粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

天声人語と過去の栄華

2013-05-19 00:02:59 | 反原発反日メディア

恐縮だがまた天声人語ネタだ。5月12日のブログで朝日新聞の天声人語について、「たとえ話を駆使して遠回しに皮肉る」嫌らしさがあると書いたが、17日のコラムでは「タレーラン」がたとえに使われている。タレーランといえばフランス革命の激動を生き抜いた政治家で、なんと革命期、ナポレオン帝政期、王政復古期という体制が全く違う3つの時代に、政府の中枢で指導的役割を果たした老獪な人物として知られる。同時代に治安維持面で権勢を誇ったフーシェとともに日本史ではなかなか登場しない処世術の達人だ。

そのタレーランが王政復古時の王侯貴族を皮肉った話を天声人語は紹介している。過去の経験から何も学ばない懲りない人々だ。

策士にして警句の名手でもあったその人物が、「なにごとも学ばず、なにごとも忘れず」という言葉を遺(のこ)している▼19世紀の王政復古時代のこと、フランス革命で逃げていた王侯貴族が亡命先から戻り、激しく体制の揺り戻しに動いた。つまり彼らは、体験から何も学ばず、過去の栄華は何一つ忘れなかった、と。

ここから天声人語はお得意の安倍たたきが本性を表す。アベノミックスで早くも湧いている自民党政権やマネーゲームに励む人々の「懲りない性格」を嘆いてみせる。さらに朝日特有の反原発主義もちゃっかり絡ませる。

▼返り咲いた自民党政権の、「人からコンクリート」への急旋回もしかりだろう。公共事業への思いは深く、大盤振る舞いで予算化された。国の借金は膨れあがり、今年度末にはついに1000兆円の大台という▼原発も、安全より経済に重きを置くような空気が政府与党を覆う。福島の苦難はなお続くのに、脱原発の声を軽んじる。多くの心配を置き去りに再稼働に前のめりだ。地震列島に原発大国を築いた政策を悔やむふうは、さらさらないらしい▼私たちにも「バブルよもう一度」の期待はないだろうか。株高にうかれてマネーゲームに走る話も、あれこれ聞こえてくる。あのとき、虚栄の陶酔と失墜を随分悔いたはずなのに。

確かに天声人語が指摘するように、ここ最近の異常な株高はバブルの再燃の危うさがないとはいえない。ただ、原発再稼働の動きを「安全より経済に重きを置くような空気」が働いているというのは、余計なお世話ではないか。「多くの心配を置き去り」しているというのも朝日の主観でしかないと思う。

昨年発足した原子力規制委員会が再稼働に世界一厳しい基準を設定すると豪語している。ただ活断層の活動時期を40万年前に遡ることは本当に合理的な判断基準になるのか、専門家の間では疑問視する見方が多い。つい最近の敦賀原発2号機の「黒判定」が本当に正しかったのか。拙速という批判は少なくない。

7月の新基準が発効しても原発再稼働が簡単に実施される状況にはない。その間、円安の進行とともに化石燃料輸入のコスト高が電力会社や電力を利用する企業の経営を圧迫し続ける。まだアベノミクスの成長戦略に緒についていないし、朝日がいうような「前のめり」にはほど遠い状況だ。

さらに天声人語が「福島の苦難が続いている」と相変わらず他人事のように書いているのも解せない。放射能被害の過剰な報道で苦しんでいるのは福島県民である。その先導役ともいえるのが朝日新聞や東京新聞といった反原発メディアであるというのが実態を知る多くの人が指適するところだ。

自社の反原発主義を世論誘導するために、こんな安倍たたきに臆面もなく励んでいる。朝日が現政権を批判しているのを、タレーランは泉下で苦笑していることだろう。自分たちは2009年の政権交代に大きく貢献したという過去の自負に固執する間は「経験から何も学ばず、過去の栄華を忘れず」ということになりかねない。



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