BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

餓える子供達

2019年07月31日 | 写真集
これは長倉洋海さんの初めての写真集かも知れない。1980年に1年をかけて世界の紛争地域を撮ったもので
いずれもゲリラ側からの視点から撮ったもの。その後も世界を巡り、今はほかの活動にもアクティブだ。
ただこのタイトルは作品リストには載っておらず、のちに改題したのかも知れない。また今となっては懐かしい
「現代の眼」や「朝日ジャーナル」そのほかに特集されたものだ。ただ沢田教一氏やロバート・キャパとも違っ
た激しいしい戦闘場面はない。難民キャンプなどの写真も多く、その時写っていた子供たちはもう誰もいないだ
ろう、ほぼ40年もたっているのだ。
しかしだからといってその紛争が終わり、平和になったというニュースに触れていない。こうして人類はその
領土や宗教をめぐっての対立が終わらない。そして決定的な原因は富めるものと貧困に喘ぐものとの差だ。
世界の富を独占する100人ほどのお金持ちさん、その99パーセントを提供して下さい。残りの1パーセント
だけでも十分に豊かな生活が出来るだろうよ。して99パーセントを餓える子供達へ。
 「ゲリラ・七つの戦線」 長倉 洋海 写真集  未来社 定価2000円
  ( 1981年9月30日 第1刷発行 )

お似合い

2019年07月16日 | 古本
戸井 十月さん(1948年10月12日~2013年7月28日)もすでに64才で鬼籍に入られた。
どうも戸井さんは南米がお好きらしい。チェ・ゲバラを追った作品は何冊も書いている。
この「南へ」も南米シリーズだがこれがフィクションであれノンフィクションであれどうでもいい。
いかにもありそうな話ばかりで、その裏には濃厚な政治的背景も織り交ざって、展開する。メキシコ・
ニカラグア・パナマ・コロンビア・ボリビア・チリ・アルゼンチン編の短編連作小説。アタシは面白く
読んだ。それにしても戸井さん、肺ガンだなんて、タバコの吸い過ぎではなかったのですか。似合うが。
 「南 へ」 著者 戸井 十月  講談社 定価1450円
  ( 1990年8月30日 第1刷発行 )

9,5mm

2019年07月15日 | 古本
1986年2月発刊の古い本を読んでいたら盛んに9,5mmフィルムのことが出てきた。日本が8mmフィルムを
発売する以前は(いわゆるレギュラータイプやダブルと呼ばれた8mm)、1920年代後半からこの9,5mm
フィルムが活躍したようだ。フランス製でそんなに精密な造りでもなく感度も低くまた映写機も当初は手回しだった。
そんな9,5mmフィルムがその20年代後半から、専らプロレタリア運動に利用され映画論が運動論の中に組み込
まれて行ったようだ。それは編集も緻密なものでなく、時系列に撮ったままの映像でさえ多くの労働者には喝采を浴
びたようだ。ただその多くのフィルムは上映運動も弾圧され、獄につながれた。上映も命懸けだったのだ。
そして日共系の映画評論家〔岩崎 昶〕氏の懐かしい名前が盛んに出てくるのがアタシには微笑ましい。
ここの映像機材博物館にもフランス・パテー社の日本子会社パテーベビー社の刻印が入ったフィルムが2巻あるが、
いかんせん映写機どころかビュアーも無い。それがもし貴重な労働争議など撮ったものであれば、これまた歴史的
発見になるのだが、たとえ一般的な町の風俗でも多いなる貴重な記録だ。どなたか9,5mm映写機などお持ちで
ないかしら。東京の業者に出せば出来るのだが、いまここの資力ではむり。
その後は16mmフィルムに徐々変わっていくのだが、日本の8mmフィルムは専ら家庭用として普及していった。
「私にも映せます」(フジカ?)というコピーの扇 千景が出たCMが当時盛んにTVで流された。
この本では日本プロレタリア映画史の発展とその記録が分かる、ありがい本だ。(読むにはエライ時間がかかるが)
 「プロキノ」全史 著者 並木 晋作  合同出版 定価3000円
  ( 1986年2月1日 第1刷発行 )

クズ本を嗤え

2019年07月05日 | 新 刊
誰かが置いて行った本だ。アタシがこんなビジネス本を買う訳がない。棚にあったから一応読んだが。
でなにか内容があるかと思ったが、なんにもない。スポーツものの根性出せばなんとかなるという、
同じタイプの本。こんな本が東京では売れているのかと思うと悲しくなる。昨年8月の発行が今年2月
で14刷発行になっている。半年でだ。あー世も末だ~。
 「死ぬこと以外かすり傷」 著者 箕輪 厚介  マガジンハウス 定価1400円+税
  ( 2019年2月25日 第14刷発行 )
31才で亡くなった歌人〔中城 ふみ子」が上京後、死の目前に詠んだ歌。
 「ひしめきて位置を争う東京にわが足立つる空地はなきか」 これを箕輪氏なら嗤うだろう。