BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

ガレージ

2008年10月30日 | 古本
 さまざまな肩書きを持つという点では、やたら長いタイトルの
著作と職業遍歴を持つ、あのロバート・フルガム氏に似ている。
著者 ケニー・ケンプ(1955年、カリフォルニア州生まれ)は、
亡くなった父親がガレージにため込んでいた工具、大工道具類、古木材の切れ端、
役目を終えた形あったものを述懐する。手に取った工具類の一つ一つが、親父の
生き方そのもので、武骨だ。文章は整理されていてムダがない。比喩と皮肉に塗
れたヘンテコな文体に陥ることもなく、124ページに短くきっちりと収めた。
 子供の頃にみたアメリカのテレビに映る大きなガレージは、夢の玉手箱の様に
思えた。あらゆる工具や使えそうな遊びの材料が、山ほど積み置かれていたから。

 ケンプ氏は<私の悲しみは父の死から四ヶ月を経たクリスマス前日、この雑然
としたガレージではじまった。私はここで、父が自身と私の人生を築いた資材に
囲まれ、父の鋭く厳しい視線に睨まれて育った。
 私は何の変哲もない緑の合板を手にして立ちつくした。物言わぬ一片の板切れ
は、生涯、自分の器量を知らずに逝った父の大きさを雄弁に語っていた。>と書
いた。 父親へのレクイエム、アタシはこういう作品が好きだ。

 「父の道具箱」 著者 ケニー・ケンプ  角川書店 定価1300円+税
  ( 2002年3月30日 初版発行 )

よ み 中

2008年10月28日 | 古本
 みた目の厚さ(上下2段組、727ページ)に手を出しかねて
いた。しかし100円コーナーに入ったのを機に覚悟した。
毎夜眠る前の小1時間をこの本に充てているのだが、なかなか
進まない。なにしろ他の本の何冊分にも相当する量だ。内容も重く、毎日少し
づつがこの本の正しい読み方なのかも知れない。ここ数日の天気のように暗く
重く寒い。
 事件は1995年3月20日の朝だった。その2年後にこの本が出たことが、
驚異的だ。つまり僅か2年の時間で・・・。ウムー、人海戦術にも感心。

 「アンダーグラウンド」 村上 春樹  講談社  定価2575円
  ( 1997年3月24日 第2刷発行 )

〔 栄 〕

2008年10月25日 | 古本
 文庫本ワゴンのヤマの中に、一冊だけハダカで置かれていた。
ハードカバーが白色な分、裸体放置の様でなんだか恥ずかし
そうにしていた。手に取ると女流劇作家 リリアン・ヘルマン
自伝とあった。パラパラめくると“しめた”と思った。なかに100度数のテレ
ホンカードが挟まっていたのだ。最近ほとんど使う機会はないが、十円で千円の
テレカが付いてくるなら、これは買いだろう。いままで写真や読書カード、メモ
書きの紙片などが挟まっていた事はあるが、こんなプレセントは初めてだ。躊躇
している場合ではない。ポケットから十円玉を探り、レジカウンターへ向かった。

 しかしだ、そんなズルな考えはすぐに夢やぶれる。随分少なくなった公衆電話
を探し出し、カードを入れてみると〔0〕を表示する。なにかの間違いかと再度
挿入するも〔0〕だ。ウムー、よくよくみるとカードには小さな穴が3コ空いて
いる。つまり全くの使用済みカードだったワケだ。これは古本版、振り込め詐欺
に遭ったようなもので、アタシはマヌケ者で高齢被害者を笑えない。よこしまな
考えと行ないは、天がみぬいているのだ。(笑)
 一方で、このメモはなんだろう。〔1992、3、10、栄、〕とあっさりな
女性字の書き様だ。日付は購入日だとしても〔栄〕の意味はなんだろう。書き様が、日付の数字と雰囲気が並列なのだ。そして特段この本との関連はないようだ。人名か、地名か、あるいは店名などのマークサインか、手掛りがない。
 ともかく、リリアン・ヘルマン自伝をこんな小エピソードで書き括るのは失礼
だし情けないから、この辺で。

 リリアン・ヘルマン自伝「未完の女」 訳者 稲葉 明雄・本間 千枝子 
  ( 平凡社 定価1800円 1988年7月10日 初版第6刷発行 )



トマソン郡の橋

2008年10月23日 | その他
 虹のような半円で大きな曲線階段を乗せたこの橋を、
〔 トマソン郡の橋 〕と呼んだら怒られるだろうか。ともかく
上って下りて,橋の端から端までの移動に、さしたる実利はない。
だが、若い女性がアーチのほぼ頂上で一心に筆を取るという状況と、アタシが
それを発見したということでは意味がある。 小さなノートへの風景スケッチ
なのか、自分あるいは誰か宛の心象メモなのか、遠目からではよく判らなかった。いくらなんでも近づいて覗くほどアタシは野暮じゃない。
 以前かいた「あれはなにを」と同じ橋で、二人とも誰かになにかを伝えたいと
いう意味において同じだろう。けれども、すがりつくように握り締めた携帯電話と、ノートになにかを書くという行為は同じとは思えない。一方では、伝わらな
いことの絶望を予感し、一方では伝わることの希望を感じるのだ。
それが傍目で判るのは、なぜなんだろう。

廃 屋

2008年10月21日 | 古本
 写真集を古本屋チェーン店で探すのは無いものねだりだ。
アイドルものならいざ知らず、藤原さんのはなお更だ。
従来の古本屋さんで探す手ももあるが、一般に元々の
値段が高くてアタシには手が出ない。ならばここは大きな図書館に頼るしかない。
そして流石にある。一週間くらいかかる時間を我慢すれば、近くの図書館で受け
取れるのはありがたい。こうなったらもう図書館の悪口は書けないか。以前書い
た悪口の25%を取り消す。(以前50%と今回25%を取り消したので、あと
25%の残りがある。いずれ・・・笑)
 
 荒野に取り残された廃屋ほど、郷愁を感じさせるものはない。それは自分の中
にも廃屋を持っているからだろうか。その家にうごめいた人間の生活の歴史を
想像出来るからだろうか。かっての住人は何処から来て、何処へ去ったのか。
できることなら家の中へ分け入って、その営みの痕跡を拡大してみてみたいものだ。一枚の皿とカップ、片方の靴下と壁に貼られている最後の年のカレンダー、
もしそれらが無いとしても窓や戸、間取りから類推することは可能だ。残されて
いた全てのものに、民族や地域を問わず意味と価値があるのだと思えてならない。

 藤原さんは「あとがき」にこう書いた。
<また本書には、私のはじめての小説『ディングルの入江』の中から抜粋した言
葉を髄所に散りばめているのだが、、その言葉と写真の響き合いによって扉のむ
こうにまた異なった風景が見えるとすれば、物事にはたったひとつの扉しかない
のではなく、意識の持ち方によって、そこにはいくつもの扉が開かれているとい
うことを表しているにちがいない。>

 「風のフリュート」 藤原 新也  集英社  定価2400円+税
  ( 1998年1月31日 第1刷発行 )

おにぎり-2

2008年10月18日 | テレビドラマ
 どんな方向の脚本を書くのも勝手だが、あのどうにも
楽屋オチ(バレ)のように軽佻な初回と最終回の、ワイドショー
的ワル乗り中継シーンはみっともない。テレビの一番醜悪な
シーンがどうしてあのドラマに必要なのか、アタシは解らんのだ。
まさか島崎氏の筆ではなく、プロデュサーか演出の差し金だと思うが。あんな事
を面白がる余裕よりは、あんな事の設定を嫌うという窮屈さを大切にして欲しい。

 まぁ、でもよく書きましたね。10回分で約120分でしょうか。マンガ的で
面白いトコもあったし。いろんな制約縛りのなかで、翻弄されたであろう事が
想像つきます。そのことを踏み台にして、より個に戻った作品を書いて欲しい。

 「桃山おにぎり店」 脚本 島崎 友樹   監督 鴨田 豊
  ( STV どさんこワイド180 内での連続ミニドラマ 
         10月6日~17日 の間 10回放送 )

そ の 時

2008年10月17日 | テレビ
 10月15日(水)NHK「その時歴史が動いた」
知里 幸恵編は、どうも納得がいかない。
在りものの映像を継ぎ合せて、しかも何度もリピートする
あの投げやりな番組づくりは、二十世紀 北海道が生んだ天才少女を扱うにしては
安易に過ぎないか。 松平定知アナは旭川へ行ってアイヌコタン、チセ前での前
フリと小野 有五(北大大学院教授、知里幸恵記念館建設世話人)さんとの対談でお終いだ。それも一応行きましたのでという様な雨の中、傘を差しての顔出しだ。べつに雨の日で一概に悪いとは言わないが、だったら雨を生かす画は撮れないも
のか。やっつけ仕事がミエミエで、ナレーションの言葉だけが先行し、映像に愛
情も工夫もない。 同じ写真を寄ったり引いたりは何時ものパターンだとしても、
幸恵さんの出生地 登別は、在住の姪 横山 むつみ さんのインタビューのみで、
いくらでも撮る画は在るハズなのに。

 今年の6月、「アイヌ民族を日本の先住民族と認める決議」が日本の国会でや
っと採択された。つまりNHKがいう「その時」(1923年8月10日に出版
された 知里 幸恵が著した アイヌ神謡集 を指す)から歴史は動いていはいず
あたり前のことに85年を私たちは費やしていたのだ。そこに深く切り込む考察
が甘い。
 アイヌ先住民への略奪や差別が、明治維新の統治政策だけだった如き構成は、
和人のあるいは人間の、他民族に対する偏見や差別意識の存在を曖昧にさせた。
番組はどうでもいいフカンの空撮映像と、埋め草でお茶を濁したのだ。
 今番組は「その時から歴史は動かず」と改題して、NHK大阪は放送すべきだ
ったと、アタシは怒っているのだ。
 ※( 制作がNHK大阪だったのも、なんかヘンな気がする )

言 い 訳

2008年10月15日 | 古本
 5年前に出版された375ページ、400字詰原稿用紙でざっと
計算すると750枚のこの本が、何故早くも百円コーナーに
落ちるのか、その事情がいつも分らない。何処でどんな過程を
踏んで百円になるのか、そいつがいつも分らない。その棚に帯付きの本はない。
それがあると整理の邪魔で、半端に破れでもしたら扱いに手間がかかるのだろう。
逆に言うと出版年月日や内容に係わらず、その帯を失くしたら百円落ちなのか。
 
 うまく書いている分、なにか虚しい。相応に複雑な偶然を折り重ねて展開する
小説だ。しかしなぁ、何故こうもトーキョウは言い訳と偶然に満ちているのか。
時々小説を読んで思う。一体誰に向けての、何が言いたくてこんな事を書いてる
のかが解らなくなる。手を替え品を替えてはいるが、パターンはいつもカタカナ
職業とワインとセックスだ。(ラブシーンが激しいと嬉しいが。笑)
東京を札幌に置き換えると、結局藤堂さんと同じだし、それを外国にして音楽と
いうスパイスを振り掛けると 村上 春樹の小説と同じになる。違いは数十ヶ国
に翻訳され、ノーベル賞候補とウワサなるかどうかだ。(笑)

 しかしなんだ、言い訳も 後ろめたい偶然という出来事もない、現実の生活と
いうのも なにか味気ないが・・・。(笑)

 「100万回の言い訳」 著者 唯川 恵  新潮社 定価1600円+税
  ( 2003年11月5日  2刷 )  

潮 時 ?

2008年10月13日 | 古本
 荒々しい海の断崖にたつ、その岩肌のようにゴツゴツした
小説だ。その荒さに戸惑いながらも読み進めていく内に、
なにか壮大で乾いた太古の人間の関係とは、こんなかたちで
あったろうと思わせるのだ。その時代の島において愛という言葉は、心と身体が
離れている者にとってこそ必要だった。やがての終章に至って、大海の風波は岩
と石を削り丸い小さな砂粒となり、書いた文字がとめどなく波に打ち消されてい
く時間だ。
 アイルランドの、夕暮れの雲に覆われた入江は、暗く静かでもの悲しい。

 藤原 新也さんの小説を読むのは初めてで、初めて書いた小説を幸運にも見つ
けた。そろそろ百円コーナーに通うのも潮時かと、思い始めていたのだが。
藤原さんの著作は「アメリカ」を手始めに、その前や後ろに出版されたものは
古本屋さんの棚次第に任せていた。が、こうなると同時発売でこの本を元にした
写真集「風のフリュート」は、何処かで必死で探さねばならない。

 「ディングルの入江」 著者 藤原 新也  集英社 定価1785円
  ( 1998年1月31日 第1刷発行 )

不 服 従

2008年10月10日 | 古本
 いつもの四店、古本屋チェーン店めぐりは新たな出会いも
乏しく、相変わらずのベストセラー流れ部類ばかりになってきた。
陳列棚にはそれらしい顔つきで大量に鎮座しているのだが、百円
コーナーはほとんど収穫がなくなってきた。そこで思い切って市中心部の核店舗
に足を向けた。規模が大きいとそれだけ百円コーナーの棚数も多い。だが百円
コーナーは何処へ行っても百円コーナーの顔つきで、大差がないことが分かった。
 ただしそこにはクォーター本コーナーがあった。だいたい350円がめどで、
すこし新し目の本が並んでいる。といってもアタシの偏狭な読書傾向にそった本
が、豊富に並んでいるわけではない。
 冊数が多くても、その店での唯一の収穫は、下記の二冊だった。
「独航記」「永遠の不服従のために」いずれも辺見 庸さんの著作だ。

 「コヤニスカッティ」という映画のVHSを持っていたハズだが、いま何処を
探してもない。誰かに貸して戻っていないのか、返せと云うのを忘れていたのか、
あるいはアタシの方が誰かに借りて、返すことを忘れていなかったという、その
どれかだ。ともかくその映画のことが「永遠のー」に載っていて、思い出した。
<生々流転というほど静かではない。やみくもにエネルギーを蕩尽しては、創造
と破壊の両方に狂奔する人の世を、カメラは、嘆きも怒りもせずに、ほとんど虚
無の眼で見つめていた。台詞もナレーションもスーパーインポーズもない。思い
は、映像を見る者の胸にゆだねられた。サンフランシスコでは、スクリーンを見
あげたまま、とめどなく涙を流している老婆がいた。あれは、喪の映像だったの
だろうか。>と辺見氏が書いている。もしかして涙を流していたのは、辺見さん
自身ではなかったのかと思うのだが・・・。
「コヤニスカッティ」監督はゴッドフリー・レジオ 1982年(86分)題名
はアメリカインデァン、ホピ族の言葉で「バランスを失った世界」という意味で、
映画の中では音楽としてお経のように繰り返される。確かに〔喪の涙〕が流れ、
虚無的だと嫌う仲間もいたが、アタシには忘れられない作品だ。

 「独航記」 著者 辺見 庸  角川書店  定価1800円+税
  ( 平成11年11月30日 初版発行 )
 「永遠の不服従のために」著者 辺見 庸 毎日新聞社 定価1429円+税
  ( 発行日 2002年10月10日  写真は 中平 卓馬 )