サッカーアジアカップ優勝の理由
♪読み終わって胸にすっと落ちた。長いですが全文を引用します。
引用開始・・
アジアカップMVP本田圭佑の「言語力」に見る「ニッポン再生」の可能性
リーダーに必要なのは「言葉の力」
サッカーのアジアカップで、日本代表は、韓国、オーストラリアを撃破して、劇的な勝利に輝いた。MVPは本田圭佑選手。
日本代表が強くなった原因は「言語力」に気付いたからだ。実は日本の国語教育は世界の孤児。それが政治やメディアの姿勢に反映され、「先進国なのに2流国」の現状を作っていた。
サッカー協会の「反省」
昨年1月30日、NHKは「追跡AtoZ」という番組で、「問われる日本人の"言語力"」という特集を放送した。
その時に、日本代表のリーダーが本田圭佑選手になるという予言のような表現があった。その後、本田選手はワールドカップ、アジアカップで大活躍し、NHKの予言は的中したわけだ。
日本は2006年のワールドカップで予選リーグを突破できず、大きな反省を迫られた。その敗戦を分析した報告書の中に「言語力の不足」という項目があった。
サッカーは、選手同士のコミュニケーションが非常に重要なスポーツだ。日本選手は断片的な言葉を交わすが、その言葉の根拠を説明することをしない。
その結果、言われた選手は、理由がわからず、戦略を飲み込めない。
その反省から、サッカー協会は、言語力の講座を設けて、選手やコーチ陣をトレーニングしたという。
本田選手以前の日本のリーダーは中村俊輔選手。彼はイタリアや英国でプレーしたが、寡黙で、他の選手とはほとんどしゃべらない。
本田選手はよくしゃべる。オランダではキャプテンを務め、ロシアでもリーダー的に振る舞っている。従来の日本の選手にはなかったタイプだ。
「言語力」に気付いたサッカー協会にとってぴったりのリーダーだった。
日本の国語教育は世界の潮流から外れている
「言語力」とは、「文章や図表などを正確に理解したうえで、明確な根拠をあげて自分の意見を言う」という能力。
読者の皆さんは、義務教育の中で、こうした訓練をうけたことがあるだろうか? 私が、30人ほどに聞いて、皆無だった。
作文の時間はあるが、そこでは、文法的なチェックや誤字などの指摘は受けても、「意思を明確に書けているか」のような指導はなかったはずだ。
世界中の国語教育は、この言語力の育成が最大の眼目。ところが、日本の国語教育は有名作家の文章を読んでの読解力などが中心で、言語力は無視されてきた。
私は先日、NHKの担当ディレクターらと意見交換したが、その原因は、明治以降の日本の教育が「富国強兵」をテーマにしたものだった・・・ということに帰結しそうだ。
兵隊は上官の命令を理解できればいい。自分の意見を言う必要はない。そのことが今も生きていて「受け身の国民」を作ってしまった。
世界で、言語力育成に最も熱心な国が、同じ敗戦国のドイツだ。
ドイツはナチスの専制を許した風土を変えるために、「一人ひとりが自分の考えを持ち、それをはっきりと伝えられる」ということに重点を置いている。
米国に負け、経済力で米国に追いつこう・・・と考えた日本とは、根本的に発想が違っている。
日本は民主主義の根幹にある「個人の独立(自律)」を理解できていない。だから政治が迷走するのだ。
また、日本人の勉強のターゲットになっている大学入試がマークシート方式で、読解力の採点には適合するが、言語力の判定には全く向いていないということもある。
さらに国語の教師が、それぞれの言語力に自信がないためと、その基準で測られたときの同僚との差が出ることを怖れて、避けて通っていることもあるだろう。
社会学者の山岸俊男氏は『信頼の構造』という本で、日本人はリスクを取りながら初対面の人と友人関係を作るような行動が苦手で、
既存の人間関係に甘える「安心社会志向」だと述べている。
その原因は「言語力」の不足にあると、私は考える。教育は根底から変えなければならない。
「自律」ができない民主主義国ニッポン
インターネットの劇的な普及は20世紀末の世界の驚異だった。
その根本思想は「自律・分散・協調」だったと、日本のインターネットの創始者の村井純氏(慶応義塾大学教授)はいつも強調する。
その反対は「他律・集中・従属」だ。
21世紀の世界の最重要なテーマは「自律・分散・協調」をベースにした「多様性の確保」だ。
ところが、日本のセンスはインターネット以前の状態から抜けきれず、リーダーシップの不在が混迷に輪をかけている。
私は、年間10〜20回、各地で講演するが、話の後は「しーん」となるケースが非常に多い。
私はシンポジウムなどに聴講で参加した際には、パネリストの意見などに反論するなど、よほど評価に値しないシンポでない限り、会場から質問し、コメントする。
自分の考えを言って、他の人に判断してもらうことは、当然のことだと考えているからだ。
昨年、地域再生の取材で全国を行脚したが、地域づくりのリーダーたちは言語力が高かった。明確な目標を持って、自信を持って仕事をしていた。
日本を立て直す第一歩は、コミュニケーション力、特に「言語力」だと痛感する。
一方で、メディアはどうか。
「受け身」の国民=読者・視聴者に情報を送っているが、内容のある議論は行われているだろうか。
田原総一朗氏は、対立を煽って、パネリストを怒らせ、その顔をアップで撮るという手法しかできていない。いかにもテレビ的な手法だ。
小沢一郎氏の証人喚問問題でもそうだが、日本人は自律できていないまま、付和雷同でものを決めようとする。それを支えているのがマスメディアの姿勢だ。
外国人は、主要な新聞の1面トップの記事がみな同じということに驚く。
まさに「自律できない国民」と同じように「自律できないメディア」だからだ。
「主張を持て」「それを明快に説明せよ」
・・・とにかく、それがスタートラインだ。こうした問題では、日本は「100年遅れている」という自覚が必要だ。
日曜の未明、サッカー日本代表の成長を喜びつつ、「日本は変わるべきだ」という確信がいっそう強くなった。
引用先 2011年02月04日(金) 坪田 知己
アジアカップMVP本田圭佑の「言語力」に見る「ニッポン再生」の可能性リーダーに必要なのは「言葉の力」 現代ビジネス