73年からレーサー志望のエントリーマシンとして市販されてたヤマハ「TZ250」ですよ。
誰でも手にいれることが出来る完全なレーサーバイクで08年まで生産されていました。
もちろん一般公道での運転は不可です。
初期モデルは空冷式2スト並列2気筒でしたが、79年に水冷化、
91年以降はV型2気筒に変更されます。
フレーム、足回り、ブレーキなど年をおう事に進化してきた「TZ250」で、
ヤマハワークスで作られていたYZRシリーズと並行して開発されていました。
さらに「TZ250」で培ったノウハウを市販車の「TZR250R」などに、
フィートバックされていたんですよね。
エリア選手権など、地方でプロレーサーを目指す若い世代に購入され、
ホンダRS250と並んで人気のマシンでした。
またヤマハワークスが開発を止めた92年から95年の間は「TZ250M」を販売。
事実上のワークスマシンとして使用された期間もあったんですよね。
さらにこの期間に原田哲也選手の手により1992年の全日本選手権、
1993年のロードレース世界選手権でシリーズ優勝も成し得ています。
個人的にも86年モデルの「TZ250」に乗ったことがあります。
当時、神戸のラムレーシングからレーサー志望で頑張っていた友達が新車で購入したもので、
大阪の南港がまだ開発途中の頃、広い道だけがあることをいいことに、
深夜クルマに積み込んでシェイクダウンしに行ったんですよねぇ。(笑)
乗った印象はとにかく前加重にしてないといつでもウイリーしてしまうほどパワーあり、
加速力が強烈だったことですね。
ただし総合的には乗りやすいという感じです。
旋回性も市販車に比べ限界域が広く、軽いので深く攻めても不安感は少なかったです。
さすがレーサーマシンだけあってチャンバーの音が最高でしたね。
確か当時で150万円したって聞いた記憶があります。
2000年以降は若い世代のバイク離れが深刻化し、
カテゴリーも消滅したため、現在は販売されていません。
これも時代の流れなんですかねぇ。(笑)
誰でも手にいれることが出来る完全なレーサーバイクで08年まで生産されていました。
もちろん一般公道での運転は不可です。
初期モデルは空冷式2スト並列2気筒でしたが、79年に水冷化、
91年以降はV型2気筒に変更されます。
フレーム、足回り、ブレーキなど年をおう事に進化してきた「TZ250」で、
ヤマハワークスで作られていたYZRシリーズと並行して開発されていました。
さらに「TZ250」で培ったノウハウを市販車の「TZR250R」などに、
フィートバックされていたんですよね。
エリア選手権など、地方でプロレーサーを目指す若い世代に購入され、
ホンダRS250と並んで人気のマシンでした。
またヤマハワークスが開発を止めた92年から95年の間は「TZ250M」を販売。
事実上のワークスマシンとして使用された期間もあったんですよね。
さらにこの期間に原田哲也選手の手により1992年の全日本選手権、
1993年のロードレース世界選手権でシリーズ優勝も成し得ています。
個人的にも86年モデルの「TZ250」に乗ったことがあります。
当時、神戸のラムレーシングからレーサー志望で頑張っていた友達が新車で購入したもので、
大阪の南港がまだ開発途中の頃、広い道だけがあることをいいことに、
深夜クルマに積み込んでシェイクダウンしに行ったんですよねぇ。(笑)
乗った印象はとにかく前加重にしてないといつでもウイリーしてしまうほどパワーあり、
加速力が強烈だったことですね。
ただし総合的には乗りやすいという感じです。
旋回性も市販車に比べ限界域が広く、軽いので深く攻めても不安感は少なかったです。
さすがレーサーマシンだけあってチャンバーの音が最高でしたね。
確か当時で150万円したって聞いた記憶があります。
2000年以降は若い世代のバイク離れが深刻化し、
カテゴリーも消滅したため、現在は販売されていません。
これも時代の流れなんですかねぇ。(笑)