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奇跡のリンゴ

2013-06-19 01:46:00 | TV・書籍
  


レイトショーで観てきた。

2006年12月にNHK『プロフェッショナル仕事の流儀』で放送され大反響を呼び起こした「木村さんのリンゴ」を映画化したもの。

原作は石川拓治『奇跡のリンゴ 絶対不可能を覆した農家 木村秋則の記録』で、番組を観て感化された私は出版されてすぐ購入したのを覚えている。



これは、世界で初めて農薬どころか有機肥料も一切使わずにリンゴを実らせた男とその家族の執念の物語である。

無農薬リンゴがなぜ奇跡と呼ばれるのかといえば、それは「リンゴ」というものが農薬を前提として品種改良された作物であるからだ。

種は生息環境の変化にタイムリーに適応できなければ絶滅してしまう。

個体数が少なく近親交配が続いている場合には、この危険性は高くなる。

一例を挙げると、世界の商用リンゴの木の約90%は、元をたどれば一組の親木に行きつく。

遺伝的多様性がほとんどないため、リンゴの木は環境ストレスに対処できるような適応特性をなかなか生み出すことができず、黒星病、火傷病、うどん粉病など、様々な病害に感染しやすい。

要するに、遺伝子的に同質の集団には、進化の前進の為の「原料」がわずかしかないということであり、そのため環境のマイナス変化によって種全体が危険にさらされることがあるのだ。

商用リンゴは、このリスクを冒すことで「甘くて美味しい、綺麗でよく獲れる」を獲得したのであり、そのリスクを低減させ商用リンゴを成立させるものこそが「農薬」なのである。

つまり、農薬を使わずに作ったリンゴは「リンゴ」ではない、「商用リンゴの定義」からしておかしいというのが常識なのであるからして、無農薬リンゴは消費者のみならず生産者にも心的転換を迫ったという点でまさにコペルニクス的転回イノベーションなのである。



木村を無農薬栽培に駆り立てた動機は、妻の美千子(映画では美栄子)が農薬に敏感な体質であったためと言われており、それが一層この物語を愛と感動へと誘っている。

が、これは単なる感動物語ではない。

本を読めばわかるが、彼は職業としては農家ではあるが、素養としては完全にエンジニアであり、馬鹿かと思うほどの頑迷さと不屈さを持ったイノベーターである。

とにかく頑迷であり、その頑なさゆえ家族を路頭に迷わせ、彼自身は村八分にされるのであるが、その逆境を乗り越え成功を手にするイノベーションの成功物語でもある。

リーンスタートアップやメイカームーブメントの中で「とりあえずやってみる」というのが俄かに流行だが、本質的には「実行する」こと自体に意味があるのではなく「試して学習する」ことに意味があるのであり、それがどういうことかを否応なしにわからせてくれるのが「木村さんのリンゴ」であろう。

やってもフィードバックがないのなら、やらないのも同じである。

本質的に大事なことはフィードバックがあるということなのだ。

木村さんの場合、フィードバックをしてくれる相手は"自然"であった。



では、木村が何をやったかというと、一言でいえば「管理することをやめた」ということだろう。

畑は多種多様な生物が棲むようになって、畑の生態系はより弾力のある安定を獲得する。

一本の綱引きではなく、何百、何千の綱引きが畑のあらゆる場所で行われれば、全体として大きくバランスを崩す可能性はそれだけ低くなる。

多様な生物の営みが畑の生態系をより柔軟で強靭なものに変えていったのだ。

管理しないことによって、環境のマイナス変化によって危険にさらされるリスクを抑えることに成功したわけである。

「奇跡のリンゴ」はリンゴの木が本来持つ力を呼び覚ましたというような奇跡の話ではなく、既成農薬が果たしていた役割を生態系のエコシステムで代替したというテクノロジーの話なのである。



しかし、この話を観ていると「自然選択」の凄さをまざまざと見せつけられたと感じざるを得ない。

生物の進化の選択では、どの遺伝子が選ばれてゲノムに組み込まれるかを決める単一の基準がある。

生殖の成功だ。

切り捨てられることになる遺伝子には、擁護してくれる者はいないし、カニバリゼーション(共食い)の危険性を心配してくれる者もいない。

自然のフィードバックは厳しい。

これに比べて、ほとんどの企業では、どのアイディアに資金を与え、どのアイディアを却下するかを選定する作業を行う時、意思決定に政治的バイアスが入りこむ。

このバイアスの影響を抑え込むにはフィードバックが非常に重要であり、組織が生き残る可能性を高めたいのであれば、組織内に自然選択の仕掛けを取り込むことだ。

アイディアとしては理解できるのだが、実現は容易ではない。



さて、話を戻そう。

農薬や肥料を一切使わずにリンゴを実らせることなど「絶対不可能」であり、これはリンゴ農家にとって大前提である。

仮に無農薬リンゴの生産に成功しても、持続的で計画的な生産が困難であり「農業」として成立しないからだ。

木村さんは、イノベーションによってその常識を覆した。

生産とマーケティングを融合したビジネス的な成功として見ると、その価値はさらに見直されることになるだろう。

本の帯に書いてある通り「ニュートンよりも、ライト兄弟よりも、偉大な奇跡を成し遂げた男の物語」なのだ。

なぜ農薬も肥料も使わずにリンゴが実るのか、その科学的メカニズムは今なお明らかにされていない。



誤解を避け、バランスを取る為に念のために触れておくが、この物語が真にイノベイティブなのは世界初の無農薬リンゴの栽培に成功したからではない。

農薬栽培か無農薬栽培かという単純な二元論によってこの話は評価されるべきではない。

問題のないところに新たな問題を発見し、常識とされてきたパラダイムをひっくり返すことで、新しい価値観を社会に提供することに成功した、ここにこの話の価値があるのだ。

それを勘違いしてはならない。



それに、単純に家族の物語として観ても胸が熱くなる話である。

なんて立派な家族かと、実際にはいろいろとあっただろうけれど、思わずにはいられなかった。

ここ最近の家族観では実現しえない話であろう。



ちなみに、木村さんのリンゴをもらって食べたことあるのだが、生きものを食べている感じがした。

食べたらすぐわかるが「リンゴとは違うものだ」という感覚になる。

言うまでもなく美味しいものだ。


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