アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

ニホンオオカミ

2008-05-17 09:52:24 | 思い
 文献によれば、古来よりオオカミは田畑を荒らす害獣を駆逐する農耕の守護者であったという。万葉集に記載ある「大口の真神」はオオカミのことと言われ、今も各地の神社で祀られている。御犬様、ヤマイヌ様、犬神もみな同じであり、また「オオカミ」という名も本来は「大神」と表記されていた。珍しいところでは東熊野に「狼除神社」なるものもあって、やはりオオカミを祭神としているそうだ。このようにオオカミは神に連なるものとして広く民間の信仰を集めていて、少なくとも19世紀までは北海道から九州までほぼ全国的に分布していた。
 オオカミには一般の動物と比べて不可思議な行動習性がある。山で人の後をついてくるいわゆる「送りオオカミ」や、「火伏せの神」として人の残した焚き火や煙草の吸殻を見守ったり消火したりするという行動。何かで人に助けられたときには必ず恩返しをするなど、オオカミにまつわる言い伝えは数多い。それと持ち前の高度な社会性などが相まって、昔の人はきっとオオカミの中に、ある種の神秘性を認めたのではなかろうか。またオオカミは「こなたより手を出ださざれば、人を咬むものにあらず」と言われており、人間の敵とは看做されず、古い記録の中にもオオカミが人を襲ったという話は極めて少ない。
 日本の固有種であるニホンオオカミは、系統的には犬よりもむしろ大陸のハイイロオオカミに近いものではあるけれど、外見上は犬と近似している。剥製から推定される体長は95~114cm、尾長約30cm、肩高約55cmというから意外と小柄で、体重はおよそ20kg。現代の中型犬程度である。ニホンオオカミは純肉食性の動物で広い行動範囲を持っており、日本では特にシカを主食としていたらしい。
 またオオカミの社会性の高さは有名で、一頭のリーダーの下に厳しい統制組織を持っていた。雌雄別の順位や血縁関係を重視し、一夫一婦制であり、夫婦は生涯寄り添うという。また、親を失った仔を群れで育てるという習性も持っていたそうだ。
 オオカミと犬とを隔でる習性の一つに、その歩き方がある。犬や猫は爪先で歩く(指行性)のに対してオオカミは踵を地面につけて歩く庶行(しょこう)性。そのため走るスピードが遅く、おそらくその欠点をカバーするためだと思われるが、群れで狩るための高度な社会性と知性を身に付けたのではないかと言われている。
 オオカミに狩られる獲物はほとんどが弱い幼体や、病気や老齢などで栄養状態の悪い個体だったので、その捕食活動はむしろ個体群を健康な状態に保つというプラスの役割を持っていたらしい。現にモンゴルやイヌイットの社会では「オオカミはヒツジの医者」とも言われているそうだ。

 そのように日本という島国の生態系の中で重要な位置を占め、長い歴史を通じて人々に崇められてきたオオカミではあるが、その状況に変化が生じたのは江戸時代だった。まず人間による山地の開墾や野生動物の乱獲によって、オオカミの本来の生息領域や食料が脅かされていった。その結果中には放牧飼育中の馬などを狙う群れが出始めた。しかしそれでもオオカミが里に降りてくるということは滅多になかったそうなのだが、更に大きな転機となったのは1732年から始まった狂犬病の大流行だった。
 長崎を皮切りに(そのため、おそらく出島経由で海外からもたらされたものだろうと推測されている)、年ごとに東進していった狂犬病は、日本各地の犬や人に甚大な被害を与えていった。狂犬病とはあらゆる哺乳類を対象とする人畜共通感染病であり、山中に住むオオカミもその例外ではなかった。罹患したオオカミは里に降りて、疾風のようなスピードで人や家畜を襲ったと言われている。このときを境にオオカミは人の敵と看做されるようになってしまった。その後江戸から明治・大正を通じて日本では断続的に狂犬病の流行を蒙ることになるのだが、そのたびにオオカミに対する「害獣駆除」は厳しくなる。
 1807年の記録では駿州愛鷹牧においてオオカミを撃ち取った者に金二百疋が与えられたとされている。これは現代の貨幣価値に換算するとおよそ15万円くらいになるらしい。また明治年間に岩手県で出された報奨金は、オオカミのオス7円、メス5円、子2円だった。これも当時の白米一升四銭という経済感覚で考えれば、やはり同じくらいの貨幣価値にはなるのだろう。米だけで言えば一家が半年食べていける値段であり、普通の百姓や猟師がおいそれと手にできる金額ではない。当然のことながら猟師たちは、オオカミを求めて山奥にまで押し入ることになった。元々岩手は「遠野物語」にも顕れされているとおり、オオカミの数多く生息した地域だったのだが、これによって明治の半ばまでにニホンオオカミは岩手から姿を消してしまっている。
 近年の研究によれば、ニホンオオカミの絶滅の原因には、明治以降に輸入された犬ジステンパーなどの伝染病も影響しているとの説もあるけれど、いずれにせよそれに前後して人為に起因する生息域の縮小と、著しい個体数の減少があったことは否めない。北海道のエゾオオカミもまた同じ時代に同じ運命を辿っている。
 食用や毛皮利用のためにエゾシカが人間に乱獲されたことが発端となり、やむなく家畜を襲い始めたエゾオオカミに対して、当局から当時としては破格の一頭十円という懸賞金がかけられた。その後推定では12年間で3千頭近くが捕獲または殺されたとされており、エゾオオカミは1896年に絶滅している。
 最期のニホンオオカミは1905年奈良県の鷲家口(わしかぐち)で捕えられたものである。折りしもロンドン動物学会から派遣されたアメリカ人動物学者マルコム・アンダーソンが動物採集の目的で現地入りしていて、ある日の朝彼の宿舎に地元の猟師たちが若いオスオオカミを一頭引き摺ってきた。八円五十銭で購われたその死体は剥製にされ、現在はロンドンの大英博物館に保存されているという。

 このようにおよそ100年前に絶滅したニホンオオカミだが、面白いことに近年になって俄に2件もの目撃例が現れている。ひとつは1996年秩父の山中、もうひとつは2000年に九州中部山中においてであり、どちらもその写真が残されている。
 特に九州で撮影された個体は、専門家の鑑定によると外見上ニホンオオカミの特徴をすべて備えているとのことだが、残念ながらこれだけでは真偽どちらとも断定できず、公式見解としては相変わらずニホンオオカミは絶滅したままである。
 オオカミのように生態ピラミッドの最高位に位置し、生存のために広範な生息地を必要とする種を生態学上は「アンブレラ種」という。陸上では大型の肉食・草食哺乳類や猛禽類。海洋ではクジラやセイウチ、ホッキョクグマなどがそれに当たる。アンブレラ種は生態系維持のためのひとつの指標とされ、それが存続するということは自ずから他の多数の種が保全されるということでもあり、逆にそれの絶滅は、その地域の生物群集や生態系に大きな変化をもたらしてしまう。オオカミなき後の日本で、シカやイノシシ、猿が増えすぎて原生林や農林業に打撃を与えているというのもそのひとつだろう。アメリカ合衆国のモンタナ州は、一度絶滅させてしまったオオカミの代わりに他所から他のオオカミを導入して成功した例とされているけれど、一度失われた種や生態系を復元することは、どのような場合でもまったく不可能か、もしくは極めて難しいかのどちらかである。
 特に今私たちの住む日本の場合、指標生物のみならずピラミッドの上から下まであまりにも多くの種をとうに失ってしまっており、更にはこうしている今現在も、夥しい農薬や化学物質による汚染や、開発や交通網建設などの名において、彼らの個体数と生息域を狭め続けているのである。



*この記事を書くに際しては、今泉忠明著「絶滅動物誌」(講談社刊)他の書籍、並びにネット上の幾つかのサイトを参考にしました。

*アップした後に気づいたのだけれど、(大陸の)オオカミは犬と同様指行性の動物としているサイトもあった。確かに時速70kmで走るのであれば指行性だと思います。しかしニホンオオカミが「庶行性」か「指行性」かは、私自身浅学で今の時点ではなんとも言えないので、とりあえずここでは当初書いたとおりのままにしておきます。ネット上の情報だけに頼るのは危ういですね。

 

【写真は2000年に九州の山中で撮影されたニホンオオカミらしき個体。ニホンオオカミには充分に詳細な生物学上の記録が残されていないので、最終的な同定は捕獲して頭骨の形状検査やDNA鑑定などの調査をしない限りできないそうだ。否定的な学者の間では、飼われていたジャーマンシェパードか、シェパードと大陸オオカミの交雑種ではないかなどと言われている。】



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3 コメント

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オオカミ (マルビーナ)
2008-05-17 17:22:30
アグリコさん お久しぶり~??…先月 友達と 札幌の円山動物園で 生まれて 初めて オオカミを 見ました??…シェーパードとシベリアン ハスキーの 混ざった感じで とても 格好良かったが…目が 凄く スルドクて ちょっと 怖かった?…毛が みっちり生えていてモコモコで とても 暖かそうでした?…色は 凄く 綺麗なグレー?って 言うより シルバーで 本当に 美しい生き物でしたが…やはり 怖い?…オオカミって 季節に よって 色 変わるのかな~?…。
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絵文字 (マルビーナ)
2008-05-17 17:26:30
あはは(^_^;)…さっきのコメント 絵文字が 化けて ?マークに なっちゃった!…ゴメンなさいm(_ _)m
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元気そうでなによりです。 (agrico)
2008-05-18 08:48:34
ニホンオオカミは絶滅してしまったけれど、今も生きている大陸のオオカミは体重50kgほどもある大型のもののようですね。動物園で見られるのは、みなこの種のオオカミです。
他の多くの野生動物と同じように、オオカミも冬毛と夏毛では色が違うようです。それぞれ周囲に合わせてめだたない色になるようです。
またオオカミは頭がよいので、人に慣れるようですよ。特に動物園なんかで生まれたときから人と接していれば、まるで犬のようになつくそうです。
今もし野生のオオカミが日本で見つかったら、きっと捕まって動物園に入れられてしまうでしょうね。なんだか可哀想なので、もしいても見つからないようにと願ってます。
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