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阿部典史「ノリック」。(番外編vol.322)

2013年08月26日 09時10分47秒 | Weblog
いわゆる英才教育型ライダーの1人「阿部典史」選手こと「ノリック」ですよ。

少年時代からオートレーサーの父親に連れられ5歳からバイクを始め、

新世代型ライダーとして10代からその才能を開花させた最初の日本人です。

中学を卒業後、アメリカに渡りダートトラックやモトクロスで修業し、

若干18歳で国内最高峰だったGP500ccのチャンピオンになります。

この「ノリック」の出現を皮切りに、

続々と同じ道を歩んだ英才ライダーたちが現れることになります。

とにかく最初に「ノリック」の存在を知ったときは衝撃的でした。

ボクの知る中では世界に通用しそうな日本人ライダーの最初の人だったので、

その劇的な速さは、何かやってくれるという期待感でいっぱいでした。

94年までホンダのサテライトチームに所属してて、

スポットで参戦した鈴鹿日本GPでは素晴らしい走りを見せてくれました。

あのシュワンツ選手やドゥーハン選手と同等の速さでトップ争いをし、

あわや優勝か!?と思わせる激しいバトルを見せてくれました。

結局、残り3周という場面で転倒リタイヤしてしまいますが、

ただならぬ人材というインパクトを残してくれましたね。

結果、ウェイン・レイニーからの強い誘いにより、

シーズン中ながらヤマハ陣営へ異例の移籍を果たしWGPへフル参戦します。

96年の鈴鹿日本GPで初の優勝を果たし3度の優勝を経験します。

04年でWGPから世界スーパーバイク選手権(WSB)に移籍し、

07年から全日本ロードレース選手権JSB1000クラスに参戦。

若き日の驚くような走りは見られなくなっていましたが、相変わらず知名度は高く、

国内でのファンは多かったです。

しかしながら、その07年シーズン途中、不慮の事故に遭い他界。

若干32歳の若さでした。

残念ですが、このことで「ノリック」の功績の大きさを知ることになります。

個人的には、ヘルメットからはみ出す長い髪がとても印象的でしたね。