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ワイン・ガードナー。(番外編vol.317)

2013年08月20日 10時51分26秒 | Weblog
出身国のオーストラリア・エリア選手権でレースをしていた頃に、

モリワキ(森脇護さん)に見出されプロデビューを果たした、

日本でも人気の高かった「ワイン・ガードナー」選手ですよ。

その後、イギリスで速さをかわれ83年の第8戦オランダGPでWGPに初参戦しますが、

運悪く前年チャンピオンだったフランコ・ウンチーニ選手をレース中ひいてしまい、

意識不明の重傷を負わせてしまうという、不運に見舞われます。

フランコ・ウンチーニ選手がもし死ぬようなことがあれば、

レースは止めるとまで思い詰めたようですが、フランコ・ウンチーニ選手の

奇跡のカンバックで以降のレースにフル参戦することになります。

85年から旧式マシンではあったのですが、ホンダワークス入りし、

そのアグレッシブルな走りで注目を集めることになります。

「ワイン・ガードナー」選手の特徴はなんといってもアグレッシブルな走り。

キレた時は手に負えないほど速く、恐ろしいほどの集中力を感じます。

そのまま上昇気流にのり87年にはWGPシリーズチャンピオンを獲得しますが、

88年以降は新たに登場したレイニー選手やシュワンツ選手との戦いになり、

やや、劣勢を強いられます。

90年途中で負傷したあたりから速さに陰りを見せ始め、92年シーズンをもって引退します。

個人的には始めて買ったヘルメットが「ワイン・ガードナー」選手のレプリカだったので、

思い入れが強いですね。

常に低い姿勢から鋭くバンクするライディングは当時カッコ良く映ったものです。

ボクの中でも好きなライダーの1人ですね!




フレディ・スペンサー。(番外編vol.316)

2013年08月19日 09時18分00秒 | Weblog
82年からWGPにフル参戦し83年、85年とシリーズチャンピオンを獲得した、

アメリカ・ルイジアナ州出身の「フレディ・スペンサー」選手ですよ。

「ファースト(速い)フレディー」としてバイク界では超有名人ですよね。

特に85年シーズンは500cc、250ccのダブルチャンピオンに輝いた実績を持っています。

元々、少年時代にダートトラックレースをしてた経験から、

自然と身につけたであろうスライド走法をロードレースで始めてやってのけた人物です。

これはそれまでの常識を覆すライディングで、

コーナーリングの速さで他を圧倒するものした。

なものだから彼の勝ちレースはほとんどがブッチギリでその速さは圧倒的でした。

特に当時「キング」と呼ばれたケニーロバーツ選手を引退に追いやった人物でもあります。

また、80年からアメリカスーパースポーツ選手権(AMA)で乗った、

ホンダCB750Fはカスタムの代名詞にもなっており、

カワサキZ1000Rのローソンレプリカと共に人気のカスタムだったりします。

そんな「フレディ・スペンサー」選手ですが、

86年シーズンから煩い始めた右手の腱鞘炎のため、

フル出場が困難となり、まだ若かったのですが最終的には引退に追いやられていまいます。

このことに関しては、当時正式なコメントがなかったため、

周りを振り舞わす結果となり悪く言われた時期もありましたね。

もし、この持病がなければ多分まだ多くのレースで勝っていた可能性があるのですが、

同じ走法で走れる次世代のウェイン・レーニー選手やケビン・シュワンツ選手に

勝てたかどうかは、もう想像するしかないです。

短い期間でしたが、その速さからあまりに強いインパクトを残した、

天才ライダーだったことは間違いないですね!


ケビン・シュワンツ。(番外編vol.315)

2013年08月17日 10時59分08秒 | Weblog
80年代後半からWGPに参戦し93年にはシリーズチャンピオンにも輝いた、

日本で多くのファンを持つ「ケビン・シュワンツ」選手ですよ。

なんと今年の鈴鹿8時間耐久レースで21年ぶりに復帰です。

すでに「ケビン・シュワンツ」選手は49歳。

現役を引退して随分と時が流れてしまいましたが、

独特のライディングは変わらず、チームカガヤマとして堂々の3位入賞を果たしました。

この功績はもちろん加賀山選手や芳賀選手の力量が大きかったのですが、

映像を見るかぎり「ケビン・シュワンツ」選手の走りも素晴らしかったです。

周りが低い姿勢で深くバンクさせてるライディング走行の中、

「ケビン・シュワンツ」選手は90年代に見せた高い姿勢からの独特の走りを披露。

1人ライディングが違う中、かなりの速さを見せていました。

ある若いライダーが、

「あの姿勢であんなに速く走れるのが不思議だ」と言っていたそうです。

「ケビン・シュワンツ」選手の速さはドリフト走行にあります。

今ではモトGPなどプロライダーで当たり前の走りになっていますが、

早い時期からこの走りをしていたんですよね。

当時では他にフレディースペンサー、ワインガードナー、ミックドゥーハン選手などが、

この走りをしていました。

とにかく「ケビン・シュワンツ」選手の雄姿をまた見ることが出来たのは、

なんとも感動的ですね!



59クラブ。(番外編vol.314)

2013年08月16日 09時11分16秒 | Weblog
50年代、カフェ店(エースカフェ)に集まりジュークボックスの曲が終わるまでに、

決められたコースを2人でレースするというカフェレーサーが登場し、

その数を増やしていた時代に1人の神父が現れます。

彼は神父服の上にルイスレザーのブロンクスジャケットをまとう風変わりな出で立ちで、

彼らカフェレーサー(ロッカーズ)の相談相手となっていくんですよね。

で、彼が作ったバイククラブが「59クラブ」です。

名前の由来はイマイチ分かりませんが、この「59」はロッカーズのシンボルマークとなり、

チームじゃない人も「59」ワッペンを革ジャンに貼ったりするほど、

カフェレーサー界でステータスとなっていきます。

アメリカに発生した遊牧バイカー「ヘルズエンジェルス」とは多少違う

独自のチーム組織ですが、当時のイギリスでは彼らが社会問題になっていました。

イギリス最新鋭バイクだったノートンやBSA、トライアンフをカスタムし、

公道を全開で走る訳ですから事故が絶えなかったんですよね。

それでも無謀なライダー達は60年代後半頃まで後を絶たず増え続けていきます。

今では当時の若者たちもすでに60歳を超える高齢者になっており、

昔を懐かしむため、年数回のミーティングをするだけのものに落ち着いています。

日本の暴走族と違い、海外のアウトローバイカーはどこかカッコ良く見えますね!

ロッカーズ達が愛したカフェレーサーカスタムも、

下品でセンスのない暴走車両と違い、ボクには渋くてステキに映ります。(笑)




バイクビルダー・ヨッシー小坂。(番外編vol.313)

2013年08月12日 09時02分14秒 | Weblog
アメリカ・カルフォルニアにて小さな町工場「ガレージカンパニー」を経営する

「ヨッシー小坂」さんです。

彼のカスタムは主にカフェレーサーで、古いイギリスのバイクを手がけています。

中にはハーレー、国産なども手がけていますが、

あくまでイギリス製にこだわってるようです。

経営する「ガレージカンパニー」には古いイギリスのバイクパーツが豊富に揃っており、

カスタムというより、レストアをしてるって感じです。

アメリカに移住する前は日本で歯科技工士だったようで、

その繊細な手さばきが、きめ細かなカスタムの根源になってるようですね。

またアメリカ居住のイギリス人は多く、彼らは故郷をこよなく愛してるため、

彼のショップでかつての栄光を取り戻すかのように、

カフェレーサーカスタムを発注しているという背景があります。

なものだから顧客の大半は往年の人たちですが、まれにカフェレーサーファンである、

若い世代もいるようです。

ロッカーズvsモッズというイベントを定期的に開催しており、

アメリカ全土から多くの元ロッカーズやモッズだった人たちが訪れ、

カフェショップでイベントを楽しんでいるようです。

彼はそういった仲間からも尊敬さてるようで、

彼へのカスタム依頼は後をたたないようですね!! 



ホンダ・CBR400R。(番外編vol.312)

2013年08月10日 09時49分18秒 | Weblog
今年発売されたばかりのホンダ「CBR400R」ですよ。

シリーズ化されてて、フルカウル仕様の「CBR400R」とカウルレスの「CBR400F」、

オフロード仕様の「CBR400X」の3種類が用意されています。

基本構造は同じでエンジンは水冷式4スト並列2気筒DOHCで、

最高出力は46ps。

燃料供給は電子制御式燃料噴射装置(PGM-FI)を採用しています。

86年に登場した初代「CBR400R」は4気筒だったので、

なぜ2気筒?って思うところもありますが、

これも時代の流れですね。

この新型「CBR400R」は先に販売された「CBR500R」とフレームなど共通部分が多く、

免許規制による国内仕様と言ったところですね。

特長としては何と言ってもコンパクトな車体。

エンジンが2気筒ということもありますが、軽く細く低重心です。

劇的な加速力やトップスピードは望めませんが、

バランスに優れていて乗りこなしがとてもラクなようですね。

かつての過激な90年代最終モデル「CBR400RR」とはコンセプトが違い、

エコで乗りやすさを追究して開発されたモデルです。

物足りなさも若干感じてしまいますが、これからの400ccクラスはこんな感じなんでしょうね。

個人的にはフロントブレーキはダブルにして欲しかったです。(笑)



乗るのか、乗らないのか?(番外編vol.311)

2013年08月09日 09時41分54秒 | Weblog
バイクって人を運ぶ乗り物だけど、あくまで趣味の領域ですよね。

スクーターのようにある程度の実用性があればいいのですが、

普段クルマを乗りながらバイクも乗るといった環境だと、

意外に持ってることだけに満足し、ほとんど乗ってないってのはよくあること。

また、一時的にマイブームとして乗り出したけど、

所有してみると数年で飽きてしまい乗らなくなることも。

考えてみればボクもそうで、

18歳から31歳までは何台か乗り換えながら乗っていましたが、

事故をきっかけに乗らなくなり15年以上ブランクを経て、

今乗ってると言った感じです。

必要か?必要でないか?と言えば消して必要ではないのがバイク。

乗るのか?乗らないのか?と言われれば乗らなくてもいいのがバイク。

でも無性に乗りたくなるのもバイク。

不思議な乗り物ですね。

とても魅力的なのですが、所有すると結局あまり乗らない…。

何なんでしょうねぇ。(笑)

めんどくさいから?暑いし寒いしクルマの方がラクだから?

何かと自分に理由を付けて乗らない。

これじゃ、丘サーファーならぬ丘バイカーですよね。(笑)

自分ではバイク命と思ってる人も実はそうでもなかったりして…。

なかなか生活の一部となってくれないバイク。

超越したレベルで毎日バイクを乗り回し、

人に胸を張って「こいつを棺桶まで持って行く!」って言ってみたいですね!(笑)



悪=バイク。(番外編vol.310)

2013年08月08日 09時17分02秒 | Weblog
50年代から60年代にかけてアメリカやイギリスでは若者達が社会への不満を掲げ、

爆音のカスタムバイクで悪事を働くと言った時代背景があり、

日本でもこれに習って60年代のカミナリ族、70~80年代の暴走族と「悪」のシンボルとして、

バイクに乗る人たちがいました。

今はその名残が多少残る程度で社会現象までなった時代とは随分変わっています。

しかし、世間的な認知としてはかつての印象が根深く残ってるようで、

いつまでも「悪=バイク」というイメージで見られがちです。

もちろんクルマと違い事故を起こすと命に関わるという危険な乗り物であることは

間違いないのですが「悪=バイク」ってのは…う~んどうなんでしょうねぇ。

…まぁ、それはそれとして、(笑)

じゃぁ、かつての若者たちがなぜバイクに乗って「悪」を働いたのか?

また社会的に「悪」というイメージを植え付けたのか?

特に発祥とも言えるアメリカはどうゆう経緯があったのでしょう。

これはボクの勝手な解釈になりますが、第2次世界大戦から帰国した人の子供達がその世代にあたり、

彼らが強く求めた精神的自由に大きな要因がある気がします。

ようは自由を求め特定の場所に定住せず社会から離脱した若者たちが、

バイクに乗り遊牧生活を始めたことに始まりニートなのでお金を求め「悪」を働いた…ということ。

またイギリスでは昔からある階級意識からなる労働者階級の子供たちの社会に対する反抗。

社会不満をぶつける手段としてロッカーズやモッズなるものが登場し公道レースをしていた…。

共に、そこではケンカ、レイプ、窃盗、殺人など「悪」が反乱しどんどんエスカレートしていった。

日本では大人たちが決めたルールに対する反抗。

こんな感じでしょうかねぇ。

今の時代でバイクに乗って悪ぶってる人がいるとしても、

それはただのカッコつけでありファッションだったりします。

なんせ時代は変わり、バイクに乗れるというだけでも恵まれていますからね。(笑)

本題ですが「悪=バイク」というイメージは一体いつなったらなくなるのか?

なんとも分かりませんが、ツーリングを楽しむセーフティーバイカー達にはいい迷惑ですよね。(笑)







ラッド・バイク。(番外編vol.309)

2013年08月07日 09時27分42秒 | Weblog
いわゆるボロボロ風バイクを「Rad-Motorcycle」と言いますよ。

アメリカのカスタムバイクの1つとして認知されています。

車体はサビ錆びで、あらゆる部品をまったく関係ないもので流用したり、

激しいものは原型をとどめていないものなど、

一風変わったカスタムのことなのですが、

意図的にしたものなので走りに関するパーツはしっかりしていたりします。

要は錆びついた車体がオシャレと考える発想ですね。

クルマでもホッド・ロッドをサビ錆びにしたラッド・ロットなるものがあり、

有名どころでは、世田谷ベースで所さんが乗ってるフォード・トラックなどがそうです。

古いバイクをレストアせずに走れるようにしたものや、

新しいバイクをワザとサビさせてボロい雰囲気をだしてるものなど、

その種類はさまざまです。

中にはかなり芸術的なものもあり、バイクショーなどで出品してたります。

ベース車両としてよく見られるのはイギリス製の古いバイクや、

アメリカのハーレーなどですが、国産の古いものなどもちょこちょこあるようですね。

実は国内でもこれに似たことをしてる人は以前からいて、

意図的に汚く塗装したり、錆びたまま、いろんなモノをゴチャゴチャ付けて、

オリジナル感をアピールしてたりしてました。

まぁ、そうゆうことです。

ボクのようなケミカル野郎には若干理解しがたい部分もありますが、

徹底してれば、それはそれでカッコ良いと思いますね!


バイクチューナー・ポップ吉村。(番外編vol.308)

2013年08月06日 09時00分14秒 | Weblog
「ポップ吉村」さんと言えば誰もが知る「ヨシムラ」の創設者であり、

世界でも有名なチューナーとして広く知られてる人ですよね。

経歴としては戦時中、航空技師としてエンジンの整備技術を学び、

戦後、九州の実家で鉄工所を経営していた父親のもとで働いていた時代、

駐屯していた米軍兵士のオートバイをチューニングするようになり、

独自のバイクパーツを生産する町工場を運営することとなります。

カムシャフト、マフラーを主に手がけていて、

集合管を世界で始めて開発したのも「ポップ吉村」さんです。

開業当初はホンダと提携し、ホンダのレーシングマシンのパーツを手がけていたのですが、

ホンダが独自でHRCを設立したことで会社は窮地に追い込まれます。

仕切り直しを計りアメリカへ進出するのですが、

詐欺や工場の火事など不運が続きで帰国。

息子の不二雄さんや森脇さんらと一からやり直しを計り、

幸運にもスズキからパーツ供給を受けるようになります。

このことで再度アメリカへ進出。

AMAアメリカスーパーバイク選手権でスズキGS750を手がけ、

いくつかのレースで優勝します。

帰国後も鈴鹿8時間耐久レースに第1回大会から参戦し、

強豪のホンダやヤマハワークスと戦い勝利します。

「ポップ吉村」さんは戦争経験から何に対しても命がけでチャレンジする人で、

家族の反対も押し切り、努力で成り上がった人物です。

それだけに自伝も多く、新しい世代の人たちに尊敬されています。

95年で亡くなっていますが、スピリッツは息子さんや森脇さんへ引き継がれているんですよね。

見習うことの多い偉人ですね!