(はがき)
たとえば。
「悲」という文字を、丸、三角、線だけで抽象的に表現してみる。
文字の形はあくまでもヒントで、文字を追わず、探さず、頼らず。
文字を意識しつつ、文字から離れる。
こうあらねば、こうあるべきだから・・。
そんな思い込みを、どこまで取りはらえるか
脳をやわらかく、心も自由に。
この作業は、自分探しでもあり、自分革命でもある。
この際「悲」の意味は忘れてもいい。
その意味にこだわると、また別の思い込みに支配されてしまうから。
ただただ、丸と三角、四角、線だけで、
「悲」の文字を変化させていく。
読めるか読めないか、そんなことは問題ではない。。
1枚2枚書いた位では、発見も革命も起こらない。
何枚も何枚も無心に書く書く書く・・
そうすると、微かに、自分の奥底の感覚に触れる瞬間がある。
その瞬間を掴むために、繰り返し繰り返し、書き続ける。
そうしていると
書することも、生きることも
そんな繰り返しなのかもしれないって思えてくる
たとえば。
「悲」という文字を、丸、三角、線だけで抽象的に表現してみる。
文字の形はあくまでもヒントで、文字を追わず、探さず、頼らず。
文字を意識しつつ、文字から離れる。
こうあらねば、こうあるべきだから・・。
そんな思い込みを、どこまで取りはらえるか
脳をやわらかく、心も自由に。
この作業は、自分探しでもあり、自分革命でもある。
この際「悲」の意味は忘れてもいい。
その意味にこだわると、また別の思い込みに支配されてしまうから。
ただただ、丸と三角、四角、線だけで、
「悲」の文字を変化させていく。
読めるか読めないか、そんなことは問題ではない。。
1枚2枚書いた位では、発見も革命も起こらない。
何枚も何枚も無心に書く書く書く・・
そうすると、微かに、自分の奥底の感覚に触れる瞬間がある。
その瞬間を掴むために、繰り返し繰り返し、書き続ける。
そうしていると
書することも、生きることも
そんな繰り返しなのかもしれないって思えてくる