阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

今年も友人の長谷川和弘さんの水墨画が東京都美術館の「日中水墨画合同展」で無審査作品として展示されている。  3月15日まで

2023年03月13日 | ゲストルーム

昨年3月11日掲載エントリーの一部

 上野の東京都美術館はぼちぼち人の姿があった。

 

長谷川さんの作品は 穏やかな画面に阿蘇の湧水が豊かに流れていて 眺めていると気持ちが落ち着いた。

やはり構成がいい。細心の送筆の緻密さがもたらす完成度の高さに今回も感嘆した。

昨年は長谷川さんの作品clickが日中水墨大賞を取った。

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杉本さん ご教示いただきありがとうございました。

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神戸・阪神電車住吉駅ガード下の「おか田」でふぐフルコース・ ひれ酒でひる酒       9年前の今日 2014年3月13日の本ブログに掲載 

2023年03月13日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

3月某日、十三の「第七芸術劇場」で映画を見て、そのあと『十三屋』で5人で月曜会の予定でしたが、なんとその『十三屋』clickが火事で焼失。

こんな経験は初めてです。しかし優れものの月曜会メンバー、切替も早く、行き先を阪神住吉の『おか田』に代えて2日前に予約を入れてくれました。

おかげでたっぷりとふぐとひれ酒を堪能することが出来ました。午後1時から4時過ぎまで楽しんだ後、阪神御影まで歩いて駅前のジャンカラで2時間、

不良老年組が歌い続けました。すばやくアレンジして頂いた土井さんありがとうございました。「おか田」のふぐいいですね。来年も行きたいものです。

ふぐの「しゃぶしゃぶ」には本当に参いりました。




ぞうすいの画像は酔っていたのか大ブレで使用不能でした。ふぐを食べに食べて、ひれ酒を飲みに飲んで6500円/人とは謝謝というしかありません。

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1945(昭和20)年の今日3月13日23時57分~14日3時25分(約3時間半)大阪の市街地を空から無差別大量焼殺の米軍航空隊が襲った。

2023年03月13日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

2015年3月14日  阿智胡地亭の非日乗 掲載

   第1回大阪大空襲

1945(昭和20)年3月13日23時57分~14日3時25分(約3時間半)
大阪上空に飛来したB29は274機

 アメリカ軍の照準点は、北区扇町・西区阿波座・港区市岡元町・浪速区塩草に設定されていた。空襲警報とともに灯火管制がしかれ、大阪市は暗闇の中にいた。

 グアムから飛び立った第314航空団の43機が午後11時57分から14日午前1時にかけて大阪上空に達した。

従来の「高々度精密爆撃」という7500メートル以上の高空からの爆撃とは一変して「夜間低空爆撃」として約2000メートルくらいの低空からの一般家屋をねらった夜間爆撃である。

先導機が大型の焼夷弾(ナパーム弾)を港区市岡の照準点に投下し、大火災が発生。他の機はそれを目印に次々と焼夷弾を投下した。

内蔵した38個の小型焼夷弾が空中で分散して落下するようになっていて、木造の日本家屋を炎上させるために開発されたものであった。

 続いてテニアンから第313航空団のB29 107機が14日午前0時10分から3時25分にかけて爆撃。浪速区塩草を照準点として投弾した。

さらにサイパンから第73航空団の124機が14日0時20分から2時25分にかけて爆撃。照準点は北区扇町と西区阿波座。

すでに大火災が発生している中で、北区は米軍のねらい通りには爆撃できなかった(その分、他に被害を与えた)。

主な被災地域
 浪速区・西区・南区(現中央区)・港区・大正区・東区(現中央区)・西成区・天王寺区
 被災面積 21.0平方キロ
 被災戸数 136,107戸
 被災者数 501,578人
 死者    3,987人(浪速区では報告数よりも多い遺体が後日収容されて荼毘(だび)にふされている。このように、死者の実数はもっと多いと推定されるが実際の数は確かめようがない)
 重軽傷者  8,500人(正確な数ではない)
 行方不明   678人(確認できた数だけてあろう)

■3月13・14日の空襲による国民学校の被害

■北区 全焼 天満 半焼 曽根崎
■此花区 全焼 中春日出 半焼 春日出
■東区 全焼 錦郷 久宝 半焼 南大江 中大江東
■西区 全焼 西船場 広教 堀江 高台 九条中 西六 半焼 日吉 花園 九条南 江戸堀
■港区 全焼 東市岡 波除 市岡 南寿 菊水 音羽 東田中 魁 半焼 南市岡 本市岡 磯路
■大正区 全焼 三軒家東、港南 半焼 三軒家南
■天王寺区 全焼 天王寺 上本町 半焼 聖和 生魂
■南区 全焼 東平 高津 半焼 渥美
■浪速区 全焼 南栄 東栄 塩草 稲荷 戎 半焼 立葉 難波 芦原 大国 元町 敷津 恵美 浪速津 日本橋 逢阪
■住吉区 全焼 安立 半焼 加賀屋
■西成区 全焼 開 半焼 岸里 長橋 北津守

参考にした文献
小山仁示「大阪にも空爆があった」ピースおおさかブックレット
小山仁示「戦争 差別 公害」解放出版社
赤塚康雄「消えたわが母校 なにわの学校物語」柘植書房

 
心に残る恐怖 伝える 13日、大阪大空襲70年、大阪日日新聞

2015年3月13日

 太平洋戦争末期の大阪大空襲(第1次)から70年となる13日、大阪市平野区の矢野博さん(77)が、当時の体験を基にした画集

「あの日、あの時 國民學校(こくみんがっこう)一年生の記憶」(新風書房発行)を発刊する。

大空襲を中心に戦中・戦後の市民生活や世相も細かく描いており、戦争の悲惨さをリアルに伝える資料として早くも注目が集まっている。


もともと漫画や映画館の看板を描く職人だった矢野さんは以前、大阪国際平和センター「ピースおおさか」(大阪市中央区)の企画展で自身の体験画を披露。

その際、平和学習で訪れた児童が真剣な表情で絵に見入る姿に心を突き動かされ「後世に残したい」と画集制作を進めたという。

 矢野さんは大阪市浪速区出身。1945年3月13日深夜から14日未明にかけて実施された大空襲当時は浪速津国民学校の1年だった。

前年に滋賀県に集団疎開していたが、学校行事で帰阪した際に大空襲に遭遇、実家を焼かれた。

無数に落下する焼夷弾(しょういだん)で火の海となった町を家族で逃げまどい、明け方に天王寺区の伯父宅へ無事避難した。

 「誰もがどこへ逃げていいのか分からない恐ろしさ。夜中に思い出して起き上がるほど」と強烈な記憶をたぐり寄せながら、じっくりと描き上げた。

 「70年目の発刊も何かの縁で、子どもたちの役に立てばうれしい」と矢野さんは発刊の感想を語り、画集の特徴について「大空襲で町が焼ける光景をカラーで伝えたかった」と話している。

 毎年戦争体験集の発刊を続ける新風書房代表の福山琢磨さん(80)は「体験した本人でなければ描けなかった。

貴重な資料として多くの人に見てもらいたい」と呼び掛けている。大阪市天王寺区の新風書房では15日まで矢野さんの原画展を開いている。

 
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03月12日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年03月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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