「1ミリシーベルト除染」とかけて「非武装中立」と解く。その心は「理想に走りすげてとても現実的ではない」というところではないか。丸川環境相が松本市の講演で発言した除染基準を巡る内容に反原発宣伝紙の東京新聞などが噛み付いて大騒ぎになり結局発言を撤回する事態に陥った。
「『反放射能派』というと変だが、どれだけ下げても心配だという人は世の中にいる。そういう人たちが騒いだ中で何の科学的根拠もなく、時の環境相が一ミリシーベルトまで下げると急に言った」(東京新聞2月10日)
丸川環境相のこの発言は確かに乱暴な面があったが、基本的には間違いではない。環境相を非難するジャーナリストはICRP(国際放射線防護委員会)の勧告が「科学的根拠」であると主張しているが、これはあくまでも「勧告」だけであってそれ以上でもない。その勧告とは中川恵一東大准教授がコラムで指摘する通りだ。
平時では、「公衆の被ばく限度は年間1mSv」、「職業人は年間50mSvかつ5年で100mSv以下(今回のような緊急時は別)」とICRPは勧告している。また、「緊急時で被ばくがコントロールできないときには年間20-100mSvの間で、ある程度収まってきたら年間1-20mSvの間で目安を定めて、最終的には平時〔年間1mSv〕に戻すべき」とも勧告している。
つまり、民主党政権で細野環境相はICRPの勧告のうち「最終的には平時(年間)1mSv」という「被ばく限度」を福島での「除染基準」に適用したというわけだ。しかし、この1ミリシーベルトはあくまでも努力目標であって、決して被ばくによる健康被害の安全基準ではない。当然、1mSv以下にしなければ健康が保てないという「科学的根拠」にはなりえない。
中川准教授は同じコラムで「リスク評価」と「リスク管理」という二つの原則を挙げている。そのうちリスク評価とは「100mSv以下では(被ばくの)影響が認められないというサイエンス」のことであるが、リスク管理は「リスク評価ををふまえた上での防護上のポリシー」である、と区別している。したがって、前述のICRPの勧告は「リスク管理」というポリシーを各国政府に勧めているいるだけの話だ。
当然、被ばく限度や除染基準なをどこに置くかといった政策はその政府に委ねられる。だから1mSvという平時の基準を民主党政権が除染の目標としてしまったことは非常に問題がある。福島の事故での被ばく状況を考えたら、すべて県内を1mSVに除染すると何十兆円という膨大な費用がかかるし、これを完遂するためには長期間を要することになる。それを待って避難民の帰還を進めるのは非現実的である。
実際のところ、ICRPの勧告は厳しすぎるという批判は最近強く、基準を緩和すべきという議論が高まっているのも事実だ。実際世界の放射線量は地域によって年間10mSvを超える場所は少なくないし、5mSv前後の地域も北欧中心に珍しくない。あるいは福島の事故後に東京世田谷の民家の異常な放射線量が問題になった。なんと年間30mSvを超える線量をその家族が50年間も被ばくを受けたことが明らかになった。しかし、これらの地域、民家が被ばくによって健康被害を受けたという報告は全くといって聞かない。
したがって、冒頭のなぞかけの通り、1mSv除染は「理想に走りすぎてとても現実的でない」ということになる。そして科学的根拠はない。丸川環境相の発言はこの問題点を指摘して社会に一石を投じたものだと思う。しかし環境相は発言を結果的に撤回して矛を収めようとしたのは本当に残念でならない。環境相は発言の真意を明らかにして問題の本質を国民に問うべきだった。
それにしても丸川発言に対して民主党の議員が「放射能の問題に苦しむ被災地の人たちをやゆする表現で気持ちを著しく害している」と環境相を批判しているが、いまだに「被災地の人々の気持ち」を「錦の御旗」にするのはやりきれない思いがする。
民主党時代の細野環境相は被ばくの影響を誇大に評価する福島被災地自治体の声に押されて1mSvの除染基準を目標に据えたといわれる。必ずしも絶対的基準ではないようだが、もはや1mSvが一人歩きしてこれ以下でないと安全ではないというイメージをつくり出してしまった。そして「科学的根拠」なる虚構も今なお日本社会を束縛している。