もある。
 環境省の「食品リサイクルの現状」によると、国内の食品廃棄物総量はほぼ2200万トン(うち食品製造・卸売・小売・外食といった食品産業全体から 1134万トン、家庭から 1052万トン。ともに2003年度)。これは、食料の国内消費仕向総量から飼料用と種子用を差し引いた 90,763万トン(2008年度食糧需給表より)のおよそ24%に当たる。 
 農水省の食品ロス調査が家庭と外食産業しか扱っておらず、しかも外食産業の直接廃棄と調理ロスを除外しているのに比べると、こちらの方が全食品業界をカバーしているというメリットはある。しかしその一方で、食品を「可食部」として捉えていないので、その点完全な無駄ばかりを対象としてはいない(「可食部」は食品の重量に廃棄率割合を乗じて計算される。例えばホウレンソウの廃棄率は切り捨てる株元=10%、など)。つまり環境省は「廃棄物」として食品残渣を捉え、農水省は「食品ロス」として食べものの過剰廃棄分を捉えている。
 食品のロスはまず製造過程で生じ、次に流通過程、そして小売過程(例えばコンビニの売れ残り廃棄率は11%、スーパーのそれは8%という)と続き、最後に一般家庭(7.7%)や外食産業(5.1%)でなされるとすれば、それらの総計が24%くらいになるとしても一向に不思議はない。これからすれば日本人は、世界で最も多く食料を輸入していながら、一方でその4分の1を捨てている(もちろん非可食部も含めてだが)真に不条理な国民だ。
 前述のように、日本で出される食品廃棄物は、事業系によるものがおよそ半分、家庭からのものが残り半分である。ある調査では、この家庭から出る生ゴミのうち68%が調理くず(野菜、果物の皮や芯)、27%が食べ残しや手つかずの食品、5%が食べられない部分(貝殻や魚の骨)だったという。つまり家庭からの生ごみのうち少なくとも4分の1は、本来食べるべきものをそのまま捨てていることになる。またこのような状態では、調理くずの中にもきっとたくさんの「もったいない部分」が残ってるに違いない。
 日本人一人当たりで見ると、1日に約220g、年間では80kg の食品廃棄物を家庭から出している。しかもそれ以外にも、家庭ごみの6割(一般廃棄物全体で言えばおよそ3割)を占める食品容器・包装類といったものも存在するため、食品に関連する廃棄物の総量はこれよりもずっと多くなる。
 またある大手コンビニチェーンが1年間に捨てた消費期限・賞味期限切れ(あるいは間近)の食品は約400億円分になるという話もある。1社だけでこうなのだ。もやは日本人にとって、「もったいない」は完全に死語になってしまったのか。

 ところで日本の残飯で、世界中で餓死している人を何億人も助けることができることを知っているだろうか。
 下の図は「ハンガーマップ」と呼ばれるものだ。WFP(世界食糧計画)が作成した、世界の飢餓状況を見やすいように色分けした地図である。「飢餓」とは、体に必要とされる最低限のエネルギー(カロリー)を摂取できず、慢性的な栄養不足に陥った状態のことを言う。



 日本や先進諸国では食料があり余るほどあるのに、アフリカやアジア、中南米では食べものの量が絶対的に足りない。特にアフリカは五大陸の中で唯一、飢餓人口が増え続けている場所でもある。
 しかしすべてが単なる「食料の不足」が原因というわけではなく、戦争や天災、あるいは暴政によって慢性的に「飢え」の状態に置かれている人々もいる。例えば北朝鮮や中国などがそうだが、それらの国では、その国の国体の結果として人民が飢えているので、食糧援助などで解決できる問題ではない。根治するには政権自体を変えることが必要となる。
 世の中にはさまざまな飢餓の原因がある。とは言っても、飢えはいまだに世界で第1位の死亡原因になっている。現在、世界ではおよそ7人に1人、9億2,500万人が飢餓に苦しんでいるが、この人数は更に年を追うごとに増え続けている。
 仮に日本で捨てられる食べものを世界中の飢えた人に回せば、これら飢餓人口のおよそ半分が必要最低限のカロリーを得ることができると言われている。

 また飢えた人がいる半面、必要以上に太った人もたくさんいる。
WHOによると世界人口のうち、16億人が過体重で、4億人以上が肥満である。欧州連合(EU)では、5歳以下の子どものうち2,200万人以上が太り過ぎと診断されている。その原因の一番は「砂糖や脂肪が多い食事」と「運動不足」で、従来より欧米型と言われていた食生活や生活習慣そのものである。



 BMI(肥満指数)とは肥満の程度を表す指標で、WHOの判定基準によると30以上が「肥満」、25.0以上30.0未満が「過体重」とされている。
 恐ろしいことにこの肥満者の数はどんどん増え続けており、今後2015年までに23億人が過体重になり、7億人以上が肥満になると予測されている。地球全体が、太り過ぎたヒトの群れに覆われようとしているのだ。
 このことをわかりやすく表現すれば、世界には飢えた人々の2倍以上の太り過ぎがいて、彼らが食べものを独占しているため飢えた人にますます食糧が行き渡らなくなっている。またその肥満者の数は目下増える一方で、その分飢える人の数も増加の一途を辿っている。
 穀物を例にとろう。現在世界で生産される穀物量はおよそ20億トン。人間が食べた場合に、世界人口の2倍(140億人分)を賄うに足る十分な量である。しかし現実には、その40%が家畜のエサにされるなどして、世界に均等には行きわたらない。小麦で見ればその16%が飼料用で、トウモロコシでは実に3分の2がそうだ(生産量6億トンのうち4億トンが飼料用)。なぜこんなことをするかと言うと、例えば牛に(本来彼らが食べる習慣のない)穀物を食べさせると、できる肉が柔らかくなるのである。霜降肉などを想像すればいいと思うのだが、牛の体内に必要以上(病的なほど)の脂肪が付き、食べた際に触感も味も際立って美味になる。
 これはもちろん、先進国を始めとした富裕層が、「旨い肉」を食べたいがためにそうしてるので、よって穀物の国際相場は常に畜産農家の需要によって高止まりしている。つまり旨い肉を食べたい層が、切実に穀物を必要としている貧困層に食料を与えないのである。この経済システムは戦後主にアメリカが、外交圧力やWTO協定などを駆使して主導してきたもので、持てる者、力のある者がとことん儲け続ける仕組みになっている。
 このことについてより詳しく知りたい人に、動画を一つ紹介しよう。「飢える国・飽食の国」 である。しかし念のために言っておくが、「肉を食べる」ということは楽しみでありこそすれ、決して健康によいことではない。ヒトの本来の食性から外れているし、実際のところこの肉食によって多くの疾病が引き起こされている。

 ここで視点を変えて日本の食料生産、つまり一国で見た食料のインプットの側面を見てみよう。
 わが国の食料自給率は、1965年に73%だったのがその後急激に減り続け、2007年から現在までおよそ40%を前後する水準にある。つまり食料の6割は海外に依存している。これは先進諸国ではもちろん世界全体で見ても「最低の水準」である。
 なぜこうなってしまったかと言うと、戦後日本人の食生活が大きく変化して、米を食べずに小麦やトウモロコシ、肉類、油脂類を多く食べるようになったこと、「食の洋風化」と「外部化」、更には、工業製品の輸出促進のためにそのバーターとして、海外から割安な農産物を輸入したことなどが原因となっている。



 しかしこれまで見てきたように、日本は大量の食料を輸入する一方で、世界でも高水準の「大量の食品廃棄物」を出している。「金があるからいいじゃないか」とも言えるが、しかし事はそれだけで収まらない。このことによって、世界中で何億という人口が飢餓に苛まれ、環境破壊と汚染が進行し、我々の子孫に抱えきれないほどの荷物を負わせているのである。
 近年、世界のエネルギーと鉱物資源の国際価格は上昇基調にあり、それとともに小麦、トウモロコシ、大豆などの穀物価格も上がり続けている。エネルギーと資源、食料が手に入りにくくなるということは、多くの国で国家・国民の生命線が危機に陥るということであり、これは70年前、大東亜戦争に突入しようとした日本国と実質的に同じ状況である。
 これは、ブラジル・ロシア・インド・中国という人口大国(BRICsともいう。これら諸国でおよそ30億人を抱える)が猛スピードで経済成長していることも原因の一つにある。もしこれらの国で食生活の欧米化が進めば、世界の食料需要は更に飛躍的に増大することが見込まれる。いや、現実には既にそうなりつつある。かつて日本国内で見られた変化が、今世界中の国々で進行しつつある。
 その結果今や世界は、石油資源と同じように「食料」も国家間で奪い合う時代に入りつつある。激烈なエネルギーと食料の争奪戦である。このような時代に、「高い値段を払えば、食料はいくらでも手に入るという」という姿勢でいていいのだろうか。今でこそ日本は経済力があって欲しいものはなんでも買える。しかし日本の技術と経済の力は、一昔前をピークに相対的に低下の方向にあるのも事実である。更にそれを下支えすべき人材も欠乏気味になっている。日本の将来展望は本当のところけっして明るくない。
 それやこれやを考えると、日本がこれまでと同じようにほとんどの食べものを海外に頼り続けるのはいいことなのだろうか。それとも将来の食料確保の面なども考えて、輸入品より少しは割高になるけれど安全性や信頼性も高い国産品へと変えていくべきか、ひとつ考えなければならない局面になっている。
 また食品ロスという、食べれる部分の7%も捨てるとか、流通する食料の4分の1を廃棄するとかいうことをいつまでもやっていていいのだろうか。日本は食料も資源もないからこそ、量よりも質、ボロは着てても心は錦、効率・機動性・実用性に優れたさまざまなコンパクト製品、集約的生産方式、「もったいない」という尊い精神を育んできた。それが一時の景気に浮かれ魂を手放して、今後も生き続けることができるのだろうか。
 食べものはいのちであり生きる根本的な糧である。しかしその価値をわきまえずに、ただ商品や食材としてのみ扱うことに今の社会の深い病理がある。現代の食育、政府指針、学校給食の根本的な弊害は、ただ「食によって」利益を得ようとする業界の影響力が浸透しすぎてしまったところに源を発している。
 人間社会は必ずしも、時代を経るごとにマシになっているとは限らない。それどころか健康や幸せの観点で言えば、ここ数十年、世界規模ではかえって悪化している。一番成長著しいともてはやされた日本でさえ、半世紀前よりも、国民の健康状態は悪くなっているのである。

 
【写真はアポロ。わが家の猫は食品ロスをほとんど出さない】
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2 コメント

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Unknown (とおりすがり)
2013-08-29 20:34:55
最初のグラフで挙げておられる国民健康栄養調査のエネルギー摂取量(青色)は、1万人弱の平日1日の食事調査から求めたものですので、食事調査の過小評価(一般に数十パーセント程度)があると思います。食料需給表の純供給熱量(赤色)に、食品ロス統計調査の世帯のデータを考慮した2400 kcal前後というエネルギー摂取量が,推定エネルギー必要量から考えても妥当な値だと思います。国民1人あたり毎日500~600 kcalの食品をロスしている状況はあり得ないと思いますが...
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コメントありがとう。 (あぐりこ)
2014-09-10 18:30:27
 そうなのかも知れません。ご意見真摯に頂戴いたします。この記事を書いた頃は、家庭から出る廃棄物がどう処理されるかを、処分場などを見学しながら学んでいた時で、特に生ごみの量の多さが印象的だったので、それに関連して調べてみた結果だったのです。
 私もいろいろなことを学ぶ途上にあります。できるだけ正確に、本当のことが知りたいとは思いますが、当然ながら自分の集めた情報の質には「誤差」があります。必ずしも正しいと言い切れるものではないでしょう。
 でも、発信することには意義があります。そしてまた、それに対して意見を頂くことにもまた大きな価値があります。ご意見ありがとう。返事がとても遅くなってすみませんでした。
 またなにかあれば、どうかおっしゃってください。 
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